国鉄時代に製造された205系は山手線用が340両(10両編成34本)、JR西日本に継承されることになる東海道・山陽緩行線用が28両(7両編成4本)の合計368両でした。JR東日本でも205系の増備が行われましたが、国鉄時代のようにメインの線区に新車を投入して捻出した旧型車を転用するのでなく、直接各線区に新車を投入するようになりました。
山手線に続いて205系が新製投入されたのは横浜線で、1988年から1989年にかけて175両(7両編成25本)が投入され、103系の置換えを完了しました。7両編成で4M3Tとし、保安装置は103系と同じくATC(京浜東北線用)とATS-B(横浜線用)の両方を装備しました。
識別帯は黄緑6号と緑15号を組み合わせたものを新たに採用しました。横浜線では快速列車の運転があるため、前面には列車種別表示窓が備え付けられました。また横浜線用に新製されたグループから側扉の窓が天地方向に拡大されました。
写真のクラH19編成は、1989年1月に川崎重工で完成し、蒲田電車区に新製配置されたものです。1994年11月に近畿車両で完成したサハ204-119を増結しました。1995年3月に先頭車にレール塗油器を取り付け、1996年12月に横浜支社の発足により鎌倉車両センターに転属しクラH19編成となりました。2014年9月に廃車となり、インドネシアに譲渡されました。