2011/12/31

東武鉄道亀戸線


東武鉄道亀戸線は、亀戸ー曳舟間3.4kmを結ぶ路線です。開業は1904(明治37)年と古く、総武鉄道(現在の総武線)の両国まで乗り入れ、また伊勢崎線の久喜までを結ぶ本線の一部となっていました。当時は蒸気機関車による運転でした。
1910年には総武線へ乗り入れを中止して、浅草ー曳舟間が本線となり、亀戸線は支線となりました。これは総武鉄道の国有化がきっかけとなっています。1928年4月には、亀戸線は全線電化されました。越中島まで延長する構想もありましたが、実現しませんでした。

 亀戸線は、8000系のワンマン車2両編成によって運転されています。日中でも10分間隔で運転され、支線といえども利便性はまずまずといえるのではないでしょうか?
亀戸線の駅には、徐々に数を減らしている構内踏切が残されています。ホームも狭い駅がありますので、訪問時には十分注意しましょう。
【撮影:佐野次郎 2011.12.31 亀戸水神ー東あずま間】

京浜急行電鉄600形(652編成)

京浜急行600形は更新工事が進行中で、8両編成については604・608編成を除く6編成の工事が既に完了しておりますが、4両編成については初めてとなる652編成の工事が完了しました。
600形の4両編成は、システムの大幅な見直しが行われ、シンプルな構成を採用してコスト低減を目指した2M2Tユニットとなりました。またパンタグラフがシングルアーム式となっています。車内については座席配置を見直し、扉間は4人席1区画と2人席の配置となりました。
更新工事によって、ワイパーカバーに600と形式名のスリットが入り、車内はロングシート化されました。また空調装置や排障器の交換や、モニタ装置・転落防止幌の増設が施行されました。
写真の652編成は、1996年3月に川崎重工で完成したものです。2011年10月に京急ファインテック久里浜工場で更新工事を完了しております。

2011/12/25

東京急行電鉄6000系(6104F)

2008年3月ダイヤ改正での本格的な急行電車の運転開始に備えて、新形式の6000形電車が投入されました。大井町線に新製配置されたのは、1988年に投入された9000系の9007F以来久しぶりになります。
この6000系は、田園都市線の5000系をベースとして設計されたものですが、前面デザインや側面のカラーリングが独自のものですので、まったく違う印象を受けます。東横線の特急にも、これくらいインパクトのある電車を投入してもらいたいものですが、そういう計画はないようです。
それはともかく大井町線の急行で大井町を出ると、大岡山で目黒線の急行で同一ホーム上で乗り換えでき、さらに武蔵小杉でも東横特急に同一ホームで乗り換えできるのは感心します。JRでは階段を上り下りして乗りかえる路線がほとんどですからね。
写真の6104Fは、2008年3月に東急車輌で完成したものです。休日には田園都市線にも乗り入れてきますね。

2011/12/21

東京急行電鉄8590系(8692F)

東急大井町線では、かつて東急東横線・みなとみらい線で活躍していた8590系15両(5両編成3本)も使用されています。
8590系は東横線で急行を中心に使用されていた8090系を、地下鉄路線であるみなとみらい線で走らせるために、正面に貫通扉を設けた先頭車を新造して、編成を組み替えた電車ですね。
みなとみらい線といえば、当初は東横線ではなく、横浜線と直通することを考えていたようですね。国鉄の財政難によって、東横線と直通するようになりましたが、現在の姿のほうが便利ですね。
写真の8692Fは1988年11月に東急車輛で先頭車が新製されました。2006年3月に長津田検車区に転属し、大井町線用となりました。パンタグラフはシングルアーム式に換装されましたが、行先表示は幕式のままですね。

2011/12/20

東京急行電鉄8500系(8641F)

東急田園都市線の主力として、長年にわたって活躍を続けている8500系ですが、大井町線にも20両(5両編成4本)が活躍しています。
もともとは5両編成を2本つなげた10両編成として、新玉川線・田園都市線で使用されていましたが、2003年から大井町線の8000系を置き換えるために転属してきたものです。
5両編成だったのはもともと、大井町線との共通予備車だったからというわけです。田園都市線と大井町線は同じく長津田検車区を車両基地としており、田園都市線を大井町線用の電車が入出庫のために回送されるのを見ることができますね。
写真の8641Fは1986年12月に東急車輛で完成し、長津田検車区に新製配置されました。編成すべてが軽量構体車です。大井町線用の8500系は、田園都市線用とは異なり、パンタグラフがシングルアーム式に換装されています。

2011/12/17

東京急行電鉄8500系(8633F)

田園都市線の主力となっている8500系のうち、1983年以降に製造された車両については、車体に軽量構体を採用しています。
軽量構体とは、1976年に東急車輌が開発に着手したもので、三次元解析による強度分析によって、構体の軽量化を図ったものです。1978年には東横線の8000系に組み込む試作車デハ8400形2両を製造して試験を行い、1980年の8090系で本格的に採用されました。
この技術は国鉄→JRの205系電車にも採用され、そのほかの関東民鉄の車両にも波及しました。80年代後半から90年代の通勤電車には、広く採用されたものです。側面のコルゲートが少なくなったのが特徴ですが、8500系では在来構造の車両と同じコルゲートが残されています。
写真の8633Fは1983年11月に東急車輌で完成したもので、10連で登場しました。同年から新玉川線・田園都市線8500系の10連化が始まりましたが、全編成が10連化されたのは1991年のことでした。

2011/12/11

東京急行電鉄5000系(5107F)

同じ東急でも、東横線では、ほとんどこの電車がやってくるように感じる5000系列ですが、田園都市線では、車両の種類が多いこともあって5000系にも新鮮味があるように感じます。
田園都市線の5000系は、5104F~5117F.5120Fが6ドア車を3両も編成中に組みこんでいますね。ラッシュ時の急行を、旧新玉川線内各駅停車の準急にせざるをえなかったのと同様に、田園都市線の混雑の激しさを現していますね。
また島式ホーム1面の田園都市線・半蔵門線渋谷駅も、終日混雑していますね。多くの警備員を投入して、安全確保にあたっているようです。周囲の空間の余裕も乏しいとのことで、拡幅も難しいそうですね。
写真の5107Fは、2005年4月に東急車輌で完成したものです。ここ数年は田園都市線への新車投入が止まっております。東横線への投入が一段落したら、再開されるでしょう。

東京急行電鉄8500系(8625F)

今日は久々に東急田園都市線の撮影に出かけてきました。つくし野駅で降りて、定番の線路沿いの撮影地でいつものように編成写真を撮影致しました。
このあたりは、いわゆるお屋敷が立ち並んでいますね。一軒家がほとんどですが、一軒あたりの家が大きいですね。条例で規制されているそうです。
田園都市線も、東急・東京メトロ・東武の電車がそれぞれ走りますが、東急のベテラン8500系は走行音が賑やかなのですぐにわかります。副都心線直通に伴う東横線への新車投入のあおりを受けて新形車への置換えが中断していますが、今のうちに記録しておきたい電車です。
写真の8626Fは、1976年12月に東急車輌で完成したものです。新玉川線の開業に備えて投入されたグループで、当初は6連でした。1995年に行先表示をLED化、2003年に排障器を設置しています。

2011/12/10

小田急電鉄8000形(8261F)

小田急電鉄でも、1000形以降の電車はステンレス製の車体となり「銀色の電車」ですので、8000形がアイボリーの塗装を施した最後の通勤電車ということになります。この塗装は、なかなか感じのよいものだと私は思っています。
8000形も登場後20年を過ぎた2002年から、車体修理が始まっています。座席のモケットがバケットタイプとなり、窓ガラスをUVカットの遮光ガラスに取り替えて、カーテンを撤去したりするなどの変化があります。また扉上部に案内装置を増設しています。
主回路も3編成目からIGBT-VVVFインバータ制御に更新されています。主電動機は出力190kWの誘導電動機MB-5102-A形に換装しています。またブレーキ装置も電気指令式ブレーキに変更されています。
写真の8261Fは1985年2月に東急車輌で完成したもので、6連としては4次車に相当します。2006年8月に車体修理を施行しています。

小田急電鉄8000形(8251F)

小田急でも電車の世代交代が進み、あれだけ走っていた「小田急顔」の電車も4両編成が2本残るだけになっています。8000形は、「小田急顔」の5000形・5200形のあとをうけて、1982年から87年にかけて160両(6両編成と4両編成が16本ずつ)製造されたものです。
8000形の車体は普通鋼製ですが、ようやく「小田急顔」から脱却しています。私は中学生の頃、8000形の登場を「鉄道ファン」誌で知り、カッコいい電車だなあと思ったものでした。また成人してから、少しの間通勤で利用してなんとなくうれしく思いましたね。
8000形の主回路は界磁チョッパ制御を採用しております。現在では更なる省エネルギー化と、メンテナンスの効率化を目指して、VVVFインバータ制御への取替を進めていますね。導入当時に意図した通り、長期間にわたって使用する方針のようです。
写真の8251Fは、1982年12月に東急車輌で完成したもので、6連の1次車に相当します。2003年2月に、8000形としては真っ先に車体更新を行いましたが、主回路は界磁チョッパ制御のままとなっています。

2011/12/09

根岸線の103系

今でこそ京浜東北・根岸線には小ぎれいなE233系1000番台が走っていますが、かつては103系の天下でした。
ATCと呼ばれる新形の保安装置に対応して、運転台の位置を高くした後期形の車両が先頭についていましたが、編成中心にはクモハ103やクハ103-500番台といった初期形の車両も連結されていました。クーラーのない車両もたくさんありました。
寒々とした感じのブルーの座席や、グリーンの化粧板、そして銀色の乗降扉の内張り。私はこの電車といっしょに大きくなったような気がします。そしてMT54形モーターの高らかな回転音。思い出いっぱいの電車です。
現在走っているE233系よりも、103系電車のほうが乗り心地が良かったような気がします。停車時のガックンなんて当時はあったかな?記憶が定かではないですが・・・。しかし高校生の頃は、新杉田ー石川町間の短区間の乗車でも座ると爆睡できました。若かったのですね。
【撮影:佐野次郎 1992.2.4 石川町ー山手間】

2011/12/03

宮坂区民センター デハ601

東急世田谷線の宮の坂駅のホーム横には、デハ601号電車が保存されています。世田谷区立宮坂区民センターの施設だということです。
この電車は玉川線のデハ80形の87号として製造され、江ノ島電鉄に譲渡されてデハ601号となったものです。
駅のすぐそばに、保存車両が展示されているというのは、なかなか珍しい光景といえそうですね。その代わり、車両の全景を写すのは難しい展示位置となってます。
塗装は世田谷線で活躍した同形のデハ80形と同じ緑一色、車号は江ノ島電鉄当時の601号と、それぞれの歴史を反映した姿で展示されています。
【撮影:佐野次郎 2011.11.26】

過去の記事から
江ノ島電鉄で現役当時のデハ601号

東京急行電鉄300系(301F)

東急世田谷線は、東急では唯一の軌道線で、1925年に玉川電気鉄道によって開業したものです。玉川線の一部でしたが、1969年に新玉川線建設工事のために渋谷ー二子玉川園間が廃止されたため、独立して世田谷線となりました。
世田谷線は全線専用軌道で、閑静な住宅街を縫って走ります。かつては古い電車が2両連結で走っておりましたが、1996年に三軒茶屋駅を、再開発ビル「キャロットタワー」に移設、2001年に全車両を現行の300系に置き換えて近代化されました。
現在では、PASMOやSUICAでも乗車可能ですので、より利用しやすくなったという印象があります。90年代でも旧式の緑色の電車が走っていた世田谷線とは様変わりです。また現在の田園都市線の混雑からは玉川線が走っていた当時を想像することは難しいですね。
写真の301Fは1999年7月に東急車輌で完成したものです。当初は旧形車と併用されたため、乗降扉にステップを装備していましたが、2001年にホームのかさ上げが完了したため撤去しています。現在は玉電リバイバルカラーで営業運転に就いています。