2010/04/25

鉄道博物館クモハ40074

 いまは銀色の車体にラインカラーの帯を巻いているJRの電車も、国鉄時代にさかのぼれば車体全面に塗装を施しており、さらに昭和30年代に路線別のラインカラーが導入される前の通勤電車はすべて写真のように茶色でした。
 私が子供の頃、横浜線にまだモハ73形が残っていて、板張りの床・車内に立っているポール・明らかに根岸線の青い103系とは異なる大きな走行音が印象的でした。また東神奈川には車庫があって茶色い電車がいました。
 写真のクモハ40形は1932年に第一陣が製作されました。車体の長さはJRの通勤電車と同じ20mで、片開きの3扉、腰掛も今の通勤電車同様のロングシートです。中央線や青梅線、大阪の片町線・城東線〈現在の大阪環状線〉などで使用されました。
 クモハ40074号は1936年に川崎車輛で完成したもので、前頭部は半流線型を採用しています。当時はモダニズムの影響からか鉄道車両にも流線型が流行し、C53・C55形蒸気機関車に流線型のカバーをかけたり、新快速の元祖ともいえる関西地区のモハ52形のように流線型のデザインを採用した電車もつくられました。
【撮影:佐野次郎 2010.4.12】