2012/12/09

ある日の八王子機関区

中央本線・横浜線・八高線の3路線が集まる八王子駅の南側には、八王子機関区がありました。明治17年(1884年)に甲武鉄道八王子機関庫として開設されました。明治39年(1906年)年に鉄道国有法により国有八王子機関庫となり、昭和11年(1936年)には八王子機関区となりました。
もともと蒸気機関車の基地でしたので、その名残りで転車台も残されています。中央本線が電化されてからは、八王子で平坦線用の機関車と山岳線用の機関車を付け替えたりもしていました。1964年に登場した写真のEF64形やJR貨物の新鋭EH200形では両区間とも走行できますので、八王子機関区の必要性も薄れ、2008年には廃止となりました。2012年には旧施設も解体されてしまいました。
今では八高線も電化されてしまいましたが、構内にはディーゼルカーも留置されていました。写真は使用を停止したと思しきキハ35形です。つい最近久留里線から同族のキハ30形が退き注目を浴びましたが25年以上前のこの頃、だいぶくたびれた感じでした。
いわゆる国鉄の事業分野の中でも、貨物輸送とローカル線については、その収益構造に特に厳しいものがありました。
自動車の発達が大きな要因ですが、効率についても疑問点がありました。たとえば貨物列車に連結されていた車掌車です。貨物列車には乗客は乗りませんし、駅でドアの開閉をすることもありません。80年代には使われなくなった車掌車が基地に留置されていました。
今回の写真を撮影したのは確か1984年で、当時私は中学生でした。最低区間運賃でキップを買って一筆書きで大回りで国鉄線に乗り、なるべくいろんな電車などを撮影しようというもくろみでした。カメラは父から借りたオリンパスペンのハーフサイズですね。36枚撮りのハーフで計72枚、なるべくいろいろなものを撮ろうと仲間と回りましたね。
当時の横浜線は103系で、写真のウグイス色のほか、根岸線と同色のスカイブルーの車両もありましたので誤乗防止に「横浜線」のマークを掲げて運転していました。

0 件のコメント:

コメントを投稿