2020/04/26

E231系0番台(ミツB37編成)

さて去る3月のダイヤ改正で、ホームドア導入に対応するため、中央・総武緩行線を最後に6ドア車が全廃となった訳ですが、短区間を利用する分にはなかなか便利な存在だったと思います。
私も最寄り駅の山手から横浜まで利用するのに、京浜東北線209系の6ドア車があった頃はなかなか便利だと思っていました。おそらく快速線的なものと同一ホーム上で乗り換えができれば、6ドア車はより効果的な存在となったのではないでしょうか。
今回のダイヤ改正で、中央・総武緩行線は山手線からE235系導入によって押し出されたE231系500番台が主力となり、不足分をE231系0番台の6M4T化・オール4扉編成で補う体制となりました。
写真のミツB37編成は、2001年8月に新津車両製作所で完成し、三鷹電車区に新製配置されたものです。2019年10月に総武・中央緩行線の運用を離脱し、8両は大宮車両センターで武蔵野線向け転用工事を行ってケヨMU16編成となりました。
2019.8.15 高円寺駅

2020/04/24

E231系0番代(ミツB2編成)

去る3月のダイヤ改正で、中央・総武緩行線から6ドア車を編成中に組み込んだ編成がなくなりました。これで6ドア車は全廃になりました。6ドア車は以前、京浜東北線の209系、山手線の205系・E231系500番代、横浜線の205系、埼京線の205系にもありました。
混雑時の乗降時間短縮のために導入された6ドア車でしたが、ホームドア導入の障害になるために姿を消すことになりました。6ドアよりもホームドアのほうが、利用者にとってはメリットが大きいと思います。
中央・総武緩行線は今回のダイヤ改正で、深夜の中央快速線車両を用いた東京行きがなくなりました。学生の頃、よく遅くまで飲んでいてお世話になった各停の東京行きでした。201系で中央快速線が統一されていた頃の話です。
写真のミツB2編成は、2000年2月に東急車輌で完成し、習志野電車区に新製配置されたものです。車両基地の統廃合で三鷹車両センターの配置になりました。2019年8月に秋田車両センターで武蔵野線への転用工事を実施し、MU36編成となっています。

2020/04/18

荒川線7000形(7020号)

東京都電の中で唯一残った荒川線ですが、専用軌道が大半を占めるとはいえよくぞ残ってくれたものだと思います。長期的には徐々に利用客を減少させつつも、車両の更新も行われ、恒久的な存続という方針に揺るぎはありません。
中でも路面電車の新車などほとんど製造されなかった昭和50年代に、31両の7000形に車体更新を行ったのは画期的だったと思います。近年になって少しずつLRTの整備が進んでいることにも寄与している気がします。
とはいうものの、都内の事業所に勤務する人の多くは都外から通勤しておりますので、路面電車では運びきれません。都電の廃止は残念ですが、代わって地下鉄が整備されたのは交通機関の健全な発展だとも捉えられます。
写真の7020号は、1956年に新製された7000形の7074号を1978年2月にアルナ工機で車体更新・ワンマン化したものです。1989年1月に冷房改造が行われました。2006年6月に事故にあい運用を離脱し、2008年3月に廃車されました。
【撮影:佐野次郎 1992.3.28 飛鳥山ー王子駅前間】

2020/04/17

荒川線7500形(7513号)

4月も半ばを過ぎましたが、日々の暮らしの中にも新型コロナウィルスの影響がより増してきました。そんな中で普通に生活ができるのも、皆様の仕事の集積体である社会が機能しているからです。感謝しております。
さすがに撮影に出かけることはないのですが、鉄道趣味のありがたいところは撮影に出かけなくても、様々な楽しみ方があることです。この際に鉄道誌や鉄道書をゆっくりと読み直すのも良いのではないかと思います。
私の場合は、鉄道ピクトリアル誌を継続して購入し、あとは路面電車・蒸気機関車などの写真集を厳選して購入しています。鉄道ピクトリアル誌を読んで、その特集に関連するバックナンバーや別冊を読んでみるのがいいと思います。
写真の7513号は、1962年に新潟鉄工所で完成し、青山車庫に新製配置されたものです。1968年9月に柳島車庫に転属し、1972年11月に荒川車庫に転属しました。1977年8月にワンマン化、1985年に車体換装・冷房化され、2009年7月に廃車されました。
【撮影:佐野次郎 1992.3.28 王子駅前】

過去の記事から
荒川線7500形(7513号)ワンマン化前

2020/04/11

流鉄5000形(流馬編成)

流鉄流山線の沿線は、首都圏のベットタウンとして宅地開発が進み利用客も増加傾向が続いておりましたが、近年では「つくばエクスプレス」開業の影響もあって馬橋で常磐線に乗り換える利用客も減少しております。
車両の面でも2000形や3000形には3両編成がありましたが、現在ではワンマン運転の5000形2両編成に統一されています。地域密着型のミニ鉄道として、首都圏では貴重な存在になっていますね。
私は常磐線の特急「ひたち」を撮影しようと思って馬橋まで出かけ、ホーム上から流鉄も撮影しました。複々線の常磐線に張り付くように短編成の電車が走る姿は、鉄道好きには魅力のある被写体であります。
写真の流馬編成は、2009年12月に西武鉄道新101系の273.274号車を種車として、短編成化・ワンマン化したものです。2018年8月には塗装が変更され、さくら編成として営業運転に就いています。
【撮影:佐野次郎 2010.10.17 馬橋駅】

2020/04/05

流鉄2000形(なの花編成)

流鉄は、馬橋ー流山間5.7kmを結ぶ路線で、1916(大正5)年3月に開業しました。開業当初は軌間762mm非電化の軽便鉄道でした。1924(大正13)年12月に1067mmに改軌、1949(昭和24)年12月に電化されました。
私としては総武流山電鉄という社名のほうがしっくりとくるのですが、総武流山電鉄を名乗っていたのは1971(昭和46)年1月から2008年8月に流鉄株式会社に改称するまでの間で、現在では流鉄流山線を名乗っています。
車両は西武鉄道から購入した中古車両を継続して使用しています。現在の使用車両は5000形10両(2両編成5本)で、2010年から2013年にかけて導入された旧西武鉄道101系です。
写真の2000形「なの花」編成は、1997年3月に旧西武鉄道の701系モハ757・758(1966年西武所沢車両工場製)にクハ1757・1758の運転台を接合して2両編成に改造したものです。2013年4月に営業運転から退きました。
【撮影:佐野次郎 2010.10.17 馬橋駅】

過去の記事から
多摩川線101系〈1219F〉
新宿線新101系〈1251Fほか〉

2020/04/03

本牧市民公園D51 516

国鉄の蒸気機関車が営業運転を退いてから、既に40年以上が経過しております。鉄道博物館で保管されているなど、管理の行き届いている保存車両もある反面、公園などで屋外展示されている車両のなかには、徐々に維持しきれなくなり撤去されるものもあります。
本牧市民公園のD51 516も屋外展示されている蒸気機関車のひとつです。公園自体の管理は行き届いていると思いますが、鉄道車両の展示環境としては厳しいものがあります。となりに保存されていた横浜市電1205号は荒廃して解体されてしまいました。
D51 516は昨年整備が行われ、きれいな姿を取り戻しました。給水車はグラウンドのスプリンクラーのタンクとして活用されているそうです。横浜市内では貴重な保存SL、今後も大切にされることを望みます。
D51 516は、1941年11月に大宮工場で完成し、大宮機関区に新製配置されたものです。東北本線などで活躍し、1969年に新鶴見機関区に配置され、1970年11月に廃車となりました。1970年12月から横浜市に貸与されて本牧市民公園で展示しています。
【撮影:佐野次郎 2019.7.21】

過去の記事から
横浜市電1205号