特急列車というものは、ビジネスで利用する場合は別として、観光で利用するには日常と離れた特別な電車だというイメージがあります。
鉄道で伊豆に行くには、特急「踊り子」を利用することが多いと思いますが、1981年から走っている185系電車は急行電車みたいでやや特急らしさに欠けるうらみがあります。そこでイメージアップのために1990年4月から251系電車が投入されました。
ダブルデッカーやハイデッカーを中心とした、いかにも観光用というスタイルの特急形電車ですね。1990年代は二階建て車両が多く作られましたが、近年では段差が嫌われJR東日本の中距離電車のグリーン車だけが製造されていますね。
写真のRE2編成は1990年4月に近畿車輌で完成したもので、251系の1次車に相当します。2003年11月にリニューアル改造を受けています。
2011/05/29
205系(ナハ7編成)
2011年3月12日のダイヤ改正で、南武線に快速電車が設定されました。東日本大震災の発生により運転開始は延期され、電力の供給状況が改善した4月9日から運転が始まりました。
快速電車は日中に毎時2本が設定されました。川崎ー立川間のうち登戸までが快速区間となり、鹿島田・武蔵中原・武蔵小杉・武蔵新城・武蔵溝の口に停車します。緩急接続や追い越しはありませんが、川崎ー登戸間で各停に比べて6分の短縮となっています。
1969年12月から1978年10月まで南武線では快速電車を運転していました。川崎ー登戸間に日中毎時1本が設定され、途中停車駅は武蔵溝の口と武蔵小杉だけで、武蔵中原で各停を追い越すと云うものでした。南武線の101系化により各停の速度も向上したため、廃止となりました。
写真のナハ7編成は1989年10月に川崎重工で完成したもので、中原電車区に新製配置されました。2010年9月にパンタグラフをシングルアーム式のPS33Eに換装しています。
快速電車は日中に毎時2本が設定されました。川崎ー立川間のうち登戸までが快速区間となり、鹿島田・武蔵中原・武蔵小杉・武蔵新城・武蔵溝の口に停車します。緩急接続や追い越しはありませんが、川崎ー登戸間で各停に比べて6分の短縮となっています。
1969年12月から1978年10月まで南武線では快速電車を運転していました。川崎ー登戸間に日中毎時1本が設定され、途中停車駅は武蔵溝の口と武蔵小杉だけで、武蔵中原で各停を追い越すと云うものでした。南武線の101系化により各停の速度も向上したため、廃止となりました。
写真のナハ7編成は1989年10月に川崎重工で完成したもので、中原電車区に新製配置されました。2010年9月にパンタグラフをシングルアーム式のPS33Eに換装しています。
2011/05/28
千葉ニユータウン鉄道9100形(9118編成)
千葉ニュータウン鉄道9100形電車は、1995年4月の住宅・都市整備公団鉄道(当時)の千葉ニユータウン中央ー印西牧の原間4.7kmの延長開業に伴い製造されたものです。
何とも独特なデザインの電車ですが、関東地区に多く生息する「おなが」という鳥をイメージしてデザインしたそうです。車体の色も鳥の持つ色で構成しております。
また編成中に2か所通勤電車としては非常に珍しい設備として公衆電話が設置されていました。さすがニュータウンを走る電車ならではの設備でしたが、携帯電話の普及に伴い1997年には撤去されてしまいました。
写真の9118編成は1994年12月に日本車輌で完成したもので、9100形の1次車に相当します。9100形は24両(8両編成3本)が在籍し、千葉ニュータウン鉄道が所有・北総鉄道が管理しています。
何とも独特なデザインの電車ですが、関東地区に多く生息する「おなが」という鳥をイメージしてデザインしたそうです。車体の色も鳥の持つ色で構成しております。
また編成中に2か所通勤電車としては非常に珍しい設備として公衆電話が設置されていました。さすがニュータウンを走る電車ならではの設備でしたが、携帯電話の普及に伴い1997年には撤去されてしまいました。
写真の9118編成は1994年12月に日本車輌で完成したもので、9100形の1次車に相当します。9100形は24両(8両編成3本)が在籍し、千葉ニュータウン鉄道が所有・北総鉄道が管理しています。
2011/05/27
2011/05/22
京浜急行電鉄デト11・12形(11・12)
京浜急行には関東の私鉄では珍しくなった電動貨車が在籍しております。写真のデト11・12形は新町検車区に在籍し、資材運搬用に使用されています。
定期的に走るわけではありませんが、工場と検車区の間で資材を運ぶために日中に本線を走行し、色も違えば客席もほとんどありませんので「なんだあの電車は?」ということで相当に目を引きます。
デト11・12形は1988年に廃車された1000形の1095.1096号を貨車に改造したものです。1095.1096号は1958年6月に801.851号として東急車輌・東洋電機製造で完成したものです。1000形の試作車に相当するもので、正面は非貫通・2枚窓でした。1965年に改番して1000形に編入、1973年に正面を貫通化して浅草線への乗り入れも可能となりましたが、京急線内での運用がほとんどでした。
2010年9年に京急ファインテック久里浜工場で、主回路の界磁チョッパへの換装、パンタグラフのシングルアーム化、前照灯や運行表示器の交換など大規模な改造工事を受けています。
定期的に走るわけではありませんが、工場と検車区の間で資材を運ぶために日中に本線を走行し、色も違えば客席もほとんどありませんので「なんだあの電車は?」ということで相当に目を引きます。
デト11・12形は1988年に廃車された1000形の1095.1096号を貨車に改造したものです。1095.1096号は1958年6月に801.851号として東急車輌・東洋電機製造で完成したものです。1000形の試作車に相当するもので、正面は非貫通・2枚窓でした。1965年に改番して1000形に編入、1973年に正面を貫通化して浅草線への乗り入れも可能となりましたが、京急線内での運用がほとんどでした。
2010年9年に京急ファインテック久里浜工場で、主回路の界磁チョッパへの換装、パンタグラフのシングルアーム化、前照灯や運行表示器の交換など大規模な改造工事を受けています。
2011/05/16
京浜急行新1000形(1307編成)
京浜急行新1000形の6両編成としては2本目になる1307編成が、5月2日から営業運転を開始しました。
1307編成と入れ替わりに800形の803編成が運用を離脱したようです。既に久里浜工場まで疎開しています。これで800形の1次車12両がすべて引退することになります。
800形の1次車は1979年製ですから、31年京急線を走り続けたことになります。残念ではありますが、十分に使用されたともいえるでしょう。
写真の1307編成は2011年4月に川崎重工で完成したものです。一旦東急車輌に入場してから、京急に搬入されました。2011年度は新1000形が26両導入されるそうです。
【撮影:佐野次郎 2011.5.14 鶴見市場ー八丁畷間】
東上線50090系(51096F)
2008年6月のダイヤ改正で運転を開始してから、すっかりと定着した感のある「TJライナー」。50090系電車は「TJライナー」用に製造された電車で、50000系をベースにしていますが、座席の向きを転換することにより「TJライナー」と急行・準急の両方に使用できるものです。
なんだか同じような電車がたくさん走っている昨今ですが、50090系は進行方向を向いた座席とブルーのラインをアクセントとしていることで、非鉄のみなさんにも違う電車だと認識されているのではないでしょうか?
「TJライナー」を池袋駅から利用するためには300円の着席整理券が必要です。座りたければカネを払えといわれているような気がしなくもないですが、さすが東武でふじみ野駅から先はフリーで乗車できます。
写真の51096Fは2010年11月に日立製作所で完成したもので、50090系としては2次車に相当します。東武鉄道の中期経営計画によると、「TJライナー」は増発の方針だそうです。
なんだか同じような電車がたくさん走っている昨今ですが、50090系は進行方向を向いた座席とブルーのラインをアクセントとしていることで、非鉄のみなさんにも違う電車だと認識されているのではないでしょうか?
「TJライナー」を池袋駅から利用するためには300円の着席整理券が必要です。座りたければカネを払えといわれているような気がしなくもないですが、さすが東武でふじみ野駅から先はフリーで乗車できます。
写真の51096Fは2010年11月に日立製作所で完成したもので、50090系としては2次車に相当します。東武鉄道の中期経営計画によると、「TJライナー」は増発の方針だそうです。
【撮影:佐野次郎 2011.5.4 上福岡ーふじみ野間】
東上線50000系(51008F)
東武東上線の50000系電車は現在森林公園検車区に90両(10両編成9本)が在籍しています。TJライナー用の50090系と合わせると150両となり、一大勢力を形成しています。
50000系の増備に伴い、8000系の廃車が進んでいます。急行と準急に関しては8000系の運用がずいぶんと減少したように感じます。実際に東上線でカメラを構えていても、白い8000系はなかなかやって来なくなっています。
それにしても東武東上線のダイヤはよくできていますね。池袋から利用すると特にそう感じます。速い急行が10分間隔の運転で、急行を逃しても準急が続行します。
写真の51008Fは2010年6月に日立製作所で完成したものです。日立製作所の鉄道車両工場は山口県の笠松にあり、東武への搬入に際してはJR貨物の電気機関車に牽引されて長駆山陽本線・東海道本線を登ってきます。
50000系の増備に伴い、8000系の廃車が進んでいます。急行と準急に関しては8000系の運用がずいぶんと減少したように感じます。実際に東上線でカメラを構えていても、白い8000系はなかなかやって来なくなっています。
それにしても東武東上線のダイヤはよくできていますね。池袋から利用すると特にそう感じます。速い急行が10分間隔の運転で、急行を逃しても準急が続行します。
写真の51008Fは2010年6月に日立製作所で完成したものです。日立製作所の鉄道車両工場は山口県の笠松にあり、東武への搬入に際してはJR貨物の電気機関車に牽引されて長駆山陽本線・東海道本線を登ってきます。
【撮影:佐野次郎 2011.5.4 上福岡ーふじみ野間】
有楽町・副都心線7000系〈7101F〉
有楽町線用として1974年から89年にかけて340両(10両編成34本)が製造された7000系電車ですが、10000系電車への置き換えと副都心線乗り入れ工事の施行により180両(10両編成6本・8両編成15本)に整理されました。
7000系は東武東上線の和光市ー川越市間に乗り入れてきます。8両編成は副都心線専用で、有楽町線には入りません。副都心線に8両編成が用意されたのは、将来の東急東横線・みなとみらい線への直通運転に備えたためです。東横線の各停は直通運転開始後も8連のままとなります。
副都心線乗り入れ工事後の7000系は、運転台機器などを中心に新形の10000系と共通化が図られています。7000系は新製当初から40年程度使用することを考慮していたのですが、長持ちする電車であることを証明していますね。
写真の7101Fは1974年3月に川崎重工で完成したもので、7000系の1次車に相当します。当初は5連でしたが、1983年6月に川崎重工で中間車5両を増備して10連化されました。2005年9月に新木場CRで制御装置をVVVF化し、2008年4月に副都心線乗り入れ工事を行っています。
7000系は東武東上線の和光市ー川越市間に乗り入れてきます。8両編成は副都心線専用で、有楽町線には入りません。副都心線に8両編成が用意されたのは、将来の東急東横線・みなとみらい線への直通運転に備えたためです。東横線の各停は直通運転開始後も8連のままとなります。
副都心線乗り入れ工事後の7000系は、運転台機器などを中心に新形の10000系と共通化が図られています。7000系は新製当初から40年程度使用することを考慮していたのですが、長持ちする電車であることを証明していますね。
写真の7101Fは1974年3月に川崎重工で完成したもので、7000系の1次車に相当します。当初は5連でしたが、1983年6月に川崎重工で中間車5両を増備して10連化されました。2005年9月に新木場CRで制御装置をVVVF化し、2008年4月に副都心線乗り入れ工事を行っています。
【撮影:佐野次郎 2011.5.4 上福岡ーふじみ野間】
2011/05/14
東上線50070系(51072F)
東上線の50070系は東京メトロ有楽町線・副都心線乗り入れ用の電車として2007年に登場したもので、現在50両(10両編成5本)が在籍しています。
東上線の50000系をベースにして、有楽町線・副都心線乗り入れ用としたものですが、外観上は50000系と差異がありません。また東武伊勢崎・日光線から東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線に乗り入れる50050系電車とも外観は全く同じに見えます。
50000系列の電車はいずれも日立製作所のA-TRAINという標準型設計によるものです。東京メトロの10000系や西武鉄道の30000系は同じ仲間ですね。東武の50000系のアルミ車体の美しさは素晴らしいものですが、座席の座り心地は固めなので長時間の利用にやや難があるようですね。
写真の51072Fは2007年5月に日立製作所で完成したものです。副都心線の東急東横線直通に対応して50070系の増備があるかのもしれません。
東上線の50000系をベースにして、有楽町線・副都心線乗り入れ用としたものですが、外観上は50000系と差異がありません。また東武伊勢崎・日光線から東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線に乗り入れる50050系電車とも外観は全く同じに見えます。
50000系列の電車はいずれも日立製作所のA-TRAINという標準型設計によるものです。東京メトロの10000系や西武鉄道の30000系は同じ仲間ですね。東武の50000系のアルミ車体の美しさは素晴らしいものですが、座席の座り心地は固めなので長時間の利用にやや難があるようですね。
写真の51072Fは2007年5月に日立製作所で完成したものです。副都心線の東急東横線直通に対応して50070系の増備があるかのもしれません。
【撮影:佐野次郎 2011.5.4 上福岡ーふじみ野間】
東上線9000系(9106F)
最新型の50070系は地下鉄乗り入れ用の電車とはいっても、池袋まで東上線をまっすぐ走る50000系電車と外観に差異はありません。第1編成の51001Fにだけ貫通扉がないなどといっても、一般の利用者にはまずわからないでしょう。
一世代前の地下鉄乗り入れ用電車である9000系は、正面のデザインが同時期に製作されていた地上線用の10000系とは異なっています。機器も地下鉄内でのハードな運用に対応できるよう、高価なチョッパ制御を採用しております。
2008年の副都心線への乗入れに備えて、9000系もリニューアルが実施されました。外観はともかくとして、内装に関しては50070系と同水準に改装されています。副都心線と東急東横線の直通運転が始まるとこの電車も横浜まで乗り入れてくるのかもしれません。
写真の9106Fは1987年7月にアルナ工機で完成したものです。2007年10月に森林公園検車区で副都心線乗り入れ対応のリニューアル工事を受けています。
一世代前の地下鉄乗り入れ用電車である9000系は、正面のデザインが同時期に製作されていた地上線用の10000系とは異なっています。機器も地下鉄内でのハードな運用に対応できるよう、高価なチョッパ制御を採用しております。
2008年の副都心線への乗入れに備えて、9000系もリニューアルが実施されました。外観はともかくとして、内装に関しては50070系と同水準に改装されています。副都心線と東急東横線の直通運転が始まるとこの電車も横浜まで乗り入れてくるのかもしれません。
写真の9106Fは1987年7月にアルナ工機で完成したものです。2007年10月に森林公園検車区で副都心線乗り入れ対応のリニューアル工事を受けています。
【撮影:佐野次郎 2011.5.4 上福岡ーふじみ野間】
京浜急行電鉄600形(604編成)
京成押上線・「成田スカイアクセス」経由で成田空港まで運転される京成電鉄の「アクセス特急」には、京成3050形のほかに京浜急行の600形・新1000形も使用されています。
このため京浜急行の蒲田以南では、600形をみかける機会が減ったような気がしています。600形を撮るのでしたら、京成押上線で待つのが一番打率が稼げるように感じます。それは京成押上線にはSH快特が化けた普通も「アクセス特急」も両方が通るからです。
京浜急行の青物横丁駅や立会川駅などでも編成写真は撮影できますが、対向電車が怖いし、駅撮りは何かと気を遣うものです。京成押上線では高架化工事が進行中とはいえ、まだまだ踏切や線路端から狙えます。もちろん地元の方や撮影仲間にはグットマナーとスマイルが大切ですよ。
写真の604編成は1995年3月に川崎重工で完成したものです。2006年11月に京急ファインテック久里浜工場でクロスシートをロングシートに改造しています。600形は車体更新が進行中で、604編成も近い将来に対象となるでしょう。
このため京浜急行の蒲田以南では、600形をみかける機会が減ったような気がしています。600形を撮るのでしたら、京成押上線で待つのが一番打率が稼げるように感じます。それは京成押上線にはSH快特が化けた普通も「アクセス特急」も両方が通るからです。
京浜急行の青物横丁駅や立会川駅などでも編成写真は撮影できますが、対向電車が怖いし、駅撮りは何かと気を遣うものです。京成押上線では高架化工事が進行中とはいえ、まだまだ踏切や線路端から狙えます。もちろん地元の方や撮影仲間にはグットマナーとスマイルが大切ですよ。
写真の604編成は1995年3月に川崎重工で完成したものです。2006年11月に京急ファインテック久里浜工場でクロスシートをロングシートに改造しています。600形は車体更新が進行中で、604編成も近い将来に対象となるでしょう。
2011/05/11
京成電鉄3050形(3054編成)
昨年7月の「成田スカイアクセス」開業に際して、特急料金不要の一般型車両による「アクセス特急」用として3050形48両(8両編成6本)が新製されました。
正式には3000形の7次車となりますが、1次車の3001編成以来の8両固定編成となりました。また空港アクセス用として内外の一部デザインが独自のものとなっています。
航空機のイラストをデザインに採用しているのが目立ちますが、車内のシートにも描かれております。また最近の電車では使用例が増えている15インチの大型液晶モニターも装備しています。
写真の3054編成は2010年1月日本車輌で完成したものです。上野口での運用にも入りますが、都営浅草線・京浜急行にも直通する「アクセス特急」を中心に運用されています。
正式には3000形の7次車となりますが、1次車の3001編成以来の8両固定編成となりました。また空港アクセス用として内外の一部デザインが独自のものとなっています。
航空機のイラストをデザインに採用しているのが目立ちますが、車内のシートにも描かれております。また最近の電車では使用例が増えている15インチの大型液晶モニターも装備しています。
写真の3054編成は2010年1月日本車輌で完成したものです。上野口での運用にも入りますが、都営浅草線・京浜急行にも直通する「アクセス特急」を中心に運用されています。
寝台特急「みずほ」
いつでも撮れるものだと簡単に考えていた東京発の寝台列車ですが、いまでは電車寝台のサンライズ出雲・瀬戸が走るだけになってしまいました。
九州行きの寝台特急では一番地味な存在だったのが東京ー長崎・熊本間の「みずほ」で、最も早く1993年に廃止となりました。後年には東京ー長崎・熊本間を「さくら」「はやぶさ」が併結して運転されていましたので、運転経路としては一時的に復活しました。
それにしても九州新幹線の全線開通で新設された新大阪ー鹿児島中央間の速達列車に「みずほ」の愛称が採用されたのは驚きました。「さくら」とペアにするという意味では、自然ではありますがなにぶん寝台特急時代の地味な印象が強いもので・・・。
1972年製の14系客車のディーゼル発電機の稼働音が懐かしいですね。古い客車だと思っていましたが、結局「富士」「はやぶさ」の廃止までがんばったのですからたいしたものです。今度富士急行線の駅にも保存されるようですね。見に行きたい気もします。
九州行きの寝台特急では一番地味な存在だったのが東京ー長崎・熊本間の「みずほ」で、最も早く1993年に廃止となりました。後年には東京ー長崎・熊本間を「さくら」「はやぶさ」が併結して運転されていましたので、運転経路としては一時的に復活しました。
それにしても九州新幹線の全線開通で新設された新大阪ー鹿児島中央間の速達列車に「みずほ」の愛称が採用されたのは驚きました。「さくら」とペアにするという意味では、自然ではありますがなにぶん寝台特急時代の地味な印象が強いもので・・・。
1972年製の14系客車のディーゼル発電機の稼働音が懐かしいですね。古い客車だと思っていましたが、結局「富士」「はやぶさ」の廃止までがんばったのですからたいしたものです。今度富士急行線の駅にも保存されるようですね。見に行きたい気もします。
【撮影:佐野次郎 1992.2.6 横浜ー川崎間】
2011/05/10
東横線9000系(9014F)
現在東急東横線・みなとみらい線では特急・急行・各停に使用車両の区別はないのですが、2001年3月に特急を新設するまでは急行は8590系と9000系、各停は8000系と9000系と使い分けられていたような印象があります。
特急が走るまでは急行が最速列車でしたが、特急が停まらない学芸大学・日吉・綱島のほか、自由が丘・田園調布・多摩川園と3駅連続で停車したりしますので、横浜から渋谷までずいぶんと時間がかかる印象がありました。
2004年2月にみなとみらい線との直通運転開始によって、東横線の横浜ー桜木町間は廃線となりました。東海道線をまたぐガードや、駅ビルに貼りついたような横浜駅の高架ホームも姿を消しました。その駅ビルもつい先日建て替えに備えて営業を休止し、東横線ホームの跡地は横須賀線ホームの拡張に既に活用されています。
写真の9014Fは1989年9月に東急車輌で完成したものです。現在も東横線で活躍中ですが、スカートを増設したので撮影時とはやや表情が変化しています。
特急が走るまでは急行が最速列車でしたが、特急が停まらない学芸大学・日吉・綱島のほか、自由が丘・田園調布・多摩川園と3駅連続で停車したりしますので、横浜から渋谷までずいぶんと時間がかかる印象がありました。
2004年2月にみなとみらい線との直通運転開始によって、東横線の横浜ー桜木町間は廃線となりました。東海道線をまたぐガードや、駅ビルに貼りついたような横浜駅の高架ホームも姿を消しました。その駅ビルもつい先日建て替えに備えて営業を休止し、東横線ホームの跡地は横須賀線ホームの拡張に既に活用されています。
写真の9014Fは1989年9月に東急車輌で完成したものです。現在も東横線で活躍中ですが、スカートを増設したので撮影時とはやや表情が変化しています。
【撮影:佐野次郎 1992.2.9 自由が丘ー田園調布間】
2011/05/07
東横線8000系(8015F)
東急電鉄8000系電車は、将来の新玉川線での使用を想定して設計された電車で、1969年に東横線で営業運転を開始しました。
車体はオールステンレス製の片側4扉で、界磁チョッパ制御、全電気指令式ブレーキ、T字形ワンハンドルマスコンと多くの新技術を取り入れて登場しました。新製当初は正面の赤帯すらなく、ほんとうに銀色の電車でした。
かつて東横線といえばほとんど8000系がやってくるような感じでしたが、2002年から5000系の投入によって廃車が始まり、2008年1月には東横線での営業運転を終了しました。
写真の8015Fは1970年12月に東急車輌で完成したもので、1996年8月には車体更新を行いいわゆる「歌舞伎顔」になりました。2007年10月に廃車となり、先頭車を中心に一部が伊豆急行に譲渡され伊豆急行8000系として現役です。
車体はオールステンレス製の片側4扉で、界磁チョッパ制御、全電気指令式ブレーキ、T字形ワンハンドルマスコンと多くの新技術を取り入れて登場しました。新製当初は正面の赤帯すらなく、ほんとうに銀色の電車でした。
かつて東横線といえばほとんど8000系がやってくるような感じでしたが、2002年から5000系の投入によって廃車が始まり、2008年1月には東横線での営業運転を終了しました。
写真の8015Fは1970年12月に東急車輌で完成したもので、1996年8月には車体更新を行いいわゆる「歌舞伎顔」になりました。2007年10月に廃車となり、先頭車を中心に一部が伊豆急行に譲渡され伊豆急行8000系として現役です。
【撮影:佐野次郎 1992.2.9 田園調布ー自由が丘間】
北総鉄道7500形(7501編成)
北総鉄道の最新型車両は2006年2月に営業運転を開始した7500形電車です。1979年3月の北初富ー小室間の開業時に合わせて新製された7000形電車を代替するものです。
京成グループ標準車両である京成電鉄3000形と共通設計であります。北総鉄道としては7300形に続いての京成と共通設計の電車の投入となります。
車体の帯が濃淡の青になっているのが京成3000形との数少ない相違点でしたが、アクセス特急用の京成3050形はトーンが異なるとはいえ青帯なので、7500形とよく似ていますね。
写真の7501編成は2006年2月に東急車輌で完成したものです。現在7500形は24両(8両編成3本)が在籍しております。
京成グループ標準車両である京成電鉄3000形と共通設計であります。北総鉄道としては7300形に続いての京成と共通設計の電車の投入となります。
車体の帯が濃淡の青になっているのが京成3000形との数少ない相違点でしたが、アクセス特急用の京成3050形はトーンが異なるとはいえ青帯なので、7500形とよく似ていますね。
写真の7501編成は2006年2月に東急車輌で完成したものです。現在7500形は24両(8両編成3本)が在籍しております。
【撮影:佐野次郎 2010.9.12 立会川駅】
2011/05/05
北総鉄道7300形(7808編成)
北総鉄道7300形は自社発注の2編成のほか、2003年2月から京成電鉄3700形の3808編成のリースを受けている7808編成があります。
京成3808編成は京成電鉄3000形の3001編成の投入に伴い、余剰となったものです。北総7808編成の導入に伴い、京成3150形のリース車両であった北総7050形が運用を終了しています。
自社発注の北総7300形と同じ設計ですが、先頭車が大型のスカートを装備しているので、容易に既存の2編成とは識別できます。京成電鉄の中で比較的新しい車両を北総鉄道にリースしたのにはどのような理由があるのでしょうか?私は経営支援の一環だと推測しております。
京成3808編成は1997年12月に日本車輌で1997年12月に完成したもので、京成3700形としては4次車に相当します。方向幕のLED化は2010年5月に行われました。
京成3808編成は京成電鉄3000形の3001編成の投入に伴い、余剰となったものです。北総7808編成の導入に伴い、京成3150形のリース車両であった北総7050形が運用を終了しています。
自社発注の北総7300形と同じ設計ですが、先頭車が大型のスカートを装備しているので、容易に既存の2編成とは識別できます。京成電鉄の中で比較的新しい車両を北総鉄道にリースしたのにはどのような理由があるのでしょうか?私は経営支援の一環だと推測しております。
京成3808編成は1997年12月に日本車輌で1997年12月に完成したもので、京成3700形としては4次車に相当します。方向幕のLED化は2010年5月に行われました。
【撮影:佐野次郎 2011.5.3 四ツ木ー京成立石間】
2011/05/04
北総鉄道7300形(7308編成)
北総開発鉄道(当時)は1991年3月に京成高砂まで延長開業し、京成・都営・京急との4社直通運転を開始しましたが、そのときの増備車両が7300形電車です。
開業当初の「ゲンコツ電車」こと7000形はΣ形の前面形状をはじめとして個性的な電車でしたが、二代目の7300形は京成3700形電車と同一設計としています。
同じ京成グループの新京成電鉄は独自設計の8800形を増備していましたが、北総は先に標準化の方向へ舵をきったわけですね。現在では新京成電鉄も京成3000形と共通設計のN800形を導入しています。
写真の7308編成は1991年3月に日本車輌で完成したものです。7300形は7318編成とあわせて16両(8両編成2本)が新製されました。
開業当初の「ゲンコツ電車」こと7000形はΣ形の前面形状をはじめとして個性的な電車でしたが、二代目の7300形は京成3700形電車と同一設計としています。
同じ京成グループの新京成電鉄は独自設計の8800形を増備していましたが、北総は先に標準化の方向へ舵をきったわけですね。現在では新京成電鉄も京成3000形と共通設計のN800形を導入しています。
写真の7308編成は1991年3月に日本車輌で完成したものです。7300形は7318編成とあわせて16両(8両編成2本)が新製されました。
【撮影:佐野次郎 2011.5.3 四ツ木ー京成立石間】
北総鉄道7260形(7268編成)
北総鉄道7260形電車は、京成3300形電車の3308・3316編成を2006年4月からリースを受けているものです。7260形と入れ替わりに京成3200形のリース車である7250形が運行を終了しております。
北総鉄道での運行に際して、塗装や車両番号の変更などを行っていますが、規模の大きな改造工事は行っておりません。塗装の塗り分けのパターンも京成3300形の現行塗装と同じで、カラーリングだけが異なっています。
都営浅草線・京浜急行にも乗り入れておりますが、車両の世代交代が進んだ現在では両路線では唯一の普通鋼製・抵抗制御の電車となっています。京成3300形も4連での普通運用に従事しており、都営浅草線には入らなくなっています。
3308編成は1968年11月に日本車輌で、3316編成は1968年11月に汽車会社で完成したもので、ともに京成3300形の1次車に相当します。地下鉄に直通する電車としては最古参の存在となっています。また北総鉄道でのリース終了後は廃車とする方針のようです。
北総鉄道での運行に際して、塗装や車両番号の変更などを行っていますが、規模の大きな改造工事は行っておりません。塗装の塗り分けのパターンも京成3300形の現行塗装と同じで、カラーリングだけが異なっています。
都営浅草線・京浜急行にも乗り入れておりますが、車両の世代交代が進んだ現在では両路線では唯一の普通鋼製・抵抗制御の電車となっています。京成3300形も4連での普通運用に従事しており、都営浅草線には入らなくなっています。
3308編成は1968年11月に日本車輌で、3316編成は1968年11月に汽車会社で完成したもので、ともに京成3300形の1次車に相当します。地下鉄に直通する電車としては最古参の存在となっています。また北総鉄道でのリース終了後は廃車とする方針のようです。
千葉ニュータウン鉄道9000形(9018編成)
千葉ニュータウン鉄道9000形電車は、1984年3月の小室ー千葉ニュータウン中央間4kmの延長開業に際して投入されたものです。9000形電車は住宅・都市整備公団→千葉ニュータウン鉄道の所有ですが、運行・管理は北総鉄道に委託しています。
当初は2000形という形式名でしたが、1991年3月に北総開発鉄道(当時)の京成高砂までの延伸と京成電鉄・都営浅草線・京浜急行への直通開始に伴い、9000形に改称されました。これは都営浅草線に直通する車両番号のうち1~2999までが京浜急行に割り当てられているためです。
さらに先頭車はモーターなしでしたが、モーター付きに改造されました。これも京急仕様です。なぜかというと先頭車を重くすることで、電車の運転間隔を管理するための保安装置のセンサーをしっかりと踏むためだそうです。これも京急の高頻度運転を支える仕組みの一つというわけですね。
写真の9018編成は1983年12月に日本車輌で完成したものです。当初は6連でしたが都心直通のために1990年12月に中間車2両を増備して8連化されています。
当初は2000形という形式名でしたが、1991年3月に北総開発鉄道(当時)の京成高砂までの延伸と京成電鉄・都営浅草線・京浜急行への直通開始に伴い、9000形に改称されました。これは都営浅草線に直通する車両番号のうち1~2999までが京浜急行に割り当てられているためです。
さらに先頭車はモーターなしでしたが、モーター付きに改造されました。これも京急仕様です。なぜかというと先頭車を重くすることで、電車の運転間隔を管理するための保安装置のセンサーをしっかりと踏むためだそうです。これも京急の高頻度運転を支える仕組みの一つというわけですね。
写真の9018編成は1983年12月に日本車輌で完成したものです。当初は6連でしたが都心直通のために1990年12月に中間車2両を増備して8連化されています。
2011/05/01
常磐線103系
常磐線の103系は1967年12月から走り始めました。ラインカラーはエメラルドグリーンという独自の塗装が採用されました。
10両編成で投入されましたが、1971年4月に綾瀬ー我孫子間に営団地下鉄千代田線と相互乗り入れする緩行線の開業に伴い、快速運転開始と同時に8両編成に減車されました。
実際には快速の混雑が激しく1973年3月のダイヤ改正で10両編成に戻されました。さらにJRへの移行後の1988年3月には15両編成に増強されました。この頃には203系に置き換えられた緩行線用の1000番台や山手線などから転じた冷房車なども常磐快速線を走っていました。
E231系の投入により2006年3月のダイヤ改正で103系は常磐線から退きました。低運転台の103系も今となっては懐かしい光景ですが、ホームに灰皿がたくさんあったことにも驚きますね。
10両編成で投入されましたが、1971年4月に綾瀬ー我孫子間に営団地下鉄千代田線と相互乗り入れする緩行線の開業に伴い、快速運転開始と同時に8両編成に減車されました。
実際には快速の混雑が激しく1973年3月のダイヤ改正で10両編成に戻されました。さらにJRへの移行後の1988年3月には15両編成に増強されました。この頃には203系に置き換えられた緩行線用の1000番台や山手線などから転じた冷房車なども常磐快速線を走っていました。
E231系の投入により2006年3月のダイヤ改正で103系は常磐線から退きました。低運転台の103系も今となっては懐かしい光景ですが、ホームに灰皿がたくさんあったことにも驚きますね。
【撮影:佐野次郎 1985年頃 上野駅】
山手線103系
このところ京浜東北・根岸線、京葉線ともE233系と同形の電車を乗り継いで通勤する日が多いのですが、国鉄時代にはどの路線でも103系が走っているような感じでした。
その中でも山手線は代表的な存在といえるでしょう。ウグイス色の塗装が良く似合っておりました。
私鉄の通勤電車が乗り心地の良いとされる空気バネ台車や省エネのために回生ブレーキを装備するようになっても国鉄はコイルバネ台車装備、回生ブレーキなしの103系を延々と増備しておりました。国電に回生ブレーキが導入されたのは中央快速線用の201系が最初でした。
1985年から205系電車の投入が開始され、1988年6月に103系は山手線から撤退しました。首都圏の103系は2006年3月まで鶴見線で走ったのが最後となりました。
その中でも山手線は代表的な存在といえるでしょう。ウグイス色の塗装が良く似合っておりました。
私鉄の通勤電車が乗り心地の良いとされる空気バネ台車や省エネのために回生ブレーキを装備するようになっても国鉄はコイルバネ台車装備、回生ブレーキなしの103系を延々と増備しておりました。国電に回生ブレーキが導入されたのは中央快速線用の201系が最初でした。
1985年から205系電車の投入が開始され、1988年6月に103系は山手線から撤退しました。首都圏の103系は2006年3月まで鶴見線で走ったのが最後となりました。
【撮影:佐野次郎 1985年頃 品川駅】
横須賀線113系
今では通勤電車然としたE217系が主力となっている横須賀線ですが、私の中では「スカ色」をまとった113系の印象が強いですね。
車内に入るとグリーンの化粧板に、角ばったクロスシート。総武快速線への直通を踏まえてATC装備、冷房付きの1000番台が走っていましたが、いかにも「昭和の電車」という風情でした。
鎌倉や逗子などを走る横須賀線の電車にはなんとなくクロスシートの電車が似合うような気がしますが、実際には難しいようです。
113系電車は1999年にE217系への置換えが完了して横須賀線から退いています。現在も房総地区で活躍していますが、こちらも京浜東北・根岸線から転用された209系電車により置換えが進んでいます。
車内に入るとグリーンの化粧板に、角ばったクロスシート。総武快速線への直通を踏まえてATC装備、冷房付きの1000番台が走っていましたが、いかにも「昭和の電車」という風情でした。
鎌倉や逗子などを走る横須賀線の電車にはなんとなくクロスシートの電車が似合うような気がしますが、実際には難しいようです。
113系電車は1999年にE217系への置換えが完了して横須賀線から退いています。現在も房総地区で活躍していますが、こちらも京浜東北・根岸線から転用された209系電車により置換えが進んでいます。
【撮影:佐野次郎 1992.1.24 北鎌倉ー鎌倉間】
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