2019/04/30

相模鉄道9000系(9701F)

相模鉄道は11月にJR直通線の開業を控え、さらに東急直通線が建設中です。これらの路線は相鉄新横浜線と呼称されることになりますが、1985年に神奈川東部方面線として計画が公にされて以来、いよいよ完成を迎えます。
車両についても、昨年に東急直通用の20000系、本年にはJR直通用の12000系がデビューし、相鉄の新しい時代を象徴するかのようです。かつて平成の初期に8000系・9000系という斬新なイメージの車両が登場したことを思い出します。
9000系は、YOKOHAMA NAVY BLUEカラーへの刷新が進んでおり、5編成が既に完成し、現在は9707Fがリニューアルのため入場しております。以前の新塗装で営業運転に就いているのは9701F1本だけになっています。
写真の9701Fは1993年1月に東急車輌で完成したものです。2007年4月に新たに設定されたコーポレートカラーに塗装が変更されました。方向幕を使用している貴重な存在ですが、当編成もYOKOHAMA NAVY BLUEカラーにリニューアルされると思われます。
【撮影:佐野次郎 2019.4.29 西谷ー上星川間】

2019/04/29

相模鉄道12000系(12101F)

相模鉄道12000系は、11月30日に開業を控えたJR東日本との直通運転に充当するために、2019年度に60両(10両編成6本)が製造されます。インパクトのあるYOKOHAMA NAVY BLUEの車体塗装を9000系・20000系に続き纏うことになります。
昨年に登場した東急線直通用の20000系と基本的なコンセプトは同じで、よく似た感じの電車になっています。ただし拡幅車体を採用し、能面の獅子口をモチーフにした前面形状は20000系独自のものとなっております。
機構的には、同じくJR線への直通を視野にいれていた11000系電車の延長線上にある電車だということができます。JR東日本のE233系の系統に位置する電車でもあり、埼京線のE233系7000番台とも親和性があるでしょう。
写真の12101Fは、12000系のトップナンバーで2018年12月に総合車両製作所横浜事業所で完成したものです。4月20日から営業運転に投入されました。JR線への直通は12000系だけが充当され、11000系は引き続き相鉄線内だけで使用されます。

2019/04/28

新幹線リレー号

今でこそ東京駅を起点に、仙台・盛岡・新潟・山形・秋田・長野・新函館・金沢と多様な行先に新幹線が運転されていますが、1982年の東北・上越新幹線の開業から1985年3月の上野開業までは大宮が始発駅でした。
そのため、東北本線の上野ー大宮間に新幹線と接続する新幹線リレー号が運転されました。この列車は新幹線の延長として運転されていたので、新幹線の利用客だけが利用でき、途中駅での停車もありませんでした。
現在では、新幹線のネットワークも拡充され、在来線でも湘南新宿ライン・上野東京ラインが整備されて、格段に便利になりました。上野ー大宮間に新幹線の接続列車が運転されていたことを想像するのは難しいかもしれません。
車両は新前橋電車区の185系200番台が使用されていました。7連を2本つなげた14両編成での運転です。185系200番台は「踊り子」用の0番台を基本に、耐寒・耐雪設備を強化したもので、200系新幹線電車にイメージを揃えたグリーンの帯が特徴でした。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 尾久駅】

2019/04/22

東急大井町線8500系(8640F)

東急大井町線では、8638F~8641Fの5両編成4本の8500系電車が使用されていましたが、田園都市線から2000系の転用を受けて、2018年11月から2019年3月にかけて運用を離脱しました。
これで大井町線用の車両は、急行用の6020系・6000系、各停用の9000系、2000系→9020系に統一されました。6000系が2007年にデビューし、急行が新設されて以降も8090系・8590系が現役だったのですが、近年に急速に整理された感があります。
8500系も田園都市線ではまだまだ主力として活躍していますが、今月になってから東武乗入れ編成の8620Fが運用を離脱し、2020系の投入により約10年ぶりの代替が再開されました。東武線に入れない8606F.8642Fを含め代替が加速していくことでしょう。
写真の8640Fは、1986年12月に東急車輌で完成したものです。田園都市線では8641Fと5+5両編成で使用されていました。2003年に大井町線に転用されました。2019年1月に運用を離脱して廃車となりました。
【撮影:佐野次郎 2011.11.5 九品仏ー自由が丘間】

過去の記事から
東急大井町線8500系(8638F)
東急大井町線8500系(8639F)
東急大井町線8500系(8641F)

2019/04/21

京阪神の市電アルバム

先月に「京阪神の市電アルバム」という、京都・大阪・神戸市電の写真集を購入しました。撮影は高橋弘さん、解説は高橋修さんということで、内容は非常に期待を持てるものでした。
とはいいながら購入は少し躊躇しておりました。今までに何冊か同じ撮影・解説の組み合わせでの路面電車の著作を購入していたので、初見の写真ばかりではないことが予想されたからです。
結局は書店で手に取ってみて写真の画質が良く、これなら何度も見るだろうと思い購入しました。路面電車全盛期から引退までの姿と街並みの臨場感あふれる写真が満載です。比較的版型が大きいのもまた良いです。
私は大阪・神戸の市電を実際に見ることはできませんでしたが、京都の市電は、京都に母の実家があったこともあり、数回利用することができました。私の生まれた病院は、わら天神の電停の近所だったとか。懐かしい京都市電の姿の写真を見るだけでもうれしいものです。

2019/04/20

特急「あさま」の489系

私が鉄道を撮影し始めたのは、中学生の頃ですが、1980年代前半「昭和」「国鉄」の時代でカメラは当然フィルム式でした。現代のデジタルカメラやスマホのように気軽に何枚も撮影できるわけではありませんでした。
24枚か36枚撮りのフィルムに、現像代とプリント代がかかるわけですから、撮影は1列車に1枚が基本でした。そのかわりに、ブルートレインや在来線の特急列車は近年に比べるとまだまだ多くの列車が走っていました。
写真は上野駅で撮影した信越本線の特急「あさま」の489系電車です。「あさま」は上野ー長野間の運転ですので、直流専用の189系電車が基本なのですが、数本が交直両用の489系電車を使用していました。
489系電車は主に交流電化されている北陸本線の金沢まで直通する特急「白山」に使用されていました。「白山」は最大3往復の設定でしたので、北陸新幹線で東京から金沢まで行けるようになった現在は格段に利便性が増しています。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 上野駅】

2019/04/15

尾久客車区の記憶

宇都宮線・高崎線の上野から数えて次の駅は尾久駅です。尾久駅に隣接して広大な留置線が展開していますが、2015年3月に上野東京ラインが開業してからは、主に通勤電車の留置に利用されています。
もともとここは尾久客車区といって、長らくブルートレインの基地として使用されていました。上野を起点に、東北・北陸方面に向かう寝台特急・急行用の客車や、12系・14系座席車が波動輸送用に多数配置されておりました。
JRになってから青函トンネルを通って札幌に直通する「北斗星」の運転開始や、「北陸」への個室寝台車の導入により、新たな展望が開けるかと思いましたが、やはり長距離移動の主役は新幹線や航空機に移っていきました。
それでも「北陸」は、2010年3月まで運行が続けられました。長く続いたほうでしょう。現在は上野東京ラインの開業で尾久を通勤電車用の基地として活用できることから、品川の再開発が可能になり、姿を変えてJR東日本の経営に貢献することになりますね。
【撮影:佐野次郎 1984年頃】

2019/04/14

広島電鉄3700形(3701ACB)

私が高校から帰宅するには、杉田ー京急富岡間の1駅だけ京急を利用して、新杉田まで歩いて根岸線に乗り継ぐのが一般的なルートだったのですが、ときどき学校から新杉田まで歩いて帰っていました。
国道16号線沿いに歩くほうが近道ですが、たまに並木団地を通って産業道路添いに歩くことがありました。そうすると当時建設中だったシーサイドラインの高架の桁が立ち始めていました。
新交通システムではなく、広島電鉄のような電車で作ったらいいのになと思いながら眺めていました。無人運転による人件費の節約、軌道の保守、乗降の利便性、建設費の補助などが新交通システムを採用した理由だとは思いますが。
当時の新鋭車両で、羨望の的であった広島電鉄3700形を、2013年にようやく実際に見ることができました。写真の3701ACBは、1984年12月にアルナ工機で完成したものです。既存の技術を用いて手堅くまとめられた車両だといえるでしょう。
【撮影:佐野次郎 2013.4.23 銀山町ー稲荷町間】

2019/04/13

広島電鉄3700形(3703ACB)

鉄道書では何度も見ていた広島電鉄の姿ですが、2013年に実際に撮影のために現地に行ってみると、頻繁に走る路面電車の中のかなりの割合を大型の連接車が占める姿には感銘を受けました。
私が実際に見た路面電車といえば、それまでには都電の荒川線、京都市電、西鉄北九州線、長崎電軌、熊本市電、鹿児島市電、豊橋鉄道市内線、札幌市電、あとは江ノ電に東急世田谷線といったところでしたから。
郊外をかなりの高速で走行する宮島線に直通する2系統は連接車に統一されていましたが、広島港に向かう市内線の1系統もかなりの割合で連接車で運転されていました。広島では1両だけで走るのは単車と表記されているのも驚きでした。
写真の3700形3703ACBは、1986年7月にアルナ工機で完成したものです。広島電鉄3700形は、軽快電車と称して実験的に製作された3500形の量産型ともいえる形式で、1984年から87年にかけて5編成が製造されました。
【撮影:佐野次郎 2013.4.23 的場町ー稲荷町間】

過去の記事から
広島電鉄3700形〈3702ACB〉
広島電鉄3700形〈3705ACB〉

2019/04/06

広島電鉄3000形(3003ACB)

「平成」の次の元号が「令和」になると発表されました。これで私の鉄道趣味も、昭和・平成・令和と三つの元号をまたぐことになると思います。そもそも私の鉄道趣味は、幼いころに父に買ってもらった保育社の「カラーブックス」が起点となりました。「蒸気機関車」「路面電車」といったタイトルです。
私は今年で50になりますので、蒸気機関車や路面電車をリアルタイムで経験するには少々遅かったのですが、それでも京都市電に実際に乗ったり、上野駅で在来線の特急を撮影したり、ブルートレインを撮ったり利用することはできました。
新たな「令和」の時代、生産人口の減少を直視して、鉄道のあるべき姿を模索し、近づけていく試みが見られることを期待しています。昭和に路面電車と呼ばれていたものは、LRT・BRT・バス(電気自動車を含む)に姿を変えていくのでしょうか?
写真の広島電鉄3000形3003ABCは、西鉄福岡市内線1200形として1963年8月に日立製作所で完成したものです。1980年に広島電鉄に譲渡され、3車体連接車に改造されました。長く活躍した3000形の現役車輌も新鋭5200形の就役で役目を終えることでしょう。
【撮影:佐野次郎 2013.4.23 銀山町ー稲荷町間】

過去の記事から
広島電鉄3000形〈3002ACB〉
広島電鉄3000形〈3004ACB)
広島電鉄3000形〈3005ACB〉
広島電鉄3000形〈3007ACB〉

2019/04/03

広島電鉄1900形(1914)

私が広島電鉄の撮影に行ってきたのは2013年でした。既にもと神戸市電の570形・1100形は置換えが進んでおり撮影することができませんでしたが、もと大阪市電の750形・900形、もと西鉄の3000形は現状よりも残っており撮影することができました。
そんな中でもと京都市電の1900形だけは、2019年4月の時点で15両全車が健在のようです。使いやすい車両だということですが、新製から60年以上を経過していますので、よほど念入りに修繕されているのでしょう。
道路の混雑のため市電を廃止した京都ですが、近年の訪日客の急増により、住民が利用に支障をきたすほど市バスが混雑しているとも聞きます。地下鉄とバスの中間としてLRTが必要ではないかとも思いますが、なかなか具体化するところまでは進まないようです。
写真の1914号車は、もと京都市電1930号車が1978年に移籍してきたものです。1957年に900形930号として東洋工機で新製されましたから、ワンマン化・冷房化改造・ICカードへの対応を行い、60年以上走り続けていることになります。
【撮影:佐野次郎 2013.4.23 猿猴橋町ー的場町間】

過去の記事から
広島電鉄750形〈762〉
広島電鉄900形〈911〉
広島電鉄3000形〈3005ACB〉