2010/05/30

京浜急行電鉄1500形(1601編成)

 京浜急行1500形は1000形と600形・新1000形の中間に位置する汎用車両で、これといった特徴はないものの性能面ではレベルの高い車両です。
 車体は初期形20両だけが普通鋼製で製造されましたが、その他の車両はアルミ製です。車内については、新製当初は800形のような比較的奥行きのある腰掛でしたが、車内更新により片持ち式と呼ばれる新しい電車でよく見られるものに変更されています。
 主回路は界磁チョッパ制御ですが、徐々にVVVFインバーター制御への更新が進められています。また運用面では快特や特急にも入りますが、普通列車での運用が増えています。
 写真の1601編成は1988年1月東急車輛で完成したもので、1500形では初めてのアルミ車体・6両編成で登場しました。のちに中間車を増結して8両編成になりましたが、現在では再び6両編成に戻っています。

京浜急行電鉄2000形(2031編成)

 月日が経つのは早いもので、新しい電車のように思っていた2000形電車も1982年のデビューから既に28年が経過しています。
 京浜急行電鉄の2010年度の設備投資計画が発表となり、新1000形28両の製造が盛り込まれておりました。1000形は既に16両まで減少していますから、すべて廃車しても12両が増車されるか他の形式から廃車が出ることになります。
 となると1978年に製造された800形の初期車か、快特時代の過酷な運用により傷んでいるとも云われる2000形が置換えの対象ということになるでしょう。
 写真の2031編成は1984年5月に川崎重工で完成したもので、2000形の2次車に相当します。3編成が揃ったことで終日2000形を使用するダイヤが組まれたそうです。

2010/05/29

京浜急行電鉄1000形(1457編成)

 5月16日から羽田空港ー新逗子間に運転されている「エアポート急行」には新1000形のステンレス車も使用されています。
 20分に1本が運転されている「エアポート急行」ですが、2000形8連の日中の運用復活も含めて車両の運用についてはなかなか興味深いものがあります。
 かつて運転されていた京急川崎ー新逗子間の急行は6両編成で、1000形や1500形、現在では普通専用の800形も使用されていました。停車駅も「エアポート急行」とは異なり、仲木戸や杉田を通過していました。
 写真の1457編成は2009年4月に川崎重工で完成したもので、新1000形としては8次車に相当します。

京浜急行電鉄2000形(2421編成)

 京浜急行ではかつて都営浅草線に直通する列車は特急として運転されていました。1998年から快特として走るようになり、日中は見られなくなりました。
 現在では特急は朝夕に運転されています。都営浅草線に乗り入れる列車もありますし、2100形を使用して品川や泉岳寺まで運転される列車もあります。
 2000形の4両編成も増結用として品川方に連結され、活躍しています。往年の看板車両でもあり、12両編成の先頭に立つ姿は堂に入ったものです。
 写真の2421編成は1985年3月に東急車輛で完成したもので、2000形の4両編成では2本目に相当します。2012年5月に廃車となりました。

2010/05/25

京浜急行電鉄1000形(1441編成)

 5月16日のダイヤ改正で、羽田空港ー新逗子間に「エアポート急行」の運転を開始したことにより、いままで京急川崎ー金沢文庫間で快特に羽田空港ー新逗子間の4両編成を増結することは原則取りやめとなりました。
 これで浮いた600形や新1000形の4両編成をエアポート急行に使用しているようであり、また京急川崎・金沢文庫駅での増結解除による停車時間の短縮を快特の金沢八景駅停車にあてているように思います。
 京浜急行はハードとソフトをうまく組み合わせて利用しやすいダイヤをつくるのがほんとうに上手ですね。とはいうものの大田区では京急蒲田駅を通過するエアポート快特の登場が物議をかもしました。すべての人が納得するダイヤをつくるということもまた難しいものです。
 写真の1441編成は2006年11月川崎重工で完成したものです。新1000形としては5次車に相当し、アルミ車体で完成した最後のグループでもあります。

2010/05/22

京浜急行電鉄2000形(2041編成)

 京浜急行電鉄ではご承知の通り、京急蒲田駅付近の高架化工事の進展に伴い5月16日にダイヤ改正が実施されました。
 仲木戸駅や杉田駅でホームの延長工事が進む一方で、発表はダイヤ改正直前にずれこみましたが、羽田空港ー新逗子間に「エアポート急行」が20分に1本運転されるようになりました。
 かつて京急川崎ー新逗子間に急行が運転されていましたが、神奈川県側での急行の運転はミッションが当時とは異なるにしろ懐かしいものです。そして平日のラッシュ時専門のようになっていた2000形の8連が再び日中に見られることによろこびを感じます。
 写真の2041編成は1985年2月に川崎重工で完成したものです。2000形としては3次車に相当します。1999年12月に久里浜工場で3扉車化改造を実施しています。

205系(ナハ49編成)

 205系電車を11両編成で運転していた山手線から、編成の短い周辺の路線に転用にするにあたって先頭車が不足するため、サハに運転台を増設してクハへの改造が行われました。
 南武線にも先頭車化改造車を含んだ6両編成が6本やってきました。改造車には1200番代の番号が与えられています。205系が大半を占める南武線の中にあって209系3本と並んで独自のマスクを持つ編成でもあります。
 ちなみに6本の顔が異なる南武線の205系のうちナハ48編成は、仙石線で使用された103系を置き換えるために郡山総合車両センターで3100番代に再改造されました。ナハ48編成の代替としては京浜東北・根岸線用の209系が2200番代に改造されて転属してきました。
 写真のナハ49編成は、1985年8月に川崎重工で完成したヤテ10編成のモハと、1985年11月に完成したヤテ24編成のサハ→クハを2004年2月に大宮総合車両センターで南武線用として組成したものです。

2010/05/20

205系(ナハ43編成)

 南武線では205系96両、209系12両が新製投入されたあとも103系電車が長く活躍していました。103系のなかでも車両の置換えが進んでいて最後の頃には高運転台車が多数を占めていました。
 103系を置き換えるために、山手線へのE231系導入に伴い捻出された205系電車が2002年10月から2003年7月にかけて72両〈6両編成12本〉転入してきました。出入口の窓が小さいため、山手線から転入した車両であることがわかります。
 ちなみに旧ナハ45編成は再度改造されて205系5000番代のケヨM15編成となり、武蔵野線用に転出しました。
 写真のナハ43編成は1986年1月に完成したもので、ヤテ27編成として山手電車区に新製配置されました。2002年11月に大宮総合車両センターで南武線向け転用工事を受けています。

2010/05/19

205系(ナハ13編成)

 近年横浜線・相模線・南武線などで、205系電車のパンタグラフをシングルアーム式へ換装しています。南武線では先頭車化改造した編成が先行しましたが、写真のナハ13編成のような南武線生え抜きの編成にも波及しています。
 最近製造される電車のパンタグラフはほとんどがシングルアーム式になっています。従来主流だった菱型のパンタグラフに比較すると軽くて丈夫、高速運転にも有利だというメリットがあるそうです。また面積が小さいので雪が積もりにくく、世界的に降雪地区で好んで導入されているようです。
 私などはなんとなく路面電車のZパンタを連想してしまいます。ちなみに南武線の起点である川崎にも、1969年まで路面電車が走っていました。今は高架になっている京急川崎駅のあたりから塩浜まで走っていました。
 写真のナハ13編成は1990年8月川崎重工で完成したものです。約20年間南武線を走り続けています。

2010/05/18

205系(ナハ2編成)

 山手線・横浜線に続いて、1989年から1990年にかけて205系電車96両〈6両編成16本〉が南武線に新製投入されました。205系はJR東日本の通勤電車の主力としてほぼ同時期に埼京線や、既に他路線に転出しましたが中央・総武緩行線、京浜東北・根岸線にも投入されました。
 南武線用の205系電車は、4M2Tの6両編成で、ラインカラーはカナリアイエローを基本にして、オレンジバーミリオンとマルーンの細帯を加えたものです。
 南武線には今まで他の路線で使用されていた車両が転入することが多く、新しい電車が入ることは久しぶりだったそうです。そして最近では再び他路線で使用された205系や209系が転入しています。
 写真のナハ2編成は1989年2月に川崎重工で完成したものです。先頭車にスカートが装備され、新製当初とは少し印象が異なります。

南武線101系

 101系電車は国鉄の電車としてははじめて、20m・両開き4扉という現代の通勤電車としてはスタンダ-ドの車体構成を採用し、また茶色1色だった国電に初めて路線別のラインカラーを取り入れた電車でもあります。
 1957年に試作車が製造され、1958年から量産車が中央快速線に投入されました。平行カルダン駆動や電気ブレーキ、MMユニットの採用など国鉄の電車の基本的な構成を初めて実用化した電車でもありました。試作車のうち1両は鉄道博物館で保存展示されております。
 南武線では1969年12月に川崎ー登戸間の快速で運転を開始しました。これは武蔵小金井電車区の中央快速線車両の出張運用で、南武線本来の基地である中原電車区には1972年から配置が始まりました。1978年に南武線の電車は101系に統一されています。
 1982年には103系の中原電車区への転入が始まりましたが、101系は1991年1月まで南武線で走り続けました。尻手支線のワンマン車はさらに最後の101系として2003年まで残りました。ちなみに1986年から89年にかけて秩父鉄道に譲渡された101系は1000系としていまだに現役です。

2010/05/17

伊豆急行2100系〈R4編成〉

 立川を起点として運転される臨時特急「リゾート踊り子」号は立川ー尻手間を南武線経由で運転してから東海道貨物線に入り、途中で東海道線に転線して伊豆急行線の伊豆急下田まで至る列車です。
 南武線には以前青梅線から直通してくる石灰石輸送の貨物列車などが運転されていましたが、現在は通勤電車ばかりが走る路線なので、特急は非常に目立ちます。しかも「黒船電車」ときています。
 2100系電車は伊東ー伊豆急下田間を結ぶ伊豆急行が1985年から1993年まで5次にわたって40両〈8両編成5本〉を導入した電車です。眺望を考慮した大胆な座席配置を採用しており、地方鉄道としては華のある電車だといえます。
 写真のR4編成は1990年2月に東急車輛で完成したもので、2100系としては4次車に相当し「リゾート21EX」と呼ばれています。当初はロイヤルボックスという特別車を組み込んでいましたが、既に編成から外され7両編成になっています。また2006年5月から廃車となったR1編成のあとを受けて2代目「黒船電車」になっています。

2010/05/16

209系500番代(ケヨ31編成)

 1990年3月10日に京葉線の東京ー新木場間が開業し、東京ー蘇我間の全線が開通してから20周年を迎えるということで、209系500番代2編成と205系1編成が記念のヘッドマークが掲示して走っています。
 私こと佐野次郎も通勤で京葉線のお世話になるようになってから、中断をはさみながら5年目を迎えます。何をおおげさなと思うかも知れませんが、海沿いを走る路線でもあり、途中海上を飛ぶように走る区間もあります。
 運転面では武蔵野線から直通してくる武蔵野快速を含めて、京葉快速・通勤快速と快速列車の比率が高いのが特徴です。また普通しか止まらない駅は日中は15分間隔になってしまいますが、観察しているとお客さんの数もそれなりですね。
 写真のケヨ31編成は2001年1月に新津車両製作所で完成し、中央・総武緩行線に投入されました。その後209系試作車を置き換えるために京浜東北・根岸線で使用されてから、2009年1月に東京総合車両センターで京葉線向けの改造を受け、京葉線に転属してきました。

横浜市電の敷石

 アメリカ山公園ができたことで、みなとみらい線の元町・中華街駅から外人墓地には、ずいぶんと行きやすくなったと思います。今では徒歩5分もかからないと思いますが、以前は近道をしても10分ほどかかったでしょう。
 みなとの見える丘公園から外人墓地の前を通って地蔵坂上まで至る道を「山手本通り」といいます。山手教会やフェリス女学院の前の道ですね。
 山手本通りの歩道を舗装している石は、横浜市電の敷石を転用したものなのです。市電のレールはコンクリではなく、石で舗装されていました。
 本来路面電車の軌道は、自動車は通行禁止でした。昭和30年代から自動車の軌道の通行が許可されるようになり、敷石の痛みが激しくなるのはもちろん電車の定時運行が困難となり市電自体が廃止されることになってしまいました。
【撮影:佐野次郎 2010.1.1】

アメリカ山公園

 みなとみらい線の元町・中華街駅から、外人墓地やみなとの見える丘公園など、いわゆる山手の観光地に行くには、急な坂道を歩くか、市営バスやタクシーに乗る必要があったのですが、2009年にアメリカ山公園が完成し、駅からエレベーターやエスカレーターで丘の上まで上がれるようになりました。
 このあたりはほんとうに坂の多いまちです。山手は女子校が多いことでも有名ですが、どの学校へ通うのでも必ず坂を通るはずです。
 山手は観光地とはいうものの、あるのは洋館や教会などで、みやげになるようなものはそれほどなさそうです。そのかわり油絵を描いたり、写真を撮っているひとをよくみかけます。
 ちなみに私のおすすめは神奈川近代文学館ですね。ゆったりと観賞でき、勉強にもなります。今は城山三郎展をやっています。
【撮影:佐野次郎 2010.1.1】

元町・中華街駅

   みなとみらい線の終点が元町になると知ったときに、わたしはあの狭い元町のどこに駅をつくるのか不思議に思いました。
 実際にできた元町・中華街駅は元町商店街の山下公園寄りと中華街の中間に位置するのですが、川の下にできた駅なので地下深くにホームがあります。
 そこで長いエスカレーターかエレベーターに乗るわけですが、元町寄り改札に向かうエスカレーターの側面の壁には明治時代の横浜の人物の写真がデザインされています。
 写真は見ての通り傘をさした女性ですが、その他行商の男性や、乳児をおんぶした女の子、さらに草創期の市電などもあります。みなとみらい線は観光や買い物で利用する人が多いので、こういうデザイン上の工夫はいいと思いますね。
【撮影:佐野次郎 2010.1.1】

横浜高速鉄道Y500系(Y515F)

 東急東横線は2004年2月に開業した横浜高速鉄道みなとみらい線と列車運行についてはほぼ一体となっています。とはいえ初乗り運転はそれぞれに払うことになるので、運賃は少々割高です。
 神奈川県庁の前あたりで工事をやっていたのを覚えています。早く開通するといいなあなどと思いながら、いまの日本大通駅のあたりを歩いたりしていました。当時は勤務地も横浜でしたので、仕事が早く終わった日には自宅まで1時間半ほど歩いて帰っていたのです。
 横浜にも市営の地下鉄はありますが、どちらかというと郊外への延伸に力を入れていますので、横浜ーみなとみらい地区ー中区の中心地に高頻度で運行される路線ができるというのはインパクトが大きいです。
 写真のY515Fは2004年2月に東急車輛で完成したものです。Y500系は東急5000系との共通設計によりコストダウンを図っており、メンテナンスも東急電鉄に委託しています。

2010/05/15

東京急行電鉄5000系(5119F)

 2009年度には東横線への5050系の投入は行われず、本来は田園都市線用の5000系24両〈8両編成3本〉が投入されました。同時に混雑の激しい田園都市線5000系の6ドア車を編成中3両に増やすための組み替えを実施しています。
 5000系と5050系はほぼ同じ設計の電車ですが、5050系は微妙に車体幅が大きくなっています。また車内は5050系は赤をベースにまとめていますが、5000系ではブルーをベースにしています。
 走行機器についてはIGBT-VVVFインバーター制御を採用した省エネ電車となっています。
 写真の5119Fは2009年6月に東急車輛で完成したものです。ただしサハ5419号車だけは田園都市線用の5000系から転用されたものです。

2010/05/12

東京急行電鉄9000系(9003F)

 東急東横線では新型の5050系〈5169F〉が営業運転を開始したのと入れ替わりに写真の9000系〈9003F〉が運用から退いたようです。
 長津田工場で5両編成に短縮されて大井町線に転用ということになるのでしょうか?そうなると玉突きで8090系が1本廃車となるでしょう。
 さらに5050系はもう1本(5173F)が東横線で営業運転に入りましたので、9000系ももう1本東横線の運用から外れることになるでしょう。となると8090系の初期型が全廃になり、改造してから秩父鉄道に売却ということになるのでしょうか?
 写真の9003Fは1987年12月に東急車輛で完成したものです。23年間東横線を走り続けたことになります。

2010/05/10

中央線E233系〈トタT19編成〉

 中央線・青梅線・五日市線で使用されているE233系電車は、201系電車を置き換えて輸送改善とサービス向上を図ることを目的として、2007年から2009年にかけて688両が製造されました。
 車体は軽量ステンレス製で、201系よりも幅が広がり定員の増加を図っています。車内は明るい色でまとめられ、座席幅もE231系より10mm広い460mmに拡大されています。モニタも2台設置され、ドアの内側にも化粧板が貼ってあります。
 主回路はIGBT-VVVFインバーター方式を採用し、省エネ化を図っています。TIMS〈車内情報処理システム〉を含めた主要機器の二重系化により信頼向上を図っているほか、モーター付き車両を増やして余裕を持たせています。
 写真のトタT19編成は2008年7月新津車両製作所で完成したものです。高架化工事の関係で201系を2本だけ残したとはいえ、あっという間にE233系に置き換わったような感じです。
【撮影:佐野次郎 2010.4.14西国分寺駅】

2010/05/09

小田急電鉄4000形(4059F)

 小田急4000形は小田急の最新型の通勤電車であり、また3代目の千代田線乗り入れ車両でもあります。2007年から製造が開始され、いまのところ110両〈10両編成11本〉が営業運転に入っています。当面製造が継続される見込みです。
 車体は軽量ステンレス製で、車体の断面は設計のベースが共通であるJR 東日本のE233系2000番台に近いものになっています。客室は明るめの赤を基調したデザインを採用し、座席の一人当たりの占有幅を460mmと広めにとって余裕を持たせています。
 4000形は先述のようにJR東日本のE233系電車をベースに設計したもので、主要機器や回路を二重系として、故障に強い車両になっています。またモニタ装置の機能は車両の保守に際して、大きな役割を果たしているものです。
 写真の4059Fは、2009年10月に東急車輛で完成したもので、4000形としては2次車に相当します。4000形は4062Fの製造までがいまのところ明確となっています。

小田急電鉄3000形(3660F)

 小田急3000形電車は、「小田急顔」の2600形・4000形・5000形・5200形や千代田線乗り入れ用の9000形といった長年にわたり主軸を担ってきた電車たちが引退の時期を迎えるのに対応して、コストダウンや環境への負荷軽減を強く意識した電車として2001年から2006年にかけて312両〈6両編成32本・8両編成15本〉が製造されました。
 車体は軽量ステンレス製ですが、2600形以来の裾絞りをやめ断面はフラットになっています。車内は近年の通勤電車としては温かみの感じられるもので、首都圏の通勤電車としては京王9000系とならんで出色の出来と言えるでしょう。
 主回路はVVVFインバーター制御を採用し、停止直前まで回生ブレーキを有効にできる純電気ブレーキ方式を採用しています。特筆すべきことは5000形・5200形などと併結運転が可能なことです。旧形式の全面取替にはもう少し時間がかかるので、メリットが大きいと思います。
 写真の3660Fは、2005年9月に日本車輛で完成したもので、3000形の6次車に相当します。3000形は小田急では一番よく走っている電車だと思います。

小田急電鉄2000形〈2059F〉

 小田急2000形は、1000形に代わる標準型通勤電車として1995年から2001年にかけて72両〈8両編成9本〉が製造されました。千代田線に乗り入れることも考慮していますが、実際には各駅停車8連化推進用の8連だけが登場しました。
 車体は1000形と同じ部材を使用した軽量ステンレス製で、幅も2.860mmと共通です。側扉の幅を運転台のすぐ後ろを除いて1.600mmと広めにとっています。
 VVVFインバーター装置はIGBT素子を用いたものに進化しています。またモニタ装置の機能が1000形に比較して大幅に向上しました。
 写真の2059Fは、2001年4月に川崎重工で完成したもので、2000形の3次車でなおかつ最終編成に相当します。

小田急電鉄1000形(1091F)

 小田急1000形電車は各駅停車の8両編成化と千代田線乗り入れ用の9000形の代替を目的として、1988年から1992年までに160両〈4両編成19本・6両編成6本・8両編成1本・10両編成4本〉が製造されました。
 車体は小田急の電車としてははじめて軽量ステンレス製で、車体幅は千代田線での運転に対応した寸法で、裾絞り形になっています。窓配置は8000形と同じで、戸袋窓や妻窓も設けています。車内は8000形の後期形に準じたもので、暖色系の配色になっています。
 制御方式はGTOサイリスタ素子によるVVVFインバーター制御で、主電動機は出力175kWの三相誘導電動機MB-0526-Aを装備しています。また台車は空気ばね台車FS534/FS034形を装備しています。
 写真の1091Fは1992年1月に日本車輛で完成したものです。小田急電鉄としては初めての10両固定編成です。

小田急電鉄8000形(8051F)

 小田急8000形電車は、5000形・5200形の次の世代の電車として1982年から1987年までに160両〈6両・4両編成16本ずつ〉が製造されました。
 車体は普通鋼製で、長寿命化を図るために屋根板と床板をステンレス製としています。前面デザインは大型の曲面ガラスを用いた当時としては斬新なものとなっています。また車内の構成は5200形に準じたものです。
 主回路は回生ブレーキを使用でき、経済性にも優れた界磁チョッパ制御を採用しました。また台車は空気ばね台車FS516・FS016を装備しています。
 写真の8051Fは1984年2月に東急車輛で完成したもので、4連としては1次車に相当します。また2007年度に車体修理と制御装置のVVVF化を実施しています。

2010/05/08

小田急電鉄5200形(5258F)

小田急5200形は増え続ける輸送需要にこたえるための急行・準急列車の10両編成化用として、1977年から1982年にかけて120両〈6両編成20本〉が製造されました。5000形の4両編成と組み合わせて10両編成となるわけですね。
車体は5000形と同じ構成ですが、側窓が1段下降式になっています。これは千代田線乗り入れ用の9000形の仕様を取り入れたものです。1996年から2001年にかけて車体修理を実施して、車内の配色は暖色系になっています。
走行機器は5000形に準拠したもので、性能の面でも5000形と共通です。また全車が最初から冷房つきで製造されました。
写真の5258Fは、1979年7月に川崎重工で完成したもので、5200形としては4次車に相当します。2007年に6両編成から4両編成に短縮されています。

2010/05/06

小田急電鉄5000形(5056F)

小田急電鉄では、3000形・4000形といった新形車両の製造により、写真の5000形のような「小田急顔」と呼ばれる電車が急速に数を減らしています。とはいうものの4両編成は比較的残っており、新宿方ではまだまだ走る姿を見ることができます。
5000形は1969年から77年にかけて60両〈4両編成15本〉が製造された電車です。車体は既に全車が引退した2600形に準じたものですが、地下鉄乗り入れ車両並みの防火対策や前面の平滑化などの改良を行っています。また1990年から98年にかけて車体修理が行われました。
主回路は抵抗制御で、最高速度は120km/hとなっています。台車は空気ばね台車FS375/FS075を装備しています。中高速域での加速性能を重視した電車ですので、現在も快速急行など高速運転を行う系統に使用されています。
写真の5056Fは1970年10月に日本車輛で完成したものです。5000形としては2次車に相当します。貫通扉に設けた行先表示や小窓の種別表示など今となってはレトロな装備を残す一方で、パンタグラフは最新のシングルアーム式に更新されています。

2010/05/05

西武鉄道30000系(38101F)

 西武鉄道30000系電車は、2008年から新101系や301系の置換えを目的として製造されています。30000系の設計コンセプトは、「~人にやさしく、みんなの笑顔をつくりだす車両~」だそうで、「スマイルトレイン」という愛称がつけられています。
 車体は20000系に続いてアルミダブルスキン構造を採用しています。アルミ車体でも前頭部はFRPや普通鋼製という電車が多いですが、30000系はリサイクルを考慮して前頭部もアルミ合金でできています。これはモノアロイ化と呼ばれる手法です。
 主回路はIGBT素子を使用したVVVFインバーター制御で、もちろん省エネ化を図っています。装置の小型化や静音化をさらに進めています。車内のデザインは「たまご」をモチーフとした丸みを帯びたものです。車体幅や天井高さも従来の車両より拡大されており、最新型の電車らしくテレビ〈正式には車内案内表示装置です〉もついてます。
 写真の38101Fは2008年3月に日立製作所で完成したものです。30000系としては1次車に相当します。日立製作所が力を入れているA-Trainに属する車両で、その他のA-Trainには西武20000系や東武50000系、東京メトロ10000系などがあります。

西武鉄道20000系(20156F)

 西武鉄道20000系電車は、101系電車の老朽代替用として1999年から2005年にかけて144両〈10両・8両編成8本ずつ〉が製造されました。シンプル&クリーンが設計コンセプトだそうで、正面のデザインなどはヨーロッパの通勤電車といっても通りそうな感じがします。
 車体は外板と骨組みが一体となったアルミダブルスキン構造を採用しています。この方式には従来のアルミ構造よりも強度と静音性が増すというメリットがあります。新幹線の700系なども同じ構造の車体です。
 主回路はVVVFインバーター制御を採用しており、IGBT素子を用いたことにより静音性が向上しています。客室は白を基調にまとめられたもので、座席の一人当たりの幅を従来の440mmから460mmへ拡げています。
 写真の20156Fは2001年11月に日立製作所で完成したものです。20000系としては3次車に相当します。

西武鉄道10000系(10101F)

 西武新宿線では1993年12月から西武新宿ー本川越間に特急「小江戸」を運転しています。写真の10000系電車は、NRA〈NEW RED ARROW〉という愛称を持ち、池袋・秩父線の特急「ちちぶ」号に使用されていた5000系の代替として製造された電車でもありますが、第一陣は「小江戸」号の運転開始用に投入されました。
 特急「小江戸」号は、西武新宿ー本川越間を結び、途中高田馬場・所沢・狭山市に停車します。特急料金は西武新宿から本川越までで410円で、座席指定列車なので必ず座れます。ベースとなる乗客数が異なるとはいえ、東海道線のグリーン車は750円もする上に、途中から乗ってもけっこう座れないことがあります。
 いわばお買い得な「小江戸」号ですが、1998年に所要時間がそれほど変わらない快速急行が運転を開始してから、日中の利用客は減少したそうです。現在では日中は1時間ごと、夕方のラッシュ時には30分ごとに運転されています。
 10000系は新宿線用としては35両〈7両編成5本〉が配置されています。ちなみに「小江戸」号という列車の名称は、川越が「小江戸」と呼ばれていることにちなんだものです。

西武鉄道6000系(6101F)

 西武鉄道6000系は営団地下鉄〈当時〉有楽町線への相互直通運転に使用するため、1992年から98年までに250両〈10両編成25本〉が製造されました。
 車体は西武鉄道の電車では初めてステンレス製となっています。前頭部はFRP製ですが、西武球場の近くを走る新交通システム「レオライナー」に似ています。戸袋窓もあり、座席もゆったりした感じですのでほぼ同時期の電車であるJR東日本の209系電車に比較すると温かみのようなものも感じられます。
 主回路は現在主流となっているVVVFインバーター制御を採用しています。ブレーキ装置は全電気指令式電磁直通ブレーキを採用し、回生ブレーキを使用できる省エネ電車になっています。台車はボルスタレス式のSS125/025を装備しています。また3色表示の車内案内表示器を装備しています。
 写真の6101Fは1992年1月に東急車輛で完成したものです。同年4月に同じく東急車輛で完成した6102Fとともに現在では新宿線で使用されています。この2編成は試作車的な要素も持ち、若干仕様が異なるため東京メトロ副都心線への乗り入れ工事から外されているようです。

2010/05/04

西武鉄道101系(1251F)

 西武新宿線の急行電車には、新101系も使用されています。4+4+2の10両編成で運転されています。新101系は1979年に池袋線を101系に統一する目的で製造された電車で、1983年まで製造されました。
 車体は前面のデザインを変更し、国電の201系電車のようにブラックのアクセントをつけています。また通風器をグローブ形から押込式に変更しました。その他運転室のスペースを拡大したため、直後の窓が小さくなっています。
 走行機器は従来の101系と共通で、主回路はオーソドクスな抵抗制御となっています。また勾配のきつい秩父線を走るため、国鉄115系電車のような抑速ブレーキを装備しています。大手民鉄では珍しい装備です。
 写真の1251Fは1980年4月に東急車輛で完成したものです。新101系は西武所沢工場でも製造しましたが、多くの車両を東急車輛に外注しています。

西武鉄道2000系(2081F)

 新宿線でも池袋線でも盛んに走っている新2000系電車も早いもので新製から20年前後を経過していますので、機能維持のための更新修繕が行われています。
 目立つところでは戸袋窓を埋めたり、車両番号がプレート式になったり、池袋線の9000系のように正面に車両番号を表示したりしています。また室内は最新型の30000系に準じてリニューアルし、サービス改善を図っています。
 機器の面ではパンタグラフをシングルアーム式に換装したり、方向幕をLED式に改造したりしています。また車内放送を自動で行う装置を増設したりもしています。
 写真の2081Fは、1991年7月に東急車輛で完成し、2008年9月に東急車輛で更新工事を行っています。かつての西武所沢工場は既に閉鎖されていますので、車両メーカーで更新工事を行ったというわけですね。

西武鉄道2000系(2535F)

 西武新宿線では、1963年から1967年までに192両〈4両編成48本〉が製造された701系電車を長らく主力として使用していましたが、701系の老朽代替を実施するのに際して製造された2000系電車はマイナーチェンジを行ったので新2000系と呼ばれています。
 まず正面デザインについては、正面窓は視界改善のため曲面ガラスとなり、方向幕のあたりにブラックでアクセントを入れているので顔つきが従来の2000系とは異なります。また側窓は1段下降式となり、戸袋窓も設けられました。その他乗客の体格の向上に合わせて、天井や出入口の寸法を少し大きくしたり、車体の腐食を防止するために溶接方法の改善を行ったりしています。
 主回路は従来車と同様に界磁チョッパ制御を採用し、台車もFS372系を装備しています。1988年から1992年までに314両が製造されました。新宿線だけでなはく池袋線にも投入されています。
 写真の2535Fは1989年10月に東急車輌で完成したものです。新宿線用としては新旧あわせて308両もの2000系電車が配置されています。急行・各駅停車とあわせてよく走っている電車です。

2010/05/03

西武鉄道301系(1311F)

 西武新宿ー本川越間47.6kmを結ぶ西武新宿線では、新形電車への取替が進んでいる101系・301系も急行電車に使用されています。
 急行や各駅停車のほか、途中の小平駅から分岐して、JR五日市線の起点駅でもある拝島駅に至る「拝島快速」に使用されているようです。
 301系電車は1980年に登場したもので、8両固定編成であるという他は新101系と何ら変わるところのない電車です。56両〈7両編成8本〉がつくられました。
 写真の1311Fは1983年11月に西武所沢工場で完成したものです。301系のうち16両が新宿線用になっています。

205系(ハエ31編成)

 埼玉と東京を結ぶ通勤路線としてすっかり定着した感がある埼京線の主力車両は205系電車です。その他大崎から相互乗り入れをしているりんかい線の70-000系電車が走っています。
 現在川越車両センターに320両〈10両編成〉の205系電車が在籍しているのですが、埼京線用として新製されたのは25本で、3本が京浜東北・根岸線、4本が山手線からの転属車両です。その他6ドア車も山手線からの転属車です。
 池袋ー大崎間で湘南新宿ラインと線路を共有していることもあって増発も難しいのか、埼京線の混雑も相当激しいようです。
 写真のハエ31編成は山手線からの転属車両です。扉の窓が小さいので、山手線からの転属車両だということがわかります。

2010/05/02

東京急行電鉄5050系(5169F)

 東急東横線では、角張ったスタイルの9000系電車もよく走っていますが、最新型の5050系電車が主力になっています。車内にテレビのついている電車というほうがわかりやすいかもしれません。
 2007年12月に完成した5168F以来久々となる5169Fが完成し、田園都市線で試運転を行っていました。
 ちなみに昨年東横線に投入された5118F.5119F.5122Fの3本は本来田園都市線用の5000系です。また田園都市線の5000系の6ドア車を3両にするために編成の組み替えが発生し、中間車の改造により辻褄を合せているようです。
 5169Fの次の5050系は5173Fという編成番号で、ちょうど3本分が欠番になっているそうです。上記の5000系を改番して5050系に編入するという噂がありますがどうなるのでしょうか?

京浜急行電鉄1000形(1345編成)

 1958年から1978年まで21年間にわたり356両が製造され、快速特急から普通までこの電車ばかりが走っていたような気もする京急1000形も20両を残すだけとなり、年内には全廃ということになるようです。
 京浜急行としては初めて都営浅草線への乗り入れに対応した電車です。もっとも最初に製造された4両は800形〈先代〉として完成し、正面2枚窓で非貫通でした。1959年に登場した量産車から写真のようなスタイルで製造されました。
 現在では、6両編成が本線の普通列車、4両編成が大師線で使用されています。いずれも1500形と共通運用になっています。2本ずつしかないとはいうものの、終日運用に就いているため、走る姿をまだまだ見ることができます。
 写真の1345編成は、1978年3月東急車輛で完成したものです。4両編成で営業運転に投入されましたが、編成の組み替えを実施して現在では6両編成になっています。

京浜急行電鉄1500形(1521編成)

 平日朝のラッシュ時は、一番多くの車両が稼働する時間帯ですので、京浜急行のように複数の列車種別や車両形式がある路線では、日中とは異なる運用を見ることができます。
 日中の快速特急では、編成の後ろに4両編成を増結しますが、朝の特急では編成前よりの品川方に4両編成を増結しています。
 1500形の4両編成は、快速特急や特急の付属編成として使用される他、本線や大師線の普通列車として使用されているものです。
 写真の1521編成は、1988年1月に川崎重工・東急車輛で完成したものです。車体がアルミ合金製に変更された最初のグループに相当します。