2013/04/29

広島電鉄3000形〈3006ACB〉

もと西日本鉄道福岡市内線の2車体連節車を改造した3000形は、旧1100形2編成・1200形8編成・1300形2編成を改造種車としております。計24両から、3000形8編成を組成しておりまして1両の無駄もありません。
旧1200形と1300形には、外観の差がないため、3両とも両形式から構成されている編成は統一が取れています。3001~3004.3007.3008編成がこれに相当します。
旧1100形は、全体的に角ばった感じの車体となっており、窓が大きくなっているので印象が異なります。とはいうものの異なる印象を持つのは、私のような好事家だけで、普通に電車を利用している人は気にもとめないことでしょう。
写真の3006ACBは、1954年に汽車製造で完成したもと福岡市内線1102Bと、1962年に日立製作所で完成したもと福岡市内線1201Bと1203Bを、1981年3月に改造したものです。中間の車両だけ、前後の車両に比べて窓が大きいのがわかりますでしょうか?
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 広電本社前ー日赤病院前間】

広島電鉄3000形〈3002ACB〉

広島電鉄3000形は、もと西日本鉄道福岡市内線の1101・1201・1301形で、1975年から翌年にかけて譲受したものです。最初の2編成は、1300形として連節車として営業運転に就きましたが、3000形として3車体連節車に再改造されました。
3000形は広電の主力となっている3車体連節車の最初の形式でもあります。前照灯は上部に移設され、オリエントピーチを地色にライトベネチアンレッドの帯という宮島線直通車用の塗装になったため、福岡市内線時代とは印象が異なります。
冷房改造も施行され、またICカード「パスピー」も使用可能になっております。宮島線のほかにも、広島港方面の軌道線に盛んに運用され、大きな輸送力を発揮しております。ひんぱんに軌道を電車が行きかう姿は、こたえられないものです。
写真の3002号は、1962年日立製作所で西鉄福岡市内線1207A、1963年汽車製造で西鉄福岡市内線1209A.1209Bとして完成したものを1979年12月に3車体連節車に改造したものです。中間に入るC号車は運転台を改造により撤去しております。
【撮影:佐野次郎 2013.4.23 猿候橋町ー的場町間】

2013/04/27

広島電鉄1900形〈1911〉

広島電鉄1900形は、1978年に全廃された京都市電の1900形を譲り受けたものです。1977年に2両が到着し、1978年に13両がやってきました。これで京都時代に事故で失われた1両を除いて、すべての1900形が広島に来たことになります。
京都市電1900形は、900形のうち1957年製の16両を1970年にワンマンカーに改造し、改番したものです。その際に前後2扉だった扉配置を、前中2扉に移設しております。性能的には、吊り掛け駆動・直接制御のオーソドクスなものです。
おおむね京都時代のスタイルを維持しており、京都時代の社章もそのままです。ただし冷房装置の追加や、行先表示の大型化などを行っており、細かいところでは集電装置がビューゲルからZパンチになったり、京都時代はベージュ一色だった中扉も塗り分けしたりなどの変化があります。
写真の1911は、1957年にナニワ工機〈現:アルナ車両〉で完成したもと京都市電1927です。1900形には京都の名所を冠した愛称がつけられており、1911には「祇園」の.愛称がつけられております。1900形は現時点で広島に移籍した15両全車が健在です。
【撮影:佐野次郎 2013.4.23 原爆ドーム前ー紙屋町西間】

2013/04/26

広島電鉄900形〈907〉

広島電鉄900形は、旧大阪市電2600形で、大阪時代に既にワンマンカーに改造されていた14両全車を1969年に譲り受けたものです。そのうち901~904は同年12月に白島線でワンマン運転を開始しました。ちなみに905~914は、一旦ツーマン車として広島で走り始めました。
大阪市電2600形は、1957年に木造車の台車やモーターを利用して、和製PCCカーとして有名な3000形電車と同等の車体を新製したもので、114両が製造されました。静かで乗り心地のよい3000形は「無音電車」、2600形は「改造新車」と呼ばれていたそうです。
大阪市電2600形は、鹿児島市電にも800形として32両が譲渡されました。車体の裾をしぼる改造をしたのでやや印象が異なります。15両が台車など走行機器を更新して冷房化され、さらに1995年から97年にかけて車体を更新して9500形に更新されました。
写真の907は1957年7月に大阪車輌工業で大阪市電2634号として完成したものです。上記のように一旦ツーマン車として広電入りしましたが、1973年に再度ワンマンカーとなっております。その後改造により冷房装置を搭載しております。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 寺町ー別院前間】

広島電鉄750形〈769〉

広島電鉄750形は、大阪市電時代の3形式を1つの形式にまとめたので、3つのグループに分けることができます。751~759.765は、1929年製の旧1601形で、一段下降窓の車体が特徴でした。同形車が連節車2500形2511~2514号に改造されましたが、これらは既に廃車されております。
761~764は、1940年に撤水車の走行機器を利用して製造された旧1651形で、760.766~772は、1950年に製造された旧1801形で、大阪市電形と呼ばれるコイルバネ式の台車を装備しています。この2グループは、車体が2段窓になっております。
大阪時代に3扉を前中2扉に改造し、広島に転入してから、ワンマン化、前照灯を腰部から上部に移動、行先表示の大型化、冷房装置の追加装備などの改造を施しております。以前は、正面の車番周りに黄色の警戒塗装を施しておりました。
写真の769は、1950年6月に大阪市電1828号として富士車輌で完成したものです。塗装は大阪時代を基本としているようですが、大阪時代のほうが赤みが強いように感じますがどうでしょう?1000形車両の投入計画もあり、今後の動向が注目されるところです。
【撮影:佐野次郎 2013.4.23 八丁堀ー胡町間】

2013/04/24

広島電鉄750形〈762〉

かねてからの念願だった広島電鉄への撮り鉄旅行、休暇を利用して1泊2日で出掛けてまいりました。目的は、京都・大阪・神戸・福岡といった各都市から広島にやってきた移籍電車たちの撮影でした。
日本では最大規模の路面電車網を現代に伝えている背景には、昭和の経営危機を乗り越えるための身を切るような経営努力があり、近年も契約社員の正社員化など困難な課題に正面から取り組んでいる事も忘れてはならないと思っています。
昭和40年代の路面電車の大量廃止時に、当時として大型の部類の電車を多く譲り受けているのは、輸送単位を大きくして効率化を図るのが目的ですね。塗装をそのままに近い形で投入したのも、当初は節約の意味が含まれていたことでしょう。
写真の762号は1940年に木南車輌で大阪市電1652号として完成したものです。1965年に広島電鉄に移籍しました。750形は最大22両が在籍していましたが、新型車両による代替が進み、現在は6両が在籍しています。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 比治山下ー比治山橋間】

2013/04/21

京浜急行800形〈823編成〉

京浜急行800形の823編成が、4月4日に京急ファインテック久里浜工場で検査を終え、美しい姿で営業運転に就いておりました。車体や台車などは再塗装しているようでした。
近年の通勤電車は、ステンレス・無塗装の電車が多くなっておりますので、一目で検査明けとわかる姿というのも貴重になりつつあるのかもしれませんね。
800形も普通鋼製で、近年の電車に装備されているスカートもなく、時代を感じさせる電車になっています。また片開きの乗降扉というのは、京急ではもちろん首都圏では唯一ではないかと思われます。
823編成は1981年4月に川崎重工で完成したものです。当初は3連でしたが、1983年3月に川崎重工で中間車3両を増備して6両編成になっています。
【撮影:佐野次郎 2013.4.17 屛風ケ浦駅】

2013/04/20

京浜急行電鉄2000形(2011編成)

京浜急行2000形の第1編成である2011編成が、2013年1月下旬から登場当時の塗装を復元して、営業運転に就いております。約2年間この姿で走る予定だそうです。
新製から既に30年を経過し、一般車化改造を受けてからも久しいですが、窓周りをアイボリーの塗装で走る姿が見られるのは、よいものです。できれば800形からも1本、当初の塗装を復元していただきたいものです。
現在の運転区間は、羽田空港ー新逗子間が中心となっておりますので、往年のように三浦半島を走る姿は頻繁には見られませんし、側面も3扉化されていますので改造前とはやや印象は異なりますね。
写真の2011編成は1982年12月に東急車輌と川崎重工で4両ずつが完成し、1998年3月に東急車輌で3扉車改造を受けたものです。

2013/04/19

豊橋鉄道モ3100形〈モ3102〉

1992年に豊橋鉄道市内線を訪問した際の主力車両は、もと名古屋市電1400形を譲り受けた3100形でした。当時は8両が在籍し、冷房化改造を行っているところでした。ちなみに車両と施設の近代化は大きく進みましたが、運賃は150円のままです。
3100形は、1971年にワンマン運転を行うために、名古屋市交通局から9両を譲り受けたものです。1990年と1993年に各1両が廃車となり、2005年に名鉄岐阜市内線からモ780形・モ800形を譲り受けたため6両が廃車となり、3102だけがイベント対応車として残りました。
3100形の冷房改造は1990年から94年にかけて行われましたが、冷房改造と同時に各部の補強に加え、窓枠のアルミ化、床のビニールシート貼り、シートモケットの交換など内装の更新も行われました。
写真の3102は、1943年10月に新潟鉄工所で名古屋市電1466として完成したものです。2011年2月のICカード「manaca」導入に際して対応工事が見送られ、現在休車中です。写真は冷房改造前の姿です。現在では上屋が設置されたので、このアングルでの撮影は不可能です。
【撮影:佐野次郎 1992.10.9 赤岩口】
現在の3102は休車中 2013.4.15 赤岩口車庫 敷地外から撮影〉
モ3101 1992.10.9 井原ー赤岩口間
モ3108 1992.10.9 駅前大通ー新川間

豊橋鉄道モ3200形〈モ3203〉

豊橋鉄道モ3200形は、名鉄美濃町線の580形4両のうち3両を1976年と1981年に譲り受けたものです。
私が1992年に訪問した際に、活躍していた車両で今なお現役として活躍しているのは、この形式だけとなっています。当時の主力であったモ3100形は、休車の3102を残すのみとなっております。その他金沢からやってきた3300形が在籍しておりました。
1992年の段階ではモ3200形は非冷房でしたが、1994年から95年にかけて冷房改造tp窓枠のアルミサッシ科を行いました。その際に製造年次や改造によって生じた各車両の差異がみられなくなっています。
写真の3203は、1955年3月に名鉄岐阜市内線582として日本車両で完成したものです。2008年12月から、豊橋鉄道標準色のクリームに赤帯の塗装に復元され、夏のビール電車や冬のおでん電車などのイベントに活躍しております。
【撮影:佐野次郎 2013.4.15 赤岩口車庫〈敷地外から撮影〉】
左3202 右3502 市内線営業所にて
左3203 右3103 市内線営業所にて 1992.10.9
現在の赤岩口車庫
赤岩口車庫 1992.10.9

2013/04/18

豊橋鉄道モ3500形〈モ3504〉

モ3500形は、東京都電荒川線の7000形電車を、1992年と1999年に2両ずつ譲り受けたものです。豊橋鉄道市内線への入線に際して、赤岩口工場で1372mmから1067mmへの改軌やステップの増設等の改造工事を実施しました。
1992年に入線した3501.3502は、都電時代に非冷房であったため、冷房改造も併せて実施しています。ちなみに改造された前扉は、引戸から折戸に変更されておりますね。
2000年に豊橋で再デビューした3503.3504については、都電時代に既に冷房改造を実施しているため、最初の2両とは細かい部分で差異があるそうです。
都電で活躍を続ける仲間たちが、方向幕をLED化したりパンタグラフをシングルアーム式にしたりしていますが、ステップを追加してZパンタで走る3500形は豊橋の電車になりきっていますね。
【撮影:佐野次郎 2013.4.15 東田ー競輪場前間】
モ3501 もと東京都電7009 1977.11 アルナ車両 赤岩口車庫〈敷地外から撮影〉
モ3503 もと東京都電7017 1977.11 アルナ車両 赤岩口
改造を待つもと東京都電7028〈現:モ3502〉  赤岩口工場〈敷地外から撮影〉1992.10.9

2013/04/17

豊橋鉄道モ780形〈モ784〉

1992年に豊橋鉄道市内線を訪問した際の主力車両は、もと名古屋市電1400形のモ3100形で、8両が在籍しておりました。冷房改造こそされておりましたが、車内はむかしの市電そのもので、堂々の吊り掛けサウンドを響かせて走っておりました。
2005年に名古屋鉄道岐阜市内線の全線廃止に伴い、モ800形1両とともに、モ780形7両を譲り受け、一挙に車両の近代化を図りました。豊橋鉄道市内線としては初めてのVVVF制御の高性能車となりました。
もともとモ780形は、名鉄が路面電車の復権と新技術導入による効率化を目指して、岐阜市内線・揖斐線直通用として、1997年と98年に導入した電車でした。
写真のモ784号は、1997年4月に日本車両で完成したものです。豊橋市内線への入線に際して、赤岩口工場で、連結器の撤去やワンマン機器の増設等の改造を行いました。車番は名鉄時代と同じです。同日に撮影した同形車の写真を以下に掲げます。
【撮影:佐野次郎 2013.4.15 井原ー赤岩口間】

モ781 1997.4 日本車両 井原ー競輪場前間
モ782 1997.4 日本車両 井原ー赤岩口間
モ785 1998.4 日本車両 前畑ー東田坂上間
モ786 1998.4 日本車両 赤岩口工場〈敷地外から撮影〉
モ787 1998.4 日本車両 東田坂上ー東田間

2013/04/16

豊橋鉄道モ800形〈モ801〉

名鉄が「人と環境にやさしい新しい都市交通」を目指して2000年に美濃町線に投入した部分低床車800形3両のうち1両を、名鉄岐阜市内線が全線廃止された2005年に豊橋鉄道が譲り受けたものです。ちなみに800形の残り2両は福井鉄道に移籍しています。
豊橋鉄道市内線への入線に際しては、赤岩口の工場でワンマン運転用機器の増設など、最小限の改造を行い、塗装も岐阜時代のままで2005年8月に営業運転を開始しました。現在では「パト電車」としてパトカーを模した塗装になって交通安全の啓蒙に従事しております。
残念なのは、名鉄岐阜市内線の廃線ですね。マイカーの普及はもちろんのこと、安全地帯を作れずに道路で直接乗り降りするような停留所が残ったりと、いろいろと難しい面があったようです。昭和30年代に廃止になった支線を維持できていたら、別の展開もみられたとも思われます。
写真の801号は2000年6月に日本車両で名鉄岐阜市内線801号として完成したものです。上記のように、2005年8月に豊橋鉄道市内線で再デビューしましたが、車番はもとのままです。またT1000形の導入にも影響を与えたといわれております。
【撮影:佐野次郎 2013.4.15 東田ー競輪場前間】

豊橋鉄道T1000形〈T1001BCA〉

21年ぶりに豊橋鉄道市内線を訪問してきました。豊橋の駅前にはきれいな駅ビルが立ち、再開発され、1992年に訪れた際にどんな様子だったか思い出すこともできませんでした。豊橋鉄道市内線の起点である駅前電停も整備され、アクセスも良好でした。わかりやすい位置にあります。
豊橋鉄道が83年ぶりに発注した電車であるT1000形が注目の的です。小規模な割に多彩な車両の走る市内線の中でも抜群に目立ちます。アルナ車両の低床連接車「リトルダンサーUa」シリーズの電車で、純国産の技術で製造されたものです。
実際に乗車してみると、座席配置が巧みで、ノンステップバスにありがちな不自然さもありません。大きなガラスを採用した乗降扉もデザイン性が高いです。そして静かで滑るような乗り心地は素晴らしいです。
写真のT1001号は2008年12月にアルナ車両で完成したものです。またT1000型には「ほっトラム」の愛称がつけられております。増車の予定はないそうですが、ICカードが利用可能になっております。
【撮影:佐野次郎 2013.4.15 競輪場前ー東田間】

2013/04/15

東京臨海高速鉄道70-000形〈Z2編成〉

大崎と新木場を結び、臨海副都心のアクセスとなっている「りんかい線」こと東京臨海高速鉄道は、東京都・JR東日本・金融機関などが出資している第3セクターであります。途中駅の発車メロディが「踊る大捜査線」のそれだったりと、湾岸ムードあふれる路線ではあります。
新木場寄りの区間は、建設が凍結された京葉線の貨物線部分を利用しているのだから、JR東日本の路線として営業したら、恩恵を受ける通勤客もたくさんいそうですが、残念ながら別会社であります。
りんかい線の電車は、1996年に導入された70-000形電車です。京浜東北・根岸線で使用されていた209系0番台を基本としてして、前面形状は別として側面なんかはそのまんまです。しかし車内には化粧板がドア部にも張られていて0番台のような寒々とした雰囲気がないのは幸いです。
写真のZ2編成は、1995年12月に川崎重工で完成したものです。当初は4両編成でしたが、2002年の全線開業に際して中間車2両を増備して6連となり、さらに2004年10月のダイヤ改正にあわせて10両編成になりました。2011年度には主要機器の更新を実施しております。
【撮影:佐野次郎 2013.4.14 東雲駅】

2013/04/14

209系500番代(ミツC504編成)

E231系電車ともに、中央・総武緩行線の主力として活躍している209系500番代電車は、1998年に103系を置き換えるために、当時開発中だったE231系電車に先だって投入されたものです。
投入を急ぐために、京浜東北線などで使用されていた209系0番台に準じた走行機器に、拡幅車体を載せた電車となりました。
209系500番代の特徴として、車体の外板の厚さを1.5mmに厚くして0番代に比較して強度を上げたこと、台車はE217系と互換性のあるDT61D/TR246Hを採用し、車体拡幅による定員増に対応したこと、方向幕をLED式にしたことなどがあります。
写真のミツ504編成は、1999年1月に新津車両製作所で完成したものです。209系500番代の1次車に相当し、集電装置がパンタグラフ式になっているという特徴があります。

2013/04/06

451系急行形電車

去る3月のJRグループのダイヤ改正で、東北・上越新幹線の200系新幹線電車が定期列車から撤退するということで注目を浴びました。200系は1982年の大宮開業の時代からの形式ですから、息の長い活躍をした電車といえましょう。
東北新幹線が開業する前は、在来線特急の花形時代でした。しかし、身近な存在だったのはむしろ急行のほうだったではないでしょうか?広いとは言えない向かい合わせの座席にお世話になった方もたくさんいらっしゃると思います。
国鉄の分割・民営化の頃、急行の特急への統合が進み、急行に使用されていた電車は短編成化されて、地方都市の普通列車に転用されていきました。仙台や鹿児島などからはさすがに既に置き換えられましたが、北陸方面ではいまだに活躍していますね。
写真の451系電車は、常磐線の急行「ときわ」で最後の活躍をしていた頃のものです。1985年3月、新幹線上野開業時に485系の特急「ひたち」に格上げされ、その485系の後継である651系が3月のダイヤ改正で「ひたち」から撤退と、月日の流れを実感しております。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 上野駅】