2019/07/31

東急大井町線9020系(9023F)

東急の2000系電車は、1992年から93年にかけて田園都市線・新玉川線用に30両(10両編成3本)が製造されたものです。2003Fだけが1993年2月に暫定的に8連で東横線に投入され、同年11月に中間車2両を増備して田園都市線に転属しました。
2003年3月に、東急・営団・東武の三社相互乗り入れが始まってからは、東武線への乗り入れからは外れ、東急線から半蔵門線押上までの運用に限定されました。これは8590系と同様両数が少ないためにとられた措置です。
2000系・8590系・8500系(8606F/8642F)といった東武に乗り入れしない編成は、珍しい感じがして、私も何度か撮影に行きました。現在ではこれらの編成は新型2020系の投入により8500系の8606Fが残るだけになっています。
写真の2003Fは1993年に2月に東急車輌で完成したものです。2018年に8両に機器更新と室内のリニューアル工事を行いました。2018年11月に5連で大井町線に転用され、2019年2月に2号車を差換えて9023Fに改番されました。
【撮影:佐野次郎 2019.7.18 等々力ー尾山台間】

過去の記事から
東急田園都市線2000系〈2003F〉
東急大井町線2000系(2003F)
東急田園都市線8500系(8606F)

2019/07/28

東京急行電鉄9020系(9022F)

私は東急大井町線の尾山台駅で降りて、等々力に向かって少し歩いた線路沿いで撮影するのが好きで、何度か撮影に出かけています。なぜかといえば出かけやすくて、電車の運転間隔が短く、比較的多くの車両を効率よく記録できるからです。
東横線から転属した8090系・8590系・9000系などは懐かしい思いを抱きつつ撮影ができました。反面急行用に新製配置された6000系は派手な彩色で興味深く、こんな電車が東横線を走ったら面白いだろうなと思ったりしました。
最近では急行に6020系が新たに加わり、6000系も7連化にQシートの導入と短期間で変化が見られます、また田園都市線から2000系をコンバートして9020系とし、各停は広義の9000系で統一されました。
写真の9022Fは、2019年2月に2000系の2002Fから3両と2003Fから2両を組成して営業運転を開始したものです。私は2002Fを撮影したことがなかったのですが、今回初めて撮影するともに大井町ー尾山台間で乗車することもできました。

2019/07/24

E353系(モトS109編成)

E353系特急形電車は、中央本線の特急「あずさ」「かいじ」に使用されていたE351系・E257系を代替する目的で、2015年から2019年にかけて213両(9両編成20本・3両編成11本)が製造されたものです。
車体は常磐線特急用のE657系と同じく軽量アルミ製のダブルスキン構造で、運転台は成田空港特急用のE259系を基本とした高運転台構造を採用しています。車内設備はモダンで高品質な意匠を目指しているそうです。
E353系は車体傾斜機構を備え、先代のE351系を凌ぐ高速性能を獲得しています。主回路はIGBT素子を採用したVVVFインバータ制御、台車はE259系・E657系用をベースとしたボルスタレス台車を装備しました。
写真のモトS109編成は、2018年4月に総合車両製作所横浜事業所で完成し、松本車両センターに新製配置されたものです。2019年3月のダイヤ改正でE353系の予定数が揃い、E257系の代替が完了しました。E257系は東海道線の「踊り子」に転用されます。
【撮影:佐野次郎 2019.7.16 西国分寺駅】

過去の記事から

2019/07/21

中央快速線E233系0番台(トタT24編成)

豊田車両センター所属のE233系0番台T24編成は、中央線開業130周年を記念するオレンジバーミリオン色のラッピングを施して、4月8日から営業運転に就いています。これは201系をモチーフにしたもので、車両番号の標記なども201系のものに近づけています。
1889(明治22)に甲武鉄道が新宿ー立川間、立川ー八王子間を開通させてから、2019年で130周年となることから、JR東日本八王子支社が記念キャンペーンを行っており、その一環としてラッピング電車の登場となりました。
オレンジバーミリオンといえば、1957(昭和32)年に登場した101系の試作車が初めて導入したものです。それまでは国電といえば茶色一色で、路線別のラインカラーが初めて導入されたのは中央線だったのです。
写真のトタT24編成は、2007年10月に東急車輌で完成し、豊田電車区(当時)に新製配置されたものです。8月31日までラッピングトレインとして運用される予定です。JR東日本のプレスリリースによると期間中にヘッドマークの変更予定もあるそうです。

【撮影:佐野次郎 2019.7.16 西国分寺駅】

過去の記事から
鉄道博物館クモハ101-902
201系通勤形電車

2019/07/20

中央快速線E233系0番台(トタH55編成)

E233系は、E231系の後継車として主要機器の二重系化などにより故障への耐性を高め、またユニバーサルデザインの採用やバリアフリーを考慮することで人に優しい車両を目指したものです。
中央快速線と青梅・五日市線用として2006年9月から2008年3月までに688両が製造され、豊田車両センターに配置されていた201系を置換えました。その後、京浜東北・根岸線、常磐緩行線、東海道線、京葉線、横浜線、埼京線、南武線などに投入されました。
JR東日本の通勤電車では山手線、常磐快速線、総武・中央緩行線、武蔵野線などE233系が入らない路線のほうが少ないくらいの多数派を形成しています。そのE233系が101系・201系に続いて最初に投入されたのは伝統ある中央快速線というわけですね。
写真のトタH55編成は、2007年3月に川崎重工で完成し、豊田電車区(当時)に新製配置されたものです。中央快速線用のE233系0番台はトイレの設置などグリーン車組み込み対応工事を進めていますので、現行からはまた姿を変えていくことでしょう。
【撮影:佐野次郎 2019.7.16 西国分寺駅】

過去の記事から
中央快速線201系
中央線E233系〈トタT19編成〉
中央線E233系〈トタT32編成〉

2019/07/18

209系1000番代(トタ82編成)

中央快速線では2019年3月のダイヤ改正から、常磐緩行線~千代田線の相互直通運転から転用した209系1000番代2編成が営業運転に入っています。これはE233系へのグリーン車組み込み、トイレ設置工事に対応する予備車を確保するためです。
中央快速線は201系から拡幅車体のE233系0番代に置換えましたので、205系・209系が使用されたことはありませんでした。緩行線にほぼ同じ車体のE231系800番代が走っていますが、209系1000番代は新鮮な印象です。
209系はE233系0番代よりも古い世代の電車にはなりますが、地下鉄乗入れのハードな運用をこなすべく、電動車の比率が高くなっています。といいましてもE233系0番台とは異なる仕様の車両ですので、使用する列車を決めているようです。
写真のトタ82編成は1999年9月に東急車輛で完成し、マト82編成として松戸電車区に新製配置されたものです。2018年10月には常磐緩行線での営業運転を終えて、大宮車両センターで転用改造を受けたのち、2019年1月に豊田車両センターに転属しました。


過去の記事から
常磐緩行線209系1000番台〈マト82編成〉
総武・中央緩行線E231系800番台〈ミツ5編成〉

2019/07/17

浅草線5300形(5310編成)

京浜急行線の泉岳寺ー京急蒲田・羽田空港間は京急の車両の他に、京成・北総・都営浅草線など相互車両が相当数走っていますが、京急蒲田以南については都営浅草線の車両が時折乗り入れる以外は京急の車両だけが走っています。
羽田空港ー新逗子間のエアポート急行にも都営車運転の列車が少数あります。撮影していて遭遇するのは珍しいです。逆に京成押上線を撮影していると、相当数の都営車に遭遇することになります。
現在、都営浅草線の車両は5300形から5500形への置換えが進行中です。現在では三分の一強まで置換えが進んだところですので、まだまだ5300形の方が走っています。置換えが進むと5300形への注目度が増していくのでしょうか。
写真の5310編成は1992年6月に日本車輌で完成したもので、5300形の3次車に相当します。1990年から97年にかけて製造された5300形ですが、当時京急の車両では1500形・600形が製造されておりました。京急でも1500形の初期車は置換えが具体化しそうです。
【撮影:佐野次郎 2018.5.3 屏風浦駅】

2019/07/16

浅草線5500形(5509編成)

都営地下鉄浅草線は、2020年に開業60周年を迎え、オリンピック・パラリンピックの開催を控えていることから、5300形27編成の5500形への更新を進めています。2018年6月に5501編成が営業運転を開始し、現在では全体の約三分の一が置き換わった状況です。
5500形の特徴は、歌舞伎の隈取をモチーフにした先頭部デザインにあります。これは沿線に浅草・銀座・新橋があり、羽田・成田空港へのアクセスを担うことで世界と日本の伝統を繋ぐ浅草線の姿を投影したものではないでしょうか。
山手線の新型E235系と同じく列車情報管理制御装置INTEROSを搭載し、防犯カメラを装備しているのは最新型にふさわしいです。ラインカラーを側面の帯ではなく、ドアの縦面に表現しているのはホームドアでも見えるようにするためでしょう。
写真の5509編成は、2019年5月に総合車両製作所横浜事業所で完成したものです。2021年度までに5300形の5500形への更新が完了する予定になっています。現時点ではまだ5300形のほうが多く走っている印象です。
【撮影:佐野次郎 2019.7.15 立会川駅】

2019/07/14

京成電鉄3000形(3029編成)

京成電鉄3000形は、3200形・3300形などの代替を目的として2002年から製造されている車両で、成田空港アクセス用の3050形、北総鉄道の7500形、新京成電鉄のN800形など派生形式を生み出しつつ、京成電鉄では最多勢力の車両となっています。
3001編成は都営浅草線・京急線に直通する8両編成でしたが、3050形は別として3002編成から2008年2月に完成した3025編成まで6両編成ばかりが製造されました。2013年2月に完成した3026編成から8両編成も製造されるようになりました。
3500形の非更新車や3600形の一部も3000形によって代替され、京成の車両の標準化が進みました。3050形を含めて326両が製造された3000形ですが、次回の増備は新型3100形に移行します。
写真の3029編成は2015年3月に総合車両製作所横浜事業所で完成したもので、3000形の10次車に相当します。3000形8連の増備の進展により、3500形更新車は京急線には乗り入れなくなっています。
【撮影:佐野次郎 2019.5.1 糀谷駅】

2019/07/13

京成電鉄3000形(3036編成)

1980年代の京浜急行といえば、通勤時間帯にもっとも混雑するのは横浜までで、三浦半島への輸送の印象が強かったのですが、近年は羽田空港への輸送の重要度が飛躍的に高まっています。
京急空港線といっても80年代までは名ばかりで実態はローカル線然としていましたが、1993年に羽田駅(現在の天空橋駅)が開業し、都心方面から急行が直通するようになってから潮目が変わりました。
社会の流れから考えても、海外への結びつきが強まる中で羽田空港への輸送を東京モノレールだけで賄うのは無理があります。現在でも人口減の中で希少なJR東日本の新線計画が羽田空港アクセスであることから、いかに需要があるかがうかがわれます。
写真の3036編成は、2018年2月に日本車輌で完成したもので3000形の13次車に相当します。京急空港線には京急の車両に加えて、東京都交通局・京成電鉄・北総鉄道の車両が相当数乗入れ、多彩な車両を見ることができます。
【撮影:佐野次郎 2019.5.1 糀谷駅】

2019/07/07

DE10形(554号)

年号が「令和」となった本年ともなると、国鉄時代から継続して使用しているJRの車両も少なくなってきました。DE10形ディーゼル機関車は現役を続けている車両の一つであります。今後はHD300形・DD200形ディーゼル機関車などに代替されていくでしょう。
派生形式のDE11形・DE15形とあわせて909両が製造され、現在ではDE10形126両、DE11形7両、DE15形19両が在籍している模様です。製造当初とは使用状況も大きく異なり、後継車両もなかったことで長く現役を続けている側面もあるでしょう。
国鉄の分割・民営化の過程ではDE10形にも多くの余剰車が発生し、JRに継承されたのは半数程度になります。これは貨物輸送がコンテナ中心かつ拠点間直行型に再編成され、地方交通線が大幅に整理されたためです。
写真の554号機は、1969年8月に日本車輌で完成し、高松機関区に新製配置されたものです。1982年12月に佐倉機関区に転属し、1984年7月に品川機関区に転属し、1987年2月に廃車となりました。JRには継承されず、20年使用されずに廃車されたことになります。
【撮影:佐野次郎 1983年頃 八王子駅】

2019/07/02

DE11形(56号)

DE11形ディーゼル機関車は、操車場での入換作業に特化したもので、DE10形と車体、構造、機器配置、使用部品など可能な限り共通化を図りつつ、軸重を増やして牽引力を高める一方で、主に客車牽引時に使用する蒸気発生装置や重連運転用の装備を省略しました。
昭和40年代までは、大都市近郊の操車場や貨物線などでも、8620形・9600形・D51形などの蒸気機関車が使用され、住宅地にも煤煙や騒音などをもたらしていましたが、DD13型・DE10形・DE11形ディーゼル機関車などの投入による動力近代化が行われました。
私自身は、DD13形をよく見かけた記憶があります。山下公園の高架を走るところや、品川駅近くで入換に従事するところなどです。DE10形・DE11形はDD13形に比べると新しい機関車だという印象を持っていました。
写真の56号機は、1970年3月に日本車輌で完成し高崎第一機関区に新製配置されたものです。1984年3月に品川機関区に転属し、1987年2月に廃車となりました。当時はブルートレインの入換作業を東海道線のホームから見ることができました。
【撮影:佐野次郎 1984.8.30 品川駅】

過去の記事から
青梅鉄道公園8620
梅小路蒸気機関車館9633
川崎生田緑地D51 408