2012/01/14

鶴見川を渡る東横線Ⅱ

2012年になってから、ほとんどの日が晴れですね。編成写真や形式写真を撮影するのに適した曇りの日はほとんどありません。
とはいうものの、曇りにこだわらず、体調や時間の許す限り、自然体で写真を撮ってみたいと思っています。
晴れの日には、広角寄りのレンズを持って、風景の中を走る鉄道を撮ってみては、いかがでしょうか?先日鶴見川を渡る東急東横線を撮影してきましたが、ちょっと流し撮りもしてみました。
写真の5000系5122Fは2009年4月に東急車輛で完成したものです。本来は田園都市線用の5000系ですが、5122Fは10連で試運転を行ったにも関わらず、8連で東横線に投入されたいわくつきの編成であります。
【撮影:佐野次郎 2012.1.9 大倉山ー綱島間】

2012/01/09

鶴見川を渡る東横線

私のようなオジサンにとっては、東急東横線といえば桜木町と渋谷を結ぶ路線だという印象があります。急行といいながら停車駅が多く、時間のかかる路線だというイメージもありました。
しかし現在では、JR東日本の「湘南新宿ライン」設定により、泰平の眠りから覚めたかのような、停車駅を絞った「東横特急」の運転開始、そして横浜の中心部を通る「みなとみらい線」の開通と、飛躍的に利便性が改善されています。
1時間の間に、特急・急行が4本ずつ、各停が8本、日比谷線直通の各停が2本、すばらしい高頻度運転です。さらに今後は渋谷から東京メトロ副都心線に相互直通し、東武東上線・西武池袋線につながるということでより重要性を増すでしょう。
今日はいつも撮っている編成写真ではなく、鶴見川を渡る東横線を撮影してみました。写真の電車は5050系の4101Fです。
【撮影:佐野次郎 2012.1.9 大倉山ー綱島間】

東京地下鉄6000系(6108F)

東京メトロ千代田線では、新形16000系電車の投入が進んでいますが、計画は2012年度までに16編成となっていて、すぐに6000系を全面的に置き換えるというわけではありません。
1971年に量産車が登場した6000系は、50年陳腐化しない車両をめざして設計された車両であります。高い志を持って設計された電車なのです。ちなみに6000系も1972年のローレル賞を受賞しております。
当面残る編成は、制御装置をVVVFインバータに更新した編成となります。走行機器に関しては、最新型電車に近い内容に作りかえられているともいえます。車体のデザインについては、最新型なみとはいきませんが、国電103系などと同時代の電車とは思えない斬新さを感じます。
写真の6108Fは1971年3月に東急車輌で完成したもので、6000系の1次車に相当します。冷房改造とVVVFインバータ化工事を受けていますが、側窓はオリジナルの田窓を維持していますね。

東京地下鉄16000系(16109F)

ロマンスカーをはじめ、多彩な電車の走る小田急線の中でわりあいに目立つのが、東京メトロ千代田線から乗り入れてくる16000系電車です。
見るからに新しく、また小田急車のブルーとは異なり、帯がグリーン基調なので新形の電車だということがよくわかりますね。
16000系はベテラン6000系の代替として製造されている車両で、環境配慮型の電車であることをうたっています。現在主流の誘導電動機よりもさらに効率の良い永久磁石同期電動機など、最先端の技術を取り入れています。
写真の16109Fは、2011年10月に川崎重工で完成したものです。鉄道友の会による「ローレル賞」受賞を記念するマークを掲示しております。16106F以降から、運転時の視界改善を目的として、前面の貫通扉がそれまでの中央から左寄りに変更されています。

2012/01/08

横浜市電 麦田車庫跡地

JR根岸線石川町駅で降りて、元町商店街に向って歩くと数分で「本牧通り」と呼ばれるバス通りにぶつかります。根岸方面に向かってしばらく歩くと山手隧道というトンネルがあります。
「本牧通り」には、1970年まで横浜市電本牧線が走っており、トンネルを抜けた麦田町には市電の車庫が置かれておりました。本牧通りとJR根岸線の高架の間が市電の車庫だったというわけです。
現在この場所は清風荘と呼ばれるコミュニティセンターになっており、シニアの社交場として活用されています。本牧通りに面した場所に、市電車庫があったことを示す記念碑が置かれています。記念碑の下には軌道の敷石も置かれていますね。
私は1969年生まれなので、残念ながら横浜市電をリアルタイムで見た記憶はありません。しかし現在の第二山手隧道はもともと市電専用のトンネルで、一般道に改造する工事をしていたことを覚えています。第二山手隧道ができるまで、古くからある山手隧道が両通行でしたのも覚えていますね。
近所の銭湯の駐車場には、なぜか市電の古レールが1本無造作に置かれております。市電の廃止からはや40年を過ぎましたが、本牧には地下鉄は出来ていません。現在ブルーラインと呼ばれている横浜市営地下鉄には、関内から分岐して本牧に至る路線の計画もあったのですがね。ご存じの方も多いと思いますが、地下鉄関内駅のホームの上下で2段になっているのは計画の名残です。本牧方面と上永谷・戸塚方面を同一ホーム上で乗り換えできる構想だったというわけです。
【撮影:佐野次郎 上2009.811 下2004年頃】

2012/01/04

京浜急行の珍客

昨日は箱根駅伝の開催にともない、京急蒲田駅付近の第1京浜をまたぐ踏切を使用しないために、羽田空港行きの電車を京急蒲田で一部運転打ち切りとするなどの対応策がとられました。
京急蒲田には、折り返し設備はありませんので、京急蒲田どまりとされた電車が、神奈川新町で折り返していました。
そこで普段は京急蒲田から先には入線しない、京成3050形を神奈川新町駅でたまたま目撃しました。
京成押上線から、京浜急行の三崎口まで直通する快特や特急はほとんどすべて京急新1000形と600形で賄われていて、夜遅くの特急に1本だけ都営5300形が入るのが現状ですから、白昼堂々の京成車の出現は注目を集めていました。
【撮影:佐野次郎 2012.1.3 神奈川新町】

逗子第一運動公園デハ601

京浜急行逗子線の神武寺駅から歩いて15分くらいのところにある逗子第一運動公園には、京浜急行600形のデハ601号が保存されています。
前面2枚窓・非貫通、そして前面がやや傾斜した「湘南スタイル」と呼ばれる電車ですね。現在走っている2代目600形とは、ずいぶんと印象が異なります。
 600形は1956年に登場した京浜急行としては、はじめての高性能車(走行音が従来の旧形電車に比べて静かなカルダン駆動の電車)です。当初は700形と称していました。
また40両(2両編成20本)が製造されましたが、一部が中間車改造され6連が組成されたのち、最終的に4両編成10本となりました。
2扉・クロスシートの600形は快速特急を中心に使用され、1986年まで活躍しました。私も通学に京浜急行を利用していましたので、通過していく600形を見かけた記憶があります。
600形の後任が、現在「エアポート急行」に活躍している2000形ですね。ご存じの通り、1998年にはさらに2000形の後釜となる2100形が登場しております。
【撮影:佐野次郎 2012.1.3】