2009/09/12

碓氷峠鉄道文化むらナハフ111

 国鉄の客車の中で1950年代に製作された10番台の形式の客車は「軽量客車」と呼ばれている。1950年代の前半においては長距離輸送の主力は客車列車であり、客車の重量の増加は牽引機関車の負荷を増し、牽引両数の減少の要因となりまた速度向上の妨げにもなっていた。
 国鉄では1953年以降に車両の軽量化の研究を進め、1955年10月に溶接技術の進歩、新しい材料の使用、設計技術の進歩、台車の進歩を背景にして最初の形式ナハ10形8両が登場した。
 ナハフ11形は1957年から58年にかけて30両が製造された、車掌室付きの車両である。写真の1号車は1957年5月に品川客車区に新製配置され、1986年3月に福知山運転所で廃車された。
 私はまだまだブルートレインが多数運転されていた1980年代に、10系客車が品川客車区に留置されていたのを記憶している。おそらく事業用車の代用だろう。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

2 件のコメント:

  1. 子供の頃、父の郷里(茨城県日立市)や母の実家(宮城県岩沼市)に行く時、この客車に乗って行った記憶があります。朝5:55に上野駅の20番線発(後、19番線発)仙台行きで、日立には9時過ぎに到着、岩沼までだと13時過ぎに着くという、かなりの長旅でした。仙台には13:30ごろの到着だったと思います。結構、長距離乗る人が多かったと記憶しています。平(現、いわき)や原ノ町、仙台から乗り換えて一ノ関や盛岡までという家族と同席したこともありました。
    もう一本、12:30発にも仙台行きがありました(こちらは日立までしか乗ったことはありませんが)。昔は各地で長距離の各駅停車が走ってましたよね。東北線、常磐線では中学校に上がる頃までこの客車が走っていたと思います。

    乗り心地は、クロスシート座席の間隔は急行電車と同じかそれより広いくらい(子供の足では届かない)でしたが、車両間の連結器にすき間があるらしく、発車、停車の時の前後の揺れが大きかったです。編成の後ろの方に乗るほど揺れが大きいからと、だいたい前から2両目か3両目に乗せられたものです。(1両目は郵便・荷物車)
    あと、トイレの便器から下を除くと線路が見えました。停車中はトイレの使用をご遠慮くださいみたいな事が書いてあり、車窓には「たれ流し便所廃止せよ!」の看板があり、複雑な気持ちで用を足していました。

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  2. irifujiさんコメントありがとうございます。

    おっしゃる通り、国鉄の幹線・亜幹線には、昔長距離の客車列車が多数走っていました。
    こうした客車による普通列車は、徐々に電車化されて姿を消していきました。
    東北・上越新幹線の開業により、在来線の特急・急行型電車が大量に余剰となったこともあり、北陸・九州地区の急行を特急に格上げ、急行用車両をローカルに転用という手法もとられました。

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