2015/06/27

京福電気鉄道モボ101形(モボ105)

嵐電の愛称で親しまれている京福電気鉄道嵐山線は、四条大宮ー嵐山間7.2kmの嵐山本線と、北野白梅町ー帷子の辻間3.8kmの北野線からなり、1910年3月に嵐山電車軌道が四条大宮ー嵐山間を開業したのが起源となっております。当初は全区間が単線でした。
1918年4月に、嵐山電車軌道は京都電燈に合併されました。その後、1925年~26年にかけて北野線北野ー帷子の辻間4.2kmが開業しました。また1925年~28年3月にかけて嵐山本線の複線化が行われました。さらに戦時下の1942年3月に設立された京福電気鉄道に鉄軌道事業が継承されました。
現在京福電気鉄道には、8形式28両の営業用車両が在籍しています。そのうちのモボ101形は1929年に製造されたものを、1975年に当時の新型であったモボ301形と同等の車体に更新したもので、6両が在籍しています。
写真の105号は、1975年6月に武庫川車両で車体更新を行いました。1989年に冷房改造を行っています。また現在はパトカー色のパトトレインとして活躍しています。もちろん機能的には通常の電車で、パトカーとしての機能があるわけではありません。
【撮影:佐野次郎 2015.5.18 太秦広隆寺ー帷子の辻間】

2015/06/17

京都市電2000形(2001号)

京都市電2000形電車は、1964年から65年にかけて6両が製作され、京都市電としては最後に新製された電車になります。
ラッシュ時は2両連結運転を行い、ラッシュ時以外は単行ワンマンカーとして運転されるという画期的な電車で、路面電車としては珍しく小型密着連結器を装備した総括制御車両でした。背景には京都市電ではラッシュ時には大きな輸送力を必要としましたが、日中には連節車や大型車を投入するほどの需要がないことがありました。
2000形は当初20両の新製を予定していましたが、6両だけの製作にとどまり、以後の改造ワンマンカーの試作車のような車両となりました。600形を大改造した2600形18両とともに烏丸車庫に配置され、毎朝ラッシュ時に乗務員3名による連結運転が行われました。1971年3月に連結運転が中止され、以後、連結器は取り外されました。
写真の2001号は1964年1月にナニワ工機で完成したものです。1977年9月の河原町線廃止に際して廃車となりました。昨年3月から梅小路公園で案内所として使用されています。2002~2006号は伊予鉄道に譲渡され、現在も現役車両として使用されています。
【撮影:佐野次郎 2015.5.19】

2015/06/16

京都市電900形(935号)

京都市電900形は、1955年から57年にかけて35両が製造されました。800形の拡大改良型ともいうべき電車です。
細かいところは変わっていますが、京都市電の電車は600形以来、1000形、800形、900形とほぼ同じ顔つきをしていますね。900形がその600形によって確立された「京都市電スタイル」の完成形といえる電車でしょう。
900形のうち916号から931号は、1970年に大阪車輌工業でワンマンカーに改造され、1900形になりました。1972年10月に、1922号が事故廃車になりましたが、1977年に廃車となった2両が広島電鉄に譲渡され、京都市電全廃まで残った13両も広島電鉄に譲渡されました。大事に使用され、今でも現役です。
写真の935号は、1957年9月に日本車輌で完成したもので、900形のラストナンバーに相当します。ワンマンカーへの改造からは漏れましたが、1974年に廃車になるまでツーマンで日中も運用されたそうです。昨年から梅小路公園の京都水族館前で公開されています。
【撮影:佐野次郎 2015.5.19】

2015/06/15

京都市電800形(890号)

京都市電800形は、1950年から55年にかけて90両が製造されました。戦前から増備の続いた600形では輸送力が小さく、また大型の1000形ではデータイムの輸送力が過剰になることから、中型の800形は使いやすい車両だったそうです。
1968年から800形のうち70両が、ワンマンカーに改造され、1800形に改番されました。前照灯は2灯になり、乗降扉は前中の2扉に改装されました。
1800形は、900形をワンマンカーに改造した1900形とともに1978年の京都市電全廃まで活躍しました。小生も母の実家のあった京都に、この車両を利用して訪問しました。吊り掛け駆動のモーター音が記憶に残ります。
写真の890号は、1955年12月にナニワ工機で完成したものです。ワンマン化の対象から外れ、1974年4月の烏丸線廃止に際して廃車となりました。保存車として保管され、昨年から「市電ひろば」で公開されています。
【撮影:佐野次郎 2015.5.19】

2015/06/07

京都市電700形〈703号〉

700形電車は戦後京都市電が、800形・900形と発展させてきた近代化装備を継承しつつ、軽量化など新技術を取り入れて1958年から62年にかけて48両が製作されました。4枚折戸とした乗降扉が最大の特徴でしょうか。
せっかくの新鋭電車でしたが、軽量構造が災いして乗降扉の移設が困難なことからワンマンカーへの改造対称から外れ、最終増備車などは10年も使用されずに廃車になってしまいました。前後2扉の1600形が使いづらいと乗務員から不評だったので、800形を改造した1800形、900形を改造した1900形は前中2扉に改造されていますね。
写真の703号は、1958年3月にナニワ工機で完成したものです。1974年4月の烏丸線廃止時に運用を退き、廃車となりました。保存車に選ばれ、原則非公開で保存されてきましたが、2014年3月から「市電ひろば」で公開されています。
「市電ひろば」では、鉄道グッズを販売する売店として使用されています。あくまで個人の趣味ですが、鉄道グッズは面白いですけど、実際に購入しようとまで思えるものにはなかなかめぐり合わないですね。
【撮影:佐野次郎 2015.5.19】

2015/06/06

京都市電1600形〈1605号〉

京都市電1600形は、600形のうち63両を1966年から68年にかけて、ナニワ工機・大阪車輌工業・交通局壬生工場でワンマンカーに改造したものです。前照灯が2灯化されたので広島電鉄に譲渡され、いまなお現役として活躍する1900形と似通ったイメージの電車であります。
原型式の600形は、1937年から47年にかけて95両が製作されたもので、京都市電を一挙に近代化し、「青電」と呼ばれて京都市電を代表する車両でありました。同時代に製作された電車には、横浜市の1100形や神戸市の700形など、なかなか水準の高い電車が揃っていたような感がありますね。
同じ600形を元形式として、ラッシュ時には2両連結で大量輸送に対応し、データイムにワンマンカーとして効率化を図る2000形に近い内容に大改造された2600形が18両登場しましたが、1600形は合理化に重きを置いて、改造内容も簡素化されています。背景には京都市の財政再建を強く迫られていたという事情がありました。
写真の1605号は、600形607号として1937年に日本車輌で完成しました。1966年12月にナニワ工機でワンマンカー化改造され、1600形1605号に改番されました。1976年4月の今出川・丸太町・白川線の廃止と同時に1600形は全廃になりましたが、1605号は保存車として残されております。
【撮影:佐野次郎 2015.5.19】