2017/02/19

京浜急行2000形(2011編成)

京浜急行2000形のトップナンバーに相当する2011編成は、今月初めに重要部検査を終え、きれいな姿で再び営業運転に就いております。
2013年1月に、アイボリーの部分が広い登場時の塗装に塗り替えられ、当初は2年間の予定でしたが、当初の予定を遥かに越えてリバイバルカラーで走る姿を見せてくれています。
2000形も既に4連が全廃、本年は2031編成が現役から退きました。残るは2011・2041・2051・2061編成だけになっております。あと数年で全廃ということになるでしょう。
2011編成は、1982年12月に東急車輌・川崎重工で完成したものです。1998年3月に東急車輌で3扉化・一般車化改造を受け、白帯が細い一般車用の塗装に改められました。
【撮影:佐野次郎 2017.2.19 能見台ー金沢文庫間】

583系特急型電車の引退

JR東日本に1本だけが在籍している583系電車が4月8日に引退することになったそうです。団体臨時列車用として秋田車両センターに配置されていましたが、修理用部品の調達も困難となり運用の限界に近付いたということでしょうか?
583系電車は、1967年に新大阪ー博多間の特急「月光」、新大阪ー大分間の特急「みどり」に初めて581系が投入され、翌年には改良型の583系が上野ー青森間の特急「ゆうづる」「はくつる」「はつかり」に投入されました。
昼は座席状態で特急列車に使用され、夜は寝台をセットして寝台特急として走るという、非常に生産性の高い車両で、1972年までに434両が製作されました。485系電車とともに新幹線網が整備される前の在来線の主力を担った車両ですね。
写真を撮影したのは、1984年頃で「はくつる」「ゆうづる」で走る姿を見ることができました。1994年に583系としては最後の定期特急となった「はくつる」からも退きました。今は2017年、動態保存に近い姿とはいえ、よく運用を継続できたものだと感じます。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 尾久駅】

2017/02/12

皿うどん

わが家では、夫婦で一緒に食事ができるときには家内がほとんどの料理を作っておりますが、土曜の晩御飯だけは小生が作っています。
皿うどんは、私がよく作るメニューの一つで、1~2か月に一度は作っていると思います。独身の頃は、よく外食で皿うどんを食べていました。
山手駅至近の「抜天」や、鶴屋町の「ちゃんぽん亭」には、よく行っていました。「抜天」のあったところは、現在では山手駅の駅舎になっています。
自宅で作るときは、冷凍食品のシーフードミックスを加え、豚肉には料理酒と塩・胡椒で下味をつけたりしています。調理時間も短く、作りやすいと思います。

根岸線の205系電車

205系電車は、1985年に山手線に第一陣が投入されてから、首都圏では横浜線・南武線・埼京線・中央総武緩行線・京浜東北線・京葉線・武蔵野線にも投入され、JR東日本への移行期に大きな役割を担った電車です。
京浜東北・根岸線には、1989年に10両編成が4編成、翌1990年には2編成が投入されました。数の上では103系が多数派で、少数の投入に終わりました。1996年2月には早くも209系の投入により姿を消しています。
私は、根岸線沿線にずっと住んでおりますので、205系が入線したのも覚えていますし、利用した記憶もあります。撮影した記憶はありませんでしたが、実家で書棚を整理していてこの写真を見つけました。
写真のウラ1編成は、1989年10月に川崎重工で完成したものです。1993年に3月に三鷹電車区に転属して中央・総武緩行線に転用され、さらに2002年3月に豊田電車区に転属し、武蔵野線のM1編成となりました。現在も京葉車両センターM1編成として現役です。
【撮影:佐野次郎 1992.6.7 山手ー石川町間】

2017/02/04

京浜急行新1000形(1343編成)

今日は土曜日、仕事は休みで晴天、絶好の撮り鉄への出動の機会ではありますが、疲労も蓄積しているので、家でゆっくりと休養することにします。
カメラを持って午前中にいったん外出したのですが、インフルエンザが流行していていることもあり、やはり冬季の無理は禁物だと思います。
仕事にはベストコンディションで臨みたいので、体調管理はおろそかにはできません。長距離通勤と年齢を考えればなおさらです。
写真の新1000形1343編成は、2014年4月に川崎重工で完成したもので、新1000形の14次車に相当します。
【撮影:佐野次郎 2017.1.3 屏風浦駅】