2009/05/31

東海道新幹線300系

 現代の日本を代表する路線といえば、東海道新幹線である。大量の乗客を高速かつ省エネルギーで毎日安全に輸送するわけだから、鉄道という輸送システムの優位性をこれほど明確に示すことのできる路線はほかにない。
 300系は開発当時は「スーパーひかり」と呼ばれ、東海道新幹線区間で初の270km/h運転を可能とした系列である。0系・100系に続いて第三世代の電車であり、私などは完成形態ではないかと思ったほどである。
 しかし、まるで航空機のような500系、性能と経済性のバランスを重視した700系、そして更なる新技術を取り入れたN700系と東海道新幹線はさらに進化していった。
 300系もいまやN700系の増備により、取り換えの対象になっている。東海道新幹線の進化のスピードの早さには驚くばかりである。
【撮影 佐野次郎 2009.5.31東京ー品川間】

日比谷線03系

 北千住ー中目黒間を結ぶ日比谷線は、銀座線・丸の内線に続いて東京メトロでは三番目に古い路線である。また私鉄との相互乗り入れを開始した最初の路線でもある。
 03系は開業以来の3000系の置き換えを目的に、1988年から製造を開始した。03系の投入により、冷房化によるサービス改善が図られた。
 新製当初はアルミ製車体、チョッパ制御を採用した省エネ電車と位置づけられていた。また現在でもあまり古さを感じないほどスマートなデザインである。
 2007年度末現在で、336両が在籍している。東横線には中目黒ー菊名間に乗り入れている。
【撮影:佐野次郎 2009.5.31祐天寺駅】

2009/05/30

東京地下鉄7000系(7114F)

有楽町線の7000系は、千代田線の6000系の弟分のような形式である。
アルミ車体にチョッパ制御という基本的な構成は共通で、帯色と貫通扉の上に列車種別表示があるのが相違点である。
しかし、東武東上線・西武池袋線との相互乗り入れを開始したあとでも、列車種別表示が使われることがなかった。
副都心乗り入れ改造工事が進み、新製当時の姿に近い7000系を見ることも少なくなってしまった。
かつては7000系が来るのがあたりまえだった有楽町線でもかなりの確率で西武6000系や東京メトロ10000系などがやってくる。

2009/05/29

大和町フードセンター

 JR根岸線の山手駅は、横浜の「山手」地区とは関係がない。実際には「大和町」と「立野」にまたがっている。根岸線の建設中は「大和町」駅が予定の名称であった。もめにもめたあげく、双方の顔をたてて山手駅という駅名になったのである。
 山手駅の駅前商店街になっているのが、大和町の商店街である。大和町は明治時代には、鉄砲の射撃場であり、通りがまっすぐになっている。昭和50年代までは、商店主たちが町をもりたてて、賑わいがあったように思う。写真の「大和町フードセンター」も惣菜から米まで生活必需品をそろえることができた。またいわゆる「アラフォー」の世代の男性は、米屋のゲームで、「インベーター」や「パックマン」に興じたこともあるんじゃないかな?
 しかし大和町商店街も平成に入ってからは、妙に賃貸マンションと、美容室・やきとり屋が目立つ街になっていった。当り前の風景だった店も、次々となくなり、本屋までなくなってしまった。
 「大和町フードセンター」も最後は魚屋だけが営業していたが、その魚屋も店をしめ、とうとう解体が始まった。おそらく跡地には賃貸マンションが建設されるのだろうと思ったが、実際には建物自体は解体されず、現在では1階部分は駐車場に利用されている。

2009/05/23

小地蔵

 根岸駅から、森林公園のある滝の上に徒歩で行くには、急坂を登ることになる。根岸小学校の前を通るのと、裏道から抜けるのと主な坂道はふた筋ある。
 後者の坂道は石段になっているが、途中に水汲み場があり、その台上に小さい地蔵が三体いる。手のひらよりも小さい地蔵である。 
 彫りの深い感じがするので、それほど古いものではないだろう。顔立ちはどちらかというと脱力系である。なんだか自然体でいい感じだ。

2009/05/04

小田急5000形〈5064F〉

 かつての小田急の通勤電車は、千代田線乗り入れ用の9000形を除いて、みんなこんな顔をしていた。 いわゆる「小田急顔」というものだ。
 「小田急顔」の仲間たちもいつの間にか廃車が進んで、残るのは5000形と5200形だけになってしまった。
 4両編成だけの5000形は現在でも、急行運用を主体に活躍を続けているが、数年で姿を消すことになるらしい。
 小田急は車両面での変化とともに、運転系統の変化も激しいものがある。
 中でも快速急行は、新百合ヶ丘を出ると、下北沢まで停まらない。JR京葉線の通勤快速に劣らぬ韋駄天ぶりである。
【撮影:佐野次郎 2009.5.3読売ランド前駅】

2009/05/02

田園都市線8500系

 東急田園都市線を代表する車両といえば、やはりこの8500系である。 昭和50年代にはステンレス車体の電車は無塗装が一般的だったので、正面に赤帯を巻いているだけで何か特別な電車のような気がしたものである。
 新型の5000系の増備が進んでいるためかなり数を減らしているが、それでも日中にはよく走っている。5000系は朝ラッシュ時の混雑に対応するため6ドア車を組み込んでいるため座席が少ないからということもあるだろう。
 以前は田園都市線を利用すると、8500系ばかりが来るような気がしたが、今では東京メトロ・東武鉄道の車両も含めて、実に8系列の車両が走っている。
 それにしても、8500系の「南栗橋」「久喜」行きの行先表示にはインパクトがある。
【撮影:佐野次郎 2009.5.2つくし野駅】