2013/09/21

広島電鉄900形〈912〉

広島電鉄900形は、大阪市電2600形のうち既にワンマンカーに改造されていた14両を1969年に譲り受けたものです。大阪市電の全廃も1969年ですから、既に広島電鉄で44年間活躍していることになり、大阪市電での使用年数よりはるかに長くなっています。
大阪市電2600形は、1957年に木造車1000形の電装品と台車を利用して、当時の最新型だった3000形の車体を組み合わせて114両が製作されたものです。全鋼製の車体は密閉度が高く、冬場は寒さをしのげることから歓迎されましたが、夏場は逆に熱くなって大変だったそうです。
広島電鉄に14両が移籍したほか、鹿児島市電には800形として大挙32両が移籍しました。私が1992年に卒業旅行で九州をまわり、鹿児島を経由したときにはまだ健在で半数が冷房改造や台車の交換を行い活躍していました。今では9500形に改造されて姿を消してしまいましたが。
写真の912号は、1957年7月に大阪車輌工業で大阪市電2636として完成したものです。冷房改造やICカード読み取り機も装備していますが、台車はブリル式を現在でも使用しておりますね。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 的場町ー猿候橋町間】

2013/09/16

広島電鉄900形〈904〉

広島電鉄900形は、もと大阪市電2600形で1969年に14両を譲り受けました。白島線や横川方面を中心にして、日中でもよく稼働しています。
大阪市電2600形は、木造車1081形などの台車やモーターなどを流用して、1957年に製造された車体更新車です。車体は当時としては最高水準の高性能車3000形に準じたもので、中央窓が大きな3枚窓、系統番窓と大きな方向幕窓を配置した均整のとれたスタイルになっています。
広島電鉄に移籍してから、再度ワンマン化され、正面中央窓にワイパーを取り付けたたため窓枠を太くなるなどの変化が見られます。また冷房改造と方向幕の自動化が行われました。
写真の904号は、1957年大阪車輌で大阪市電2630号として完成したものです。900形は現在9両が在籍しており、904号が最若番になっております。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 江波】

2013/09/15

広島電鉄800形〈801〉

広島電鉄800形は、1983年12月に1次車が登場した市内線用の新造車両です。車体は前年に登場した700形とほとんど同じですが、省エネルギー、低騒音・低振動をめざし、市内線用としては初めての本格的な高性能車となりました。
遠くから見ると700形との判別は困難ですが、正面の前照灯・尾灯の並び方や側面幕板の緑帯の有無、Z型パンタグラフの装備などで識別できます。その他は、1.200mm両開きの中央扉や、正面・側面4か所が連動する大形電動方向幕などは700形と共通であります。
主制御器は回生制動付の電機子チョッパ制御となり、自動加減速制御されます。モーターは60kWの複巻電動機で、駆動装置は平行カルダンです。台車は枕バネはコイル式ですがオイルダンパー付きで、軸バネにシェブロンゴムを使ったFS83形を装備しています。
写真の801号は、1983年12月にアルナ工機で完成したもので800形の1次車に相当します。800形はその後814号まで増備されましたが、仕様が少しずつ変更されましたので写真と同様の外観は1次車だけになっています。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 元宇品口ー広島港間】

広島電鉄750形〈768〉

広島電鉄のなかで大きな存在感を持っている移籍車両のなかでも、大きな勢力をもっていたのがもと大阪市電の750形でしょう。大阪市電の1601形・1651形・1801形の3グループからなり、1965年から68年にかけて22両が移籍してきました。
現在も稼働しているのはそのうちの6両で、旧1651形と旧1801形が3両ずつ残っています。冷房改造を受け、ICカードと一日乗車券などフリーパスの読み取り機、運賃箱を装備し、ドアの近くは機器が何種も並んでいます。
750形は広島駅ー比治山下ー広島港間の5系統を中心に使用されているようです。同じく広島駅ー広島港間を市役所前経由で結ぶ1系統にも早朝やラッシュ時には入ります。いずれも朝夕のラッシュ時が運用の中心ですね。
写真の768号は、1950年に富士車輌で大阪市電1827号として完成したものです。台車は大阪市電型とよばれるオールコイルバネのものを使用しております。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 的場町ー猿候橋町間】

2013/09/14

広島電鉄750形〈763〉

広島電鉄といえば、動く電車博物館ともいわれ、大阪・神戸・北九州・福岡・京都など各都市から譲り受けた車両群が活躍している事でも知られています。
主に昭和40年代、広島電鉄が経営合理化を図るために輸送力増強を図る過程で、割高な新車購入よりも中古車の譲受でしのいできたという事情があります。それにしても超ベテランの電車を動かすメンテナンスの技術も凄いですね。
さすがに21世紀に入ってからは、新型連節車の導入によりベテラン電車の整理も進んでいるようです。神戸・北九州からやってきた電車は、数も少なくなり出番も減少しているようです。それでも、もと大阪市電の750形・900形は比較的多く走っておりますね。
写真の763号は、1940年木南車輌で大阪市電1653号として完成したものです。撤水車の足回りを利用しているので、台車はブリル77E形を装備しています。前照灯の移設や、方向幕の大型化、冷房改造、Zパンタ化など多くの改造を受けていますが、車内の床は板張りのままです。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 広電本社前】

広島電鉄700形〈707〉

私佐野次郎は、9月11日から13日にかけて広島を訪問して、ほぼ広電撮り鉄ツアーを敢行しました。前回は4月に訪問したのですが、1泊2日で広電の利用も、横川駅前から広電本社前まで一度利用しただけで、あとは歩きで広電を撮影するような感じでした。
今回は、600円の一日乗車券を大いに活用して、撮りの他にも乗りを楽しむようにしました。市内線でも様々な表情があることに気がつきました。
特に印象に残ったのは、本線の土橋ー広電西広島間ですね。土橋で江波線と分かれてカーブすると、いきなり広くない路地に入ります。次の小網町電停には安全地帯がありません。宮島線直通用の連節車も通る区間なのに。
天満川にかかる鉄橋を抜けて、観音町を通り過ぎると、開けた併用軌道上を川沿いに走り、ターミナルとして整備された広電西広島に至ります。写真の707号は、1983年11月にアルナ工機で完成したもので、700形の2次車に相当します。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 小網町ー天満町間】

広島電鉄100形〈101〉

100形復元車は、1984年4月から8月にかけて行われた”Sun Sun ひろしま”観光キャンペーンに際して登場した、1912年広電開業当時の日本車両製A形電車をモデルに復元したものです。
外観は、すっかり珍しくなった2軸の単台車、二重屋根、扉がなく吹き抜けの運転台、しゅろなわの救助網、各所に見られる凝った装飾など、当時の雰囲気がよく伝わってきます。
下回りは1971年まで在籍し、市内の交通公園に保存されていた157号のものを整備して流用しています。台車は本来の100形のブリル21Eではなく、S-12形であり、モーターも26kw2個装備と、性能的には150形であります。
1984年4月から白島線で営業運転に投入され、好評を博しました。現在では、貸切列車などに使用されているようです。現在の構造基準に適合するよう、台枠や外板、屋根などは鋼板製になっております。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 江波】