2009/08/30

碓氷峠鉄道文化むらEF591

 EF59形電気機関車は、山陽本線瀬野ー八本松間の急勾配区間の補機として、D52形蒸気機関車に代わってEF53形・EF56形電気機関車を種車として総勢24両が改造されたものである。
 なにぶん戦前生まれの機関車であるため、1970年代には老朽化が顕著となり後継機種としてEF60形の初期車を種車とするEF61形200番台、EF61形を種車とするEF61形100番台の改造が計画されたが、出力過大のため200番台8両だけで改造は中止になってしまった。
 古豪EF59形は結局1984年まで現役を継続した。前面に施された警戒塗装がよりクラシックなスタイルを引き立てている。
 瀬野ー八本松間では現在もEF67形が補機として活躍しているが、信越本線横川ー軽井沢間が廃線となった現在では勾配区間のために補機を増結するのは瀬野ー八本松間だけになっている。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むらEF58172

 EF58形電気機関車は1946年から58年にかけて172両が製作された旅客用の電気機関車である。最初の31両はデッキ付き・箱形車体で新製された。1952年製造の35号機以降は蒸気発生装置(SG)を装備し、写真のような車体で新製された。
 なお32~34号機は貨物用のEF18形として落成したため、EF58形としては欠番になっている。EF18形は最後までデッキ付き・箱形車体を維持した。
 私には残念ながら現役当時のEF58形はほとんど記憶にない。鉄道に関心を持つようになったころには、すでに急行「銀河」の牽引機はEF65PFに交代していたし、東海道本線の荷物列車もEF62形に交代したところであった。
 走るEF58形といえば、イベント用機関車の走りといえる61号機や89号機の記憶しかない。あとは運用から退いて米原に留置されている姿を新幹線の車窓から見たのを覚えている。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むらEF532

 EF53形電気機関車は、初めての国産F級旅客用機関車であるEF52形を基本に軽量化と高速性能の向上を図ったもので、1932年から1934年に19両が製作された。
 安定した性能を持つ優秀な機関車であり、お召列車の牽引機関車にも使用されたことがあるそうである。
 1962年から全機が山陽本線の瀬野ー八本松間の補機EF59形に改造された。写真の2号機はEF59形の11号機に改造された。
 碓氷峠鉄道文化むらに保存されている電気機関車は、国鉄の分割・民営化の時期に全国から高崎運転所に集められ、保管されていたものである。貴重な産業遺産を保全した関係者には敬意を表したいと思う。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むらEF15165

  EF15形電気機関車は、戦後石炭の不足と輸送力増強のために推進された国鉄の幹線電化に対応して新たに設計された電気機関車であり、1947年から1958年にかけて202両が製作されました。
 旅客用のEF58形電気機関車と共通化を進めた構造であり、また国鉄旧型電機としては最多両数となっています。
 私は子供のころ、根岸線で貨物列車を牽引する姿を見たことがあります。
 写真の165号機は日立製作所の製造で、1958年5月に新鶴見機関区に新製配置され、1962年11月に高崎第二機関区に転属、1985年10月に廃車されました。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

205系1000番代

 尻手ー浜川崎間の南武支線では、営業用車両としては最後となる101系電車を使用していたが、205系の先頭車化改造車により代替した。  山手線へのE231系500番代の新製投入に伴い捻出される205系電車の転用の第一弾として2002年に改造されたものである。山手線と同じ11輌編成での転用先はなく、10輌編成でも京葉線・埼京線に限定され、相当数の先頭車化改造が必要となり、試作も兼ね南武支線用が最初に登場した。  先頭部は、新製車とは異なるデザインであり、機器配置も独自のものとなっている。  2輌編成は205系としては、最短の編成である。南武支線用の車両は6輌(2輌編成3本)が中原電車区に配置されている。
【撮影:佐野次郎 2009.8.14尻手駅】

2009/08/29

京浜急行1000形〈1363編成〉

 1000形は都営地下鉄浅草線への直通運転を行うために製作された車両で、1958年から1978年までの長きにわたり356両が製造された。快速特急から普通まで幅広く運用されていた。
 私にとっては、京浜急行といえばこの車両だという印象がある。それほどよく走っていた電車だった。
 新1000形の増備の進展に伴い廃車が進み、2009年6月18日の時点であと38両が残るのみとなっている。
 京急川崎発着の本線・逗子線普通や大師線で活躍している。快速特急や都営浅草線・京成線で走る姿はもう見ることができない。
【撮影:佐野次郎 2009.8.29日ノ出町駅】

2009/08/27

EF64形1000番代(1039号)

根岸線のダイヤは等間隔にはなっていない。5分以内に次の電車が来ることもあれば、10分待つこともある。等間隔にできない理由は貨物列車を運転しているからである。
現在根岸線を走る貨物列車は神奈川臨海鉄道に入るコンテナ車と根岸駅に行くタンク車がほとんどを占めている。
国鉄時代には、今では見ることができない有蓋車や車運車なども走っていたし、磯子駅でも貨物の取り扱いを行っていた。
写真のEF64形1039号機は1982年9月9日に長岡運転所に新製配置された。1986年11月1日に高崎第二機関区(当時)に転属している。2006年10月に更新工事を受けたが、現在も高崎機関区に配置されている。
【撮影:佐野次郎 2009.8.12山手駅】

2009/08/23

209系2200番代(ナハ53編成)

  京浜東北・根岸線では急速に数を減らしている209系0番代ですが、改造を施され他路線に転用される車両も出てきています。
 京浜東北・根岸線での運用を離脱してから、いったん長野総合車両センターへ回送され、長野でそのまま改造されたり、さらに首都圏近郊に疎開してから東京総合車両センターで改造されたりしています。
 南武線向けとしては209系2200番代が登場しています。機器を更新して、体質改善を図った車両であります。その他、房総地区向けに座席の改造や便所の増設を行った2100番代も登場しています。
 南武線では以前から新製投入された0番台2本が活躍しているため、2200番代も南武線に完全に溶け込んでいる感じです。

2009/08/16

こどもの国線Y000系

 長津田ーこどもの国間を結ぶこどもの国線は、1967年に開業してからこどもの国協会が所有し、東京急行電鉄が運営管理を行ってきたが、沿線人口が増加したことから通勤路線として活用することになり、1997年8月に所有がみなとみらい線と同じ横浜高速鉄道に移管された。
 2000年3月に通勤路線として開業した。このときに6両(2両編成3本)が製作されたのが写真のY000系電車である。
 当時の東京急行電鉄の最新型車両であった3000系を基本としているが、2両編成で、出入り口も片側3か所という独自のスタイルである。ラインカラーを表現するカラー帯も独自のデザインとなっている。
 日中は1編成を運転し、1編成を長津田駅構内の側線に留置、1編成を長津田検車区内に収容している。
【撮影:佐野次郎 2009.8.12長津田駅】

2009/08/15

湘南モノレール500形

 湘南モノレール500形は、輸送力の増強とサービス向上を目的として1988年から91年にかけて18両(3両編成6本)が新製されたものである。
 湘南モノレールとしては初めての冷房車両である。また車体は軽量化のためアルミ製となっている。
 500形の導入により、従来の300系が廃車となっている。
 主力として活躍してきた500形も今後は5000形に代替され、順次現役を退く計画となっている。すでに1編成が5000系に代替され廃車となっている。
【撮影:佐野次郎 2009.8.13大船駅】

江ノ電20形〈21+61〉

 江ノ電20形は2002年に藤沢ー江ノ島間の開業100周年を記念して1編成が新製された電車である。
 人気の高かった先代500形の代替車両で、実際に台車を再利用している。
 車体は10形を基本としているが、塗装は濃いグリーンとクリーム色とした。この塗装が1000系にも現在では施されている。
 20系は翌2003年にも1編成が増備された。代替として先代500形の残り2両が廃車となり、江ノ電の電車はすべて冷房車となった。
【撮影:佐野次郎 2009.8.13江ノ島駅】

相模鉄道10000系(10701F)

 横浜港の開港150年を記念して、相模鉄道では「横濱開港150トレイン」を6月2日から運転しています。10000系電車にラッピングを施したものです。
 2009年は横浜港の開港150周年にあたりますが、地元ではそれほどの盛り上がりではないようです。
 日常生活で港を利用するのは、散歩くらいのものですし、仕方のないところです。それよりも前市長が任期途中で辞任したことに驚きました。
 写真の10701Fは2002年1月に東急車輛で完成したものです。急行を中心に使用される10両固定編成で既にカラー帯などは、新塗装の導入により製造当初のものから変更しています。
【撮影:佐野次郎 2009.8.12天王町駅】

2009/08/13

東武鉄道200系(201F)

伊勢崎線の急行「りょうもう」には1800系が1969年から長い間使用されてきましたが、1991年からサービスを向上するため200系電車を導入しました。100系「スペーシア」の導入により余剰になった1720系「DRC」の走行機器を流用し、車体を新製しました。
出力75kWの主電動機TDK-824やTRS-67MA形台車(軸箱の密閉化など一部改造を実施)などは1720系電車で使用していたものを再利用しております。制御装置は添加励磁界磁制御方式に改造され、電力回生ブレーキ・抑速ブレーキが使用可能となりました。
車体は普通鋼製で、前頭部の形状は100系同様の流線形で、よりシャープさとスピード感を強調したデザインになっています。座席はシートピッチ985mmのフリーストップ式リクライニングシートを装備し、1800系の回転式クロスシートからグレードアップされました。
写真の201Fは、1990年12月に東急車輌で完成したものです。201Fから206Fまでは集電装置が菱形パンタグラフを装備しています。2020年12月に500系「リバティ」に置換えられ、廃車解体となりました。

伊勢崎線50050系〈51052F〉

 田園都市線や半蔵門線での最新型車両となっているのが、東武鉄道50050系電車である。
 静かで通勤電車としては快適な部類の電車である。
 私は田園都市線でこの電車を何回か撮影したが、今回東武鉄道の管内で初めて撮影した。伊勢崎線の中でも最新の通勤型電車となるわけである。
 東武の通勤電車は、8000系は青帯、10000系から30000系までがマルーン色の帯、50000系がオレンジの帯と3種類がある。統一性がないといえばそれまでだが、私はそれぞれの電車には似合っていて良いと思う。
【撮影:佐野次郎 2009.8.11東向島駅】

伊勢崎線30000系〈31604Fほか〉

 東京メトロ半蔵門線への直通運転を目的として製作された30000系電車であるが、東急田園都市線の混雑があまりに激しいため、10両固定編成の50050系に直通運転の任を引き継いで2006年度から地上線への運用に転じている。
 現在では、2編成だけが半蔵門線・田園都市線への直通運転に従事しており、その他の編成は既に直通運転用の機器を撤去して伊勢崎線浅草口での運用に就いている。
【撮影:佐野次郎 2009.8.11東向島駅】

伊勢崎線10030系〈11268F〉

 東武鉄道10000系電車の改良増備型である10030系電車にも2両編成がある。
 この編成も半蔵門線直通運用から浅草口の地上線運用に転じた30000系4両編成を従えて6両編成を構成している。
 スカートを増設することもなく、ほぼ新製当初の姿を維持しているようである。
 将来はワンマン化改造を行い支線で使用されるのだろうか?
【撮影:佐野次郎 2009.8.11東向島駅】

伊勢崎線10000系〈11601F〉

東武鉄道の10000系電車には2両編成も存在する。
 写真の編成は6両編成で、後ろの4両は30000系電車であり、前の2両だけが10000系電車である。
 方向幕はLEDとなり、パンタグラフもシングルアーム式に交換され、スカートも装備している。新製当初とは少し異なる姿になっているわけである。
 東武鉄道には、短距離の支線があるので、本線での増結用以外にも2両編成のニーズがあるのだと思う。
【撮影:佐野次郎 2009.8.11東向島駅】

伊勢崎線8000系〈8530Fほか〉

 東武伊勢崎線は2003年に半蔵門線への相互乗り入れを開始したあとも、日中は1時間あたりに3本しか直通電車を運転していなかった。浅草駅をターミナルとした輸送体系を一応は維持した形となっていたわけである。
 しかし2006年3月のダイヤ改正で伊勢崎線は、半蔵門線への乗り入れを主力として、日中も1時間あたり6本の直通列車を運行するようになった。やはり大手町や渋谷へ乗り換えなしで行けるということは東武伊勢崎線の利用客にとってメリットが大きいのだと思う。
 2006年3月のダイヤ改正以降は、曳舟駅で浅草始発の区間準急もしくは普通列車が、半蔵門線から直通する急行列車に接続するダイヤになっている。
 8000系は、10000系とともに伊勢崎線の浅草口での顔となっている。6050系と同じような前面スタイルを持った更新車ばかりになってしまったが、当面は活躍する姿を浅草口において見出すことができるだろう。
【撮影:佐野次郎 2009.8.11東向島駅】

伊勢崎・日光線6050系

 東武鉄道6050系は、1985年に快速列車用に使用していた6000系の車体更新により生まれた形式である。
 1986年10月の野岩鉄道の開業を契機として、冷房機器を搭載した車両の投入により、サービス改善を図ったものである。車内は固定式のクロスシートを採用している。
 私は学生時代にサークルの合宿で日光に行くときに、浅草からこの車両を利用した記憶がある。
 6050系は2007年度末現在で58両(2両編成29本)が活躍している。
【撮影:佐野次郎 2009.8.11東向島駅】

2009/08/12

東武博物館5700形電車

 2009年7月にリニューアルされた東武博物館の目玉といえるのがこの5700形電車である。
 5700形は昭和20年代に東武日光行きの特急列車に使用するために新製された電車である。現代の「スペーシア」の始祖ともいうべき電車である。
 1720系DRCが登場してからは快速列車に使用された。正面3枚窓・貫通式に改造されながら1990年代まで現役車両として活躍した。鉄道友の会のエバーグリーン賞も受賞している。
 東武博物館に収蔵するにあたり、正面のスタイルを新製当初の姿に復元している。搬入に際しても隣接する小学校の敷地から大型クレーンで釣り上げるなど相当な苦労があった模様だ。
【撮影:佐野次郎 2009.8.11】

東武博物館ED101形電気機関車

 2009年7月の東武博物館リニューアルオープンの5700形電車とならぶ目玉がこのED101形電気機関車である。
 1930年イギリスのイングリッシュ・エレクトリック社製の輸入機関車である。
 東武鉄道で引退したあとは、近江鉄道に転じてED4001号として活躍していた。近江鉄道は東海道新幹線の米原付近で一部並走する地方鉄道である。
 東武博物館に収蔵されるにあたり製造当初の姿に復元され、すばらしい状態で展示されている。
【撮影:佐野次郎 2009.8.11】

東武博物館デハ1形5号電車

 東武鉄道として初めて導入した電車が写真のデハ1形電車である。
 1924(大正13)年の業平橋ー西新井間の電化に伴い、8両が製作されたうちの1両である。
 車体は金属製ではなく木製である。
 昭和50年代には西新井工場の入換用として最後のご奉公をしていた。私も小学館のカラーブックス版「東武鉄道」で、ベージュ1色に塗られた事業用車が紹介されていたのを記憶している。
【撮影:佐野次郎 2009.8.11】

東武博物館5号機関車

 東武博物館の入口をくぐるとまず目に入るのがクラシックスタイルの5号蒸気機関車である。
 1899(明治32)年の北千住ー久喜間の開業に際して、イギリス・ピーコック社から輸入した蒸気機関車のうちの1両である。
 東武鉄道では、何と1965(昭和40)年まで使用されたそうである。
 製造当初の意匠で東武博物館に展示されているとのことだ。漆黒で館内にたたずむ姿にはなんともいえない風格がある。
【撮影:佐野次郎 2009.8.11】

東武博物館5015号電気機関車

 東武鉄道は大手私鉄としては異例なほど近年まで貨物列車を運転していた会社である。
 写真のED5015号機関車もJRのF級電機に比べると、何とも小柄である。室内での展示に実にマッチしている。
【撮影:佐野次郎 2009.8.11】

東武博物館日光軌道線200形

 今となっては想像するのが難しいが、1967年まで日光駅から路面電車が出ていた。馬返までの9.6kmを結ぶ東武鉄道の日光軌道線で、全線単線ながら山の麓を登っていく観光路線だった。
 モータリゼーションの進行により、自家用車や観光バスに追われてしまったのは、やむを得ないことなのだろう。
 写真の200形のボギー車版である100形は岡山電気軌道に引き取られて、長年主力として活躍した。現在も1両だけが現役として活躍している。
 もし観光用として日光の軌道線を残していたら、今頃は凄い人気になったような気がする。当時の写真を見ると、大都市の路面電車では考えられない野趣あふれる情景の数々に感嘆する。

【撮影:佐野次郎 2009.8.11】 

東武博物館1720系

 東武鉄道の看板車両「スペーシア」こと100系の前任の車両がこの1720系である。
 東武博物館の公道に接した位置に先頭部を含む車体の一部が展示されている。また館内から車内に入ることもできる。
 私は子供の頃、この車両に乗車した。鬼怒川温泉に家族で旅行に出かけたときのことである。
 国鉄形のボンネット型特急電車とは趣を異にする何とも個性的なスタイルの電車である。

【撮影:佐野次郎 2009.8.11】

2009/08/11

東武博物館6号蒸気機関車

 5号機関車と同形の6号機関車が高架下の道路をはさんだ場所に展示されている。金網で囲まれ、監視カメラも備えてあるが、年代物の蒸気機関車が街中に忽然とあるのには少々驚く。
 館内で保存されている5号機関車は製造当時の姿を復元しているが、この6号機関車は現役を引退した当時の姿で展示されている。

【撮影:佐野次郎 2009.8.11】

2009/08/10

碓氷峠鉄道文化むらEF8063

 EF80形は常磐線の交流電化にあわせて登場した国鉄としては初めての本線用の交直流電気機関車である。1962年から66年にかけて63両が製造された。
 常磐線と水戸線を運用範囲として、寝台特急から貨物列車まで幅広く運用された。
 老朽化したEF10形・12形の代替として直流機関車に改造して身延線・吾妻線などで使用することも検討されたが実現しなかった。
 EF81形の台頭や普通列車の電車化により活躍の場が狭まり、1985年に現役を退いた。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むらEF701001

 EF70形電気機関車は、北陸本線で1.000tの列車牽引を行うことを目的として1961(昭和36)年に登場した交流電気機関車である。本形式が初めて採用したMT52形主電動機はその後の標準となるなど、国鉄電機の基礎を形成した機関車である。
 写真の1001号機は1968年10月のダイヤ改正で、大阪ー青森間に寝台特急「日本海」の運転を行うため、20系寝台客車を牽引できるようブレーキの増圧装置や乗務員連絡用電話などの改造を行ったものである。
 北陸本線を活躍の場としていたEF70形であるが、1980年から81年にかけて21両が九州の門司機関区に転属してED72形・73形を置き換えた。寝台特急の牽引にもあたったが、1985年には全車廃車となっている。
 EF70形は交流区間も直流区間も走れるEF81形の登場、また貨物列車の大幅削減や、普通列車の電車化により急激に活躍の場が狭まり、1985年中にほとんどが現役を退いた。この頃は働き場所を失った機関車があちこちで留置されていたのを思い出す。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むらEF3020

 EF30形電気機関車は、本州と九州を結ぶ下関ー門司間の関門トンネル区間の専用機関車である。海底トンネルを常時走行するので、車体を傷みにくいステンレス製にしている。
 EF30形は1号機が1960(昭和35)年に完成し、北陸本線の米原ー田村間で短期間試用されたあと、門司機関区に配属された。翌年から量産車が投入され、EF10形を置き換えた。写真の20号機は1968年に製作されたものである。
 EF30形はブルートレインの牽引にもあたり、1984年2月のダイヤ改正からは短区間の運用でありながら、ヘッドマークが復活した。国鉄の分割・民営化直後の1987年まで現役として活躍した。
 現在では、関門トンネルでの運用はEF81形のほか、JR貨物のEH500形電気機関車が山陽・鹿児島本線をまたいでのスルー運転という形で置き換えている。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

2009/08/09

碓氷峠鉄道文化むらEF6311

 碓氷峠鉄道文化むらは日本で唯一「本物」の機関車の運転を自ら体験できる施設である。
 学科講習を受けた後で、添乗員の指導のもと自らEF63形電気機関車を運転できるわけである。それもかつては信越本線の「本線」であった場所で・・・
 EF63形の11.12.24.25号機の4両が動態保存され、運転体験に充当されている。
 碓氷峠鉄道文化むらでは、動態・静態を合算すると実に7両のEF63形電気機関車が保存されていることになる。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むらEF6310

 碓氷峠鉄道文化むらの鉄道展示館は、1997年に横川ー軽井沢間が長野新幹線の開通に伴い廃止されるまで使用されていた検修車庫をそのまま利用しているものである。
 EF62形54号機のほか、アプト式機関車ED42形、EF63形の10号機、18号機が展示されている。
 工具なども置かれていて、「現場」という雰囲気がする施設である。
 博物館として整然としている大宮の鉄道博物館よりも、魅力的な気がする。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むらEF631

 EF63形電気機関車は信越本線横川ー軽井沢間の急勾配区間の補機専用に開発された専用機関車である。
 写真の1号機は1963(昭和38)年に製作された量産先行車である。当初は展示されているのと同じ茶色の塗装で使用されていた。 
 特急・急行電車にはEF63形と協調運転する専用形式が製作された。189系・489系特急形電車、169系急行形電車である。協調運転により、急勾配区間を最大12両編成で通っていた。
 屋外に展示されている車両群の中でも、EF63形電気機関車の威圧感は凄いものがある。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】
 

碓氷峠鉄道文化むらEF6254

 碓氷峠鉄道文化むらのEF62形は屋外展示スペースの1号機のほか、旧検修車庫内に54号機が保存されている。
 54号機は1969(昭和44)年に新製されたEF62形の最終増備車両で、JR東日本に継承されて平成になってからも臨時列車の牽引などに使用された機関車である。
 碓氷峠鉄道文化むらに展示されている車両のほとんどは信越本線で実際に走っていたわけではないが、EF62・63形電気機関車や189系特急形電車など信越本線の専用車両については複数の車両が展示されているのがうれしいところである。
 きれいな空気につつまれ、往年の名車たちを間近に見られることは、鉄道好きにとってはこたえられないことだと私は思う。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むらEF621

 EF62形は信越本線専用の電気機関車である。車輪の配置が独特でc-c形と呼ばれる3軸の動力台車を二つ組み合わせたものであった。蒸気機関車に置き換えて考えるとD形のような牽引力を重視した機関車であったと考えられる。
 この機関車は信越本線の上野ー直江津間を走る本務機関車で、横川ー軽井沢間ではEF63形を補機として従えていた。
 写真の1号機は、1962(昭和37)年に新製された量産先行車で製造当初は写真と同じ茶色で営業運転を行っていた。
 現在では、特定の路線のために専用の機関車を用意するということはあまり見られなくなっている。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むらEF65520

 碓井峠鉄道文化むらにはEF65形電気機関車の520号機が保存されている。寝台特急の牽引に活躍したP型と同じ500番台の機関車であるが、520号機はF型と呼ばれる高速貨物牽引用の機関車である。
 クリーム色の部分が多い特急用の塗装はP型と同じだが、連結器周辺の配管が貨物列車牽引用のために多くなっている。また上越線を通るために前面窓につらら切りが設けられている。
 このグループもJR貨物に継承され、同形機がつい最近まで活躍していた。
 碓氷峠鉄道文化むらの展示車両は大半が屋外展示のため、塗装の色褪せた車両が多くなってしまっているが、520号機はボランティアによる整備が行われ美しい姿で展示されていた。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

2009/08/08

碓氷峠鉄道文化むらEF60501

 東京と九州を結ぶ寝台特急は、九州新幹線の全通を待つことなく今年の3月に全廃されてしまった。
 東京口の最期の牽引機関車は1985年から活躍してきたEF66形であったが、私はEF65形の印象が強い。さらに先代の牽引機関車が写真のEF60形である。
 特急牽引の役目は早々にEF65形に譲って退いたが、貨物用に転用されて長く活躍した。
 一見EF65形と同じように見えるが、前照灯が一つ目であったり、側面の窓配置がEF15形に近かったりと、1960(昭和35)年生まれの機関車であることを物語っている。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

2009/08/02

伊勢崎線50050系〈51062F〉

 東急田園都市線や東京メトロ半蔵門線を利用すると、よく乗り合わせるのが東武50050系である。2003年に東武への相互乗り入れを開始したが、早くも第二世代の電車ということになる。
 この車両の特徴は乗車していて非常に静かだということだ。揺れや騒音をほとんど感じることがない。通勤電車としては優秀な部類に入るのではないだろうか?
 田園都市線の線路端で撮影していると、東急8500系の走行音は爆音に近いが、東武50050系は非常に走行音が静かである。
 近年の電車は個性が薄れているといえなくもないが、この東武50050系のように優位性をアピールできる車両は素晴らしいと思う。
【撮影:佐野次郎 2009.7.21つくし野駅】

伊勢崎線30000系〈31409Fほか〉

 東急田園都市線は高級イメージとは裏腹に、ラッシュ時には強烈に混む。長津田駅の乗客の行列は凄い。これが青葉台・鷺沼・溝の口と延々続く。急行があまりに混むので、朝ラッシュ時の二子玉川ー渋谷間は準急(二子玉川ー渋谷間は各駅に停車)・各駅停車による並行ダイヤ化されている。
 また2003年3月の半蔵門線の押上延長開業以来、田園都市線に乗り入れをしている東武30000系は徐々に50050系への置き換えが進み、地上線に転用されている。
 30000系は6両と4両で10両編成を構成しているので、中間にも運転台がある。これが置き換えの理由なのだ。編成中二か所の中間運転台の存在が許容できないほど田園都市線は混むということである。
 大井町線の活用により、バイパスルートを整え田園都市線の混雑緩和を図っていくことがやはり重要だと思う。
【撮影:佐野次郎 2009.7.21つくし野駅】

田園都市線8500系(8627F)

 今では10両編成に乗客を満載して走る東急8500系も1975年に最初の車両が営業運転をはじめたときには4両編成だった。当時は渋谷ー二子玉川間も開業しておらず、田園都市線は大井町ー長津田間の路線であった。
 写真のデハ8627号は1977年に製造された車両である。田園都市線の延長により中間車を増備して10両編成となっている。
 東武鉄道への乗り入れも可能である。2000年に行先表示器をLED化し、さらに2003年に先頭車にスカートを取り付けている。
 ちなみに写真では「久喜」行きと表示しているLEDは、シャッタースピードを125分の1秒程度まで遅くしないと写真に字が写らない。早いシャッタースピードで写真を撮ると、まともに字が写らない。これは久しぶりに鉄道の写真を撮るようになってから驚いたことである。
【撮影:佐野次郎 2009.7.21つくし野駅】