2012/04/30

東京急行電鉄7700系(7910F)

7700系の7910Fが、正面に貼られていた赤帯を外して銀一色の姿で営業運転に就いております。以前東横線から8000系が退くときにも1編成が銀一色で営業運転に就いていましたね。当時私は撮り鉄休眠期だったので、写真はないのですがね。
昭和50年代の初めころまでは、田園都市線・新玉川線などの8500系を除いて、先代6000系・先代7000系・7200系・8000系はこんな姿で走っていた記憶があります。目蒲線や池上線はグリーンの旧形電車が走っていた頃です。
それにしても池上線・多摩川線を走る7700系はずいぶんときれいな気がします。昭和のおわりに日比谷線直通で東横線を走っていた先代7000系は同じ車体でも、なんだかくだびれていた感じがしたのですが、7700系になって若返ったような感じさえ受けます。
写真の7910Fはデハ7710号が旧デハ7002号、クハ7910号が旧デハ7001号と7000系の初期車両から1988年7月に改造されたものです。

2012/04/29

東京急行電鉄9000系(9013F)

2012年2月末に東横線での営業運転を終えて、長津田工場で大井町線転属工事を行っていた9000系の9013Fが、4月9日から大井町線での営業運転に就きました。
私はここ数年、大井町線は継続的に撮影しているのですが、今日の撮影では、ほんとうに大井町線も9000系が多くなったと感じました。先輩の御教示によると、約20年の間10編成在籍していて大井町線では最大勢力を誇っていた8090系も既に3編成まで減少しているそうです。
8090系が減少した分を9000系で穴埋めしておりますので、今では9000系が大井町線での主力となっております。急行用の6000系とあわせて、大井町線での2枚看板といえそうです。
写真の9013Fは1989年3月に東急車輌で完成したもので、9000系としては3次車に相当します。大井町線への転属に際して中間車3両が廃車となっています。またこの編成はかつてTOQ-BOX号として広告電車として走っていました。

2012/04/28

東京急行電鉄300系(302F)

三軒茶屋と下高井戸を結ぶ世田谷線は、閑静な住宅地を縫って走っていきます。車両も近代的な300系に統一されていて、恵まれた軌道線ではないかと思います。
そんな世田谷線も90年代までは、緑色の70形・80形・150形といった年代物の電車で運転されておりました。2両連結の前1両に運転手、後ろ1両に車掌が乗務するという連結2人乗りという珍しいスタイルで運転されておりました。
当時は電車に冷房もありませんでした。走行機器は1994年以降一部更新していまして、これらの新しい機器は300系に再利用されています。車両もよくなりましたが、三軒茶屋の駅は、キャロットタワーの1階に入ってほんとうにきれいになりました。
写真の302Fは2000年3月に東急車輌で完成したものです。この編成の鮮やかなブルーは、京浜東北・根岸線ユーザーの私には好ましく感じられます。

東京急行電鉄8500系(8619F)

2003年3月に始まった、東武伊勢崎線(現:東武スカイツリーライン)・地下鉄半蔵門線・東急田園都市線の3社直通運転は、100kmを越える相互直通区間を持ち、長さの面ではトップクラスの私鉄の地下鉄乗り入れですね。
使用されている電車もすべて20m車体の10両編成と、堂々たるものです。当初は東武側からの乗入れが少なかったですが、既に日中では急行が10分間隔で乗り入れるように増強されています。
長きに渡って増強を続けてきた東京の地下鉄も副都心線の開業を最後として、新線の工事は当分なさそうです。近年では既存路線の車両の新造を積極的に進めていますね。中期的には既存路線の修復が課題になってくるかもしれません。
写真の8619Fは1976年10月に東急車輌(現:総合車輌製作所)で完成したものです。1996年度に表示器をLED化し、2000年度に5両の室内更新、2002年度に先頭車にスカートを増設しています。

2012/04/24

京浜急行電鉄600形(607編成)

京浜急行600形の607編成は、更新工事完成以来施していた「三笠」号のラッピングを外して、通常塗装で運用に就いています。
今さらいうまでもなく「三笠」は、日本海海戦で活躍した日本海軍の戦艦で、横須賀中央駅から15分程歩いたところに展示されています。陸地に固定されているとはいうものの、国内で実物の戦艦が見られるのは唯一の存在ですね。
「三笠」といえば、やはり司馬遼太郎の「坂の上の雲」ですね。何度読んでも、引き込まれる本です。冷静な現状認識と、たゆまぬ鍛練なくして勝利なしということを教えてくれます。問題の本質を捉え、問題を解決するためには、誰が何をしたらいいかがわからなければ勝つことはできないと感じます。
写真の607編成は1995年6月に川崎重工で完成したものです。2007年7月に京急ファインテック久里浜工場でロングシート化改造を受けております。

2012/04/22

京浜急行電鉄1000形(1313編成)

京浜急行1000形は、8両編成と4両編成のほか、昨年から6両編成がラインナップに加わりました。6両編成によって、800形の置換えを進めていくということのようです。
ということは京浜急行では伝統のある、車体長さ18メートルで4扉という普通専用の「多扉車」というコンセプトの車両はなくなるということでしょうか?ホームドア対策かもしれませんが、700形や800形に親しんだ私のようなおじさんには、少しさびしい気もします。
現在では京浜急行の普通も6連が多くなり、日中や休日には比較的余裕がありますね。1000形の6連にも乗車しましたが、座席の奥行きも深く快適です。その昔の普通は先代1000形の4連が主力で、700形や800形の3連というのもありましたので、実際には良くなっているのです。
写真の1313編成は、2012年3月に川崎重工で完成したもので、1000形の11次車に相当します。この編成は客室内の照明にLEDを採用しています。1313編成の営業運転入りによって800形の809編成が営業運転から退いています。

過去の記事から
800形809編成

京浜急行電鉄1500形(1549編成)

京浜急行1500形は、先代1000形の置換えを目的として、8両編成と4両編成を組み合わせて6両編成を組成しました。編成組み替えとともに、VVVF化改造を行った編成が多くみられましたが、界磁チョッパ制御のまま6連になった編成にもVVVF化改造が波及しております。
1549編成は、2012年2月に京急ファインテック久里浜工場でVVVF化工事を完了しました。試運転のあと、車両管理区で休車扱いとなってから、4月3日に営業運転に復帰しました。
写真ではわかりにくいですが、改造によってパンタグラフ付きの車両が3両から2両に減少しております。改造工事と同時に検査も受けているので、車体も床下機器もきれいになっていますね。
写真の1549編成は1991年2月に東急車輛で完成したもので、界磁チョッパ制御を採用した最終グループの車両です。2008年3月に京急ファインテックで更新修繕を行っています。さらに2010年4月には1607編成から2両の中間車を組み込んで6両編成となっています。

2012/04/15

EF210形100番代(143号)

JR・東急東横線(みなとみらい線)・京急・相鉄・横浜市営地下鉄が乗り入れ、多くの乗降客でにぎわう横浜駅ですが、私のようなオジサンには賑やかなのは高島屋やジョイナス、三越(今ではヨドバシカメラになっていますが)のある西口のほうで、東口にはさびれた印象がありました。
先代スカイビルなんてのはほんとうに鄙びた雰囲気でしたね。中学生の頃、帝都無線?っていう楽器屋に初めてのエレキギターを買いに行った思い出があります。東口のバスターミナルも駅から少し離れていて、東高島駅や横浜機関区の扇形機関庫も健在でした。レールの存在感ありましたね。
東口の様子が変わったのは80年代にポルタや横浜そごうができてからですね。一気に雰囲気が変わりました。さらに21世紀になってからはみなとみらい地区の開発が進むとともに、海沿いに大規模なマンションが林立して新しい街ができていますね。
写真のEF210形143号機は2008年12月に三菱電機で完成したものです。高島貨物線を走る下り貨物列車は、桜木町から根岸線に入って根岸駅まで運転されます。コンテナ車についてはさらに神奈川臨海鉄道の本牧埠頭駅まで走ります。

2012/04/14

京浜急行電鉄600形(652編成)

京浜急行600形といえば、8両編成は都営浅草線を介して京成押上線に入るSH快特が代表的な運用で、4両編成は2本つなげて羽田空港ー新逗子間の「エアポート急行」が代表的な運用になっています。
4両編成については、そのほか快特の品川ー金沢文庫間での増結車や、品川ー浦賀間を中心とする普通列車での運用がありますね。
今回私はたまたま、4両編成では唯一更新工事が施行済みである652編成が、単独で普通運用に入るところを撮影しました。未更新の600形の4連普通は何度も撮影していますが、更新車が4連で走る姿は新鮮に感じました。もっとも何年かすれば、こちらが当たり前になると思いますが。
写真の652編成は、1996年3月に川崎重工で完成したものです。2011年10月に京急ファインテック久里浜工場で更新工事を完了しました。同時に扉間の座席はクロスシートから、ロングシートに改造され、乗降扉上には液晶モニタが増設されています。

2012/04/09

東京都交通局5300形(5312編成)

私は普段京浜東北・根岸線と京葉線を乗りついで通勤しているのですが、先日のような強風で京葉線が止まったような場合には、京成千葉線の幕張駅まで歩いて、京成津田沼で京成本線に乗り換えて、都営浅草線、京浜急行線の直通を利用して横浜まで戻ります。
総武線に乗って、やはり津田沼で快速線に乗り換えて横浜まで戻るという方法もあるのですが、こちらも止まってしまうことがあるので、京葉線が止まった場合には京成を利用することにしています。なんでも荒川を渡る鉄橋の風量規制の関係で、京成のほうがよりがんばってくれるみたいです。
それにしても都営浅草線は歴史のある浅草・東銀座・新橋を通りますが、平行路線があるせいか、比較的空いていますね。新しい路線のように地中深くに駅があるわけでもなく、なんとなく乗りやすい路線です。また本所吾妻橋なんて駅は名前がいいですよね。かつての都電の行先と同じですから。
写真の5312編成は1993年6月に日立製作所で完成したものです。5300形はそんなに人気のある電車とはいえないですが、先代の5000形に比べると飛躍的によくなった電車だと私は思います。

2012/04/01

東京急行電鉄9000系(9011F)

東急東横線で使用されていた9000系の9011Fは、2011年9月7日に東横線での運用を終了し、長津田車両工場に回送されました。大井町線への転用工事を施行して、10月24日から大井町線での営業運転を開始しました。
大井町線では9000系の転入と入れ替わりに、8090系が廃車となっています。8090系もまだ新しい電車だと思っていましたが、既に30年選手です。一部は秩父鉄道に移籍して再起しているのは喜ばしいことです。
昨年の今頃、大井町線では日中は急行も運転せず、各駅停車も二子玉川止まりとなり、節電モードで対応していました。その後急行を長津田始発として日中も運転を再開しましたが、現在では本来の姿に戻っていますね。
写真の9011Fは、1988年10月に東急車輌で完成したものです。大井町線では5両編成に短縮されますので、中間車3両は廃車となりました。