2011/06/10

リニア・鉄道館21-86.36-84(東海道・山陽新幹線0系)

 さすがに直通列車こそ走っておりませんが、いまでは青森から鹿児島まで新幹線で結ばれている時代です。多彩な新形車両や新在直通車両(ミニ新幹線)も走っております。しかし私のようなおじさんには新幹線といえば0系なのであります。
 母の実家が京都ですので、夏休みに遊びに行くため私も小学生の頃から新幹線を利用しました。新横浜には「こだま」しか停車せず、「ひかり」に乗るためには東京まで出る必要がありました。新横浜に「ひかり」が多く停車することになったのは1985年3月のダイヤ改正からでした。
 年代までははっきりしませんが、家族で「ひかり」に乗ったときに食堂車に連れてもらった記憶があります。コロッケを食べたような気がします。列車の中でありながら、市中に近い食事がとれ、さすが特急・さすが「ひかり」などと思いました。
 なぜ食堂車が新幹線にあったかというと1975年3月に山陽新幹線が全通し、「ひかり」が東京ー博多間を6時間56分で結びましたが、所要時間が長かったからなのですね。当時は在来線の特急でも長距離を走る列車にも食堂車が連結されていました。列車の中でコックさん、ウェイトレスさんが働いていたわけです。
 新幹線は車体の幅が広いので、通路は食堂の外にありました。食堂と通路の間に窓はありませんでしたが、改造により窓が設けられました。理由は窓がないと食事中に富士山が見えないから・・・。しゃれていると思いませんか?
 0系の食堂車は1999年には完全に姿を消してしまいました。東海道新幹線も混むようになり、食堂車を外してよりキャッシュを生む座席車を増結したかったようです。今では列車も速くなり、市中のレストランや車内販売も充実、食堂車がなくても困りはしないのですが、予約しなくても利用できた「ひかり」の食堂車が懐かしいです。
 写真の21-86は1971年に汽車製造で、食堂車36-84は1975年に日立製作所で製造されたものです。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

0 件のコメント:

コメントを投稿