2009/12/31

小田急8000形〈8260F〉

 1982年に導入された8000形は高性能化、省エネルギー化、メンテナンスフリーを意図して、5200形までの「小田急顔」の通勤電車とは違ったイメージで登場しました。
 新しいと思っていた8000形も、登場から30年近くなり、原形を保ちつつも質的には大きな改善が行われています。
 2004年から車体改修が行われ、車体の内外の改修はもちろんのこと、電気部品を取り替えてVVVFインバーター制御にしています。走行機器に関しては最新の車両に近い水準に改善されているわけです。
 写真の8260Fは1984年11月に東急車輛で完成し、2007年8月に小田急車両工業で車体改修を行っています。
【撮影:佐野次郎 2009.12.30相武台前ー座間間】

2009/12/30

小田急5200形〈5268F〉

 小田急の通勤電車は、「小田急顔」という印象が強かったのですが、3000形の大量投入により2600形・4000形〈先代〉が全廃となり、5000形・5200形も廃車が進んでいます。
 5200形は急行と準急を10両編成で運転するため、1977年から82年にかけて120両〈6両編成20本〉が製作されたものです。側窓が9000形〈既に引退〉と同様に1段下降式になっています。
 5200形も2006年度から廃車が始まり、現在では36両が残るだけとなっています。その中には車両の需給を調整するために4両編成に短縮された編成も含まれています。
 写真の5268Fは1982年6月に日本車輛で完成したものです。現在では小田原方面に「小田急顔」の車両が連結されることが非常に珍しくなっています。
【撮影:佐野次郎 2009.12.30相武台前ー座間間】

江ノ電1000形〈1001+1051〉

 江ノ電1000形が12月で製造されてから30年を迎えるということで、当時の塗装に塗り替えられて走っています。
 1000形は江ノ電としては久々の新形車両でしたが、小型車両ですので技術的な制約があり、構造がシンプルな吊り掛け駆動が採用されました。そのため走行音は旧形の電車と同じです。
 1979年は路面電車の新形車は少数でしたので、1000形の登場は好意的に迎えられました。鉄道友の会の「ブルーリボン賞」も受賞しています。
 江ノ電の車両はこのところ塗装の変更を頻繁に行っていて、目が離せません。次はどんな変化があるのか楽しみです。
【撮影:佐野次郎 2009.12.29極楽寺ー稲村ケ崎間】

江ノ電1500形〈1502+1552〉

 江ノ電1500形の第二編成が、10月から京福電鉄と提携したことから「嵐電号」として嵐山線の電車を模した塗装で走っています。
 あまり変わらないようにも思ったのですが、上半分のクリーム色のトーンは嵐電のそれがみごとに再現されています。また嵐電は独特の意匠の社紋がついているのですが、江ノ電の「江」を同じ意匠でつけています。
 【撮影:佐野次郎 2009.12.29極楽寺ー稲村ケ崎間】

2009/12/27

京浜急行1000形〈1351編成〉

 私の感覚としては京浜急行の普通といえば1000系の4連なのですが、現実には1000系の4連は2本しか残っておらず本線からは既に姿を消しているのです。
 今では京急川崎ー小島新田間を結ぶ大師線に1000系の4連が走る姿を見出すことができます。川崎大師にお参りにいくときにはお世話になる路線ですね。
 大師線は日中3編成の電車で運用を賄っているようです。10分間隔での運転ですから、記録を目的に撮影していると約30分で終了することになります。
 写真の1351編成は1977年2~3月に東急車輛で完成し、1992年5・12月に更新修繕を受けたものです。1000系としては最後の8両固定編成だった編成の生き残りです。
【撮影:佐野次郎 2009.12.26京急川崎ー港町間】

京浜急行新1000形〈1453編成〉

 京浜急行新1000形のうち2008年後半に完成した32両〈8両編成3本・4両編成2本〉は八次車に相当します。
 七次車とほぼ同じ仕様ですが、車内の配色に一部変更となった部分があります。また今回初めて4両編成が登場しています。
 4両編成は、すべてモーター付きの車両で構成されています。
 写真の1453編成は、2008年9月に川崎重工で完成したものです。
【撮影:佐野次郎 2009.10.3仲木戸駅】

2009/12/23

京浜急行1000形〈1369編成〉

 京急といえば、都営地下鉄に乗り入れる特急は1000形、特急を待避する普通も1000形という印象が私には強いのですが、9月末の時点で38両にまで減ってしまいました。その後さらに運用を離脱した編成があるのかもしれません。
 京浜急行1000形の6両編成は、1500形と共通運用を組んでいて大師線など6両編成の運転がない区間を除いて普通列車として走っています。
 1000形は最近の新しい電車と違って窓が多いですね。戸袋の部分や連結面にもちゃんと窓があります。前照灯が1灯で方向幕と運行番号表示が対称にあるのも端正でイイです。
 写真の1369編成は、1978年3月に東急車輛で完成し、1993年に更新を行っています。また8両編成として稼働した期間が長かった編成でもあります。
【撮影:佐野次郎 2009.9.6仲木戸駅】

2009/12/21

東京都電荒川線7000形〈7005号〉

 現在も荒川線で一番多く走っている7000形電車は、1978年にワンマンカーに改造された頃は写真のような姿をしていました。今でも元気に荒川線を走る7005号ですが今の姿とは違っています。
 第一に塗装が違いますね。都電はイエローに赤帯を巻いていましたが、青帯になっています。ワンマンカーであることをアピールするためだったのでしょうか?今では7022号がこの塗装を復元して走っています。
 第二にクーラーが乗っていませんね。今では電車やバスにはク-ラーがついているのが当たり前ですが、写真を撮影した1985年当時には、通勤電車にも冷房のないものがあり、地下鉄や路面電車にはほとんどクーラーがついていませんでした。
 第三に架線から電気を取り入れる装置が「ビューゲル」という「しゃもじ」のようなものを使っていますね。戦後の路面電車では定番の装置でしたが、いまでは見かけなくなりました。
 皮肉なことに東京で荒川線が再生し、生まれ変わった7000形が現れた1978年に、京都では市電が全廃されてしまいました。今でこそ2路線の地下鉄が走る京都ですが、せめて外周部や河原町線だけでも残してほしかったと思います。観光や生活に有益だと思うのですが・・・
【撮影:佐野次郎 1985年頃 宮の前ー熊野前間】

2009/12/20

東京都電荒川線7000形〈7025号〉

 荒川線の主力として22両が活躍している7000形にはいまのところ取り替える計画はないようです。7000形は1954年から56年にかけて93両が製造された電車で、都電の各車庫に分散配置されて、いろいろな路線で活躍しました。
 1960~70年代の都電の相次ぐ廃止によって、荒川車庫にあつまった車両のうち31両が1977年から78年にかけて、車体を新しいものにとりかえてワンマンカーに改造されました。
 ワンマンカーに改造されてから早いもので30年以上が経つわけですが、クーラーをつけたり、方向幕をLEDにしたり、写真の7025号のようにシングルアーム式のパンタグラフに取り替えたり、手入れをしながら使用され続けています。
 製造から50年、車体を新しくしてから30年、とっくに新しい車両に取り替えてもおかしくない年数ですが、当面は活躍を続けるようです。
【撮影:佐野次郎 2009.11.22大塚駅前】

東京都電荒川線8800形〈8802号〉

 8800形は2両目の8802号も8801号と同じように4月26日から営業運転に入っています。今までの荒川線の車両にはないローズレッドという塗装は、沿線に多く植えてあるバラをモチーフとしたものだそうです。
【撮影:佐野次郎 2009.11.22向原ー大塚駅前間】

東京都電荒川線7500形〈7514号〉

 7500形はつくられた当時は写真のような姿でした。写真は1985年頃ワンマン化改造の対象から外れて荒川車庫に保管されていた7514号を敷地外から撮影したものです。
 7000形から始まった、車体の前と真ん中に乗降扉を配置したスタイルで、バス用の部品を利用したライトなどが7500形の特徴です。
 荒川線のワンマン化当時7500形は製造してから15年程度でしたので、車体はステップを廃止したほかはそのまま利用したわけですね。7514号の前後にそれらの車両が写っています。現在荒川車庫前につくられた「都電おもいでひろば」に1両が展示されています。
 また7514号はその後小金井市にある「江戸東京たてもの園」に展示されています。最盛期の都電の姿を現代に伝える貴重な存在といえるでしょう。
【撮影:佐野次郎 荒川車庫敷地外から撮影 1985年頃】

2009/12/17

南北線9000系〈9117F〉

 南北線は2000年9月26日に目黒ー溜池山王間が開業し、東急目黒線との直通運転がはじまりました。
 9000系も四次車として、9116F~9121Fが1990年から2000年にかけて製造されました。走行用の機器や座席など車内の設備にマイナーチェンジを行っています。
 目黒線との直通運転を開始したことで、9000系電車も地下から写真のような地上区間に姿を見せるようになりました。地下鉄にはない踏切も通って行きます。
 南北線は港区の白金台や麻布十番など高級イメージがあるといわれているところを通りますが、目黒線の奥沢あたりの住宅街もいい雰囲気を持っています。
【撮影:佐野次郎 2009.11.28奥沢ー大岡山間】

2009/12/16

南北線9000系〈9113F〉

 営団地下鉄の南北線は、1996年3月26日に四ツ谷ー駒込間を延長開業し、山手線の内側へ路線を伸ばしてきました。
 その際に9000系電車も二次車として、9101~9108Fを6両にするための中間車16両と、全車が新車の9109~9113F30両が製造されました。
 見た目には従来の9000系とはそれほど違いが分からないのですが、インバーターの素子を現在主流のIGBTに変更したり、台車を改良したりしています。
 ちなみに9000系は南北線の全線開業時には8両編成にすることを考えていたのですが、今も6両編成で走っています。当初考えていたほどは南北線が混雑していないということでしょうね。
【撮影:佐野次郎 2009.11.28奥沢ー大岡山間】

2009/12/15

南北線9000系〈9102F〉

 東京メトロ南北線は目黒ー赤羽岩淵間21.3kmを結ぶ路線であるが、最初に開業したのは北側の駒込ー赤羽岩淵間6.3kmである。営団地下鉄〈当時〉としては8番目の路線で、開業日は1991年11月29日である。
 南北線の一次開業に際して、1990年11月に新形式である9000系電車の量産先行車1編成が落成した。千代田線での走行試験を踏まえて、1991年に量産車28両〈4両編成7本〉が製造された。
 車体はアルミ製で、VVVFインバーター制御を採用している。また南北線はワンマン運転を行うため、ATO装置を装備している。ちなみに南北線は本格的なホームドアを採用している。卒業旅行で1992年にシンガポールに行ったが、MRTという都市鉄道が同じようなホームドアを採用していた。
 写真の9102Fは91年7月に川崎重工で落成し、1996年3月の四ツ谷ー駒込間の開業時に中間車4両を増結して6両編成となっている。なお捻出した2両の中間車は試作車〈9101F〉の6両編成化に充当している。
【撮影:佐野次郎 2009.11.28奥沢ー大岡山間】

2009/12/13

東上線50090系〈51091F〉

 「TJライナー」用の50090系は、「TJライナー」以外にも準急などにも使用されている。50090系が走る東武東上線は成増を境に遠近分離を図ったうえで、十分な運転本数が確保されている。
 したがって、朝夕のラッシュ時や夜間の下りを除いては、それほど耐えがたい混雑ということはないと思われる。その上で「TJライナー」を設定していることは特筆に値する。
 ところで池袋ー川越間は1時間に5本設定されている東武東上線の急行が30分で結んでいるが、JR埼京線・川越線経由では時間が50分もかかる上に1時間に3本しか列車が設定されていない。
 川越線は単線である上、遠回りなので正面から東武東上線に対抗することは難しい。川越の駅は東武の駅が賑わい、JR側は静かな感じである。
【撮影:佐野次郎 2009.12.13川越駅】

2009/12/08

京浜急行2000形〈2011編成〉

 京浜急行2000形は、写真のように窓回りが白い塗装で登場した。通勤用の800形も同じく窓回りが白で登場したが、2000形の登場により、窓下に白帯を巻く現行の塗装に変更された。
 その後、3扉クロスシートの600形が窓回り白で登場し、2100形とあわせて「京急のクロスシート車=窓回り白」という公式が成立するかに見えたが、現在ではロングシートの新1000形も、ロングシートに改造された600形も窓回り白で、法則性は希薄になっている。
 現在では2000形は全車3扉・ロングシートに改造され、窓下に白帯という塗装になっている。かつての過酷な運用のせいか、また地下鉄に入れないからか8連はあまり日中には走っていないように思う。
 写真の2011編成は1982年12月に東急車輛と川崎重工で4両ずつが落成し、1998年3月に東急車輛で3扉車化改造を受けたものである。
【撮影:佐野次郎 1992.2.6神奈川ー仲木戸間】

2009/12/07

浅草線5300形〈5318編成〉

 5300形の5315編成からは前面に装備されたスカートが大型になっている。写真の5318編成は、1994年に製造された五次車である。
 90年代の中盤くらいから通勤電車のスカートが大型になってきた。最近ではJR東日本がE231系やE531系のスカートを大型のものに取り換えたりもしている。
 80年代には、あまり通勤電車にはスカートが付いていなかった。5300形の前任の5000形などあっさりとしたものであった。
 人身事故対策ということなのだろうが、本来は十分なホームの幅と運転本数が確保されていることがほんとうの意味での対策だと思う。特にJR東日本は夕方から夜間の運転本数をもう少し増やすべきだと思う。
【撮影:佐野次郎 2009.12.5立会川駅】

2009/12/06

浅草線5300形〈5313編成〉

 東京都交通局が浅草線用として所有する電車は1991年から97年にかけて製造された5300形に統一されている。216両〈8両編成27本〉が馬込車両検修場に配置されている。
 5300形は主に1960年に走り始めた5000形の代替として製造された車両で、車体はアルミ製となって冷房も付き、主回路はVVVFインバーター制御で回生ブレーキも付き省エネルギーの観点からも大きく進化している。
 当初は京急川崎まで急行電車として乗り入れていたが、現在は空港線にシフトしている。また一部特急として三崎口方面まで乗り入れている。
 品川ー京急蒲田間では、京急の車両のほか、東京都交・京成・北総の車両も走りバラエティが豊かになっている。
【撮影:佐野次郎 2009.12.5立会川駅】

大江戸線12-000形〈12-151編成〉

 都営地下鉄大江戸線は都庁前ー光が丘間40.7kmを六の字形に結ぶ路線である。1991年13月に練馬ー光が丘間が開業したあと、数次に渡り延伸し、2000年12月に全線が開業した。
 当初は12号線として営業していたが、2000年に「大江戸線」と改められた。わかりやすいし、インパクトもあるが現存しない都市名を冠するのはいかがなものか?
 といいながらも「森下」など時代小説にも出てくる駅名には、ニヤリともする。確かに「江戸」だったところを通ってはいる。
 写真の12-151編成は、1997年の新宿ー練馬間の延長開業に備えて製作された三次車である。大江戸線はリニアモーターを利用した路線で、車体も小さくホームの高さも低い。乗っている独特な感覚がする。
【撮影:佐野次郎 2009.11.22大門駅】

東京都交通局10-300形(10-380編成)

 全車両が新製車両で構成されている10-300形は2005年から製造され、96両〈8両編成12本〉が在籍している。
 JR東日本のE231系をベースとした車両である。東急車輛に発注された車両がほとんどであるが、一部にJR東日本の新津鉄道車両製作所で製造された車両がある。
 室内はグリーン系のカラーを採用しているが、乗ってみるとこれが独特の印象である。薄いグリーンとFRPの組み合わせで、見ようによっては新しい電車のようには感じられないのである。10-000形の暖色系でまとめた車内を見慣れているからであろうか?
 とまれこの車両も京王電鉄との「10号線直通規格」に基づいて製造された電車であり、最高速度は120km/hを誇る。京王線内でもきびきびとした走りを見せている。

東京都交通局10-300R形(10-320編成)

 都営地下鉄新宿線で使用していた10-000形のうち、試作車と1978年の岩本町ー東大島開業にあわせて製造された一次車と、1980年の新宿ー岩本町間開業に際して製造された二次車については、老朽化のため新型車両に置き換えることになった。
 これらの編成は6両編成で製造され、1986年以降に中間車を製造して8両編成にしていたため、新しい中間車は更新して継続使用し、先頭車だけを新製することになった。こうして2004年から2005年にかけて10-300R形が製造された。10-300R形の外観は、10-300形と共通であるが、編成としてのシステムは、10-000形の七次車・八次車に準拠している。
 先頭車だけが新しい編成というのは、山手線・京浜東北線にATCを導入するときに103系に見られたが、現代では少なくなっているような気がする。他には東急が8090系をみなとみらい線に直通させるために製造した8590形くらいしか思いつかない。
 10-000形の中間車に10-300R形を組み合わせた編成は、現在6本が大島車両検修場に所属し、本八幡ー笹塚間の普通列車を中心に活躍している。

2009/12/05

東京都交通局10-000形(10-280編成)

 写真の10-280編成は1997年にアルナ工機で製造された10-000系の8次車である。10-000形の試作車は1971年の製造であるから、何と四半世紀もの長きに渡り製造を継続したことになる。
 1997年には新たに製造する電車の主回路にはVVVFインバーター制御を用いるが一般的になっていたが、10-000形八次車はチョッパ制御を採用している。当時のATC装置が、VVVFインバーター制御に影響を受けるものだったので、既存車同様のチョッパ制御にせざるをえなかったそうである。
 車体のデザインは変更されており、フロントマスクは以前の車両とは明らかに異なる。また側面の凹凸が少なくなりスマートになっている。
 また10-000形8次車は、同年に製作された京都市営地下鉄10系の増備車とともに、チョッパ制御を採用した最後の新製車両である。

東京都交通局10-000形(10-250編成)

 都営新宿線は、東京メトロ東西線と同じく千葉と東京を結ぶ路線で、JR総武線のバイパス線的な性格をもっている。
 さすがに東西線ほどは混雑しないが、乗客は漸増傾向にあり、都営地下鉄ではもっとも「稼ぐ」路線だそうである。
 ちなみに写真を撮影した船堀駅も東西線の西葛西駅となんとなく雰囲気が似ているような気がした。
 写真の10-250編成は、1992年に近畿車輛で製造された7次車である。浅草線の5300形で採用されていた車内ドア上部の行き先表示器や自動放送装置などが導入された。

東京都交通局10-000形(10-190編成)

 都営地下鉄の新宿線は新宿ー本八幡間を結ぶ路線である。新宿から京王電鉄と相互乗り入れを行うため、レールの幅が1.372mmとなっている。この間隔は京王電鉄がもともと東京都電へ乗り入れることを考えて採用したものであり、さらにさかのぼって都電がこの間隔を採用したのは何故かというと馬車軌道を一部継承していたからである。
 新宿線の列車は京王線の笹塚まで直通する列車を主体として、一部列車は京王相模原線の橋本まで直通している。
 10-000形は1978年の新宿線開業に備えて導入された車両で、1997年までに224両が製造された。主回路はJR201系などと同じ電機子チョッパ制御で、回生ブレーキも備えている。
 写真の10-190編成は、1986年の船堀ー篠崎間の延長開業に備えて製造された三次車である。車体が骨組みを含めてステンレス製となり、側窓が一段式となったことなどの変更点がある。現在では新宿線でもっとも古い電車だということになる。

2009/12/03

埼京線103系

 東北・上越新幹線の赤羽ー大宮間が高架で建設されることにより、開業後発生するであろう騒音の地域住民に対する見返りとして、新幹線に平行する「通勤新線」をあわせて建設することなった。
 「通勤新線」の計画は、山手貨物線の旅客化、川越線の電化と車両基地建設を含めた総合計画に発展し、1985年3月に旧赤羽線区間を統合して川越ー池袋間が開業した。翌1986年3月には池袋ー新宿間を延長開業した。
 埼京線の開業当時に使用されたのは写真の103系である。山手線への205系電車新製投入によって捻出されたウグイス色の103系が川越電車区に転属してきた。
 皮肉なことに103系の発する騒音が新幹線以上にひどいもので、90年代初めには新製された205系電車により早々に淘汰されることになった。
【撮影:佐野次郎 1986年冬 撮影場所不明】

205系〈ハエ16編成〉

 今日は朝の通勤時間に東海道線の品川ー川崎間で人身事故が発生し、私が利用していた京浜東北線の電車も新子安駅で運転見合わせとなった。  さて京葉線沿線の会社までどうやって行くか?とにかく行けるところまで行くという考えで前進するか、または敢えて動かず待つか判断のしどころである。  私は早々に京浜新子安駅で京浜急行に乗り換え、品川を目指すことにした。しかしJRの振替輸送を京急だけで賄うことには無理があり、列車の遅れと積み残しの連続だった。乗客のストレスも相当なものだったであろうし、京急の乗務員も地上要員もかなりの緊張を強いられたことだろう。  あまりに混雑が激しく鮫洲駅まで出て、大井町まで歩いてりんかい線で新木場まで出ようと思ったが、ひとつ手前の立会川駅で降りて、タクシーで大井町まで行った。りんかい線の存在により、ある程度のリカバリーができたわけである。やってきたりんかい線の電車は写真と同形の埼京線の205系であった。

2009/12/01

横浜市営地下鉄2000形

 1984年には横浜市営地下鉄としては第二世代の車両である2000形が登場した。翌1985年の新横浜ー横浜間、上永谷ー舞岡間の延長開業に備えて導入された車両である。
 車体は軽量ステンレス製となり、1000形に比べてフラットな印象となった。また冷房装置を当初から備えていた。主回路は電機子チョッパ制御を採用し、消費電力の低減を図っている。
 メーカーは横浜市内にある東急車輛で、同時期に製造された国鉄205系や東急9000系にも通ずる仕様で製作されている。
 まだまだ走れる車両のように思えるが、ワンマン運転に対応できず、開業以来の1000形とともに2006年12月に現役を退いた。なお台車などの走行機器の一部は3000R形に継承されている。
【撮影:佐野次郎 1992.10.7上永谷駅】

横浜市営地下鉄1000形

 横浜の地下鉄が開業したのは、1972年12月である。現在のブルーラインのうち、伊勢佐木長者町ー上大岡間5.3kmが開業した。
 横浜市営地下鉄の開業に際して投入されたのが写真の1000形である。開業当初は3両編成を組んでいた。その後1976年9月には横浜ー伊勢佐木長者町、上大岡ー上永谷間が延長開業し、翌年には1000形は5両編成になった。
 今になって思えば、傾斜した前面形状やドアにブルーでアクセントを入れるデザイン.など当時としては斬新なスタイルであることを感じる。いまだ現役で走っていたとしても何ら不思議のないスタイルである。
 1000形は1984年に6両編成となり、さらに冷房改造を行って活躍したのであるが、2006年12月には現役を退いた。 この電車がホームに進入するときに発する「ブオン」というタイホンの音が印象に残っている。
【撮影:佐野次郎 1992.10.7上永谷駅】