2015/11/15

梅小路蒸気機関車館 オハ46 13

オハ46形客車は、列車の高速化と運転費・保守費などコストダウンを意図して軽量化を図ったもので、1955年に60両が製造されました。スハ43形客車と同じ形態ですが、約2t軽量化されています。
60両のオリジナルの他、スハ43形のうち、1954年度1次発注以降の160両が、オ級(自重32.09t以下)に収まっている事がわかり、1956年2月~3月にかけてオハ46形に編入されました。
1980年代初めまで、急行列車や普通列車などで使用されました。冷房もなく。ドアも自動ではありませんので、現在の感覚では少し想像しにくいかもしれませんね。
写真の13号は、1955年に汽車製造東京支店で製造されました。昨年には美しい姿に整備され、現在建設中の京都鉄道博物館に収蔵されます。
【撮影:佐野次郎 2015.5.19】

2015/11/07

梅小路蒸気機関車館 C56 160

C56形蒸気機関車は、国鉄の前身である鉄道省が閑散路線用として、1935年から39年にかけて160両を導入したものです。
軽量・小型でありながら長距離の運用が可能なことから軍部に注目され、太平洋戦争中に90両が供出され、タイ・ビルマに送られました。うち46両は戦後もタイ国鉄で使用されました。
戦後、国鉄には68両が残り、北陸・甲信越・中国・九州地方で運用されました。その他、北海道・横浜地区でも少数が入換用に使用されました。小海線での活躍が名高いですね。
写真の160号機は、1939年4月に川崎車輌兵庫工場で完成したものです。1972年から梅小路蒸気機関車館で保存されており、1980年から本線運転に従事しています。2017年を目途に本線運転の役割をD51 200と交代することになっています。
【撮影:佐野次郎 2015.5.19】

2015/10/12

My鉄道博物館を開設

My鉄道博物館というのは、いかにも大げさですが、カップボードの一角に手持ちのNゲージ鉄道模型を飾り始めました。ささやかなものですが、ダイニングにあるので、毎日眺めることが可能です。
Nゲージ鉄道模型を学生の頃から、コツコツと買い集め、一旦は鴨居レイアウトまで製作したものの、維持できずに廃線となり、お座敷運転すらままならない期間が続いておりました。
せめて静態保存だけでもしようと思い、ようやくカップボードの一角を確保することに成功しました。機関車や先頭車などをより選って15両を展示できます。
今は3両分はあえて場所を空けてあります。実家からKATOのEF81の北斗星色、EF65P、トミックスのEF62を持ってきて飾ろうと思っております。

梅小路蒸気機関車館 C53 45

C53形蒸気機関車は、鉄道省がアメリカから輸入したC52形をもとに国産化したもので、1928年から29年にかけて汽車製造・川崎車輌で97両が製造されました。
当時は、客車が鋼製になりつつあり、列車の重量も木製車体に比べて20%ほど増すことから牽引力の増大が求められていました。そこで先進国で実用化されていた3シリンダー方式の技術を用いて従来のC51形よりも強力な機関車をつくることになったのです。
C53形は、東海道・山陽本線で特急・急行列車牽引の主力として使用されました。しかし3シリンダー方式は保守が難しかったそうで、また1940年代になって2シリンダー方式ながら強力なC59形が投入されたことにより、1948年から50年にかけて現役を退きました。
写真の45号機jは、1928年に汽車製造で完成しました。1950年に廃車されてからは、教習用車両を経て、鷹取工場で保管されていました。1961年に走行可能な状態に復元され、記念走行を行ってから翌年より大阪の交通科学館で展示されました。1972年には梅小路蒸気機関車館に移され、静態保存されています。
【撮影:佐野次郎 2015.5.19】

2015/10/03

梅小路蒸気機関車館 C59 164

C59形蒸気機関車は、主に主要幹線における旅客列車の牽引を目的に、1941年から43年にかけて100両、1946年から47年にかけて73両が川崎重工・日立製作所・汽車会社で製造されました。保守に手間のかかるC53形蒸気機関車を代替するものでした。
私としては、一番好きな蒸気機関車の形式であります。全長が長くスマートで美しいスタイルの機関車だからです。子供の頃読んだカラーブックス「蒸気機関車」でも魅力的な写真がありました。その他にも記録写真が多く残されているのはうれしいことです。
大型・重量級の機関車ですので、使用できる線区も限られ、1970年の呉線を最後に現役を退きました。保存された車両も少ないですが、梅小路蒸気機関車館や九州鉄道記念館など恵まれた環境で保存されているのは喜ばしいです。
写真の164号機は、1946年に日立製作所笠戸工場で完成し、梅小路機関区に新製配置されました。1950年に糸崎機関区に転属し、山陽本線・呉線で活躍しました。梅小路蒸気機関車館では開館当初から静態保存されています。
【撮影:佐野次郎 2015.5.19】

2015/09/18

梅小路蒸気機関車館 C55 1

C55形蒸気機関車は、1935年から37年にかけて62両が製造された旅客用のテンダー式蒸気機関車です。C51形とC57形の中間に位置する蒸気機関車ということがいえましょう。
そのうち2次車に相当する1936年製の20~40号の21両は、流線型のカバーをつけた姿で登場しました。当時の流行であり、また煤煙が客車にかかるのを防ぐ効用が期待されましたが、実際には効果がほとんどなく、早々にカバーを外して本来の姿に戻りました。
C55形は、改良増備形ともいうべきC57形と良く似ていますが、スポーク動輪を採用しているのでより軽快なスタイルに感じます。記録写真にも魅力的なものが多いです。広田尚敬さんも珠玉の1枚を残されています。
写真の1号機は、1935年3月に川崎車輌で完成しました。小樽築港機関区に新製配置され、その後も転属しつつ北海道で使用されました。1972年10月から梅小路蒸気機関車館で動態保存されましたが、1979年3月に静態保存に切り替えられ、廃車となっています。
【撮影:佐野次郎 2015.519】

2015/09/12

梅小路蒸気機関車館9633

梅小路蒸気機関車館はご承知の通り、2015年8月30日をもって閉館となりました。とはいうものの、来春には京都鉄道博物館として、新たにオープンするわけですから何ら悲観する必要もないわけです。
小生が初めて梅小路蒸気機関車館を訪問したのは、昭和50年代の前半だったと思います。京都に母の実家がありましたので、祖母に連れられて行ったのです。当時はかなりの蒸気機関車が有火状態で保存されていました。
写真の9633もそうですし、C1164やD50140なんていう機関車も煙を吐いていました。京都市電も縮小の途中でしたが、健在ではありました。梅小路蒸気機関車館のすぐ近くの、山陰本線との交差部で軌道が掘り下げてあるのが印象的でした。
9600形は、1913年から13年間に770両が製造された貨物用の蒸気機関車です。1975年に旅客用のC57が引退し、旅客用のSLが全廃されてからも1976年3月まで追分機関区の入換用として現役を継続しました。最後のSLは、9600形だったのです。
【撮影:佐野次郎 2015.5.19】