2019/02/16

モハ484-42

鉄道に興味を持っている中で多数派を占めるのは、子供たちだと思います。手ごろな玩具であるプラレールなどが入口になっているのでしょうか?一番人気は新幹線なのではないかと思います。
私も子供の頃は、プラレールで遊んでいました。小・中学生の頃は、東北本線を中心とした在来線の特急や、ブルートレインに人気がありました。新幹線は東海道・山陽新幹線の0系しかありませんでしたので、それほど人気はなかったのです。
撮影場所のメインといえば、やはり多くの列車が集まっていた上野駅周辺ということになります。東北・上越新幹線は開業していましたが、大宮止まりでしたのでまだ多くの特急・急行列車が残っていたのです。
写真のモハ484-42は、1970年9月に汽車会社で新製され、仙台電車区に配置されたものです。1985年3月に勝田電車区に転属し、1989年12月に廃車となりました。常磐線の特急「ひたち」で使用されていたところを撮影したものです。
【撮影:佐野次郎 1985年頃 上野駅】

2019/02/13

中央・総武緩行線101系

この写真は、1984年頃新宿駅で撮影したものです。中央・総武緩行線では103系とともに、101系がまだまだ現役でした。中央快速線に続いて201系が新型として投入されていた時代だと思います。
国鉄の終盤の時代ということになります。確かに経営の観点、特に効率性の面では問題が大きかったとは思いますし、駅のトイレに紙がなかったり、などということもありました。今では当たり前の自動改札機も、当時はあまりなかったように思います。
昨今のJRを含む首都圏の電車は、路線のネットワークが格段に充実して便利になり、サービス面も改善されました。経営のパフォーマンスも優れていると思います。反面、列車の遅れは頻繁です。そして利用客のマナーはどうなのでしょうか。
1984年当時、私は中学生。父に借りたオリンパスのPENというハーフサイズのカメラでときどき撮影に出かけていました。イエローの101系、88年~92年にかけて大学に通うのに中央緩行線を利用していましたが、まだ現役として活躍していました。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 新宿駅】

2019/02/10

家カレー

このところ、休日のランチをたいてい私が作っています。ほぼ決まったメニューの繰り返しにはなっておりますが。例えば、カレー、ハヤシ、皿うどん、餃子、麻婆豆腐、パスタ(カルボナーラ・ミートソース)、鮭のホイル焼きといったところです。
中でもカレーライスは、少しずつ作り方を微調整しながら、必ず月一回作っています。わが家では、ハウスのジャワカレー(中辛)をメインのカレールーとして使っています。今まで薄切り肉を使用していましたが、今回はカレー用の角切りの豚肉を使用しました。
ここ数回は、具材をかなり大きめにカットしています。これは食べ応えを重視しているからです。あと隠し味は、野菜ジュースや中濃ソース、コーヒー、赤味噌など、新聞記事などを参考にしながら、毎回違ったものを取り入れています。
あとはご飯を硬めに炊いて、ルーをあつあつの状態に保っていれば、間違いなく美味しいカレーをいただくことができるでしょう。サラダも毎回つけています、汁物はたまにポトフを作りますが、たいていは味噌汁をつけています。

2019/02/09

急行「ごてんば」の167系電車

国鉄の分割・民営化が行われた1987年から既に4半世紀以上を経過した2019年ともなりますと、JRの初期に製造された車両も置換対象となり、国鉄時代から走り続けている車両も稀になりました。身近に見られるのは特急「踊り子」の185系電車くらいでしょうか。
1980年代は、国鉄の経営も財務的には傾いていた時期ともいわれますが、現在では見られないような列車が走っていました。写真の電車は、東京ー御殿場間に運転されていた急行「ごてんば」号の167系電車です。
急行「ごてんば」号は、1968年4月に運転を開始し、当初は165系3連を使用していました。1981年10月から167系4連に変更となり、165系12連の急行「東海」と併結する東京ー国府津間では16連の長編成でした。1985年3月のダイヤ改正で、急行「ごてんば」は利用減により廃止となりました。
167系は、1965~66年に165系急行形電車をベースに製造された修学旅行輸送用の車両です。修学旅行用の電車があったとは、現代では考えられないですね。35両がJR東日本に継承されたので、私も田町電車区に留置されている姿をよく見かけました。
【撮影:佐野次郎 1983年頃 大船駅】

2019/02/08

京浜急行新1000形(1625編成)

京浜急行新1000形は、2002年に第一編成が営業運転を開始し、様々な仕様変更を行いながら、現在も増備を継続しています。現在では、先代1000形を凌ぐ多数派の車両となっています。
新1000形による代替対象も、当初は先代1000形・700形から、2000形・800形へと進んでいます。先代1000形・700形・2000形は既に全廃となり、800形も残り4本と代替が順調に進行しています。
となると、2020年には1500形・600形・2100形を代替の対象とする、新2000形か2020形が登場することを期待したくなります。3扉のステンレス車体に塗装を施し、ロング/クロスの可変座席、監視カメラにWi-Fiとデジタルサイネージ装備なんてどうでしょうか?
写真の1625編成は、2018年10月に川崎重工で完成し、営業運転を開始したものです。予定よりも遅れての完成となったようです。1625編成と入れ替わりに800形の821編成が廃車となっています。
【撮影:佐野次郎 2019.1.16 屏風浦駅】

過去の記事から
京浜急行1500形〈1625編成〉
京浜急行1500形(1577編成)
京浜急行800形(821編成)

2019/02/06

京浜急行600形(604編成)

京浜急行600形の604編成は、京急線と都営地下鉄浅草線・京成線の相互直通運転50周年を記念するヘッドマークをつけて営業運転に就いております。当初は京急の1000形(先代)が特急として京急線内を走り、都営1号線を介して、押上・青砥まで直通しました。
現在では、日中は京急線内を快特として走るようになり、また京成側では、北総線・成田スカイアクセス線など区間がより延長されています。そして京急線では羽田空港への輸送の重要度が高まりました。
並行するJR東日本に比較すると、京急は路線のポテンシャルを最大限に活用している印象があります。JR東日本は貨物も走る路線がありますが、帰宅時間帯にはもう少し列車の運転本数を増やしてもいいのではないでしょうか。
写真の604編成は1995年3月に川崎重工で完成したものです。2006年11月に京急ファインテック久里浜工場でクロスシートをロングシートに改造しています。2012年3月に更新工事を完了しています。
【撮影:佐野次郎 2019.1.14 屛風浦駅】


2019/02/03

横浜高速鉄道Y500系(Y513F)

運転系統の上では、東急東横線と完全に一体化しているみなとみらい線ですが、経営上はあくまで別会社ですので、両線をまたいで利用すると並行する根岸線に比べて料金はかかります。
私も東横線の撮影に出かけた帰りは、みなとみらい線を利用するのがラクな気もしますが、運賃を考えると横浜で根岸線に乗り換えることがほとんどです。自宅から元町・中華街駅までは徒歩で30分以上かかりますので、利用は休日中心となっています。
みなとみらい線が横浜市交通局によって建設され、横浜駅でブルーラインと方向別に同一ホームで乗り換えが可能だったらさぞ便利だったろうと考えたりしますが、現状は当初の横浜線との相互直通よりは格段に利便性の高いかたちになっていると思います。
写真のY513Fは、2004年2月に東急車輌で完成したものです。2011年9月に東急車輌で副都心線乗入れ対応工事を受けております。時の流れは早いもので、みなとみらい線の開業から今年で15周年を迎えることになります。
【撮影:佐野次郎 2018.7.16 白楽ー妙蓮寺間】

2019/02/02

東急東横線9000系(9015F)

長らく渋谷ー桜木町間を結んでいた東急東横線ですが、2004年のみなとみらい線開業により、元町・中華街駅まで路線が延長され、より身近な存在となりました。現在では副都心線を介しての相互乗り入れにより、さらに利便性を増しています。
欲をいえば、古くから構想のある通りに元町・中華街からさらに延長して、新山下・本牧・根岸まで路線が伸びれば、私にとってはいうことなしですが、事業経済性や路線整備の優先順位から見ても難しそうです。
もともと本牧には、横浜市営地下鉄(現在のブルーライン)が関内~山下町~本牧まで整備する計画があったそうです。横浜市営地下鉄の関内駅には、路線分岐のための配線がされていたのですが、実際に路線が整備されなかったのは残念です。
写真の9015Fは、1991年3月に東急車輌(現:総合車両製作所)で完成したもので、9000系の最終編成に相当します。2012年9月に東横線での運行を終了し、2012年10月に8連から5連に短縮して大井町線に転用されました。
【撮影:佐野次郎 2010.4.24 白楽ー妙蓮寺間】

過去の記事から
東急大井町線9000系(9015F)
https://sanojiro.blogspot.com/2014/03/90009015f.html