2011/07/31

E231系500番代(トウ537編成)

何気なく利用している山手線の電車ですが、実は変化が急速に進んでいます。編成中に2両組み込まれていた6扉車を4扉車に差し替えているのです。
なぜ6扉車を編成から外しているかといえば、山手線にはホームドアの整備が進行中で、点検時に線路を共有する京浜東北・根岸線の電車とドアの間隔を揃える必要があるためです。
編成から外された6扉車は入れ替わりに新製される4扉車に部品を一部再利用しますが、廃車となります。中央・総武緩行線や常磐快速線のE231系0番台と差し替えればいいように思いましたが、そういうわけにもいかないのでしょう。
写真のトウ537編成は2004年8月に新津車両製作所で完成したものです。2010年7月に6扉車を4扉車に差し替えております。
【撮影:佐野次郎 2011.7.26 秋葉原駅】

東京都交通局8800形(8808号)

都電荒川線の最新型車両である8800形の塗装は、ローズピンク・バイオレット・オレンジ・イエローの4色があります。
私としては未撮影だったオレンジ色の8800形を今回撮影することができました。7500形の引退は残念ですが、8800形も魅力的な電車だと思います。
この種のカラーバリエーションは常磐線を走るJR東日本のE653系にも見られますね。路線によって色を変えることはよくありますが、同じ路線を走る同じ車両で塗装にバリエーションを持たせるのは珍しいですね。
写真の8808号は2010年12月にアルナ工機で完成したものです。ちなみに路面電車の新車はロットが少ないので割高だそうです。もう少し路線が増えるといいのですがね、富山のあとが続きません。

2011/07/28

東京都交通局7000形(7010号)

全盛期には200km以上の路線網を誇っていた東京都電ですが、道路の混雑や通勤圏の拡大によって地下鉄に役割を譲って荒川線を残して廃止となりました。
そうはいっても自動車との干渉のない専用軌道が多くバス代替が困難だった荒川線が残ったのは幸いでした。
いまでも現役の都電を体感できる。ほんとうにうれしいことです。しかも新形車両も投入され、今度も長く活躍することは疑いないというのがまたうれしいですね。
7500形が現役を退いてから初めて荒川線を撮影してきました。7500形以上のベテランである7000形ですが、当面は現役として活躍しそうですね。

江戸東京博物館 函館市電 除雪車 排4

江戸東京博物館で開催中の「東京の交通100年博」では、函館市電の「ササラ電車」と呼ばれる除雪車が展示されています。
なぜ函館市電の除雪車が東京の交通100年博で展示されているかというと、この除雪車は東京市電の新1形を改造したものだからです。
車体前面下部の巨大なブラシ(ササラ)で除雪するのがこの電車のミッションです。北海道ならではの電車ですね。
ちなみにこの排4号車は函館市電の現役の除雪車です。除雪車のシーズンオフですから、東京で展示されているのです。
【撮影:佐野次郎 2011.7.26】

2011/07/27

江戸東京博物館 東京都電6000形(6086号)

江戸東京博物館で開催中の「東京の交通100年博」の目玉として、都電の6086号車が展示されています。
東京都電の6000形といえば、戦後の都電を代表する車両で1947年から53年にかけて290両が製造され、杉並線を除く全線で活躍しました。
荒川線では、ワンマン運転となるまで少数が使用されました。救援車として最後まで残り、その後復活した6152号車は記憶に新しいですね。
この6086号車は個人宅で30年以上保管され、解体寸前だったところを、鉄道博物館学芸員故岸由一郎さんの尽力により2008年に荒川車庫に搬入・修理したものだそうです。
【撮影:佐野次郎 2011.7.26】

2011/07/26

東京急行電鉄5050系(5151F)

東急東横線では5050系の5151Fが、「花と神社」めぐりスタンプラリーのヘッドマークを掲示して走っております。
「花と神社」めぐりスタンプラリーは東武・西武・小田急・京王などとの共同企画で、私も西武や小田急の電車が同じヘッドマークを掲げて運転しているのを見たことがあります。
花も神社も撮影にはもってこいの素材です。私もたまに撮影しますが、どうしても鉄道の撮影が優先となってしまいます。
写真の5151Fは2004年4月に東急車輌で完成したもので、5050系のトップナンバー車です。5050系は8000系に代わって名実ともに東横線の主力になっています。

2011/07/25

東京急行電鉄9000系(9010F)

昨日をもってテレビのアナログ放送が終了しました。私も幼い頃からアナログ放送には親しんできました。ものごころついたときに自宅にあったテレビが、実家としては初のカラーテレビでチャンネルはダイヤル式でした。確か14型だったかな?
デジタル放送に対応するために、テレビに特需が発生しました。しかしながら単価は下がる一方でメーカーが製品の価値に見合う収益を得られたのか疑問です。暴利は論外としても、きちんとしたモノを作るにはそれなりの元手が必要だと思うのですが。
なにかここ10年くらいモノが安くなったことで、お金の流れが途切れたような気がしてなりません。勤労者は消費者なのです。収入が増えなければ消費も伸び悩むのは当然です。
写真の9010Fは1988年10月に東急車輌で完成したものです。その頃は、モノは今ほど安くなかったですが、お金は今よりよっぽどうまく世の中を流れていたように思います。

東京急行電鉄5050系(5165F)

東急東横線5050系の5165Fが、7月から「セルリアンタワー10周年」を記念するヘッドマークを掲げて運転されております。
セルリアンタワーというのは、渋谷の東急電鉄の本社跡地に建設された高層ビルで東急ホテルなどが入っていますね。
東横線の他にも田園都市線の5000系も1本同じようにヘッドマークを掲出しており、それぞれ9月まで運転されるそうです。
写真の5165Fは2006年9月に東急車輌で完成したものです。ちなみに最新の4000番台はまだ営業運転には入っていないようですね。

2011/07/20

馬車道駅のベンチ

横浜と元町・中華街を結ぶ横浜高速鉄道みなとみらい線は、運行管理上は東急東横線と一体になっております。ならば運賃も一体化されると利用者の懐にもやさしいと思いますが、現実には別計算です。
それはともかくみなとみらい線の各駅は、それぞれ独自のデザインで彩られています。みなとみらい駅や新高島は、子供の頃想像した21世紀ってこんな感じだったようなあ・・・と思うようなデザインです。機会があったら当ブログでも記事をアップしたいと思います。
そして馬車道駅のベンチがなぜか透明になっています。アクリル製でしょうか?関係ないですが、座っていると空気イスのように見えるかもしれません。
空気イスが有効かどうかは別として、「撮り鉄」にも体力があったほうがいいですね。炎天下で軽いとはいえない機材を抱えて緊張するという面もありますので。
【撮影:佐野次郎 2011.7.18】

2011/07/18

リニア・鉄道館クモハ165-108.サロ165-106(165系急行形電車)

今では全滅に近い急行列車ですが、昭和50年代の国鉄は相当数の急行列車を運行しておりました。東海道線東京口の165系「東海」+167系「ごてんば」などは堂々の16両編成!で運転されていたのです。
その他上野駅まで行けば、信越本線の「妙高」などの急行列車を見ることができました。さらに常磐線の「ときわ」など交流区間に直通する急行も多く走っていましたね。
東北・上越新幹線が上野まで乗り入れた1985年3月のダイヤ改正あたりから、急行はどんどん特急に格上げされて姿を消していきました。「ごてんば」廃止後も孤塁を守っていた「東海」も1996年に特急化されました。
写真のクモハ165-108は1966年に東急車輌で、サロ165-106は1967年に帝国車輌で完成したものです。急行列車が特急化されて働き場所を失った車両たちは、地方都市の普通の増発に転用されました。しなの鉄道では派生形式の169系がいまだ現役ですね。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】
過去の記事から

リニア・鉄道館モハ63 638

 現代の通勤電車は車体長20メートル、片側に乗降扉4か所というレイアウトが一般的ですが、この構成で最初に量産されたのが1944年に登場した「ロクサン形」こと63系電車です。1949年までに807両が製造されました。
 戦時体制下における輸送力の確保を目的として製造された電車で、製作の簡素化を極限まで追求した電車でした。安全面では十分でなく、1951年に京浜線の桜木町付近で多くの犠牲者を出した電車火災事故を起こしてしまいました。いわゆる「桜木町事故」です。
 63系は1951年から53年にかけて窓の可動化をはじめとした安全対策の強化が行われ、73系に改造されました。1952年から57年にかけて490両が製造された73系としての新製車も加わり、戦後の経済復興に貢献した電車です。東武・小田急や山陽電鉄など民鉄でも導入されました。
 40代以上の方は、横浜線や南武線で床が板張りになっている電車に乗った記憶がないでしょうか?あの古臭くて車内にポールが立っていた電車が73系なのです。ちなみに小田急のロクサン形は1800形として活躍し、その後秩父鉄道に譲渡されたのをご存じの方もおられるかもしれません。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】
 
 


リニア・鉄道館クモハ12 041

写真のクモハ12 041は、いわゆる戦前型旧形国電の一員で、車体長も現代の通勤電車より少し小さめの17メートルです。
写真ではわかりにくいですが、側面のゴツゴツしたリベット(鋲)が戦前の電車の一つの特徴ですね。首都圏では1996年まで鶴見線の大川支線を走っていたクモハ12形が有名ですね。
同じクモハ12形でも041号車の出自は異なります。もとはモハ30 131という中間電動車で京浜線などで使用されていました。1964年に牽引車のクモヤ22 112に改造され、写真のスタイルとなりました。
浜松工場の構内入換用に使用されていましたが、1987年にJR東海のイベント用としてクモハ12 041となり、2001年まで使用されました。引退後は佐久間レールパークに展示されました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

2011/07/17

リニア・鉄道館EF58 157

 EF58形電気機関車は戦後の国鉄を代表する車両のひとつです。1956年11月の東海道本線の全線電化に際して、特急「つばめ」「はと」の牽引機として使用されました。
 さらに東京ー博多間のブルートレイン「あさかぜ」の機関車も当初はEF58形でした。その後EF65形が主力となってからも、「北陸」「北星」の上野口や「あかつき」「彗星」の大阪口などにEF58形が活躍していました。
 首都圏では昭和50年代後半の東京ー大阪間急行「銀河」や荷物列車の牽引が、EF58形にとっての最後の晴れ舞台であったと言えるでしょう。
 写真の157号機は1958年に三菱電機で完成したものです。JR東海に継承されて、イベント列車の牽引などに活躍しました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】
 
 

2011/07/16

東武浅草駅

 東武浅草駅はいかにも私鉄のターミナルらしい風情を残している駅であります。それもそのはずで、建物は1931年に開業した当時のものです。
 現在でも日光や鬼怒川に向かう特急の始発駅ですが、通勤輸送に関しては地下鉄日比谷線・半蔵門線への直通のほうがメインルートになっています。
 ちなみに東武浅草駅の上は開業以来松屋百貨店になっていますが、昨年4階以上の営業をやめたそうです。百貨店の業態も厳しいですね。ちなみに私の近所の横浜関内・伊勢佐木町でも百貨店はなくなってしまいました。
 何でもあるから百貨店なのですが、その何かが専門店やスーパーで安価で手に入ってしまう。となるとお客は何のために喜んで高い金額を払うのか?となってしまう。しかも百貨店は身近なレジャーランドでもありましたが、娯楽もあふれている。現代の百貨店経営は難しそうですね。
【撮影:佐野次郎 2011.7.3】

2011/07/10

京浜急行電鉄1000形(1441編成)

 京浜急行新1000形は個人的には関東の鉄道車両の中でピカ1の存在だと思っています。鉄道車両として卓越した高速性能・加減速性能を持ち、快特から普通までオールラウンドに運用できる。
 そしてデザイン的にも美しい。京急の看板車両である2100形をそのまま3扉にしたようなスタイルですね。車体の外板と側窓がフラットになっているところがとくに美しいと感じます。
 反面1年中空調を使用することを基本として側窓が固定式となっていますが、節電が求められる当面の状況を導入時に予測することは難しかったでしょう。
 写真の1441編成は2006年11月に川崎重工で完成したもので、新1000形の5次車に相当します。5次車はアルミ車体で製造された「赤い電車」の最終グループとなります。

京浜急行電鉄1000形(1437編成)

 羽田空港ー新逗子間の「エアポート急行」には、2000形の8両編成のほか、新1000形・600形の8両編成も多く使用されています。
 新1000形・600形は8両貫通編成も走りますが、ほとんどが4連を2本連結した8両編成となっています。ときにはアルミ車体の「赤い電車」とステンレス車体の「銀色の電車」が混結されることもあります。
 この「エアポート急行」、かつて運転されていた京急川崎ー新逗子間の「急行」と異なり、JRとの連絡駅である仲木戸・杉田に停車するので非常に便利ですね。私も撮影行の際には重宝してます。
 写真の1437編成は2005年8月に川崎重工で完成したもので、新1000形の4次車に相当します。4次車では行先・種別表示が新製時からLEDとなっております。

2011/07/03

銀座線01系(01102F)

 東京メトロ銀座線は渋谷ー浅草間14.3kmを結ぶ路線です。1927年2月に東京地下鉄道により上野ー浅草間が開通しましたが、これはアジア初の地下鉄ということになります。1939年9月に渋谷ー浅草間を直通するようになりました。
 銀座線はトンネルをあまり地中深くまで掘り下げていないので、ホームへの上り下りが楽ですね。階段を降りると改札があり、改札をくぐるとホームという駅がいくつもあります。
 また赤坂見附駅では丸ノ内線と同一ホーム上で乗り換えができて便利です。歴史ある銀座線を近代化したのが01系です。以前の電車のように車内の電気が一瞬消えることもなくなり、途中からクーラーも装備されました。
 写真の01102Fは1984年11月に川崎重工で完成したものです。後継となる1000系が2013年から量産されますので、01系も徐々に現役を退くことになります。
【撮影:佐野次郎 2011.7.3 浅草駅】

東京臨海新交通7000形(7121編成)

「ゆりかもめ」は1995年11月に新橋ー有明間11.9kmが開業した新交通システムの路線です。開業当時の新橋駅は仮駅でしたが、2001年3月に現在の駅に移設されています。新橋駅前ビルの空間を利用してうまく駅を作っていますね。
2006年3月には有明ー豊洲間を延長開業しています。さらに勝どきまでの延長を考えています。新交通システムの中でも都会ムード満点の「ゆりかもめ」ですが、汐留から芝浦ふ頭付近までは旧国鉄の貨物線跡に軌道を敷設しています。
休日は4分間隔と高頻度運転です。全国の新交通システムの中でも一番の利用客でしょう。豊洲行きは凄い混雑でした。みんなどこへ行くのでしょうか?さらにこれだけ乗っているのに、運転手も車掌もいないのが驚きです。無人運転だから「新交通」システムなのはわかっているのですが・・・の空間をうまく利用して駅をつくっていますね。
写真の7121編成は1995年9月に東急車輌で完成したもので、開業当時に13編成が用意された7000系の12編成に相当します。「ゆりかもめ」にはその後増備された7200系もあります。
【撮影:佐野次郎 2011.7.3 竹芝駅】

京浜急行電鉄1500形(1607編成)

 京浜急行1500形も1000形と同様オールラウンドに活躍してきましたが、現在では当初からVVVFインバーター制御で製造された1700番台を除いて普通列車専用に近くなっていますね。
 1000形を代替するために6連化が急速に進行しましたのでやむをえないですね。ちなみに昨年には6連の電気連結器が撤去され、少々表情が変化しています。
 京浜急行の普通といえばかつては4両編成が基本で、ときたま3両の場合もありました。今では6両編成が中心となり、待遇は改善されたように感じます。
 写真の1607編成は1988年1月に川崎重工で完成したものです。一時期8連となっていましたが、VVVF化改造を受けて6連に戻っています。

京浜急行電鉄800形(807編成)

 今でこそ廃車の対象となり始めた京浜急行800形ですが、デビューしたころは普通・急行・特急はほとんど1000形、快速特急もときたま1000形という状態でしたので、ずいぶんと新鮮に感じられたものです。
 800形と同じく4扉ですが少々野暮ったい700形や、湘南スタイルの2扉・クロスシートの先代600形、600形を4扉にしたようなスタイルの500形、3扉にしたような400形まで現役でしたので当然かもしれません。
 1980年代には800形は3連で普通、6連で京浜川崎ー新逗子間の急行に主に使用されていたように記憶しています。高校の帰りに京浜富岡(当時)駅を通過していく急行をよく見かけた記憶があります。
 写真の807編成は1979年11月に東急車輌で完成したものです。この編成以降が800形の本格的な量産車となります。1995年9月に同時期に完成した808編成とともに6両固定編成に改造されました。

京浜急行2000形(2011編成)

 私佐野次郎は昨日も京浜急行の撮り鉄に出かけてまいりました。今回は仲木戸第1踏切道で撮影しましたが、この撮影地は私にとっては20年ぶりの訪問となります。
 20年前は快速特急専用としてエース的存在だった2000形がやってきました。現在では3扉となり、アイボリーも細い帯となりましたが、端正なスタイルは失われていません。
 貫通路がないために京急線内の運用に限定される2000形ですが、羽田空港ー新逗子間の「エアポート急行」はまさに格好の活躍の場ですね。
 写真の2011編成は1982年12月に東急車輌・川崎重工で完成したものです。1998年3月に東急車輌で3扉・ロングシート化工事を行っています。
【撮影:佐野次郎 2011.7.2 仲木戸ー神奈川間】

2011/07/02

埼玉高速鉄道2000系(2108F)

 赤羽岩淵ー浦和美園間14.6kmを結び東京メトロ南北線・東急目黒線と相互直通運転を行っている埼玉高速鉄道が開業10周年を迎えたということで、2000系電車が記念ヘッドマークを掲示して営業運転に就いております。
 2000系の車体は軽量アルミ製で、おとなしめのデザインです。客室の腰掛は近年の車両によく観られるように無理に区分せず、花柄によって自然な形で区分を示しています。
 主回路はIGBT-VVVFインバータ制御を採用しています。また東京メトロ南北線・東急目黒線を走るためワンマン運転用の設備を完備し、東京メトロ9000系や東急3000系と極力共通化を図っております。
 写真の2108Fは2001年1月に川崎重工で完成したものです。2000系は60両(6両編成10本)が在籍しています。