2013/09/23

広島電鉄1900形〈1905〉

広島電鉄といえば、動く電車博物館としても名高く、京都・大阪・神戸・北九州・福岡の各都市から多くの車両を受け入れて、車両の大型化と輸送力増強を図ってきました。
ただしよる年波には勝てず、5000形・5100形といった低床式の連節車の導入を契機に、老朽化した移籍車両の整理も進められていきました。
そんな中で、京都市電からきた1900形だけは、現時点で移籍した全車両が活躍しています。出口が広くて扱いやすく、乗務員から評判が良いからだそうです。
写真の1905号は、1957年にナニワ工機で京都市電920号として完成したものです。1970年にワンマン化されて1920号になりました。「比叡」の愛称をつけられて活躍しています。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 土橋ー小網町間】

2013/09/22

広島電鉄1900形〈1903〉

広島電鉄1900形は、京都市電1900形を譲り受けたものですが、京都市電の保存車にも動きがありました。
2014年1月に梅小路公園に「市電ひろば」を設けて、1978年の全廃以来保管していた7両の市電車両を常設展示するというものです。簡単な屋根を設けただけの屋外展示というのも気になりますが、カフェなどとして活用することのことです。
せっかくJR西日本が梅小路蒸気機関車館とあわせて整備する鉄道博物館の近くに整備するのですから、市電保存館みたいな屋内に大切に保存する形態にしてほしかったところですね。
写真の1903号は、1957年9月にナニワ工機で京都市電918号として完成したものです。1970年に1900形に改造されて1918号になりました。方向幕の大型化や冷房改造などを行っていますが、京都時代に近い姿で走っていますね。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 小網町ー天満町間】

広島電鉄1900形〈1901〉

広島電鉄1900形は、1978年に全廃された京都市電1900形を1977年に2両、1978年に13両譲り受けたものです。京都時代に事故で失われた1両を除く、残存14両全車が広島電鉄にやってきました。
京都市電1900形は、900形のうち1957年製の16両を、1970年にワンマン化し、改番した形式です。その際に、後部の扉を中央部に移設し、前中2扉の現在の様式となりました。特徴のある前照灯周りも、その際に改造されたものです。
広島電鉄でも京都時代の塗装のままで活躍しており、京都市の市章もそのままです。今回実際に乗車しましたが、小さい時に乗車した京都市電の雰囲気をそのまま残していたように思います。揺れ方や走行音、木張りの床などを見て特にそう思いましたね。
写真の1901号は、1957年9月にナニワ工機で京都市電916号として完成したもので、1970年に改造されて1916号となりました。広電移籍後の1980年には、広電ではトップを切って富士電機の直流駆動方式で冷房改造されました。再改造された現在の姿とは異なり、屋根上のクーラーユニットはありませんでした。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 広電本社前】

2013/09/21

広島電鉄900形〈912〉

広島電鉄900形は、大阪市電2600形のうち既にワンマンカーに改造されていた14両を1969年に譲り受けたものです。大阪市電の全廃も1969年ですから、既に広島電鉄で44年間活躍していることになり、大阪市電での使用年数よりはるかに長くなっています。
大阪市電2600形は、1957年に木造車1000形の電装品と台車を利用して、当時の最新型だった3000形の車体を組み合わせて114両が製作されたものです。全鋼製の車体は密閉度が高く、冬場は寒さをしのげることから歓迎されましたが、夏場は逆に熱くなって大変だったそうです。
広島電鉄に14両が移籍したほか、鹿児島市電には800形として大挙32両が移籍しました。私が1992年に卒業旅行で九州をまわり、鹿児島を経由したときにはまだ健在で半数が冷房改造や台車の交換を行い活躍していました。今では9500形に改造されて姿を消してしまいましたが。
写真の912号は、1957年7月に大阪車輌工業で大阪市電2636として完成したものです。冷房改造やICカード読み取り機も装備していますが、台車はブリル式を現在でも使用しておりますね。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 的場町ー猿候橋町間】

2013/09/16

広島電鉄900形〈904〉

広島電鉄900形は、もと大阪市電2600形で1969年に14両を譲り受けました。白島線や横川方面を中心にして、日中でもよく稼働しています。
大阪市電2600形は、木造車1081形などの台車やモーターなどを流用して、1957年に製造された車体更新車です。車体は当時としては最高水準の高性能車3000形に準じたもので、中央窓が大きな3枚窓、系統番窓と大きな方向幕窓を配置した均整のとれたスタイルになっています。
広島電鉄に移籍してから、再度ワンマン化され、正面中央窓にワイパーを取り付けたたため窓枠を太くなるなどの変化が見られます。また冷房改造と方向幕の自動化が行われました。
写真の904号は、1957年大阪車輌で大阪市電2630号として完成したものです。900形は現在9両が在籍しており、904号が最若番になっております。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 江波】

2013/09/15

広島電鉄800形〈801〉

広島電鉄800形は、1983年12月に1次車が登場した市内線用の新造車両です。車体は前年に登場した700形とほとんど同じですが、省エネルギー、低騒音・低振動をめざし、市内線用としては初めての本格的な高性能車となりました。
遠くから見ると700形との判別は困難ですが、正面の前照灯・尾灯の並び方や側面幕板の緑帯の有無、Z型パンタグラフの装備などで識別できます。その他は、1.200mm両開きの中央扉や、正面・側面4か所が連動する大形電動方向幕などは700形と共通であります。
主制御器は回生制動付の電機子チョッパ制御となり、自動加減速制御されます。モーターは60kWの複巻電動機で、駆動装置は平行カルダンです。台車は枕バネはコイル式ですがオイルダンパー付きで、軸バネにシェブロンゴムを使ったFS83形を装備しています。
写真の801号は、1983年12月にアルナ工機で完成したもので800形の1次車に相当します。800形はその後814号まで増備されましたが、仕様が少しずつ変更されましたので写真と同様の外観は1次車だけになっています。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 元宇品口ー広島港間】

広島電鉄750形〈768〉

広島電鉄のなかで大きな存在感を持っている移籍車両のなかでも、大きな勢力をもっていたのがもと大阪市電の750形でしょう。大阪市電の1601形・1651形・1801形の3グループからなり、1965年から68年にかけて22両が移籍してきました。
現在も稼働しているのはそのうちの6両で、旧1651形と旧1801形が3両ずつ残っています。冷房改造を受け、ICカードと一日乗車券などフリーパスの読み取り機、運賃箱を装備し、ドアの近くは機器が何種も並んでいます。
750形は広島駅ー比治山下ー広島港間の5系統を中心に使用されているようです。同じく広島駅ー広島港間を市役所前経由で結ぶ1系統にも早朝やラッシュ時には入ります。いずれも朝夕のラッシュ時が運用の中心ですね。
写真の768号は、1950年に富士車輌で大阪市電1827号として完成したものです。台車は大阪市電型とよばれるオールコイルバネのものを使用しております。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 的場町ー猿候橋町間】

2013/09/14

広島電鉄750形〈763〉

広島電鉄といえば、動く電車博物館ともいわれ、大阪・神戸・北九州・福岡・京都など各都市から譲り受けた車両群が活躍している事でも知られています。
主に昭和40年代、広島電鉄が経営合理化を図るために輸送力増強を図る過程で、割高な新車購入よりも中古車の譲受でしのいできたという事情があります。それにしても超ベテランの電車を動かすメンテナンスの技術も凄いですね。
さすがに21世紀に入ってからは、新型連節車の導入によりベテラン電車の整理も進んでいるようです。神戸・北九州からやってきた電車は、数も少なくなり出番も減少しているようです。それでも、もと大阪市電の750形・900形は比較的多く走っておりますね。
写真の763号は、1940年木南車輌で大阪市電1653号として完成したものです。撤水車の足回りを利用しているので、台車はブリル77E形を装備しています。前照灯の移設や、方向幕の大型化、冷房改造、Zパンタ化など多くの改造を受けていますが、車内の床は板張りのままです。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 広電本社前】

広島電鉄700形〈707〉

私佐野次郎は、9月11日から13日にかけて広島を訪問して、ほぼ広電撮り鉄ツアーを敢行しました。前回は4月に訪問したのですが、1泊2日で広電の利用も、横川駅前から広電本社前まで一度利用しただけで、あとは歩きで広電を撮影するような感じでした。
今回は、600円の一日乗車券を大いに活用して、撮りの他にも乗りを楽しむようにしました。市内線でも様々な表情があることに気がつきました。
特に印象に残ったのは、本線の土橋ー広電西広島間ですね。土橋で江波線と分かれてカーブすると、いきなり広くない路地に入ります。次の小網町電停には安全地帯がありません。宮島線直通用の連節車も通る区間なのに。
天満川にかかる鉄橋を抜けて、観音町を通り過ぎると、開けた併用軌道上を川沿いに走り、ターミナルとして整備された広電西広島に至ります。写真の707号は、1983年11月にアルナ工機で完成したもので、700形の2次車に相当します。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 小網町ー天満町間】

広島電鉄100形〈101〉

100形復元車は、1984年4月から8月にかけて行われた”Sun Sun ひろしま”観光キャンペーンに際して登場した、1912年広電開業当時の日本車両製A形電車をモデルに復元したものです。
外観は、すっかり珍しくなった2軸の単台車、二重屋根、扉がなく吹き抜けの運転台、しゅろなわの救助網、各所に見られる凝った装飾など、当時の雰囲気がよく伝わってきます。
下回りは1971年まで在籍し、市内の交通公園に保存されていた157号のものを整備して流用しています。台車は本来の100形のブリル21Eではなく、S-12形であり、モーターも26kw2個装備と、性能的には150形であります。
1984年4月から白島線で営業運転に投入され、好評を博しました。現在では、貸切列車などに使用されているようです。現在の構造基準に適合するよう、台枠や外板、屋根などは鋼板製になっております。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 江波】

2013/09/13

広島電鉄600形〈602〉

広島電鉄600形は、もと西鉄北九州線500形3両を1976年に譲り受けたものです。西鉄北九州線500形は、1948~49年に汽車会社で12両が製造されたもので、戦後の運輸省規格形で横浜市1300形や大阪市1711形と同型の電車です。
1953~54年に中央扉を埋めて2扉化し、車体の前後を絞るなどの改造を受け、西鉄市内線最大のボギー車として活躍しました。広電移籍時には、扉を前中2扉に改造し、同時にワンマンカーになりました。
性能的には、吊掛式・直接制御であります。台車は西鉄時代のK-10系から大阪市電型に換装しております。1984年に、三菱MDA方式.で冷房改造を実施しましたが、この時点で車齢が36年を経過していました。
写真の602号は、1948年10月に汽車会社で西鉄502号として完成し、1976年に広電に移籍しました。塗装は西鉄時代のままとのことですが、色味が明るいような気がしますね。601.603号は既に廃車され、602号1両だけが現役として残っております。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 猿候橋町ー的場町間】

2013/09/10

東京メトロ副都心線7000系〈7103F〉

今年の暑さは激しいもので、撮影好きの私をもってしても、家にいて休もうと思うほどのものでした。このところ、ようやく暑さも落ち着いてきておっとり刀で撮影を再開した次第です。
8日の横浜市電保存館に次ぐ第二弾は、東急東横線です。3月から相互直通運転を開始しましたので、東急5050系ばかりがやってきた直通開始直前とはまったく様相が変わっております。
よく見かけるのが東京メトロ7000系ですが、学生の頃有楽町線の飯田橋ー有楽町間を中心にお世話になりました。当時既に東上線への直通運転を行っていましたが、東横線で見ることになるとは思ってもみませんでした。
写真の7103Fは、1974年3月川崎重工で完成したもので、当時は5両編成でクーラーも装備していませんでした。1983年6月に中間車5両が川崎重工で完成し、10両編成になりました。副都心線対応工事を受けた現在では主回路をVVVFインバータ制御に換装し、編成も8連に短縮されています。
【撮影:佐野次郎 2013.9.10 妙蓮寺駅】

2013/09/09

横浜市電保存館リニューアル

横浜市電の滝頭車庫跡に設けられ、市電廃止直後の1973年8月に開館した横浜市電保存館が2013年7.月20日にリニューアルオープンしました。私佐野次郎は9月8日に訪問しました。
なお横浜市電保存館は1983年に建て直されており、市営住宅の1階部分を保存館にあてています。それまでは旧工場の建屋をそのまま利用していました。
写真の523号は、少し前に引き出して、写真のような構図で撮影できるようになりました。
写真の1007号は、やはり昭和初期の電車だけあって、クラシカルな感じがしますね。この塗装は1960年から採用した横浜市電最後の塗装で、増加する自動車との接触事故を避けるために目立つ塗装にしたものです。
写真の1104号も、館内の整理によって少し撮影しやすくなりました。現代の横浜市営バスの塗装も、基本的なカラーリングを継承しているようですね。
今回のリニューアルの目玉の一つが1311号の塗装変更です。3000形として戦後すぐに製造された当初はこのカラーリングだったそうです。私も本のイラストでしか見たことのなかった塗装です。
もう一つの目玉が1510号の塗装変更で、1954年に登場した1150形の1171.1172号に施された試験塗装です。色はコーヒーブラウンだそうです。当時はワンマンカーではなかったのですが、細かいことを指摘するのは野暮というものです。よく似合っています。
横浜市電最後の新車である1600形の1601号は、横浜市電全盛期の塗装をまとって展示されています。横浜市営地下鉄の総営業キロもようやく市電の全盛時を抜いたのかな?
珍しいのは。もともとビールを運んでいたという、電動貨車。このビール工場跡は、ブラタモリでも取り上げられたそうです。路面電車の事業用車自体も珍しいですよね。
市電と並ぶもう一つの目玉は、鉄道模型のジオラマです。しっかりと横浜市電も走っていますね。鉄道博物館やリニア・鉄道館なんかに比べるとこじんまりとしていますが、入場料も100円と良心的です。周りは住宅街で何もありませんが、極端に混雑することもなさそうですし、電車に興味のある方でしたら、充分楽しめる施設だと思います。往路はJR根岸線の根岸駅からタクシー利用が快適でしょう。帰りは始発となる15分間隔の横浜市営バス21系統の時間に合わせて帰るのが賢明でしょう。
【撮影:佐野次郎 2013.9.8】