2010/04/29

京浜急行電鉄2100形(2165編成)

 京浜急行の快速特急は、京急線内を運転する列車と、都営地下鉄浅草線に直通する列車が交互に運転されるようになっています。
 かつて快速特急は京急線内の運転のみで、2000形によって運行されていました。1998年から2000年にかけて現在の2100形に置き換えらえています。また現在では、泉岳寺まで多くの列車が乗り入れるようになり、西馬込発着の浅草線と同じホームで乗り換えできるようになっています。
 2100形による快速特急は、首都圏の電車では珍しく疾走感を実感できる列車です。設計上の最高速度が120km/hの電車は、JRのE233系などの通勤型や東急の7000系などたくさんありますが、ガチンコで120km/hだしているのはこの2100形くらいでしょう。乗車していると、「飛ばしているなあ」とつくづく感じます。しかも特急料金など不要です。
 写真の2165編成は、2100形の4次車に相当し、2000年11月に東急車輛で完成したものです。2008年12月に京急ファインテックでVVVF装置とモーターを更新したため、「歌わなく」なってしまいました。

2010/04/27

鉄道博物館21-2〈東海道新幹線0系〉

 私こと佐野次郎は12日に休暇が取れましたので、鉄道博物館に行って参りました。鉄道博物館では、昨年の10月から東海道新幹線の0系電車を展示しています。1964年10月の東海道新幹線開業時に投入された車両のうちの1両です。
 今やN700系や700系といった最新のテクノロジーを満載した新形車両が通勤電車並みの高頻度で走る東海道新幹線ですが、私のなかでは0系の印象が強いです。
 グレーの生地に、青でアクセントを入れたリクライニングしない座席、角ばって不格好なプラ容器に入った車内販売のお茶、袋みたいな紙コップに入れて飲む冷水器などが0系の思い出です。
 その頃は「ひかり」は新横浜には停車せず、東京まで出なければなりませんでした。そうまでして乗り込んだ「ひかり」に連結されていた食堂車を利用したのも貴重な経験となりました。何か通路が茶色い壁だったような、コロッケみたいなものを食べたようなあやふやな記憶ですが。
 在来線に比べて明らかに大きい車体、そしてリクライニングしない座席・・・。正式には転換クロスシートといいます。
 現在の新幹線や特急列車ではお目にかかることのできない冷水器。無料です。そういえば最近、ビルでよく見かけたペダルを踏むと冷水が吹き出す飲料用の機械みかけませんね。飲料は有償が基本になってしまったようです。
   飲料といえば子供の頃、コーラの缶が関東では250mmの細い缶で、京都・大阪などでは今と同じ350mm缶でした。京都は夏暑いので、喉も乾くから缶がデカイのかと思っていたら、関東でもいつの間にか350mm缶になっていました。
【撮影:佐野次郎 2009.4.12】

2010/04/26

鉄道博物館クハ181-45

 3月には上野ー金沢間の夜行急行「能登」の臨時列車化にともない、ボンネットスタイルの特急形電車を使用した定期列車がなくなるということで、鉄道ファンの注目が集まりました。
 ボンネットスタイルの列車の元祖は、1958年に東京ー大阪間を6時間半で結んだ特急「こだま」号の151系電車です。今から50年以上前のことになります。
 1964年の東海道新幹線の開業により、151系電車はモーターを増強して181系に編入され、中央本線の特急「あずさ」や、上越線の特急「とき」に使用されました。
 写真のクハ181-45は1965年に汽車会社で完成したものです。1982年11月の上越新幹線開業まで、特急「とき」として活躍しました。最後の頃は、ヘッドライトの撤去で少し間延びした風貌となり、外板のへこみも少々目立ち、車高の異なるグリーン車を組み込んだりと痛々しい姿で走っていたのですが、ここ鉄道博物館では美しい姿で展示されています。

鉄道博物館クモハ455-1

 東北新幹線の新青森への延長開業が近づいていますが、新幹線開業前の東北本線には多くの特急・急行列車が運転され、各駅停車よりも優等列車のほうが多いくらいだったのです。
 昭和50年代には、特急の大衆化が進んだなかでも、特急を補完する急行列車も多く運転されていました。東北本線でも郡山あたりまでは急行の利用のほうが一般的だったのではないでしょうか?
 私は子供の頃、那須へ家族で行きましたが、帰りに利用したのが写真の455系らしき急行電車でした。列車名は覚えていませんが、ずいぶんと混雑していたような記憶があります。
 写真のクモハ455-1号は1965年に日本車輛で完成したものです。新幹線の開業後は仙台地区の普通列車などで活躍し、2006年11月に廃車となりました。
【撮影:佐野次郎 2010.4.12】

2010/04/25

鉄道博物館クモハ101-902

 国鉄~JRの通勤電車が現在のように路線別のラインカラーを採用したのは、写真の101系電車が最初です。1957年に試作車が登場し、1958年から1968年にかけて1.535両が製造されました。
 101系電車はまず中央快速線に投入され、長らく主力として活躍しました。途中で103系も投入されましたが、1985年に201系に代替されるまで活躍しました。いまやその201系もE233系に置き換えられてつい最近営業運転を退きました。
 その他、首都圏では中央・総武緩行線、南武線、鶴見線で活躍しました。また山手線、赤羽線、京浜東北線でも一時使用されていました。私は学生の頃中央・総武緩行線で使用されていた101系にときおり乗車しました。103系や201系と同じ黄色い電車ですが、クーラーもなく、運転台の後ろの窓が大きかったのを憶えています。
 写真のクモハ101-902号は1957年に製造された試作車のうちの1両です。鉄道博物館ができる前は大井工場〈現在の東京総合車両センター〉で保管されていました。15年くらい前ですが、仕事で大井工場を訪問した際に見た記憶があります。

鉄道博物館クモハ40074

 いまは銀色の車体にラインカラーの帯を巻いているJRの電車も、国鉄時代にさかのぼれば車体全面に塗装を施しており、さらに昭和30年代に路線別のラインカラーが導入される前の通勤電車はすべて写真のように茶色でした。
 私が子供の頃、横浜線にまだモハ73形が残っていて、板張りの床・車内に立っているポール・明らかに根岸線の青い103系とは異なる大きな走行音が印象的でした。また東神奈川には車庫があって茶色い電車がいました。
 写真のクモハ40形は1932年に第一陣が製作されました。車体の長さはJRの通勤電車と同じ20mで、片開きの3扉、腰掛も今の通勤電車同様のロングシートです。中央線や青梅線、大阪の片町線・城東線〈現在の大阪環状線〉などで使用されました。
 クモハ40074号は1936年に川崎車輛で完成したもので、前頭部は半流線型を採用しています。当時はモダニズムの影響からか鉄道車両にも流線型が流行し、C53・C55形蒸気機関車に流線型のカバーをかけたり、新快速の元祖ともいえる関西地区のモハ52形のように流線型のデザインを採用した電車もつくられました。
【撮影:佐野次郎 2010.4.12】

113系〈マリ116編成ほか〉

 京浜東北・根岸線から転用された209系電車の転用により、房総地区の113系電車の置き換えが急ピッチで進んでいます。
 ついこの間までモーターをうならせながら東海道線の東京口でも走っていたような気がするのですが、月日が経つのは早いものです。
 写真では、後ろのほうに湘南電車の塗装を再現した編成が連結されています。房総地区ではオレンジにグリーンの湘南色は走っていなかったのですが、まあご愛敬というところでしょう。
 マリ116編成は、2007年4月に国府津車両センターから転入してきた車両で、東海道線で使用されていたものです。
【撮影:佐野次郎 2010.4.11本千葉駅】