2012/06/23

京浜急行電鉄2000形(2441編成)

かつて快特の主力として活躍していた2000形ですが、後継の2100形ではもちろん基本となる8連は製作されましたが、4連は製作されませんでした。したがって4連の2扉・クロスシートというのは2000形が最後の形式ということになりそうですね。
2100形の登場によって一般車に改造された2000形ですが、8連はエアポート急行の運転開始までラッシュ時専用みたいになっていましたが、4連は快特の増結車として2100形とつるんで走ったり、単独で普通としても使用されていました。
一般車化されてから8連よりも走行距離が延びたのか先日6本あった2000形の4連のうち3本が運用から外れてしまいました。2013年度の新車の導入で廃車対象となる既存車両は現時点では読めませんね。800形か2000形なんでしょうが、そこから先が絞れません。
写真の2441編成は、1986年3月に川崎重工で完成したものです。ちなみに8連の最終編成である2061編成は同年2月に東急車輌で完成しました。2441編成は2010年10月に久里浜工場で一般車化改造を受けています。

2012/06/17

梅小路蒸気機関車館B2010

B20形蒸気機関車は、地方路線と簡易路線で使用する小型機関車として設計されたものです。激化する太平洋戦争を背景として、資材の節約と工作工程の簡素化を徹底して追求しております。
外観の形状などは一切考慮されない「戦時設計」の機関車で、丸みを帯びた部分はボイラーしかなく、あとは直線となっています。
B20形は1945年に15両が完成しました。1~5号が郡山工場、6~15号が立山重工業で製造されました。簡素な戦時設計のうえ、終戦直後の混乱した状況で熟練工も不足した中で製造されたため完成後のB20形は故障が頻発したそうです。
写真の10号は機関区内の小作業用として鹿児島機関区で長く使用されました。現在は車籍こそありませんが、有火状態に復元されています。
【撮影:佐野次郎 2008.4.11】

京浜急行電鉄2100形(2101編成)

1985年に国鉄が山手線用に205系電車を投入してから、通勤電車の車体は銀色のステンレス製というのが大勢を占めるようになりました。東急はそれに先駆けて1960年代からアメリカのバット社の技術を導入してステンレス車を導入していました。
205系電車の導入を契機として、東急車輌はステンレス車体の製造技術を公開したそうですね。現在ではその東急車輌はJR東日本の傘下に入り、総合車両製作所になっていますね。
京浜急行では21世紀に入ってからも塗装を施したアルミ車体の電車を投入してきました。やはり美しい塗装を施した電車はいいですね。さすがに2007年に登場した2代目1000形の6次車からはステンレス車になりましたが、赤いシールの面積が広く「赤い電車」のイメージを守っています。
写真の2101編成は、1998年2月に東急車輌で完成したもので2100形の1次車に相当します。2009年6月に京急ファインテック久里浜工場でVVVF装置や主電動機の更新工事を受けています。検査からまもないのか美しい姿で走っていました。

2012/06/10

京浜急行電鉄2000形(2461編成)

6編成が製造された2000形の4両編成ですが、先月に3編成が運用から退いてしまい、残りは3編成ということになります。
快特運用を後任の2100形に譲って久しいとはいうものの、くさび形の前面形状を持つ2000形は京急の中でも目立つ存在だといえるのではないでしょうか?
2100形は8連だけで、4連は製造されませんでした。全盛期の2000形の8連+4連の12両編成は圧巻だったと思いますが、その頃は私も撮影から遠ざかっていて、見た記憶がないのが残念です。
写真の2461編成は1987年6月に東急車輌で完成したもので、2000形のラストナンバーに相当します。2000年2月に久里浜工場で、3扉化・一般車化工事を行い、現在の姿になっております。

2012/06/09

東京地下鉄7000系(7102F)

東京メトロ副都心線を介しての東急東横線・西武池袋線・東武東上線との相互直通運転の工事が進んでおり、東急東横線で東京メトロ7000系や10000系などの試運転が行われるところまで進展していますね。
実際の開業日はまだ発表されておりませんが、ずいぶんと便利にはなるでしょうね。反面電車遅れの影響が広範囲に及ぶこともあるでしょう。ちなみにライバルの湘南新宿ラインは既に武蔵小杉駅を開設しており、手回しの早いことだと思います。
開業後は5050系が大勢を占める東急東横線も再びバリエーション豊かな車両が走ることになりそうですね。7000系が有楽町線だけを走っていた頃からは、東横線を走ることなど考えられませんでしたが、どうやら走ることになりそうですね。
写真の7102Fは、1974年3月に川崎重工で完成したものです。当初は5両編成でしたが、1983年6月に川崎重工で中間車5両を増備して10両編成となっております。1997年11月に新木場CRでVVVF化・西武線乗り入れ工事を施行し、さらに副都心線対応工事を行っております。

2012/06/07

京浜急行電鉄1000形(1449編成)

私が京浜急行を利用して感じることは、路線の持つ潜在力をフルに生かして、需要を掘り起こしているということです。しかも環境の変化に自ら対応して進化し続けているということです。
例えば1999年に京急川崎ー金沢文庫間では、日中は1時間に快特6本、普通12本!が基本となり、これで完成形かと思いきや。一昨年からエアポート急行の運転を開始してさらに進化しています。
そして品川ー浦賀間を走る間に何回退避するかがクイズになる普通ですが、なかには品川ー金沢文庫間で快特に併結される列車がありますね。事実上の区間快特ですから便利ですよね。
写真の1449編成は2008年9月に川崎重工で完成したもので、1000形の8次車に相当します。全電動車の4両編成ですが、中間に付随車2両を増結して6両編成にすることも考慮されているそうです。

2012/06/04

京浜急行電鉄1500形(1613編成)

個性ゆたかな京浜急行の電車たちのなかでも、比較的地味な印象の1500形ですが、先代1000形に代わって普通列車の主力となっている6両編成については大小の変化が見られます。
大きなところでは新製時の8両編成と4両編成を組み替えて6両編成を作り、新製時の界磁チョッパ制御をVVVF制御に更新する工事が進行中です。車体に関しても更新が行われ、片持式座席を用いた近代的な造作になっております。
小さい変化としては、先頭車にスカートを増設して新製時に比べるといかついスタイルに変わりました。一昨年には逆に電気連結器を撤去して、連結器まわりはプレーンな印象となっています。
写真の1613編成は1988年7月に川崎重工で完成したもので、新製当時は8連で浅草線乗入れにも活躍しました。2007年10月に京急ファインテック久里浜工場でVVVF改造を受けるとともに、6両編成になりました。

2012/06/02

神奈川臨海鉄道DD55形(19号)

横浜本牧には、電車の駅がなく「陸の孤島」とも呼ばれています。バスか自家用車を主に利用することなります。約40年前までは市電が走り、地下鉄の建設計画もあったのですが、現在に至っても着工予定すらありません。
計画では、新横浜方面の路線が本牧まで延びて、上大岡・戸塚方面は関内止まりとして、関内駅で同一ホーム上で乗り換えできるようにする計画でした。実際に横浜市営地下鉄の関内駅は、乗り換え可能な構造でつくられました。今でもその名残が一部残っております。
では本牧に鉄道がないかというと、じつはあるのです。貨物専用の神奈川臨海鉄道本牧線が1969年10月に開通しています。横浜本牧駅の構内にC56形蒸気機関車を保存していて、これが先日TVでも紹介されて注目を集めましたね。
写真のDD55形19号機は、1994年1月に富士重工で完成したもので、神奈川臨海鉄道の主力であるDD55形のラストナンバーです。国鉄のDD13形に似ていますが、別形式です。各地の臨海鉄道に同形の機関車が活躍しております。