当時は、客車が鋼製になりつつあり、列車の重量も木製車体に比べて20%ほど増すことから牽引力の増大が求められていました。そこで先進国で実用化されていた3シリンダー方式の技術を用いて従来のC51形よりも強力な機関車をつくることになったのです。
C53形は、東海道・山陽本線で特急・急行列車牽引の主力として使用されました。しかし3シリンダー方式は保守が難しかったそうで、また1940年代になって2シリンダー方式ながら強力なC59形が投入されたことにより、1948年から50年にかけて現役を退きました。
写真の45号機jは、1928年に汽車製造で完成しました。1950年に廃車されてからは、教習用車両を経て、鷹取工場で保管されていました。1961年に走行可能な状態に復元され、記念走行を行ってから翌年より大阪の交通科学館で展示されました。1972年には梅小路蒸気機関車館に移され、静態保存されています。
【撮影:佐野次郎 2015.5.19】