2010/03/31

青梅鉄道公園E102

 E10形蒸気機関車は、1948年に製作された最大かつ最強のタンク式蒸気機関車で、国鉄が最後に新たに設計した蒸気機関車でもあります。汽車製造で5両が製作されました。
 国鉄としては、唯一のE級の蒸気機関車であります。E級ということは動輪が五つあるということです。勾配路線に使用していた4110形蒸気機関車の代替を目的として設計された機関車で、あくまで牽引力重視の機関車です。
 写真で見ての通り、ボイラーも太く、直径は幹線貨物用のD52形と同じです。製造当初は奥羽本線の庭坂に配置され、板谷峠で活躍しましたが、同区間がすぐに電化されたので、北陸本線の金沢地区や肥薩線の人吉に転用されました。
 最終的には北陸本線の田村~米原間で使用され、1960年に全車が廃車となりました。E10形が保存されているのは、青梅鉄道公園だけのはずです。
【撮影:佐野次郎 1992.3.1】

2010/03/28

地下鉄博物館301号

 地下鉄博物館は、東京メトロ東西線葛西駅の高架下にあります。1986年に開設され、2003年6月にリニューアルオープンしたとのことです。
 300形電車は1954年に丸ノ内線の池袋ーお茶の水間開業に際して導入された電車です。のちには標準的な仕様となったカルダン駆動を採用した初期の電車でもあります。
 丸ノ内線も今ではアルミ車体の02系に統一されていますが、90年代までは300形の改良増備形である500形なども主力として活躍していました。私は学生の頃、神保町の本屋街の帰りに後楽園駅から丸の内線に乗り、赤坂見附で銀座線に乗り換えて渋谷に出て、東横線で横浜に戻ったりしていました。
 写真の301号は1953年に汽車製造で完成したものです。1995年まで営業運転で使用されました。2003年に地下鉄博物館に展示されるまでは、中野工場で保管されていました。
【撮影;佐野次郎 2010.3.27】

地下鉄博物館1001号

 地下鉄博物館には、日本ではじめての地下鉄である銀座線の1001号電車も展示されています。1001号電車は1927年に東京地下鉄道により浅草ー上野間が開業したときに登場した電車です。
 現在の銀座線のルーツである浅草ー上野間はわずか2.2kmで、所要時間は5分でしたが、たいへんな賑わいを見せたそうです。ちなみに銀座線が新橋まで延長されたのが1934年で、現在のように浅草ー渋谷間の直通運転となったのは1939年のことです。
 今では近代的なアルミ車体の01系電車に統一されている銀座線ですが、階段を下りるとすぐに改札があってホームがあるという駅も多く、地下の深いところを走る近年に建設された路線とは明らかに雰囲気が異なります。
 写真の1001号は1927年に日本車輛で完成したもので、1968年まで営業運転に使用されました。地下鉄博物館ができる前は、神田の交通博物館に展示されていました。
【撮影:佐野次郎 2010.3.27】

2010/03/27

千葉ニュータウン鉄道9000形(9008編成)

千葉ニュータウン鉄道9000形は、1984年3月の住宅・都市整備公団千葉ニュータウン線小室ー千葉ニュータウン中央間4kmの開業に伴い2編成が製造されました。製造時は2000形を名乗っていました。2004年に千葉ニュータウン鉄道が設立され、鉄道施設と車両の保有が移管されました。また電車の運行と保守は北総鉄道が受託しています。
車体は18m・3扉のセミ・ステンレス製で、黄緑色・朱色・灰色の粘着テープを貼り付けています。座席は2-4-2人に分割され、エンジとオレンジ色に色分けされています。車内にはカーテン・吊手を設けていました。
制御装置は界磁チョッパ制御方式のACRF-H8130-771A、主電動機は出力130kWのMB-3231-AC2、補助電源装置はSIVのBS-482-Hです。台車はKHS-101/KHS-001、空気圧縮機はC-2000L、冷房装置はCU-71Dを装備しています。
写真の9008編成は、1983年11月に2001編成として日本車両で完成しました。当初は6両編成でしたが、1990年12月に日本車両で2401・2501を増備して8両編成となりました。1994年8月に9000形に改番され、9008編成となりました。2013年1月に廃車となりました。

北総鉄道7500形(7503編成)

 北総鉄道7500形は、「ゲンコツ電車」と呼ばれて親しまれていた開業以来の7000形電車が老朽化したため、2006年に代替として新造された電車です。
 「京成グループ標準車両」として製造されたもので、京成電鉄3000形、新京成電鉄N800形とは共通設計になっています。ラインカラーだけが独自のデザインになっています。
 7500形に代替されて廃車された7000形は、Σ形の前面形状で「未来の電車」というイメージの電車でした。95年頃に京急空港線で走っているのを見ましたが、前衛的な電車だという印象を持ちました。
 写真の7503編成は2007年3月に日本車輛で完成したものです。「北総鉄道春まつり」のヘッドマークを掲示して走っていました。

2010/03/25

京浜急行電鉄1000形(1017編成)

 3月に入ってから、週末の天候が安定しないことが多く、いまひとつ撮影意欲を充足できない日が続いています。といいながら私佐野次郎は雨でも撮影できる駅などに出かけてしまうのですが・・・。
 先週の21日日曜日は、未明は凄い風雨で、これは撮影は無理かと諦めかけたところで日の出とともに晴れてきました。
 そこで京成押上線の京成立石駅まで出かけて線路端で2時間ほど撮影をしました。そのあとで京成船橋まで出てJR総武線に乗り換えましたが、強風の影響でダイヤがかなり乱れていました。未明の強風を考えれば、そうかと思いますが京成が何事もなかったように走っていたのが不思議でした。
 写真の1017編成は、京浜急行新1000形の1次車に相当し、2002年3月に川崎重工で完成したものです。

2010/03/22

京成電鉄3700形(3748編成)

京成電鉄3700形は、1991年3月に北総開発鉄道(当時)の二期線完成により、京成高砂駅での接続が実現し、京成、京急、都営浅草線、北総・公団線の4社の相互直通運転を開始したことを契機として導入されたものです。
車体は軽量ステンレス製で、前面貫通路を車掌台側に寄せて非対称とし、隅の部分には丸みを持たせて柔らかさをだしています。車内は暖色系の配色を採用し、明るさを強調しています。また新しいサービスとして、各側扉上に車内電光案内表示を装備し、ラジオ受信用の車内アンテナを設置しています。
制御装置はGTO-VVVFインバータのRG633A-M、主電動機は出力130kWのKMM6170、補助電源装置はDC-DCコンバータ・インバータ方式のCOV019Cです。台車はFS547/FS047、冷房装置は18.000kcal/hの能力を持つCU716/RPU6006を1両につき2台装備しています。
写真の3748編成は1995年2月に日本車両で完成したもので、京成3700形の2次車に相当します。2015年3月から北総鉄道にリースされ7800形の7818編成となりました。2022年10年に京成電鉄に返却され、集電装置をシングルアーム式に換装し、8両編成から6両編成に短縮されています。返却と中間車2両の廃車は2020年6月に発生した脱線事故によるものです。

2010/03/20

京浜急行電鉄1000形(1473編成)

 京浜急行で一番新しい電車は新1000系です。銀色の電車ばかりが増えていく通勤電車の中において、塗装を施したアルミ車体を採用していたのですが、近年の増備車ではステンレス車体となり銀色になってしまいました。
 JR東日本の電車などに比較すると、赤い部分が多く「京急らしさ」みたいなものを演出しているようにも見えますが、やはり外板と側窓がフラットになっている新1000形アルミ車に比べると一歩後退という印象は否めません。
 別に新1000形のステンレス車は悪い車両ではないはずです。新1000形の増備の過程の中でコストダウンを図ったに過ぎないこともよくわかります。しかし京急というと「赤い電車」という印象が強いので、銀色の電車は少し残念な気がします。
 写真の1473編成は2009年度の増備車であります。私にとって京急の普通といえば1000形4連の浦賀行きなのですが、今では800形と1500形の6連が主力で、その他に写真のような最新型の新1000形電車も使用されています。

京浜急行電鉄1000形(1375編成)

 京浜急行1000形の1375編成が、3月13日を最後に営業運転から退いたようです。既に運用離脱後に久里浜工場に回送されており、このまま廃車となる見込みのようです。
 これで1000形で運用に就いている編成は、6連が1243・1369編成、4連が1305.1351編成の各2本ずつで合計20両が残るのみとなります。あれだけ走っていた1000形ですが、信じられない減り方であります。
 ちなみに私佐野次郎は、今日も能見台駅を降りてすぐの横浜高校前の撮影地に向かったのですが、フェンスが新たに設置されていて写真のような構図での撮影は不可能になっていました。
 急激に減ったとはいうものの、待っていれば来るのが1000形だと思っていましたが、さすがに本線用の6連が2本だけになると、めったにお目にかからない電車ということにになるのでしょう。

2010/03/19

麦田町「酔亭」の味噌ラーメン

 「酔亭」は、JR根岸線の山手駅を降りて右側の大和町商店街を歩いて約5分、かつては市電も走っていた本牧バス通り沿いにあるラーメン屋さんです。シックな内装にBGMはJAZZというおしゃれなお店でもあります。
 看板メニューである味噌ラーメンは、赤味噌と白味噌をブレンドし、鳥と豚からとったというスープからなる深みのある味わいです。麺はもちもちっとした独特な触感で、ここでしか味わえないものだと思います。実際にお店の隣の工房で麺から作っているそうです。
 また味噌ラーメンでは、野菜がたっぷりいただけるところが気にいっています。野菜の甘みが味噌にからんで、いい味を出しているような気がします。さらにどんぶりをお湯を張った大なべでひとつひとつ温めています。実に細かいところまで配慮が行き届いています。
 このお店のもう一つの特長は店長さんですね、鍋を華麗にふるって調理される姿が絵になっています。またお店のHPにも店頭にも大きくご自身の写真が出ています。大和町商店街の中に旧店舗があった頃から地元では人気があるようです。

2010/03/17

京成電鉄3300形(3324編成)

 京成金町線は京成高砂から常磐線の金町までを結ぶ路線です。2.5kmの短い路線で途中駅は柴又1駅しかありません。また柴又と金町の間は道路沿いの単線を走ります。
 京成高砂駅には金町線専用のホームがあるわけではなく、下り本線と共用の4番線に発着します。スカイライナーなどが通過するのと同じホームで金町線が20分間隔で運転されています。
 寅さんの柴又を控えるだけあって、ミドルやOLDの方々で金町線はかなり賑っています。巣鴨に通じる雰囲気かもしれません。
 写真の3324編成は1970年12月に日本車輛で完成したものです。40年選手というわけですが、昭和50年代の赤電塗装を再現して走っています。私は相互乗り入れ先の都営浅草線の5000形も似たような塗装で走っていたのを記憶してます。
【撮影:佐野次郎 2010.3.14柴又ー京成金町間】 

2010/03/14

京王電鉄7000系(7721F)

 京王線7000系の7721編成は、2月6日から3月14日にかけて開催されている百草園〈もぐさえん〉梅まつりのヘッドマークを掲示して運転しています。期間中の土日には準特急と急行の一部が百草園駅に臨時停車します。
百草園は江戸時代の亨保年間に小田原城主大久保候の室である寿昌院殿慈岳元長尼が徳川家康の長男・岡崎三郎信康追悼のために松連寺を再建したことに伴いつくられた庭園です。昭和32年に京王電鉄に移管され、現在に至っているそうです。
梅の花が咲くということは春に近付いているということであります。このところ日照時間も長くなり、冬の盛りが過ぎたことを実感します。
話は戻りますが、岡崎三郎信康が自刃したのは、織田信長がその才能を恐れたからといわれていますが、家臣団の掌握に問題があり排除されたというのが真相なのでしょう。当時の家康は家臣の盟主ともいうべき存在で、信康と対立していた酒井忠次を敵に回すことなどできなかったのです。

京王電鉄6000系(6717F)

 京王線であたり前のように走っていた6000系電車も8両編成の全廃が目前に迫っています。「高尾」号のヘッドマークを掲げてさよなら運転を行うという話でしたが、延期になっているそうです。
 今日はひさびさに週末晴れましたので、下高井戸まで出かけました。たまたま6717Fがすぐにやってきて撮影することができました。また折り返してきた同編成に乗車することもできました。
 同じように引退を控えた中央線の201系は「愛されて30年」というステッカーを貼って走っていますが、通勤用の電車は最後まで普段通りの姿で走ってほしいような気もします。
 6000系が引退すると、京王線も銀色の電車ばかりが走る路線となります。動物公園線や平日の競馬場線で使用する2両・5両編成についてはもう少し残るでしょう。

2010/03/13

相模鉄道7000系(7007F)

  相模鉄道では、昨年11月にダイヤ改正を実施しました。星川ー天王町間の立体交差工事によるもので、徐行運転を行うために列車の所要時間が1分伸びています。
 改正により10両編成の所要数が増えたため、7000系のうち2本、新7000系の1本を8両編成から10両編成に組み替えています。
 せっかく10連が増えた7000系ですが、今月に入ってから3本目となる11000系の11003Fが完成し、かしわ台車両基地に搬入されています。代わりに7000系の10両編成が1本現役を退くことになるのでしょう。
 写真の7007Fは1979年3月に日立製作所で完成したもので、7000系としては5次車に相当します。ちなみにこの編成の8号車は1976年3月に完成した2次車のモハ7005号です。

大和町「びすとろやまて21」のトリオプラッターA

 JR根岸線の山手駅を降りて右側にある大和町商店街を歩いて約3分、「びすとろやまて21」はあります。いかにも「町の洋食屋さん」という感じのお店です。
 シェフとフロアスタッフ1名ずつの2名だけで、多くのメニューを手際よく提供しています。気取っていることはないですが、清潔で居心地のいいお店です。私の知る限りでは、地元民の評判も上々であります。
 写真のトリオプラッターAはハンバークと鳥の唐揚とカニクリームコロッケを1皿で食べられるというお得で贅沢なメニューです。無理やりプロ野球選手に例えると、打率3割・ホームラン30本・30盗塁達成みたいな感じで満足度は非常に高いです。
 仕事に疲れて自炊がめんどくさいときなどに、瓶ビールをやりながら洋食をつまむと疲れがカラダから抜けていくような気がします。

2010/03/12

上野駅の寝台特急とボンネット形電車

 今日は上野ー金沢間を結ぶ寝台特急「北陸」と489系ボンネット車による夜行急行「能登」の運行最終日です。北陸新幹線の開業までは走るものと思いましたが、乗客減と車両の老朽化が進んでいたようですね。
 これで定期の寝台特急は「北斗星」「あけぼの」「日本海」「サンライズ出雲」「サンライズ瀬戸」の5本だけになります。しかしながら同僚や友人と話していても、寝台特急を利用したという話を聞くのは北海道への利用くらいであります。新幹線や航空機にくらべると、ニッチ的な存在になっています。これでは廃止が続くのもやむをえないところでしょう。
 今日もこれから「北陸」「能登」の最後の雄姿を見ようと多くの人出があることでしょう。列車の運行を担う現場の人々の緊張もたいへんなものではないかと思います。私も一目みたい気持ちはありますが、遠慮しておきます。仕事で疲れましたし、人混みは不得手なものですから・・・
 というわけで、写真は私のストックの中で今日去りゆく2列車に雰囲気が似ている1985年頃上野駅で撮影した寝台特急「あけぼの」と常磐線特急「ひたち」の485系ボンネット車です。
【撮影:佐野次郎 1985年頃 上野駅】

2010/03/07

西武鉄道101系(1219F)

  西武鉄道の101系のオリジナルスタイルの前面を持つ車両も、いつの間にか武蔵境ー是政間を結ぶ多摩川線に16両〈4両編成4本〉が残るだけになってしまいました。
 このスタイルの101系も、池袋線などから新101系が転属してきて近いうちに引退するらしいですね。既に1本目の新101系の回送が行われています。
 いわば風前のともしびのオリジナル101系ですが、今日は雨でもあり武蔵境・新小金井の両駅では私の他に撮影している人はいませんでした。しかし引退直前ともなれば多くの人が訪れることになるのでしょう。
 先日、JR西日本のお座敷列車「あすか」の運行に際して、法律を無視してまで撮影を強行していた人がいたようです。法律や規範を無視すると「趣味」が「犯罪」になってしまいます。趣味は常識の範疇の中で心穏やかに楽しみたいものだとあらためて思いました。

2010/03/05

杉田「バーグ」のデラスタカレー

 鉄道の写真を撮りに行くと、意外と腹が減ります。駅のホームで立ったりしゃがんだり、電車に乗りながら撮影できそうな場所を探したりと、カラダとアタマを働かせるせいでしょうか?
 私が京浜急行を撮影する際に、ときどき利用しているのがJR根岸線新杉田駅と京急杉田駅の間の再開発ビル「らぴすた」の2階にあるスタミナカレーの店「バーグ」です。
 写真のデラスタカレーは、カレーライスに豚しょうが焼が載り、さらにその下にハンバーグステーキが隠れているという、無理やり鉄道車両に例えれば、寝台特急なのに昼間の特急にも使用できた583系寝台電車のような豪華メニューです。〈※写真は普通盛りに生卵のせです。〉
 このお店は国道16号線沿いの旧店舗の頃から地域に密着した存在であり、マスコミにも取り上げられる有名店でもあります。また何と言っても注文してから料理が出てくるまでのスピードが「神速」です。そんなところも「何もここまで飛ばさなくても」というくらい過激な走りを見せる京急の撮影にはマッチするのであります。

2010/03/04

横浜高速鉄道Y500系(Y516F)

 早いもので横浜で東急東横線と接続し、渋谷と元町を結ぶみなとみらい線が2004年2月1日に開業してから既に6年が経過しました。
 開業6周年を記念して、Y516編成がヘッドマークを掲示して営業運転に就いています。みなとみらい線の開業時には東急8000系や8590系も走っていましたが、現在では事実上5000系と9000系に統一され、車両の共通化が進んでいます。
 渋谷で副都心線と東横線が接続する工事が完成すると、東急・横浜高速、東京メトロ、東武、西武の車両が入り乱れ、ぐっと車両のバリエーションが増えることでしょう。例えば撮影の名所である妙蓮寺駅に入る東京メトロ7000系なんて今から楽しみですね。
 写真のY516Fは2004年2月に東急車輌で完成したものです。塗装や内装の一部を除いて東急5050系と同じ仕様の電車で、東急の元住吉検車区に配置されて検修も東急が行っています。

2010/03/02

京浜急行電鉄600形(651編成)

 京浜急行600形は1996年2月から5月にかけて、4次車として32両〈8両編成1本、4両編成6本〉が完成しました。4次車は600形としてはCグループに分類されます。
 座席の配置を見直して、扉間の座席はすべて2人掛けとなり、4人席が1つでき、あとは2人席という配置になりました。座席配置の変更に伴い、側窓の分割位置も変更されています。
 機器構成も見直され、700形以来の電動車と付随車が1:1の構成となっています。コストダウンのため、機器構成の集約が行われています。またパンタグラフが最新のシングルアーム式になっています。
 写真の651編成は1996年3月川崎重工で完成したものです。快速特急の付属編成として使用されるほか、写真のように普通列車の運用に入ったりもしています。