2011/11/03

京浜急行 1985年

1985年の京浜急行といえば、先代1000形の天下でした。現在日中は都営浅草線直通ー三崎口間に運転されているSH快特も、特急として運転されており、この運転系統については1000形の独壇場でした。
 当時の普通列車には、主に先代1000形の4連が使用されていました。私は高校に通学するため、杉田ー京浜富岡(当時)間を利用していたのですが、わずか1駅ですがずいぶんと飛ばしているのがわかりました。その他普通列車には、700形と800形の3連も使用されていました。
 京浜川崎ー新逗子間には急行が走っていました。急行は6両編成で、先代1000形も使用されていましたが、800形が多く走っていましたね。都営5000形が急行として乗り入れてきているのを見た記憶もありますね。
 1000形は、特急・急行・普通の他、快速特急にも使用されておりました。あんなにたくさん走っていた先代1000形もきれいに姿を消してしまいました。高松琴平電気鉄道に譲渡され、第二の人生を得ることのできた仲間については、末永く活躍してもらいたいものです。
 当時の快特は快速特急が正式名称で、先代600形から2000形に置き換わる過渡期でした。当時のエース的存在だった2000形は後継の2100形が登場してから、3扉化され、8連については朝夕のラッシュ時専用になっていましたが、昨年5月のエアポート急行の運転開始により、再び終日走るようになりました。
 金沢検車区に並ぶ車両群です。手前から1000形、800形、400形を改造した電動貨車デワ40形、700形です。400形は吊り掛け駆動の電車でしたが、現役当時に乗ることはありませんでした。700形は800形と同じ、車体長18m・4扉のラッシュ時対応用の電車です。大師線での活躍が印象に残ります。なにしろ朝の通勤時間帯や初詣の時期には猛烈に混む路線ですからね。
【撮影:佐野次郎 1985年 上2枚杉田ー京浜富岡間、下4枚金沢文庫ー金沢八景間】