2017/01/29

リニア・鉄道館 117系電車

名古屋市の金城ふ頭にあるリニア・鉄道館には、117系電車3両も保存されています。リニア・鉄道館の保存車両は、屋内展示が基本ですが、117系電車とケ90だけは屋外に展示されています。
117系電車は、京都~大阪~神戸を結ぶ「新快速」に使用されていた153系電車の置き換えを目的として、1978年に第一陣が登場したものです。私鉄との競合を背景に斬新なデザインが取り入れられました。
走行機器や制御装置については既存の技術を用いて手堅く纏められ、保守性の向上が図れました。117系は京阪神地区に投入されてから、中京地区にも投入されました。また1981年に登場した185系特急型電車も、技術的には兄弟車両のような存在です。
リニア・鉄道館に保存されている117系電車3両は、1982年に近畿車両で完成したものです。JR東海には72両の117系が継承され、2010年から廃車が始まり、2013年3月のダイヤ改正で運用から完全に退きました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

2017/01/28

京浜急行新1000形(1809編成)

京浜急行電鉄は、2015年度に新1000形の正面に正面貫通扉を設けた4両編成の1800番台を導入しました。2017年1月現在、2016年度の車両とあわせて3編成12両が運用に就いています。
朝夕は快特、特急の増結車として、日中は2編成繋いでエアポート急行、または4両編成単独で普通にて、導入の意図通りにさまざまな運用に対応しています。
1800番台の前面はフラットなので、やや傾斜のある他の新1000形と併結すると、併結部分では形状の差異がよくわかります。また側面から見るとステンレスの銀色もほとんど見えませんので、新鮮な印象を受けます。
写真の1809編成は、2016年10月に総合車両製作所横浜事業所で完成したもので、新1000形の16次車に相当します。今後、新1000形の4両編成の増備は1800番台で賄われることになるのでしょうか。
【撮影:佐野次郎 2017.1.3 屏風浦駅】

2017/01/21

交通科学博物館 キハ81 3

キハ80系気動車は、非電化路線を走る特急列車の整備・近代化を目的として、1960年12月に上野ー青森間を結ぶ特急「はつかり」に第一陣が投入され、1966年に至るまで384両が製造されました。
四国を除く全国に配置され、1992年に特急「南紀」での運用を終えるまでに、実に32年の長きにわたって現役の特急型気動車として活躍しました。その独特のスタイルで「ブルドック」と呼ばれた「はつかり」形の一次車よりも、翌年に登場した貫通型のキハ82形の方が多数派であります。
キハ80形は、1960年に「はつかり」用に6両が新製されたボンネットスタイルの先頭車です。ボンネット部分には、発電機を搭載していました。車体は「こだま」形151系特急電車を基本に、走行機器は一般形で実績のあったDMH17系統を用い、既存の技術を活用して短期間にまとめられました。
写真のキハ81-3は、1960年11月に近畿車両で完成し、尾久客車区に新製配置されました。1969年10月には、秋田運転所に転属し、さらに1972年10月に和歌山機関区に転属し、1979年10月に廃車となりました。現在では、京都鉄道博物館に展示されています。
【撮影:佐野次郎 1984年頃】

2017/01/20

115系近郊型電車

今や、湘南新宿ラインと上野東京ラインの整備によって、東海道線と一体化した感のある、東北本線(宇都宮線)・高崎線の中電ですが、かつては上野と東京で運転系統が分けられ、車両も113系と115系に分かれていました。
東海道線には、111系の頃からグリーン車がありましたが、東北・高崎線には211系・E231系が入ってからも当初はグリーン車が連結されていませんでした。東海道線よりも特急・急行が多数運転されていた期間が長かったせいもあるでしょう。
中電・あるいは近郊型電車というのは、国鉄~JRならではの存在でしょうね。駅間距離が長いですから、普通でも速い。あとは少々お金を払っても座りたいという気持ちもよくわかる。スイカの普及も相まってグリーン車の人気もうなづけます。
とはいえ自分にとって中電とは写真のイメージです。湘南色にデカ目の前照灯、ホームと電車のけっこうな段差、実用本位の寒色系の車内配色、混雑時に危険を感じる、向かい合わせ座席の金属製の枠などなど、冷房もないのが当たり前でした。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 尾久駅】

2017/01/14

横浜市電1500形(1505号)

東急東横線東白楽駅近くにある、六角橋の神奈川県警交通安全センターに横浜市電1500形の1505号が保存されています。私は1992年に撮影してきました。事務所に許可を得てから撮影しました。交通公園の中に野外展示されていました。
塗装は濃いブルー、帯は赤帯と、市電オリジナルとは異なるカラーとなっておりました。状態は塗装は色褪せ良好とはいえないまでも、部品の欠落やガラスの破損もなくそれなりの状態を保っていると感じました。
六角橋には市電も通ってきており、開業が1928年12月、廃止が1968年9月でした。横浜市電の全廃は1972年でしたが、2017年1月現在で市電の後継ともいうべき横浜市営地下鉄の営業路線は市電の最盛期をしのぐ53.4kmに達しています。
写真の1505号は、1951年6月に日立製作所で完成しました。1967年12月にワンマンカーに改造され、1972年3月の横浜市電全廃により廃車となりました。1505号は現存しておりますが、保存状態はかなり悪化してしまっているそうです。
【撮影:佐野次郎 1992.5.2】

2017/01/13

麻婆豆腐

昨年の10月頃から、ようやく月数回のペースで撮影に出かけるようになりましたが、自宅での料理も習慣として定着しています。
麻婆豆腐もよく作っています。クックドゥの四川風と広東風を交互に作っているような感じです。
とろみ粉を溶かなくてよいのでラクチンです。
その分豆腐を湯通ししたり、挽肉に下味をつけたりしています。
さっとできるので、ご飯のおかずにもよし、おつまみとして作ってもまたよしです。

東京メトロ副都心線7000系(7129F)

東京メトロ7000系は、もともと営団地下鉄時代に有楽町線開業に備えて導入された車両です。1974年に最初のグループが製造されましたが、当初は5両編成でした。1989年までに34編成340両が製造されました。
長きに渡り使用されている形式であり、数字に渡る改造が行われています。副都心線開通・東急東横線への直通運転開始に備えて、8両編成15本・10両編成6本に整理されました。160両が廃車となり、一部は海外に譲渡されました。
主回路はAVFチョッパ制御からVVVFインバータ制御となり、ラインカラーもゴールド単色から変更になりました。10両編成は、有楽町線・副都心線で使用されていますが、8両編成は副都心線専用になっています。
写真の7129Fは、1988年4月に川崎重工で完成したもので、当初から10両編成・冷房車でした。2008年8月に副都心線対応工事・8両編成化を完了しています。兄弟車ともいうべき千代田線6000系は引退が見えてきましたが、7000系はまだまだ活躍しそうです。
【撮影:佐野次郎 2017.1.8 白楽ー東白楽間】

2017/01/09

池上線7700系(7914F)

7700系のうち、7912F~7914Fの3本を池上線のワンマン運転化に備えて、4連から3連に短縮して、ワンマン運転用機器を搭載し、外観にも赤黒のステッカー貼りを行うなどの改造工事を施行して1995年に目蒲線から池上線に転用しました。
同時に3編成の改造によって発生した余剰の付随車3両を、先頭車化改造、IGBT-VVVFインバータ制御による電装を実施し、7915Fを組成しました。7915Fは、東急では初めてSIV一体型の制御装置、連結面での転落防止装置を備えた車両でもありました。
赤黒のステッカー貼りを行った編成は、7912F~7914Fの他にも、以前には同じ池上・多摩川線を走っていた7600系や東横線の8000系でよく見ることができました。これらは東横線の5000系、池上・多摩川線への7000系の投入により姿を消してしまいました。
写真の7914Fは、1964年3月に東急車輌で完成したデハ7120・デハ7027と1966年9月に完成したデハ7062を1991年6月にVVVFインバータ制御化し、7700系に改造したものです。目蒲線の目黒線・多摩川線への分離により、現在では池上線・多摩川線で使用されています。
【撮影:佐野次郎 2017.1.2 御嶽山ー久が原間】

池上線7700系(7903F)

7700系は、日本で初めてのオールステンレスカーだった先代7000系の主回路をGTO-VVVFインバータ制御とし、あわせて冷房化・更新したものです。1987年から91年にかけて56両が改造されました。
車体は7000系の車体をそのまま再利用し、正面に細い赤帯が追加されました。車内の化粧板などは当時の新造車両に準じたものに取り換えられました。編成によって細かな差異があり、7901F~7903F、7905F~7908F、7910Fには側面の行先表示器がありません。
7700系も廃車が進んでおり、2000年の目蒲線分離時に、7904F・7909F・7911Fが廃車となり、新7000系の導入により、7915F・7913Fが廃車となりました。さらに1000系1500番台投入により、7908F・7910F・7907F・7902Fと廃車が進みました。
写真の7903Fは、1963年10月に東急車輌で完成したデハ7024・デハ7112・デハ7023を、1987年12月にVVVF化改造したものです。デハ7023は電装解除してクハ7903に改造されています。車体については50年以上使用されていることになりますね。
【撮影:佐野次郎 2017.1.2 御嶽山ー久が原間】

2017/01/08

池上線7000系(7106F)

7000系は、池上・多摩川線用の最新型車両で、2007年から2011年にかけて7編成が製造されました。5000系を基本として、18m・3扉、ワンマン運転用の車両として設計したものです。前頭部のFRPが丸みを帯びているのが特徴です。
車体は軽量ステンレス製で、車内は木目調の化粧板を採用しています。これは首都圏では珍しく阪急電車のようです。中間車の車端部には、9000系以来のクロスシートを配しています。片側が1人掛けとなっているのがユニークです。
濃淡の緑色のラインを初めて取り入れ、屋根は濃い緑色に塗装されています。行先表示・運行番号表示とも、新製当初からLEDを装備しています。また2014年度には全編成の室内灯と前照灯をLEDに換装しました。
写真の7106Fは、2010年7月に東急車輌で完成したものです。2011年を最後に新製が途絶えていますが、1500番台の所定数が揃ったことでもあり、7700系の代替として増備の再開を期待したいところです。
【撮影:佐野次郎 2017.1.2 御嶽山ー久が原間】

池上線1000系1500番台(1505F)

1000系1500番台は、日比谷線直通用東横線1000系の車体・台車などを活用して、主回路に最新型の7000系に準じたIGBT-SIV一体型のVVVFインバータ制御を装備したものです。2014年に最初の編成が登場しました。
帯は従来の赤色から、濃淡のグリーンに変更して7000系と共通感を出しています。客室の化粧板も7000系と同じく木目調としています。行先表示はLEDとなり、正面の従来列車種別を表示したところには車番を標記しています。
車番の下2ケタは改造前の番号を継承しており、06を欠番として7編成が改造されました。今後は池上線用に新製されたグループも1500番台に改造されていくことになった模様です。
写真の1505Fは、1005Fとして1989年11月に東急車輌で完成し、東横線の日比谷線直通列車に使用されました。2015年3月に3両が、東急テクノシステムで1500番台化改造を完了しました。
【撮影:佐野次郎 2017.1.2 御嶽山ー久が原間】

2017/01/07

池上線1000系(1020F)

1000系は、1988年から93年にかけて製作された18m車体・3扉の車両で、8連で東横線の日比谷線直通列車に用いられるグループと、4連で目蒲線向け、3連で池上線向けに投入されたグループがありました。
現在では、路線の再編成により、3連で池上・多摩川線に使用されるグループに統一されています。その一方で、8連から改造された1500番台が登場した他、廃車・地方私鉄に譲渡される車両も発生しています。
3連で池上線に新製投入されたのは、1019F~1024Fの6本ですが、その後目蒲線から1014F~1018Fが加わっています。その中から既に1014F~1016F、1018Fは廃車となっています。さらに1500番台への改造も始まっていますね。
写真の1020Fは、1993年3月に東急車輌で完成したものです。パンタグラフは菱形からシングルアーム式に換装され、行先表示が幕式からLEDに換装されたりと細かなところでは変化が見られます。1000系の赤帯も1500系化によって姿を消すことになるでしょう。
【撮影:佐野次郎 2017.1.2 御嶽山ー久が原間】

池上線1000系「きになる電車」(1017F)

東急電鉄では、2016年3月のダイヤ改正に合わせて、池上線戸越銀座駅を木目調の「木になるリニューアル」を行うともに、池上線・多摩川線1000系の1017編成を「きになる電車」としてリニューアルしました。
以前、池上線と旧目蒲線で運転されていた旧3000系の紺と黄色のツートンカラーを再現したラッピングを施し、元来の銀色に赤帯から大きく印象が変わっています。またかつての社紋「T.K.K」を車体の下部に表記しています。
客室設備はユニバーサルデザインを取り入れ一新されました。車内の化粧板は濃い木目調のものに改められています。また珍しい木製の吊手も採用されています。その他照明にLEDを採用するなど、省エネルギー化を図っております。
写真の1017Fは、1991年10月に東急車輌で完成し、目蒲線に投入されました。1992年には池上線に転用されました。2016年3月に東急テクノシステムでリニューアル工事を完了しています。
【撮影:佐野次郎 2017.1.2 御嶽山ー久が原間】

2017/01/04

京浜急行新1000形(1017編成)

私こと佐野次郎は、本年になってから2日に東急池上線、3日に京浜急行本線の撮り鉄に出かけて参りました。ここ数年めっきりと撮影に出かける回数が減っておりましたが、ようやくペースを掴めてきたようです。
さて撮影していて、正面に「2017」と表記している編成に気が付きました。京急にそんな編成あったっけ、と不思議でした。後で下り列車を撮影して気が付いたのですが、本来「017」と表記している1017編成に「2」を足して「2017」と表記しているのですね。
2017年を記念しているのでしょうが、誰が考え付いたのか面白いアイデアですね。京急といえば「赤い電車」ですが、青・黄の異色の編成や、リバイバルカラーや、この2017編成など面白い編成もあり飽きません。
写真の1017編成は、2002年5月に川崎重工で完成したもので、新1000形の1次車に相当します。現在は、8両編成は総合車両製作所、6両・4両編成は川崎重工で製作しているようですが、初期のアルミ車体のグループではそれぞれに発注されていました。
【撮影:佐野次郎 2017.1.3 能見台ー金沢文庫間】

東京都電6000形(6236号)

父の遺品を整理していて、日本橋を走る都電6000形の写真を見つけました。父のメモによると1970年の撮影です。荒川線だけになる前の、都心の併用軌道を走る現役の都電の姿を見ることができます。
写真の20系統は、江戸川橋ー須田町間の路線でしたが、日・祝のみ、日本橋を経由して通三丁目まで延長運転されていました。20系統は神明町電車営業所の受け持ちで、1971年3月の都電の第五次撤去で廃止となりました。
東京都電6000形は、1947年から52年にかけて290両が製造され、車体更新によりほぼ同等の車体となった3000形・4000形とあわせて都電の標準的な車輌として活躍しました。6152号が荒川線で2000年まで動態保存的に使用されていました。
写真の6236号は、1950年12月に新日国工業で完成したもので、三田車庫に配置されました。1967年12月に三田車庫の廃止に伴い、巣鴨車庫に転属しました。翌1968年2月には巣鴨車庫の廃止により神明町車庫に転属となり、1971年3月に神明町車庫の廃止とともに廃車となりました。

2017/01/03

荒川線7500形(7513号)

私事ですが、昨年の9月に父を見送りました。父は絵を描くのが好きで、練習を重ねて勤務先でほぼ一貫してデザインの仕事をするまでに至りました。定年退職後にも、よく自宅で果物や植物などの水彩画を描いていました。
写真もまた趣味で盛んに撮影しておりました。鉄道ファンというわけではありませんでしたが、たまたま鉄道を撮影することもありました。私は父に保育社のカラーブックス「蒸気機関車」「路面電車」を小さいときに買ってもらい、そのまま40代後半となった今も趣味として続いております。
写真は王子駅前の都電荒川線のスナップです。1974年10月に27系統と32系統を統合して、荒川線と改称してから、1977~78年にワンマン化される間に父が撮影したものです。7500形の原型の姿、東北新幹線開業前の空の広い王子駅前の姿が残っています。
写真の7513号は、1962年に新潟鉄工所で完成したもので、青山車庫に新製配置されました。1968年9月に柳島車庫に転属し、1972年11月に荒川車庫に転属しました。1977年8月にワンマン化、1985年に車体換装・冷房化され、2009年7月に廃車されました。

京浜急行新1000形(1607編成)

順調に増備が進んでいる新1000形ですが、既に6両編成だけでも13編成78両の勢力に達しております。6連の増備によって800形の置き換えを進めているというわけですね。
新1000形の6連は2011年度の11次車で初めて登場しましたので、新1000形の6連は今のところすべてステンレス製の車体となっております。
新1000形の16次車では車端部のクロスシートが復活し、乗客が自由に利用できるコンセントが装備されました。スマホの電池が心細くなった時には役立ちそうですね。
写真の1607編成は、2016年11月に川崎重工で完成したもので、新1000形の16次車に相当します。2016年12月17日から営業運転に就きました。デビュー後約2週間の姿を記録することができました。
【撮影:佐野次郎 2016.12.29 能見台ー金沢文庫間】

2017/01/02

京浜急行新1000形(1445編成)

京浜急行電鉄では2002年から新1000形の増備を継続しており、2016年12月現在で366両にまで達しております。これは京浜急行の車両では最大の在籍数で、既に先代1000形最盛時の356両を凌駕しております。
1次車から5次車までのアルミ車体のグループと、6次車から15次車までのステンレス車体のグループ、そして15次車のうち1800番台と16次車のステンレス車体にマイナーチェンジしたグループと、外観の面ではバラエティに富んだ形式であります。
アルミ車体のグループは、2100形を3扉・ロングシート化したような仕様で、通勤型電車としては極めて良質だと感じます。側窓は固定式の複層ガラスで、車体とフラットになっています。これは似たような形状の600形にもないスマートなものですね。
写真の1445編成は、2006年11月に川崎重工で完成したもので、新1000形の5次車に相当します。新1000形の4両編成のうちアルミ車体のグループは48両が製造されました。
【撮影:佐野次郎 2016.12.29 能見台ー金沢文庫間】

京浜急行新1000形(1057編成)

京浜急行といえば「赤い電車」ですが、1000形の1057編成は、2014年5月に黄色に塗装変更され、「しあわせの黄色い電車(KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN)」として走っています。
「赤い電車」だけでも充分魅力的ですが、青の2133編成・606編成があり、2000形・800形にも1本ずつリバイバルカラーの編成があったりと京急には撮影意欲を誘う編成が揃っております。
青・黄の京急における異色編成も、細かな変更があるようで、今回撮影した際には、マツモトキヨシのラインスタンプのようなラッピングが施されていました。
写真の1057編成は、2005年8月に東急車輌で完成したもので、新1000形では4次車に相当します。前後の種別・行先表示がフルカラーLED式に変更されました。
【撮影:佐野次郎 2016.12.29 能見台ー金沢文庫間】

2017/01/01

荒川線8900形(8908号)

都電荒川線では、長らく主力として活躍してきた7000形の置換えを目的として2015年から翌16年にかけて8900形8両を導入しました。8800形をベースとしており、基本性能は共通ですが各所の設計を見直しております。
目につきやすい変更点は、8800形の車体は丸みを帯びたデザインでしたが、8900形は直線基調のデザインになっております。また車体前面に設けられた緩衝器カバーと救助器は、保安性を高めるために8800形のFRP製から金属製に変更されています。
車体配色については、8800形と同じくカラーバリエーションがあり、オレンジ・ブルー・ローズレッド・レモンイエローの4色があります。
写真の8908号は、2016年7月にアルナ車両で完成したもので、8900形のラストナンバーに相当します。2016年8月1日に8907号と揃って営業運転入りしました。
【撮影:佐野次郎 2016.12.30 王子駅前ー飛鳥山間】