2020/07/24

E217系(クラY-48編成)


山手線への投入が完了したE235系ですが、山手線の次は総武快速・横須賀線に投入されます。既に2編成が完成したそうです。おそらくこれから数年で、現行のE217系を置き換えることになるでしょう。
E235系ではいよいよ普通車のクロスシートがなくなり、ロングシートに統一されるそうです。総武快速線での混雑が深刻なためでしょう。かつての113系1000番台のような3ドア車では、現在の混雑には対応できないと思います。
総武線も惜しむらくは、方向別配線が採用されていないことです。早期完成のためにやむをえないとはいえ、錦糸町などの駅で御茶ノ水駅のように同一ホームで乗り換えができれば、通勤時間が相当短縮できることでしょう。
写真のクラY-48編成は、1999年10月に普通車が新津車両製作所、グリーン車が川崎重工で完成したものです。当初は幕張電車区の配置でしたが、2006年3月に鎌倉総合車両センターに配置が集約されました。2010年1月に機器の更新を行っています。
【撮影:佐野次郎 2010.2.13 西大井駅】

2020/07/19

E233系3000番代(U626編成)


このところの日々の通勤ですが、観光客の減少やテレワークの継続を背景として、コロナ禍前よりはまだ空いているようです。感染者数も増大しているようですが、日々の暮らしを成り立たせるためには家に閉じこもっているわけにもいきません。
今やっていることは早めに家を出て、通勤のピーク時に電車に乗るのを避けることと、帰宅時には比較的空いている後ろよりの車両を利用することです。あとは通勤時には使い捨てのマスク、職場では冷感マスクを使い分けています。
職場まで通勤するという生活スタイルですが、大正時代に始まったものだということです。私自身としては、職場と自宅はきっちりと区別したい考えです。とはいうものの、テレワークに仕事の中身がマッチするならば、例え部分的でも導入するのがよいでしょう。
写真の小山車両センターU626編成は、2012年10月に普通車が新津車両製作所、グリーン車が川崎重工で完成したものです。高崎・宇都宮線の211系の代替を目的に高崎車両センターに新製配置され、2015年3月に小山車両センターに転属しました。
【撮影:佐野次郎 2019.7.19 川崎ー横浜間】

2020/07/18

E231系0番代(ケヨMU12編成)


武蔵野線の205系5000番台の置換えも急速に進んでいるようです。中央・総武緩行線からの209系500番台・E231系0番台の転用によって世代交代が進みました。武蔵野線も数値以上に混雑の激しい路線ですので、拡幅車体の電車の投入が望ましいと思います。
JRの通勤電車としては最初の世代である205系も武蔵野線から撤退すれば、残るのは仙石線・宇都宮/日光線・南武支線・鶴見線・相模線など限られた路線になります。今後は京浜東北・根岸線のワンマン化とE235系の投入により大きな動きがあるのでしょうか。
これからは少子高齢化と伝染病対策によって、首都圏の鉄道の姿にも変化があるのかもしれません。テレワークが本格化することで、時間帯別の運賃が導入されたり、グリーン車付きの通勤電車が各路線で当たり前になるでしょうか?
写真のケヨMU12編成は、2001年3月に新津車両製作所で完成し、三鷹電車区B25編成として新製配置されました。2019年2月に長野車両センターで武蔵野線向けの転用改造を行い、ケヨMU12編成となりました。

2020/07/12

品川駅の山手線6扉車


JR東日本の通勤電車には、ラッシュ時の混雑緩和を目的として、通常片側四か所の出入口を六か所に増やした車両がありました。山手線の205系を最初に、横浜線に導入されました。その後は、京浜東北・根岸線の209系にも採用されました。
21世紀に入り、E231系の時代になってからは、中央・総武緩行線にも入り、山手線のE231系500番台にも採用されました。新製ではこれが最後ですが、205系の6扉車は転属により埼京線で使用されました。
時代は流れて、安全性向上のためホームドアが導入されることになり、山手線のE231系500番台には4扉車が増備されて、6扉車は編成から外れました。他路線でも置換え済で、去る3月に中央・総武緩行線でも編成の組換えにより6扉車は姿を消しました。
写真の品川駅では、長い間使用されていた山手線用の留置線も姿を消しました。現在は線路もはがされて空き地になっています。いずれは京急線が地上に降ろされて新しい京急品川駅の一部として活用されることでしょう。
【撮影:佐野次郎 2009.6.7 品川駅】

2020/07/11

特急「かいじ」のE257系


中央本線の特急「あずさ」「かいじ」といえば、私にとっては183系電車の印象が強いです。歴史の古い「あずさ」には181系電車によって運転されていた時代もありますが、甲府止まりの列車を改称した「かいじ」は当初から183系電車による運転でした。
JRに移行してからは「あずさ」に内装をグレードアップした183系の改装車が登場したり、東京まで運転される列車が設定されたりもしました。振り子装置付きのE351系の投入によって、新たな時代の到来と思いきや、5編成だけの製造で打ち切りになりました。
183系も大半が残りましたが、2001年から翌年にかけてE257系電車に置き換えられました。E257系は、E231系電車のシステムを基本にして特急形電車に発展させた形式です。振り子装置もなく室内の造作もカジュアルなものといえるでしょう。
2019年3月には新型E353系電車によって、中央本線の特急からは退きました。E351系は廃車となりましたが、E257系はリニューアルされて東海道本線・伊東線の特急「踊り子」に転用され、国鉄時代から使用されている185系電車を置き換えることになります。
【撮影:佐野次郎 2010.3.6 高円寺駅】

2020/07/05

東京急行電鉄9000系(9005F)


現在では大井町線専用車両となっている9000系ですが、私にとっては東横線用の車両という印象が強いです。今でこそ5050系に席巻されている東横線ではありますが、8000系・8090系(8590系)・9000系の混用の時代が長く続きました。
当時の東急東横線は、渋谷ー桜木町間の運転で、1時間に急行が4本と各停が4本、それに中目黒ー日吉間に日比谷線直通の各停が混じるのが基本になっていました。競合する路線もないのでゆっくりと走っていたような印象です。
JR東日本が湘南新宿ラインの運転を始めたこともあり、2001年に東急東横線では特急の運転を開始しました。停車駅は渋谷・自由が丘・武蔵小杉・菊名・横浜・桜木町と厳選され、当初は日中だけの運転とはいえ、革命的な速達列車となりました。
写真の9005Fは、1988年2月に東急車輌で完成したものです。2004年に横浜ー桜木町間が廃線となり、みなとみらい線に直通するようになってからも東横線で活躍しました。2013年6月に5連に短縮されて大井町線に転用されました。

東京急行電鉄9000系(9005F)


7月になったら、撮影に出ても良いのではないかとも思いましたが、再び新型コロナの感染者数増加のニュースを見聞きして、撮影開始はやはり難しいと思いました。撮影に行こうと思えば行けたコロナ以前が懐かしい限りです。
日々の通勤では、かなり乗客が戻ってきていることを実感しています。とはいうもののテレワークの活用によって、コロナ以前よりはやや乗客は少ないものと想像します。テレワークに向く職種、向かない職種、業務の中にもテレワークでできるものとできないものがありますが。
反面、住宅街に妙に人が増えたような感覚は薄れつつあります。外出にも選択肢が戻りつつあるからでしょう。前回の緊急事態宣言のように一律に外出自粛とするのではなく、年齢層別にメリハリをつける必要があるのかもしれませんね。
写真の9005Fは、1988年2月に東急車輌で完成したものです。2013年3月に東横線での営業運転を終えて、同年6月に5連に短縮されて大井町線に転用されました。9005Fが東横線から大井町線に転用された9000系の最終編成となりました。