2011/04/28

小田急電鉄4000形(4058F)

 JR東日本で急速に増備が進むE233系電車ですが、私鉄にもE233系をベースにした電車が存在します。小田急電鉄4000形と相模鉄道11000系ですね。
 前面デザインは小田急オリジナルですが、乗降扉の角形のガラスは「まさにE233系」という感じがしますね。側面は同じく千代田線に乗り入れる常磐緩行線のE233系2000番台によく似た印象です。
 10両貫通編成で輸送力が大きいため、千代田線に直通する多摩急行以外にも、快速急行や急行用として活躍しています。かつて小田急の急行といえば、箱根湯本行き6連と付属4連の構成でなぜかいつも混んでいた印象がありますが、現在では複々線化などの効果によりずいぶんと快適になりました。
 写真の4058Fは2009年7月に東急車輌で完成したもので、4000形としては2次車に相当します。2次車では床下機器の配置や優先席位置の見直しが行われました。

2011/04/25

E233系1000番代(ウラ109編成)

 私が子供の頃は京浜東北・根岸線が103系、横浜線も103系、山手線も103系と多くの路線で103系が使用されていました。その他中央快速線が201系と101系の併用、中央・総武緩行線と南武線が103系と101系の併用みたいな感じでした。昭和50年代の話です。
 いつのまにかE233系の増備が進み、中央快速線と京浜東北・根岸線での増備が完了し、京葉線用の5000番代と千代田線直通用の2000番代も順調に増備が進んでいます。全盛期の103系ほどではありませんが、急速な増備には驚きます。
 ところで私が通勤に利用する根岸線の山手駅ですが、駅構内にバリアフリー化工事の完成予想図が掲示されました。今でもそんなに階段もきつくないので、どちらかといえば反対側に小さくてもいいから改札を増設する方が便利な気がしますが、そういうわけにはいかないようです。
 写真のウラ109編成は2008年2月に東急車輌で完成したものです。E233系1000番代はJR東日本新津車両製作所のほか、東急車輌と川崎重工でも製造されました。
【撮影:佐野次郎 2011.4.2 新杉田駅】

2011/04/23

E233系5000番代(ケヨ506編成)

 京葉線のE233系電車は2010年7月の営業運転開始からまだ1年もたっておりませんが、順調に増備が進んでおり、既にたいていはE233系が来るような状況になっております。
 10両貫通編成がケヨ501~516編成まで16本、分割編成も2本登場しておりますので、数の上でも大勢を占めるようになっています。
 去りゆく201系・205系・209系500番代をカメラに収めるためか、通勤途上でも「撮り鉄」に励む人をよく見かけます。それはともかくとして最近モニタの天気予報が「じぇいわ君」のアニメになってしまったのが残念です。経費節減でしょうか?
 写真のケヨ506編成は2010年6月に新津車両製作所で完成したものです。来年の今頃には京葉線用E233系の増備も完了していることでしょう。
【撮影:佐野次郎 2010.12.30 葛西臨海公園駅】

京浜急行電鉄1500形(1631編成)

 京浜急行1500形のVVVFインバータ制御化改造工事が2006年から行われています。これは1000形を廃車するために1500形の6両編成を組むと、普通列車用としては性能不足になる場合があるために行われた工事です。
 つまり1500形の8両編成と4両編成から、6両編成2本を造るとモーター付き車両が4両、モーターなし車両が2両となりますが、界磁チョッパ制御のままだと普通列車に必要な加減速性能が充足できないわけです。
 1500形には界磁チョッパ制御の6連と4連もありますが、これらはすべてモーター付き車両で構成されています。こんなところからも京急の普通の走りの凄さが窺えますね。ちなみにVVVF改造編成は中間電動車のパンタグラフが2基装備されていることで、チョッパ車と識別できます。
 写真の1631編成は1989年6月に東急車輌で完成しました。当初は8連で、2003年8月に京急ファインテック久里浜工場で車体更新を実施しています。2008年8月に京急ファインテック久里浜工場で6連への組換えとVVVFインバータ化改造を受けています。

2011/04/17

京浜急行電鉄600形(603編成)

  昨年7月に「成田スカイアクセス」が開業しましたが、京浜急行600形も同線を経由する「アクセス特急」に使用されておりますので、運用距離が長くなった分京急線内で見かける機会が減ったように感じます。
 時の流れは早いもので、600形も第1編成が登場したのが1994年ですから、既に15年以上走っていることになり更新修繕の対象となっています。
 更新車には正面に形式名をあらわす「600」というスリットが入り、さらに2100形や新1000形そっくりとなっていますね。600形の看板設備であるクロスシートは車端部に残るのみとなっています。
 写真の603編成は1995年3月に東急車輌で完成したもので、600形の2次車に相当します。2010年7月に京急ファインテックで更新修繕が完成し、車内には新形車両と同じようにLCDモニタが設置されました。

京浜急行電鉄1500形(1533編成)

 京浜急行の金沢文庫ー金沢八景間は手軽な撮影スポットとして多くのファンが集まる場所のようです。
 光線の加減を気にしなければ、上下列車を入れ食い状態で撮影可能ですから、人が集まるのもむべなるかなというところです。
 今日の撮影では、相当詳しい方から800形や1500形の細かい仕様の差を教えていただき、たいへん勉強になりました。趣味として先人から話を聞くのはうれしいことです。
 写真の1533編成は1989年3月に東急車輌と川崎重工で完成したものです。当初は4連でしたが、現在では6連となっています。主回路は新製当初と同じく界磁チョッパ制御となっています。

2011/04/16

京浜急行700形(727編成)

 京浜急行700形電車は、普通電車の乗降時間短縮とコストダウンを目的として1967年から71年までに84両(4両編成21本)が製造されました。
 700形の車体長さは18mですが、普通電車は短区間で頻繁に乗降があるため、乗降扉を片側に4か所設けております。また座席は立席面積を広げるために奥行きを小さくして座面を高くしております。
 主回路は1000形と同様抵抗制御ですが、700形は導入目的が異なりますので性能としては1000形よりは劣ります。低速での性能に差が顕れていたそうです。私にとって700形は大師線や堂々の12両編成でラッシュ時の通勤快特に運用されていた姿が印象に残っています。
 写真の727編成は1970年2月に東急車輌で完成したものです。2002年7月に廃車されましたが、先頭車2両は高松琴平電鉄に譲渡され1200形として活躍しております。
【撮影:佐野次郎 1992.2.6 神奈川ー仲木戸間】

2011/04/14

京浜急行電鉄800形(817編成)

京急800形は1978年から1986年にかけて7次にわたって132両が製造されました。登場の背景には、700形のように4扉で混雑時間の乗降時間が短縮でき、かつ先代1000形なみの加減速性能を持つ普通列車専用車両が切望されていたことがありました。3両もしくは最大6両編成での使用が想定されておりました。
全溶接構造の鋼製車体で当初は窓周りを白く塗り分けた華やかな色調となりました。また側窓を大きく取り間柱も細く取るなど700形に比べると軽快感のあるデザインとなりました。客室内も明るい暖色系を多用しております。
制御装置は界磁チョッパ制御のACRF-H1200-770A、主電動機は出力100kWの複巻電動機KHM-800、補助電源装置はBL-MGのTDK-3320Aです。台車はTH-800、冷房装置はCU-123/CU71、集電装置はPT43E5-Mを装備しています。
写真の817編成は1980年3月に川崎重工で完成したものです。当初は3両編成でしたが、1982年3月に川崎重工で中間車3両を増備し、6両編成となっています。1997年12月に久里浜工場で車体更新を行っています。

2011/04/10

大岡川の桜と京浜急行

 京浜急行の黄金町ー日ノ出町間は、大岡川沿いを走ります。ちょうど大岡川沿いの桜が最盛期を迎えていました。
 大岡川は生活排水が流れ込まなくなったために水質が改善しており、魚や野鳥が再び棲みつくようになっています。なんとカワセミも時おり姿を見せるらしいですね。
 横浜の関内周辺はかつては川が今よりたくさんあり、根岸線の関内ー石川町間も川の中に高架が架設されているような風情でした。103系の低運転台形やEF15形の引く貨物が走っていた頃の話ですがね。
 桜が満開になると、京浜急行の赤い電車が橋の上からだと見えなくなるくらいの咲き具合となります。たくさんの方がカメラを構えていらっしゃいましたね。携帯・コンデジ・一眼、いろいろです。
【撮影:佐野次郎 2011.4.10 黄金町ー日ノ出町間】

本牧山頂公園の桜

 昨日の雨と風で散ってしまったかと思った本牧山頂公園の桜ですが、今朝歩いてみると健在でした。ありていにいえば満開です。
 とはいうものの、桜が咲いているのは1年のうちのほんのわずかの期間であります。やはり花の命は短いのですね。
 本牧というと平地がほとんどですが、本牧緑が丘・本牧荒井といったところが高台になっています。緑が丘には貝塚があるくらいですから、相当昔から人が住んでいるところです。
 本牧山頂公園は、ペットの散歩に重宝されています。人と同じくらいワンちゃんに会います。ネコもさりげなくいますね。
【撮影:佐野次郎 2011.4.10】

2011/04/09

東京急行電鉄9000系(9003F)

 2010年6月に東横線から大井町線に転用された9000系の9003Fですが、2011年2月にパンタグラフをシングルアーム式に換装しています。これで大井町線用の電車はすべてシングルアーム式のパンタグラフを装備することになりました。
 近年に製造された電車のほとんどはシングルアーム式のパンタグラフを装備しています。旧来の菱型のパンタグラフに比べて、部品点数の削減によるメンテナンスの負荷軽減と雪の付着を防ぐというメリットがあるそうです。
 ちなみに日本におけるパンタグラフのトップメーカーは東洋電機製造株式会社です。かつてはEF65形500番代など電気機関車も手掛けていたメーカーですね。VVVF機器など鉄道部品の製造に現在でも大きな役割を果たしています。
 9003Fは1987年12月に東急車輌で完成したもので、9000系の2次車に相当します。インバータ電車としてさっそうとデビューした9000系もベテランの域に達していますね。

東京急行電鉄8500系(8639F)

 東急大井町線には8500系電車も20両(5両編成4本)が活躍しています。すべて5連で新造され、2本組み合わせて田園都市線で使用されていたものです。
 8500系の中でも8090系と同じく軽量鋼体を採用した後期形に属します。コルゲートと呼ばれる車体側面の凹凸はそのままなので、外観からは区別できませんが。
 室内設備は東横線用の9000系が既に登場していたので、9000系の改良内容を反映しています。さすがに車端部のボックスシートは導入しておりません。
 写真の8639Fは1986年9月に東急車輌で完成したものです。パンタグラフはシングルアーム式に換装されています。

東京急行電鉄8590系(8691F)

 1988年に将来の東横線のみなとみらい線直通とモーター付き車両の比率見直しのため、貫通式先頭車10両を新製して、8590系の8両編成5本が組成されました。
 8090系は5両編成10本に再編成され、大井町線に転属していきました。現在では8590系のうち8691F~8693Fの3本が5両編成となって大井町線で8090系とともに活躍しています。
 東急東横線と相互乗り入れするみなとみらい線ですが、当初は横浜線と相互乗り入れする構想でした。国鉄の財政難でお流れとなりましたが、やはり現行の東横線との直通のほうが便利だという気がしますね。
 写真の8691Fは1988年9月に東急車輌で新製車2両を新製して8両編成を組成したものです。8590系のうち大井町線で使用している3本はパンタグラフをシングルアーム式に換装しています。

東京急行電鉄8090系(8081F)

 東急8090系のうち1984年から85年にかけて製造された7編成は、前照灯の位置が初期形の3編成より上部に移動して前面の形状が変化しています。
 1980年に東横線の急行用として登場した8090系のやや丸みを帯びたスタイルは、角ばった8000系を見慣れた目にはずいぶんと新鮮に映りました。
 一方8090系の走行機器は、8000系そのものです。界磁チョッパ制御に複巻電動機という8000系列共通の機器構成です。電力回生ブレーキも装備しています。
 写真の8081Fは1985年2月に東急車輌で完成したものです。8090系としては6本目の編成となります。

2011/04/04

東京急行電鉄8090系(8095F)

 東日本大震災の発生から3週間を経過し、首都圏の電車運行も通常の姿にだいぶ近づいてきました。とはいうものの夏場には再び減便せざるを得ないでしょう。
 4月3日現在の東急大井町線は、大井町-二子玉川間の運転となり、急行が運休して、緑各停だけの運転となっておりました。赤い6000系は車庫でお休みということになりました。
 こんな折ですが、当ブログは40.000HITを達成しました。ご覧いただいている皆様、誠にありがとうございます。これからも編成写真プラスαでUPしていきますので宜しくお願いいたします。
 写真の8095Fは1982年3月に東急車輌で完成したものです。前哨灯の位置が低い8090系初期形3本の唯一の生き残りとなっています。

2011/04/03

京浜急行電鉄1000形(1489編成)

 子どもの頃この時期にテレビを見ていると、「ピッカピカの1年生♪」と雑誌のCMがひんぱんに流れていました。最近はほとんどテレビを見ないので、いまもそういうCMがあるかわかりませんが。
 鉄道を利用するときや撮影するときに、できたてホヤホヤの新車が走るのを見るのはなんとなくうれしいものです。これこそ「ピッカピカ」です。
 床下の機器が汚れていませんので、新車か大規模検査明けということがすぐにわかります。京急では床下機器を明るいグレーに塗装しています。JR東日本や東急では床下機器を黒く塗装していますね。
 写真の1489編成は2011年3月に川崎重工で完成したもので、3月30日から営業運転に就いたものです。新1000形としては10次車に相当しますが、下の写真の1次車に比べるとずいぶん変化していますね。

京浜急行電鉄1000形(1001編成)

 京浜急行線の金沢文庫ー金沢八景間は、京急では唯一の複々線区間であります。しかも左に金沢検車区、右に東急車輌横浜製作所と鉄道ファンにとっては「こたえられない」区間でもあります。
 多彩な京急の車両が頻繁に行きかうので、電車好きの方は長時間いても飽きない場所かもしれませんね。増結用の4連の動きや金沢検車区内を移動する電車なども楽しいですよ。
 いつのまにか京浜急行で最多勢力となった新1000形は、快特用の2100形をベースとしています。同じような顔立ちの電車が増えたともいえますが、一般型車両のレベルが上がったというべきでしょう。
 写真の1001編成は2002年2月に東急車輌で完成したもので、新1000形の第1編成に相当します。正面の表示も001と1000ときりのいい番号の編成です。

東急車輌

 京浜急行の金沢文庫駅と金沢八景駅の間に東急車輌の横浜製作所があります。東急電鉄のグループ会社で国内有数の鉄道車輌メーカーですね。
 京浜急行の車窓から、東急車輌で製造された新形車両の姿を見ることもできます。今日は相模鉄道の11000系や常磐緩行線用のE233系2000番台などが見えました。
 東急車輌と京浜急行線は公道をはさんで線路がつながっていて、逗子線の神武寺駅まで3線軌条になっています。これはJRや東急など軌間1.067mmと京急など1.435mmの車両を発送できるようにするためです。
 メーカーから発注元である鉄道会社への輸送を甲種輸送と呼びますが、通常走らない路線を経由することになります。私は根岸線で西武鉄道6000系の甲種輸送を見かけた記憶があります。鉄道ダイヤ情報誌はあってもネットのない時代でしたので驚きました。
【撮影:佐野次郎 2011.4.2】

金沢八景駅近くのソメイヨシノ

 京浜急行本線と逗子線が分岐する金沢八景駅は、新交通システム「シーサイドライン」との乗り換え駅でもあり、昨年5月のダイヤ改正から快特も停車するようになりました。
 とはいうものの駅前がすごく賑っているということもなく、ホームから藁ぶき屋根の家が見えたりと不思議な風情の駅です。
 金沢八景駅の改札を出て、細い地下道をくぐると、ソメイヨシノが鎮座しています。満開ではありませんが、咲き始めておりました。
 金沢八景駅は横浜市立大学をはじめとして学生の多く利用する駅ですね。桜の開花が新年度の始まりを彩っているように思います。
【撮影:佐野次郎 2011.4.2】

交通科学博物館D512/C6226

 今さら言うまでもないことですが、石炭を燃焼させてボイラーで蒸気を発生させて動力に伝えるのが蒸気機関車の仕組みです。
 蒸気機関車が走る姿はまるで生き物のようです。だから「機関車トーマス」のように擬人化されるのかもしれませんね。
 1950年代から60年代にかけては、各地で蒸気機関車が多数活躍しておりました。1975年に北海道で旅客列車の牽引から引退し、翌年には最後まで残った入換用からも撤退し、国鉄の蒸気機関車は全廃となりました。
 ネットやデジカメの普及も手伝って鉄道のファン層も広がった感がありますが、鉄道趣味の王道といえば蒸気機関車の撮影でしょうね。
【撮影:佐野次郎 1992.1.14】

2011/04/02

特急「雷鳥」のお座敷電車「だんらん」

 2011年3月のダイヤ改正で、大阪ー金沢間の特急「雷鳥」の運転が終了し、「雷鳥」は1964年12月以来の歴史を終えました。
 国鉄時代の1985年3月のダイヤ改正では、「雷鳥」の食堂車を全廃して12両編成から10両編成に短縮しましたが、18往復のうち7往復にお座敷電車「だんらん」が組み込まれました。当時団体列車などで好評だったお座敷客車を電車特急に導入したものです。
 当初は物珍しさも手伝って好評だったお座敷電車「だんらん」ですが、3人以下で利用しようとしても料金は4人分必要なのが敬遠され、利用は伸び悩みました。
 「だんらん」用の車両は食堂車を改造したサロ481形500番台ですが、早くもJR化後の1989年3月ダイヤ改正から運転された「スーパー雷鳥」用のラウンジ付きグリーン車に再改造され、短命に終わりました。
【撮影:佐野次郎 1985年 野洲電車区(寝台急行「銀河」の車中から)】