2015/03/14

EF65形1000番代(1097号)

今日は北陸新幹線が金沢まで開通し、上野東京ラインも開業するという記念すべきダイヤ改正の日ですが、私なんかは3月14日のダイヤ改正というと国鉄時代の1985年3月14日のダイヤ改正を思い出してしまいます。
そんな訳で、今日も実際にダイヤ改正後の変化を確かめるために撮影に出かける訳でもなく、自宅からのんびりとブログを更新することにします。今日の写真は品川駅で撮影した、当時東京機関区に配置されていたEF65PF形です。
今では「サンライズ・出雲・瀬戸」を除いて全廃になってしまった東京発の寝台特急ですが、写真を撮影した1984年には、「さくら」「はやぶさ」「富士」「みずほ」「あさかぜ」「出雲」「瀬戸」が運転されていて、すべてEF65PF形が牽引していたのです。
写真のEF65形1097号機は、1978年6月に川崎重工・東洋電機で完成し、東京機関区に新製配置されました。1985年3月には、大半の寝台特急の牽引機関車を下関運転所のEF66形に置き換えるとともに東京機関区の配置をなくしたので、新鶴見機関区に転属となりました。JR貨物に継承されて貨物列車の牽引に活躍しています。2097号に改番され、健在です。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 品川駅】

2015/03/07

EF58形(141号)

東京ー上野間を結び、東海道線・宇都宮線・高崎線・常磐線を直結する上野東京ラインの開業も3月14日と目前に迫りました。次の土曜日にはめでたく開業というわけですね。
常磐線との直通列車は品川まで乗り入れることになりますが、品川駅も激変しています。かつての東京機関区・品川客車区・田町電車区の三大車両基地を車両を擁していた威容は、電留線だけの控えめな姿となりました。むしろ品川駅構内の駅ナカの賑わいや、車両基地の跡地の再開発を通じて鉄道業の枠を越えて都市そのものとして発展している感じがします。
写真を撮影した1984年頃の品川駅は、三大車両基地は健在で、ブルートレインや185系の特急「踊り子」はもちろん、183系の特急「踊り子」や入換用のDD13形ディーゼル機関車やときどき姿を現すEF58形電気機関車なども普通に撮影できました。
写真のEF58形141号機は、1958年3月に日立製作所で完成したもので、山陽本線の大阪ー姫路間、東北本線上野ー大宮間電化開業用として製作されたグループのうちの1両です。写真撮影当時は宇都宮運転所に所属していました。廃車は1986年3月で、最終配置は田端運転所でした。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 品川駅】

2015/02/22

EF65形〈1009号〉

この写真は尾久駅のホームから、EF65形1009号機が牽引する寝台特急「あけぼの」を撮影したものです。当時の寝台特急「あけぼの」は、上野ー青森間に2往復、上野ー秋田間に1往復が運転されていました。機関車にはヘッドマークをつけていませんね。
EF65形1000番台(PF形)は、旅客列車・貨物列車の牽引に使用できる汎用型として、1969年から1979年にかけて8次に渡って139両が製造されました。今までのEF65形一般型、500番台旅客用(P形)、500番台高速貨物用(F形)を統合した存在ということができますね。
宇都宮運転所→田端機関区配置のEF65形1000番台が「あけぼの」を牽引していたのは、上野ー黒磯間で、1970年10月の運転開始から1993年12月のダイヤ改正まででした。1988年3月には1往復が削減され、1990年9月には山形新幹線着工の影響で、1往復が上越線・羽越本線経由の「鳥海」と改称されました。
写真の1009号機は1969年10月に川崎重工・富士電機で新製され、新鶴見機関区に配置されました。その後、宇都宮運転所→田端機関区→稲沢機関区→新鶴見機関区→岡山機関区→高崎機関区→岡山機関区と転属しました。2007年7月に廃車となっております。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 尾久駅】

2015/02/21

EF58形(154号)

今から30年前に撮影した鉄道写真ともなりますと、撮影したものすべてが貴重な記録になっているような感じがします。上野から東北本線の次の駅である尾久駅で、EF58形電気機関車が普通に撮影できたのです。
EF58形電気機関車といえば、いわゆる旧形電機の最後の形式で1946年から48年にかけて31両がデッキ付きの姿で製造されたのち、1952年から58年にかけて設計を変更して新しいデザインとなりあわせて172両が製造された機関車ですね。
東海道・山陽本線をはじめとして、東北本線・上越線など直流電化された主要路線では、看板となる特急列車の牽引に活躍しましたが、写真を撮影した頃には、もうブルートレインの牽引などの第一線からは退いた頃だったと思います。
写真の154号機は、1958年4月に東京芝浦電気で完成したもので、EF58形としては12次の増備車両です。東京機関区に新製配置されましたが、撮影当時は宇都宮運転所に配置されておりました。1985年9月に廃車されましたが、最終配置は田端運転所です。現在は前頭部だけが大宮車両センターで保管されているそうです。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 尾久駅】

2015/02/15

モハネ582-30

日本で初めての座席・寝台両用の寝台電車として、1967年に581系が登場しましたが、1968年10月のヨン・サン・トウダイヤ改正に際して増備されるときに、直流・交流50Hz・交流60Hzの3電源に対応できる583系に移行しました。
こうして登場したのが、モハネ582・583形電動車です。制御車のクハネ581、食堂車のサシ581は共用となり、増備が継続されました。さらに1970年には15両編成化を意図して電源供給能力の強化を図った制御車クハネ583形が登場しました。東北方面では先頭にこの形式が使用されました。
この寝台電車である583系は、腰高で独特なスタイルで、私もたいへんに魅力を感じます。実車も模型も非常に人気がありますね。私はKATOのNゲージを持っています。サロ・サシを組み込んだ8両編成です。
写真のモハ582-30は、1968年9月に汽車製造で完成し、青森運転所に新製配置されました。1987年2月に廃車となっています。国鉄の分割・民営化直前に廃車となったわけですね。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 尾久駅】

2015/02/14

サロ581-6

サロ581形は、1968年10月のダイヤ改正に合わせて、モハネ582・583と同時と登場した形式です。寝台兼用ではなく、座席専用のグリーン車でした。既存の581系には、昼間の座席使用時には向かい合わせの普通車しかないのは当時の特急としては見劣りがしたということで投入された形式です。
車内は485系のグリーン車であるサロ481を基本とした構成で、リクライニング式の腰掛も同じものでしたが、車高を他車とあわせていたので車内は天井が高く開放感のあるものだったそうです。
腰掛一つに窓一つという構成でしたので、側面は小窓がならぶ特徴のある外観となっていました。そのため編成中のアクセントになっておりました。なお窓は他の形式と同じくブラインドを組み込んだユニット窓でした。
写真のサロ581-6は、1968年9月に汽車製造で完成し、青森運転所に新製配置されました。1998年11月に廃車されましたが、青森運転所に継続して配置されておりました。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 尾久駅】

2015/02/11

サシ581-6

サシ581形は581・583系の食堂車で、35両が製造されました。車体の断面を他の車両とあわせていますので、客室は天井が高く開放的な車内となっていたそうです。これはブルートレインに組み込まれていた食堂車と同じ特徴ですね。
この写真を撮影したときに私は中学生でしたが、実は形式写真を撮ろうとしたのであります。「国電全百科」という文庫サイズの子供向けの鉄道書があり、その本は国鉄電車の形式写真で構成されたもので、それを真似しようとしたのです。
カメラは父のニコマートというニコンの銀塩一眼レフカメラを借りました。シャッタースピード、絞り、露出、ピントがマニュアルでした。台車など下回りは思いっきりつぶれてしまっています。でもまあ記録が残っているだけでもよしとしようと思います。
写真のサシ581-6は、1968年6月に日本車両で完成し、青森運転所に新製配置されました。同年10月のダイヤ改正で上野ー青森間の特急「はつかり」、寝台特急「はくつる」「ゆうづる」の電車化に充当されました。1985年3月のダイヤ改正で編成から外されたあと8月に廃車され、仙台市青葉区で電車喫茶ウィンズとして使用されたそうです。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 尾久駅】