2011/08/21

東京急行電鉄5050系(5155F)

東急東横線5050系の5155Fが、「SUPER COOL BIZ」のラッピングを施して、営業運転に就いています。
クール・ビズも夏の恒例行事として、すっかり定着しました。夏場にネクタイをしていないからといって、怒る人など誰もいなかったのです。だからといって、ネクタイを外すだけではみっともない。ボタンダウンかクレリックのシャツを着たいものです。
そして今年はスーパー。アロハシャツやサンダル履きといいますが、どうですかね?それはともかく、数年前の夏、江ノ電の江ノ島駅で、駅員さんがアロハ着用だったのは相当似合っていました。TPOが大切ですね。
写真の5155Fは、2005年3月に東急車輌で完成したものです。2011年1月に東急車輌で副都心線乗り入れ対応工事を完了しています。

小田急電鉄4000形(4061F)

小田急電鉄4000形の4061Fは、「花と寺社めぐり」スタンプラリーのヘッドマークを掲げて営業運転に就いております。関東民鉄の共同企画で、西武や東急などにも、ヘッドマーク付きで運転されている電車が走っています。
小田急線では、向ケ丘遊園駅や大和駅にスタンプが設置されているそうです。大和駅を最寄り駅とする延喜式深見神社は、478年(雄略天皇22年)の創建と伝えられています。現代まで続いているというのは凄いですね。
小田急線の沿線といえば、なんとなく戦国大名の後北条氏の勢力圏という印象でしたが、調べてみるといろいろと発見があるかもしれません。
写真の4061Fは、2010年2月に東急車輌で完成したものです。ご存じの通り、JR東日本のE233系をベースとする電車ですが、ヘッドライトの位置が低く印象は少し異なります。

2011/08/20

小田急電鉄3000形(3093F)

小田急3000形の3093Fが、8月3日から「小田急 F-Train」として運転されています。これは、川崎市多摩区にオープンした「藤子・F・不二雄ミュージアム」の開館を記念して、電車の内外に装飾を施したものです。
「ドラえもん」「パーマン」「キテレツ大百科」など、藤子・F・不二雄さんの代表作のキャラクターが電車いっぱいに描かれている電車というわけです。
ちなみに私が個人的に藤子・F・不二雄さんのマンガで好きなのは、「オバケのQ太郎」ですね。確か、Q太郎は何かの役に立つというわけでもなく、イヌが嫌いだったり、ソ連からドロンパ?っていう名前の仲間が登場したり、良い子向けの「ドラえもん」よりも自堕落な感じがして好きでしたね。
写真の3093Fは、2007年2月に川崎重工で3282Fとして完成したもので、3000系の8次車に相当します。2011年3月に川崎重工で中間車4両が完成し、日本車輌で3093F10連に組成されました。

小田急電鉄3000形(3092F)

ひと昔前まで、あたり前のように走っていた「小田急顔」の電車たちも急速に置換えが進み、今では5000形と5200形の4連が2本ずつ残るだけになっています。4連は新宿方に連結されますので、もう下り列車の先頭に立つこともないわけです。
2008年から4000形10両編成の製造による置換えが進んでおりましたが、今年から3000形の6両編成に、中間車4両編成を増結して10両編成を組成するという形態での置換えが始まりました。
以前のように、小田原方面と藤沢方面の急行列車を、相模大野駅で分割・併合することもありませんから、運転台のない分コストが安い中間車を製造するのは合理的ですね。
写真の3092Fは、2007年1月に川崎重工で3281Fとして6連で完成しました。3000形としては、8次車に相当します。2011年2月に川崎重工で中間車4両が完成し、既存の6両も改番されて3092Fとなりました。

東京地下鉄6000系(6132F)

千代田線を走る6000系も、新鋭16000系の登場により置換えが始まっております。私も、通勤で利用している京葉線の車中から、運用を離脱したと思しき6000系が新木場CRに留置されているのを見かけることがあります。
廃車となった6000系の中には、海を渡ってインドネシア国鉄に譲渡され、再び活躍するものもあります。インドネシアは現在、高度経済成長の真っただ中で、東京メトロからは有楽町線用の7000系や東西線の05系も譲渡されていますね。
さらに千代田線の相互乗り入れの相手である常磐緩行線の203系も、インドネシア国鉄への譲渡が進んでいますね。日本形の電車が大挙活躍しているインドネシア国鉄ですが、運用は日本時代とは比べ物にならない位ハードなようです。
写真の6132Fは1985年2月に川崎重工で完成したもので、6000系の5次車に相当します。2006年5月に新木場CRで、主回路のVVVFインバータへの換装を伴う大規模な更新工事を施行しております。

2011/08/19

相模原市鹿沼公園 D52 235

横浜線の淵野辺駅から、歩いて数分の鹿沼公園には、D52形蒸気機関車の235号機が展示されています。
D52形蒸気機関車は、戦時中の軍需輸送に対応するために設計された機関車で、1943年から46年にかけて285両が製造されました。1.200tの貨物列車を牽引できる能力を持つと同時に、耐用年数はわずか3年と非常に割り切った設計の蒸気機関車でもありました。このため、1946年から50年の間に122両が廃車となりました。
なぜこのような機関車が登場したかといえば、輸送需要が高まる一方で、戦局の悪化によって近海でも制海権を失い、今まで船で運んでいた物資を鉄道で運ぶ必要が生じたためです。1951年から53年にかけて状態の良い160両を選んで、ボイラーの換装などの改良工事が行われました。
写真の235号機は1946年1月に川崎重工で完成したもので、新鶴見機関区に新製配置されました。国府津・稲沢・吹田・姫路機関区を経て、1960年10月に五稜郭機関区に転属し、1973年まで活躍しました。2008年の夏にはボランティアによる整備が行われ、美しい姿で展示されています。

京成電鉄3050形(3052編成)

京成電鉄3050形電車は、2010年7月の「成田スカイアクセス」開業に伴い、一般型電車による「アクセス特急」を運転するために導入されたものです。
「アクセス特急」は、特急「スカイライナー」を補完するもので、一般型車両を使用しますが、新線区間では120km/h運転を実施します。「アクセス特急」には3050形のほか、3700形、京浜急行600形・新1000形も使用されています。
3050形は、正式には3000形の7次車となります。しかし内外の塗装が改められ、3050番台の新しい車両番号を与えられています。正面車番の上の飛行機をかたどったマーキングが、空港に向かう電車であることを示していますね。
写真の3052編成は、2010年3月に日本車輌で完成したものです。京成電鉄が次に製造する電車が、3000形になるのか3050形、または別形式になるのか気になるところです。

京成電鉄3000形(3007編成)

京成電鉄の3000形電車は、152両(8両編成1本・6両編成24本)と最多勢力を誇っています。本線の普通には、たいていこの3000形がやってくるような感じです。
また千葉線でも、よく走るようになっています。対照的に押上線では8両編成1本しか走りませんので、なかなかお目にかかることはありません。むしろ派生形式の3050形や、同形の北総鉄道7300形のほうをよく見かけますね。
3000形の大量増備によって、3200形・3300形の廃車が進み、京成電鉄の車両の世代交代が一段落した感があります。
写真の3007編成は、2003年1月に東急車輌で完成したもので、3000形の2次車に相当します。2次車は、日本車輌と東急車輌で2編成ずつ製作され、1次車との仕様は共通です。

京成電鉄3700形(3868編成)

京成電鉄3700形電車は、3700形では初めての6両編成となった6次車で仕様を変更しましたが、7次車から8両編成も製造されました。
8両編成に関しては、京成押上線・都営浅草線を通って、京浜急行の羽田空港方面まで乗り入れてきます。この顔の8両編成は3本しかありませんので、私は京急線内ではお目にかかった記憶がありません。
近年、JR東日本では車両の標準化が急速に進み、同じ電車ばかりが走るようになっています。保守の合理化などメリットも大きいですが、趣味的にはいろんな電車が走る路線に魅かれます。
写真の3868編成は、2002年3月に東急車輌で完成したもので、3700形の9次車に相当します。また3700形としての最終編成でもあります。

2011/08/16

京成電鉄3700形(3828編成)

1991年に製造を開始した京成電鉄3700形電車ですが、2000年に製造された6次車で、改良設計により仕様が変更になりました。
目立つのはヘッドライトが上部に移ったことですね。これは踏切などで遠くからでも見やすくするためだと推測しています。またパンタグラフが下枠交差形から、シングルアーム式に変更となっています。
室内に関していえば、座席シートに袖仕切りを新設しています。これはドア付近に立つ人と、隅の座席に座る人があたらないようにするためです。ちなみに東急田園都市線を走る8500系は、ドア近くまで座席が広がっていますので、ドア付近に立つこと自体難しくなっています。これは狙ったのか、たまたまなのか、どうなのでしょう?
写真の3828編成は、2000年2月に東急車輌で完成したもので、3700形の6次車に相当します。3700形としては、はじめての6両編成となります。

2011/08/15

京成電鉄3700形(3818編成)

京成電鉄3700形電車は3000形(先代)~3150形などの置換えを目的として、1991年から2002年にかけて、132両(8両編成15本・6両編成2本)が製造されました。
下の写真の3400形のもとになったデザインとなっております。また3400形も含めて、京浜急行の泉岳寺ー羽田空港間でもよく見かける電車です。
8両編成1本を北総鉄道にリースしているほか、北総鉄道7300形は3700形と共通設計となっております。
写真の3818編成は、1998年11月に日本車輌で完成したもので、3700形の5次車に相当します。

2011/08/14

京成電鉄3400形(3448編成)

京成電鉄3400形電車は、初代「スカイライナー」だったAE形の電装品を再利用し、普通鋼製の新製車体に艤装してできた電車です。AE形を改造したという扱いになっています。
新製された車体は、当時の最新型車両であった3700形に準じたデザインを採用しております。ステンレス製の3700形を塗装したようなスタイルとなっています。
近年では在来車の電気部品を利用して車体だけを新しくするという手法は珍しくなってきています。規格化された新製車を集中的に投入することが、関東民鉄では主流になっていますね。
写真の3448編成は、1995年9月に大栄車輌で6連で3400形に改造され、同年11月に2両を追加して8両編成になっています。後年にスカートの増設や、シングルアーム式パンタグラフへの換装が実施されています。

芝山鉄道3600形(3618編成)

京成電鉄3600形の3618編成は、芝山鉄道にリースされ、芝山鉄道3600形として営業運転に就いています。ご覧の通り、車体の帯色が変更されたり、芝山鉄道のロゴマークが追加されたりしています。
芝山鉄道は、2002年10月に東成田(もと成田空港駅)ー芝山千代田2.2kmが開業しました。日本ではもっとも短い私鉄路線となっています。ちなみに建設が具体化しているわけではありませんが、九十九里方面への延長構想があります。
成田ー芝山千代田間に運転される列車は、京成3300形などの4両編成が中心となっており、写真の3600形は都営浅草線に直通する快速など、京成線での運行がほとんどとなっています。
写真の3618編成は、1984年4月に日本車輌で完成したもので、3600形の2次車に相当します。2002年10月から芝山鉄道にリースされています。

2011/08/13

京成電鉄3600形(3648編成)

京成電鉄の3600形電車は、1982年から89年にかけて54両(6両編成9本)が製造された電車です。デザインは手堅くまとめられ、地味な印象を受ける電車です。
主回路は界磁チョッパ制御となり、京成電鉄の通勤型車両としては初めて回生ブレーキを装備した省エネ電車となりました。
1997年から99年にかけて編成組み替えによって8両編成6本を組成しましたが、先頭車にモーターがないため京浜急行線には乗り入れできません。なぜ京急では先頭車にモーターがなければいけないかというと、重量のあるモーター車で保安装置のセンサーをしっかり踏むためです。
写真の3648編成は、1988年1月に日本車輌で完成したものです。1997年6月に3628編成からの中間車2両を組み込んで8両編成化されました。

2011/08/12

京成電鉄3500形(3509編成)

京成電鉄は趣味的にみると、興味深いものがあります。なぜならば、電車の種類が比較的多いからです。
さすがに現在では、最新形式である3000形が大きな勢力を持ち、以前ほどの種類はなくなりましたが、それでも撮影していて飽きることはありません。
中でも異彩を放つのが3500形の更新車ですね。穏健なデザインであったオリジナルとは趣を異にします。スピード感を強調したデザインといいますが、異相の電車という感じがします。
写真の3509編成は1972年12月に日本車輌で完成したものです。3500形更新車は原形から大きく変化していますが、関東の私鉄としては珍しいですね。

2011/08/11

京成電鉄3300形(3324編成)

京成電鉄の3300形は、いつの間にか最古参の車両になってしまいました。かつては3200形・3150形という形式もあり、京成電鉄といえばこんな感じの電車がほとんどでしたが、今では銀色の電車が大半を占めるようになっています。
現在3300形は、会社創立100周年を記念して、ファイアーオレンジ・赤電色・青電色というかつての標準塗装に塗り替えた車両を1本ずつ走らせています。
なかでも秀逸なのは写真の赤電色だと思います。シンプルな3300形のデザインに一番似合っている塗装だと思います。国鉄特急色にも通じる美しさだと思います。
写真の3324編成は1970年12月に日本車輌で完成したものです。1985年7月に冷房改造を実施しています。

2011/08/07

大塚台公園 C58 407

山手線の大塚駅近くにある大塚台公園には、C58形蒸気機関車の407号機が保存されています。首都圏ではC58形の保存機は珍しいように思います。
C58形蒸気機関車は、ローカル線で旅客・貨物両方の列車を牽引できる機関車として、1938年から47年にかけて427両が製造されました。同形では秩父鉄道で活躍する363号機が有名ですね。
写真のように囲いで覆われ、保存されているというよりは、監禁されているように見えなくもない407号機です。とはいうものの、厳重に管理されているから今日まで残っているのでしょう。屋外保存は難しいですね。
写真の407号機は1946年12月汽車製造で製造され、五稜郭機関区に新製配置されました。1973年12月に函館機関区で廃車され、1974年5月から大塚台公園で保存されています。
【撮影:佐野次郎 2010.9.11】

飛鳥山公園 D51 853

東京都北区にある飛鳥山公園には、D51形蒸気機関車の853号が保存されている。D51形といえば、JR東日本が動態保存をしている498号機がもっとも有名です。
D51形は1.115両と日本の蒸気機関車としては、一番多く製造されたものです。貨物列車の牽引を中心に活躍しました。保存されている蒸気機関車としても最多両数となっています。
写真の通り、子供たちに囲まれている853号ですが、屋外展示のため痛みも激しいものがあります。つい先日ナンバープレートがペンキで汚されてしまいした。そういうことをする人は、機関車を整備している人の気持ちを考えたことがあるのかな?
写真の853号は1943年8月に国鉄鷹取工場で完成したもので、吹田機関区に新製配置されました。その後梅小路・姫路・長岡機関区を経て、1972年6月酒田機関区で廃車となりました。
【撮影:佐野次郎 2010.4.10】

飛鳥山公園 東京都電6080号

東京都北区の飛鳥山公園には、東京都電の6080号が保存されています。南大塚公園の6162号、あらかわ遊園の6152号とこの6080号と荒川線沿線には3両の6000形が保存されています。
写真の6080号のような黄色に赤帯の塗装は、1953年12月に5502号で初めて採用され、かなり間をおいて1959年4月になってから採用されたものです。色調としては、かなりどきついものですね。
1980年頃なぜか都バスが、アイボリーにブルーの塗り分けから、黄色に赤帯に似た塗装に変更し始めました。非難ごうごうで、すぐにアイボリーとグリーンの現行塗装に変更されました。
写真の6080号は1948年に製造され、青山車庫に新製配置されました。大久保・駒込車庫を経て、1971年3月に荒川車庫に転属し、荒川線のワンマン化まで活躍しました。2005年に整備されましたが、痛みも目立ち保存状態が憂慮される電車であります。
【撮影:佐野次郎 2010.4.10】

2011/08/06

神明都電車庫跡公園 東京都電6063号

文京区駒込にある神明都電車庫跡公園には、東京都電6063号が保存されています。この公園はその名の通り、都電の神明町車庫だったところです。
神名町車庫は1920年に大塚車庫の分庫として開設され、都電の20系統・40系統を受け持っていました。1967年12月に20系統が廃止、1971年3月に40系統も廃止となり、神明町車庫は閉鎖されました。
私が神明都電車跡公園を訪問したのは1992年で、営団地下鉄南北線の駒込駅から歩いて行きました。南北線も駒込ー赤羽岩淵間の一次開業の頃でした。フル装備のホームドアが珍しく、まるでシンガポールの地下鉄みたいだなと感心しました。
写真の6063号は1949年3月に製造され青山車庫に新製配属されました。大久保車庫、南千住車庫を経て1967年9月に神明町車庫に配属されました。1970年12月に荒川車庫へ転属し、1978年4月に廃車となりました。
【撮影:佐野次郎 1992.10.4】

神明都電車庫跡公園 東京都電乙2号

神明都電車庫跡公園には、路面電車としては珍しい貨車である乙2号電車も展示されています。保存車両としても珍しいものです。
乙2号は乙1形貨車の2号車として1941年に古い台車を利用して製造されました。乙1形は2両だけの製造で、乙1号が三田車庫、乙2号が荒川車庫に配置されました。
乙2号は専用軌道の多い荒川車庫の受け持ち路線で、バラストやまくらぎなどの資材運搬に使用されました。
乙2号は1971年3月に廃車となりました。6063号より先に神明都電車庫跡公園で展示されています。1982年10月には木材部分を新しくしています。
【撮影:佐野次郎 1992.10.4】

2011/08/04

南大塚公園 東京都電6162号

東京都豊島区にある南大塚公園には、東京都電6000形の6162号車が保存されています。荒川線のワンマン化後のような塗装で展示されていますが、現役当時の6000形がこの塗装で走ったことはありません。
東京都電6000形は、1947年から52年にかけて290両が製造され杉並線を除く都電の全路線を走りました。戦後の東京都電を代表する電車ですね。
6000形は何両か公園に保存されていますが、博物館みたいな恒久的な設備には保存されていません。都電博物館みたいなものをつくっていたら、けっこう人気が出るような気がしますが、「都電おもいで広場」があるだけでもよしとすべきですかね。
写真の南大塚公園の6162号は現在では厳重なフェンスに覆われているそうです。公園の保存車両はイタズラで傷むこともありますから仕方ないですね。
【撮影;佐野次郎 1992.10.4】

勝田団地 横浜市電1161号

写真は横浜市港北区にある勝田団地の老人クラブとして利用されていた横浜市電1150形の1161号車です。
横浜市電1150形は1953年から55年にかけて22両が製造されました。高性能車両として知られた1500形とよく似た車体ですが、コストダウンのため手持ちの電気部品を流用しております。
ワンマンカーに改造され、横浜市電全廃まで活躍しました。横浜市磯子区にある久良岐公園には1156号が現在でも保存されています。
写真では電車であることがわかりにくいですが、既に囲いがされ解体直前の姿なのです。それでもこの種の保存車両としては長期にわたり大事に使用されたといえるでしょう。
【撮影:佐野次郎 1992.11.3】

2011/08/02

京浜急行電鉄2100形(2141編成)

泉岳寺ー三崎口間を中心とする、いわゆる「A快特」の主力として使用されている2100形は「歌う電車」として知られています。
ドイツ・シーメンス社製のインバータ装置を利用しているためです。起動音が音階のように聞こえるのは何と技術者の遊び心によるものだそうです。しゃれていますね。
2100形は高速運行を毎日こなすので機器の痛みも早く、残念ながら国産のインバータ装置への換装が進んでおり、2100形の半分はもはや「歌わなく」なってしまいました。
写真の2141編成は1999年4月に東急車輌で完成したものです。この編成はいまのところオリジナルのインバータ装置を維持しておりますので、独特の音階を聞くことができます。