2013/03/31

有楽町・副都心線10000系〈10135F〉

東急東横線が、東京メトロ副都心線を介して西武池袋線・東武東上線と相互直通運転を行うようになったことで、運転系統が新しくなって今までには見られなかった行先表示が見られるようになり、また車両の面でもバラエティ豊かになってきました。
直通開始前の東横線では、横浜高速のY500系を含めても、5050系がほとんどになり、まれに9000系が入るような塩梅でした。それに中目黒ー菊名間では30分に1本、日比谷線直通の1000系と東京メトロ03系が加わりました。
現在では、9000系と日比谷線直通がなくなったとはいえ、東京メトロ10000系・7000系、西武6000系、東武9000系・9050系・50070系が加わり、すいぶんと賑やかになりました。東武車は乗り入れが少ないらしいですが、東京メトロ車などは多数派に近いものがあるでしょう。
写真の10135Fは、2009年12月に日立製作所で完成したもので、10000系の5次車に相当します。通の方には座席が固いといわれそうな10000系ですが、おしゃれな透明の仕切りは東横線ではうけそうです。                             
【撮影:佐野次郎 2012.11.14 柳瀬川ー志木間】

2013/03/30

東京地下鉄9000系(9101F)

つい先日の東横線渋谷駅の地下化による、撮影の熱狂ぶりは記憶に新しいところです。首都圏の鉄道網の広域化とネットワーク化の進展には目覚ましいものがあります。
これら鉄道網の整備の方向性が明らかになったのは1985年頃の運輸省の答申だったと記憶しています。当時の鉄道ピクトリアル誌に詳しい紹介記事が出ていたのを覚えています。ちなみにその頃の新車といえば山手線の205系電車でした。
その記事の中に、目黒を起点として、麻布や永田町、飯田橋を経由して岩淵町(現:赤羽岩淵)に至る営団地下鉄7号線の整備計画もあげられておりました。現在の東京メトロ南北線ですが、いまにして思えば、バブル経済真っ盛りの頃には麻布を走る地下鉄はなかったわけですね。
写真の9101Fは南北線の主力車両である9000系電車の先行試作車で、1991年7月に川崎重工で完成したものです。千代田線で各種性能試験を行ってから、南北線の神谷橋車両基地に陸送され、同年11月の南北線一次開業に充当されました。

2013/03/24

山手駅新駅舎開業

2013年3月24日、バリアフリー対応を目的として工事が進められていた根岸線山手駅の新駅舎が開業しました。
私にとって最寄駅であるこの山手駅、駅前には小学校が鎮座し、大規模な商業施設やオフィスなどは存在しないという閑静な駅であります。1964年に根岸線が桜木町から磯子まで延伸する際に開業した駅ですが、住所がかかる大和町駅にするか立野駅にするかでさんざんもめた末に山手駅となったそうです。(※当初の予定では大和町駅となっています。)洋館などがある山手町には、石川町駅のほうが近いのです。
昨日で使命を終えた旧駅舎は、ホームの北側の端にありました。改札は一か所ですので、反対側から歩いてくる人たちは、電車を必ず1本見送るような感じでした。市議会議員選挙がある際に、反対側に改札を作ることを公約する候補もいたほどです。
といいながらも旧駅舎はさほどの段差もなく、国鉄時代には広告のない駅として、有名になるほどのどかな駅でした。80年代には、駅近くに牛までいたのです。
山手駅近くには、商店街の発言権が強いのか、なかなかチェーン店ができません。駅前のセブンイレブンは事実上の独占状態に近く、全国でも有数の繁盛店らしいです。
そんななかでドトールとファミリーマートが21世紀に入ってから出店し、重宝していたのですが、駅改良工事の着手によって閉店してしまいました。
さらに年代を遡って懐かしいのは、「抜天」というちゃんぽんと皿うどんのお店です。ちょうど新しい駅舎の入り口のあたりに位置していたお店でした。ちゃんぽんも皿うどんも、野菜タップリで絶妙の味でした。いまだに閉店が惜しまれます。
新駅舎開業により、新しい時代に入った山手駅ですが、旧駅舎付近を活用した駅前広場などの残工事が向こう1年を費やして行われるそうです。

2013/03/08

小田急4000形〈4063F〉

4000形は小田急としては三代目の千代田線乗入れ車両として、JR東日本のE233系をベースにして設計された電車です。3000形で取り入れた標準設計をさらに推進して、主要機器や回路を二重系として、故障により強い電車になっています。
車体はE233系と同様軽量ステンレス製で、東急車輌式の造作となっています。同じく千代田線に乗入れるJR東日本のE233系2000番台は、同系の他番台よりも4000形に近い車体になっております。4000形の車内は明るめの赤をベースにした、落ち着いた色合いでまとめています。
主回路はIPM素子を使用したVVVFインバータ制御となっており、新技術として編成滑走制御を取り入れています。またTIOSによって編成全体のブレーキ装置を管理しています。TIOSの伝送系も二重化されております。
写真の4063Fは、2010年12月にJR東日本の新津車両製作所で完成したものです。新津車両製作所では、小田急4000形のほか、同じE233系ベースの相模鉄道11000系も製造していますね。車両標準化の進展を実感できますね。
【撮影:佐野次郎 2013.1.6 生田ー読売ランド前間】

2013/03/03

小田急電鉄3000形〈3269F〉

小田急の電車を撮影していると、この3000形がもっとも多くやってきます。それもそのはずで、長年主力として活躍していた2600形、先代4000形、5000形、9000形を置き換えるために、300両を超す3000形が製造されたからです。
最後の「小田急顔」の電車であった5000型や5200形の引退はかなり注目を集めましたが、90年代はそれらの電車が大勢を占めていたわけです。2035年頃には3000形の引退時期となり、注目を集めることになるのでしょうか?
さて3000形は2002年度の2次車から、民鉄標準車両の仕様を導入し、汎用装置を取り入れています。1次車に見られた戸袋窓も廃止されています。標準車両導入の背景には、経済成長による輸送人員の減少から、一層のコスト削減が急務となっていたことがあります。
写真の3269Fは2005年3月に川崎重工で完成したもので、3000形の5次車に相当します。5次車からすべての出入口上部に液晶モニタを設置しています。
【撮影:佐野次郎 2013.1.6 生田ー読売ランド前間】