2013/12/31

東京都交通局7000形(7001号)

東京都電荒川線の7001号電車が、ワンマン化される以前の塗装を復元して、営業運転に就いております。
荒川線の7000形は、ワンマン化に備えて車体を新しくしたのですから、リバイバルカラーというわけではありません。
確かに荒川線は、更新前の7000形、7500形と6000形で営業運転をしており、車掌も乗務しておりました。当時の荒川車庫も今とは違って、ずいぶんと歴史のありそうな外観でした。
この塗装は、昭和30年代の自動車の急増した時代に、電車を目立ちやすくして自動車との接触を避ける目的がありました。

2013/12/30

大和町商店街「やまて21」ツナとオリーブのパスタ

私佐野次郎は、気に行った店にはとことん通い詰めるタイプであります。JR根岸線の山手駅を降りてすぐ、大和町商店街を歩いて数分の洋食屋さん「やまて21」もお気に入りの店の一つです。
看板メニューは、ハンバーグとコロッケ、唐揚げの組み合わせであるトリオプラッターAになるのでしょうが、ほかにもカツレツとかカキフライ、ロールキャベツなど美味しそうなメニューが盛りだくさんです。
中でもパスタの評判がよろしい感じですね。やや硬めにゆでたパスタにさまざまなメニューがあります。写真はツナとオリーブのパスタですが、これはやみつきになりますね。
ほかにも私は、魚介類のパスタやナポリタンを食べてみましたが、美味しくいただきました。ちなみに私はお料理といっしょにビールをいただくことが多いのですが、瓶ビールもいいもんだなと思いますね。

2013/12/25

広島電鉄3950形〈3956ACB〉

広島電鉄3950形は、広島駅ー広電宮島間の直通用車両として、1997年から98年にかけて6編成が製造されました。3500形から進化を続けてきた「ぐりーんらいなー」シリーズの最後の形式でもあります。
前頭部はサイドに丸みをつけた曲面ガラスを採用し、前照灯周りのデザインも変更され、より洗練されたスタイルになりました。塗装がグリーンとダークグリーン、ホワイトの組み合わせとなり、3900形以前の形式とはずいぶんと印象が異なります。
主回路は3900形と同様、VVVFインバータ制御を採用しています。なおパンタグラフの性能向上を図り、シングルアーム式のZパンタグラフ.を採用しております。
写真の3956ACBは、1998年3月にアルナ工機で完成したもので、3950形のラストナンバーに相当します。この形式は扉の下部を目立ちやすくするために赤に塗装していますが、宮島の厳島神社の鳥居の色にかけているのかもしれません。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 的場町ー猿猴橋町間】

2013/12/23

広島電鉄3950形〈3953ACB〉

広島電鉄の宮島線直通電車は、広島駅前から西広島まで市内線を走ってから鉄道線区間に入るのですが、ゆxくり走っていた市内線区間に比べると電車もずいぶんと速く走っているように感じます。
平行する山陽本線に比べれば、電車のスピードは低いはずですが、電車が比較的小さいせいか、ずいぶんと飛ばしているように感じます。
現在は、3700形・3800形・3900形・3950形・5000形を主力に、一部3100形・3500形・5100形が入るような感じですね。市内線を走行できる連節車に統一されていますが、以前は旧形の鉄道線専用車両も走っておりました。
写真の3953ACBは、1998年1月にアルナ工機で完成したものです。3950形は1997年から98年にかけて6編成が製造されました。宮島線直通用に投入されましたが、高速運転時の横揺れの問題から一旦市内線用になり、再び宮島線直通用に復帰した経緯があります。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 商工センター入口ー草津南間】

2013/12/15

広島電鉄3900形〈3902ACB〉

広島電鉄3900形電車は、1990年から96年にかけて8編成が導入された宮島線直通用の3車体連節車です。
前形式の3800形と同じく、VVVFインバータ制御を採用していますが、主電動機の出力が60kwから85kwにパワーアップし、加減速がよりスムースになっています。
低床式の5000形や5100形が大量に導入された現在となっては、一世代前の電車という印象はぬぐえませんが、明るい車内は快適ですね。
写真の3902ACBは、1990年12月にアルナ工機で完成したものです。3800形と比べると、少し角ばったスタイルになっていますね。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 小網町ー天満町間】

2013/12/14

広島電鉄3800形〈3809ACB〉

広島電鉄の3800形電車は、1987年から89年にかけて9編成が導入された宮島線直通用の3車体連節車で、広島電鉄では初めてVVVFインバータ制御を採用したものです。
皆さまご存じの通り、近年製造される電車のほとんどはVVVFインバータ制御になっております。.むろん新幹線も含めてであります。
新幹線で初めてVVVFインバータ制御を採用したのは、初代「のぞみ」の300系電車ですが、既に引退してしまいました。そのあとを継いだ700系も最新のN700Aに比べるとずいぶんとくたびれてきていますので、時代の流れの早さを改めて感じますね。
写真の3809ACBは、1989年12月にアルナ工機で完成したもので、3800形のラストナンバーに相当します。3800形は3804ACBから角型ヘッドライトになりましたが、それだけでも印象が変わりますね。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 的場町ー猿候橋町間】

2013/11/24

広島電鉄3800型〈3803ACB〉

広島電鉄3800形は、1987年から89年にかけて8編成が製作された3700形に続く3車体連節車です。市内線から宮島線への直通運転に投入されました。
車体は3700形に比較しますと、連続窓を採用するなどよりスマートになっております。このデザインは市内線の800形の増備車にもマイナーチェンジという形で反映されております。
主回路はVVVFインバータ制御になりました。電装品の面でも当時の最新型となったわけですね。ちなみに将来、宮島線で連結運転を行うことを考慮して、自動連結器を増設可能な設計になっております。
写真の3803ACBは、1987年11月にアルナ工機で完成したものです。1987年に完成した3801~3803はヘッドライトが丸形になっています。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 商工センター前ー草津南間】

2013/11/23

広島電鉄3700形〈3705ACB〉

広島電鉄3700形は、1984年から87年にかけて5編成が製造されました。広島電鉄では、「軽快電車」こと3500形に次ぐ新造の3車体連節車です。宮島線への直通運用に投入されました。
車体は700形を3車体連節車にしたようなデザインで、明るい車内は好評をもって迎えられたそうです。当時は国鉄も広島地区で電車のフリークエンシー型ダイヤを強化し、宮島線への対抗策もとられました。
技術的には、抵抗制御・平行カルダン駆動方式と、当時としてはオーソドックスな技術で手堅くまとめられました。
写真の3705ACBは、1987年6月にアルナ工機で完成したものです。現在は3701~3703ACBが市内線、3704.3705ACBが宮島線直通系統に使用されています。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 的場町ー猿候橋町間】

2013/11/18

広島電鉄3000形(3003ACB)

何度となく語られている事ではありますが、路面電車は郷愁の対象ではなく、現役の輸送機関として、もっと活用されてもよいのではないでしょうか?
日本もすっかり低成長が定着し、都市の膨張も収まりつつありますから、莫大な費用のかかる地下鉄の新路線の建設もだんだんなくなってくるでしょう。
新交通システムやモノレールなんかも、おおげさな気がします。路面電車をベースにして、必要に応じて高架や地下のそんなに深くないところを走ったら、けっこう便利な気がします。
写真の3003ACBは、西鉄福岡市内線1200形の1206A・1206B・1203Aとして1963年6月に日立製作所で完成したものを譲り受け、1980年12月に3車体連節車に改造したものです。
【撮影:佐野次郎 2013.9.13 的場町ー猿候橋町間】

2013/10/14

広島電鉄3000形〈3007ACB〉

広島電鉄3000形の改造種車である、西鉄福岡市内線の1100形・1200形・1300形は1976年に広島電鉄に譲渡されました。
そのうち1300形2編成は小改造のうえ、2車体連節車の1300形として1976年に営業運転に投入され、宮島線への直通系統に使用されました。1981年には中間に1両を組み込んで3000形に再改造されています。
ちなみに1200形・1300形のうち広島電鉄に譲渡された以外の編成は、筑豊電気鉄道に譲渡されています。
写真の3007ACBは、1964年8月に汽車製造で完成した1305ABと1963年9月に日立製作所で完成した1207Bを1981年7月に3車体連節車の3000形に改造したものです。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 元宇品口ー広島港間】

2013/10/12

広島電鉄3000形〈3005ACB〉

現在7編成が在籍している広島電鉄3000形のうち、3005ACBだけは全車が旧西鉄市内線1100形を種車としており、少し角ばった車体とより天地に大きい窓で他の編成とは少し印象が異なります。
1100形時代には、カルダン駆動を採用し路面電車としては進んだ仕様でしたが、広島電鉄への移籍に際して、旧1200形・1300形と性能を揃えるために吊り掛け駆動に改造されています。
3000形の車内はすべてロングシートで、貫通路も全幅式で車内には一体感があります。冷房やICカードの読み取り機もありますが、やはり昭和の電車という雰囲気が強いです。
写真の3005ACBは、1954年7月汽車製造製の旧西鉄福岡市内線1101A-1101B-1102Aを1981年1月に3車体連節車の3000形に改造したものです。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 元宇品口ー広島港間】

広島電鉄3000形〈3004ACB〉

広島電鉄3000形は、もと西鉄福岡市内線の1100形・1200形・1300形を3車体連節車に改造したもので、3両編成7本21両が在籍しています。
宮島線直通用の主力車両として活躍しましたが、1998年から市内線へ転用されています。宮島線への新型車両の導入と、3000形には電気ブレーキがないことで空気ブレーキの保守に手間がかかることと高速運転向きではなかったことが背景にあるそうです。
ともあれ定員180名と広島電鉄では最大の輸送力を持ち、1系統をはじめとする市内線では大いに活躍しております。ラッシュ時だけではなく終日運用に就いておりますね。
写真の3004ACBは1962年日立製作所製の旧西鉄市内線1201A-1202B-1202Aを1980年12月に改造したものです。現在は広電ボウルの広告電車になっております。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 的場町ー猿候橋町間】

2013/09/23

広島電鉄1900形〈1905〉

広島電鉄といえば、動く電車博物館としても名高く、京都・大阪・神戸・北九州・福岡の各都市から多くの車両を受け入れて、車両の大型化と輸送力増強を図ってきました。
ただしよる年波には勝てず、5000形・5100形といった低床式の連節車の導入を契機に、老朽化した移籍車両の整理も進められていきました。
そんな中で、京都市電からきた1900形だけは、現時点で移籍した全車両が活躍しています。出口が広くて扱いやすく、乗務員から評判が良いからだそうです。
写真の1905号は、1957年にナニワ工機で京都市電920号として完成したものです。1970年にワンマン化されて1920号になりました。「比叡」の愛称をつけられて活躍しています。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 土橋ー小網町間】

2013/09/22

広島電鉄1900形〈1903〉

広島電鉄1900形は、京都市電1900形を譲り受けたものですが、京都市電の保存車にも動きがありました。
2014年1月に梅小路公園に「市電ひろば」を設けて、1978年の全廃以来保管していた7両の市電車両を常設展示するというものです。簡単な屋根を設けただけの屋外展示というのも気になりますが、カフェなどとして活用することのことです。
せっかくJR西日本が梅小路蒸気機関車館とあわせて整備する鉄道博物館の近くに整備するのですから、市電保存館みたいな屋内に大切に保存する形態にしてほしかったところですね。
写真の1903号は、1957年9月にナニワ工機で京都市電918号として完成したものです。1970年に1900形に改造されて1918号になりました。方向幕の大型化や冷房改造などを行っていますが、京都時代に近い姿で走っていますね。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 小網町ー天満町間】

広島電鉄1900形〈1901〉

広島電鉄1900形は、1978年に全廃された京都市電1900形を1977年に2両、1978年に13両譲り受けたものです。京都時代に事故で失われた1両を除く、残存14両全車が広島電鉄にやってきました。
京都市電1900形は、900形のうち1957年製の16両を、1970年にワンマン化し、改番した形式です。その際に、後部の扉を中央部に移設し、前中2扉の現在の様式となりました。特徴のある前照灯周りも、その際に改造されたものです。
広島電鉄でも京都時代の塗装のままで活躍しており、京都市の市章もそのままです。今回実際に乗車しましたが、小さい時に乗車した京都市電の雰囲気をそのまま残していたように思います。揺れ方や走行音、木張りの床などを見て特にそう思いましたね。
写真の1901号は、1957年9月にナニワ工機で京都市電916号として完成したもので、1970年に改造されて1916号となりました。広電移籍後の1980年には、広電ではトップを切って富士電機の直流駆動方式で冷房改造されました。再改造された現在の姿とは異なり、屋根上のクーラーユニットはありませんでした。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 広電本社前】

2013/09/21

広島電鉄900形〈912〉

広島電鉄900形は、大阪市電2600形のうち既にワンマンカーに改造されていた14両を1969年に譲り受けたものです。大阪市電の全廃も1969年ですから、既に広島電鉄で44年間活躍していることになり、大阪市電での使用年数よりはるかに長くなっています。
大阪市電2600形は、1957年に木造車1000形の電装品と台車を利用して、当時の最新型だった3000形の車体を組み合わせて114両が製作されたものです。全鋼製の車体は密閉度が高く、冬場は寒さをしのげることから歓迎されましたが、夏場は逆に熱くなって大変だったそうです。
広島電鉄に14両が移籍したほか、鹿児島市電には800形として大挙32両が移籍しました。私が1992年に卒業旅行で九州をまわり、鹿児島を経由したときにはまだ健在で半数が冷房改造や台車の交換を行い活躍していました。今では9500形に改造されて姿を消してしまいましたが。
写真の912号は、1957年7月に大阪車輌工業で大阪市電2636として完成したものです。冷房改造やICカード読み取り機も装備していますが、台車はブリル式を現在でも使用しておりますね。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 的場町ー猿候橋町間】

2013/09/16

広島電鉄900形〈904〉

広島電鉄900形は、もと大阪市電2600形で1969年に14両を譲り受けました。白島線や横川方面を中心にして、日中でもよく稼働しています。
大阪市電2600形は、木造車1081形などの台車やモーターなどを流用して、1957年に製造された車体更新車です。車体は当時としては最高水準の高性能車3000形に準じたもので、中央窓が大きな3枚窓、系統番窓と大きな方向幕窓を配置した均整のとれたスタイルになっています。
広島電鉄に移籍してから、再度ワンマン化され、正面中央窓にワイパーを取り付けたたため窓枠を太くなるなどの変化が見られます。また冷房改造と方向幕の自動化が行われました。
写真の904号は、1957年大阪車輌で大阪市電2630号として完成したものです。900形は現在9両が在籍しており、904号が最若番になっております。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 江波】

2013/09/15

広島電鉄800形〈801〉

広島電鉄800形は、1983年12月に1次車が登場した市内線用の新造車両です。車体は前年に登場した700形とほとんど同じですが、省エネルギー、低騒音・低振動をめざし、市内線用としては初めての本格的な高性能車となりました。
遠くから見ると700形との判別は困難ですが、正面の前照灯・尾灯の並び方や側面幕板の緑帯の有無、Z型パンタグラフの装備などで識別できます。その他は、1.200mm両開きの中央扉や、正面・側面4か所が連動する大形電動方向幕などは700形と共通であります。
主制御器は回生制動付の電機子チョッパ制御となり、自動加減速制御されます。モーターは60kWの複巻電動機で、駆動装置は平行カルダンです。台車は枕バネはコイル式ですがオイルダンパー付きで、軸バネにシェブロンゴムを使ったFS83形を装備しています。
写真の801号は、1983年12月にアルナ工機で完成したもので800形の1次車に相当します。800形はその後814号まで増備されましたが、仕様が少しずつ変更されましたので写真と同様の外観は1次車だけになっています。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 元宇品口ー広島港間】

広島電鉄750形〈768〉

広島電鉄のなかで大きな存在感を持っている移籍車両のなかでも、大きな勢力をもっていたのがもと大阪市電の750形でしょう。大阪市電の1601形・1651形・1801形の3グループからなり、1965年から68年にかけて22両が移籍してきました。
現在も稼働しているのはそのうちの6両で、旧1651形と旧1801形が3両ずつ残っています。冷房改造を受け、ICカードと一日乗車券などフリーパスの読み取り機、運賃箱を装備し、ドアの近くは機器が何種も並んでいます。
750形は広島駅ー比治山下ー広島港間の5系統を中心に使用されているようです。同じく広島駅ー広島港間を市役所前経由で結ぶ1系統にも早朝やラッシュ時には入ります。いずれも朝夕のラッシュ時が運用の中心ですね。
写真の768号は、1950年に富士車輌で大阪市電1827号として完成したものです。台車は大阪市電型とよばれるオールコイルバネのものを使用しております。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 的場町ー猿候橋町間】

2013/09/14

広島電鉄750形〈763〉

広島電鉄といえば、動く電車博物館ともいわれ、大阪・神戸・北九州・福岡・京都など各都市から譲り受けた車両群が活躍している事でも知られています。
主に昭和40年代、広島電鉄が経営合理化を図るために輸送力増強を図る過程で、割高な新車購入よりも中古車の譲受でしのいできたという事情があります。それにしても超ベテランの電車を動かすメンテナンスの技術も凄いですね。
さすがに21世紀に入ってからは、新型連節車の導入によりベテラン電車の整理も進んでいるようです。神戸・北九州からやってきた電車は、数も少なくなり出番も減少しているようです。それでも、もと大阪市電の750形・900形は比較的多く走っておりますね。
写真の763号は、1940年木南車輌で大阪市電1653号として完成したものです。撤水車の足回りを利用しているので、台車はブリル77E形を装備しています。前照灯の移設や、方向幕の大型化、冷房改造、Zパンタ化など多くの改造を受けていますが、車内の床は板張りのままです。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 広電本社前】

広島電鉄700形〈707〉

私佐野次郎は、9月11日から13日にかけて広島を訪問して、ほぼ広電撮り鉄ツアーを敢行しました。前回は4月に訪問したのですが、1泊2日で広電の利用も、横川駅前から広電本社前まで一度利用しただけで、あとは歩きで広電を撮影するような感じでした。
今回は、600円の一日乗車券を大いに活用して、撮りの他にも乗りを楽しむようにしました。市内線でも様々な表情があることに気がつきました。
特に印象に残ったのは、本線の土橋ー広電西広島間ですね。土橋で江波線と分かれてカーブすると、いきなり広くない路地に入ります。次の小網町電停には安全地帯がありません。宮島線直通用の連節車も通る区間なのに。
天満川にかかる鉄橋を抜けて、観音町を通り過ぎると、開けた併用軌道上を川沿いに走り、ターミナルとして整備された広電西広島に至ります。写真の707号は、1983年11月にアルナ工機で完成したもので、700形の2次車に相当します。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 小網町ー天満町間】

広島電鉄100形〈101〉

100形復元車は、1984年4月から8月にかけて行われた”Sun Sun ひろしま”観光キャンペーンに際して登場した、1912年広電開業当時の日本車両製A形電車をモデルに復元したものです。
外観は、すっかり珍しくなった2軸の単台車、二重屋根、扉がなく吹き抜けの運転台、しゅろなわの救助網、各所に見られる凝った装飾など、当時の雰囲気がよく伝わってきます。
下回りは1971年まで在籍し、市内の交通公園に保存されていた157号のものを整備して流用しています。台車は本来の100形のブリル21Eではなく、S-12形であり、モーターも26kw2個装備と、性能的には150形であります。
1984年4月から白島線で営業運転に投入され、好評を博しました。現在では、貸切列車などに使用されているようです。現在の構造基準に適合するよう、台枠や外板、屋根などは鋼板製になっております。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 江波】

2013/09/13

広島電鉄600形〈602〉

広島電鉄600形は、もと西鉄北九州線500形3両を1976年に譲り受けたものです。西鉄北九州線500形は、1948~49年に汽車会社で12両が製造されたもので、戦後の運輸省規格形で横浜市1300形や大阪市1711形と同型の電車です。
1953~54年に中央扉を埋めて2扉化し、車体の前後を絞るなどの改造を受け、西鉄市内線最大のボギー車として活躍しました。広電移籍時には、扉を前中2扉に改造し、同時にワンマンカーになりました。
性能的には、吊掛式・直接制御であります。台車は西鉄時代のK-10系から大阪市電型に換装しております。1984年に、三菱MDA方式.で冷房改造を実施しましたが、この時点で車齢が36年を経過していました。
写真の602号は、1948年10月に汽車会社で西鉄502号として完成し、1976年に広電に移籍しました。塗装は西鉄時代のままとのことですが、色味が明るいような気がしますね。601.603号は既に廃車され、602号1両だけが現役として残っております。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 猿候橋町ー的場町間】

2013/09/10

東京メトロ副都心線7000系〈7103F〉

今年の暑さは激しいもので、撮影好きの私をもってしても、家にいて休もうと思うほどのものでした。このところ、ようやく暑さも落ち着いてきておっとり刀で撮影を再開した次第です。
8日の横浜市電保存館に次ぐ第二弾は、東急東横線です。3月から相互直通運転を開始しましたので、東急5050系ばかりがやってきた直通開始直前とはまったく様相が変わっております。
よく見かけるのが東京メトロ7000系ですが、学生の頃有楽町線の飯田橋ー有楽町間を中心にお世話になりました。当時既に東上線への直通運転を行っていましたが、東横線で見ることになるとは思ってもみませんでした。
写真の7103Fは、1974年3月川崎重工で完成したもので、当時は5両編成でクーラーも装備していませんでした。1983年6月に中間車5両が川崎重工で完成し、10両編成になりました。副都心線対応工事を受けた現在では主回路をVVVFインバータ制御に換装し、編成も8連に短縮されています。
【撮影:佐野次郎 2013.9.10 妙蓮寺駅】

2013/09/09

横浜市電保存館リニューアル

横浜市電の滝頭車庫跡に設けられ、市電廃止直後の1973年8月に開館した横浜市電保存館が2013年7.月20日にリニューアルオープンしました。私佐野次郎は9月8日に訪問しました。
なお横浜市電保存館は1983年に建て直されており、市営住宅の1階部分を保存館にあてています。それまでは旧工場の建屋をそのまま利用していました。
写真の523号は、少し前に引き出して、写真のような構図で撮影できるようになりました。
写真の1007号は、やはり昭和初期の電車だけあって、クラシカルな感じがしますね。この塗装は1960年から採用した横浜市電最後の塗装で、増加する自動車との接触事故を避けるために目立つ塗装にしたものです。
写真の1104号も、館内の整理によって少し撮影しやすくなりました。現代の横浜市営バスの塗装も、基本的なカラーリングを継承しているようですね。
今回のリニューアルの目玉の一つが1311号の塗装変更です。3000形として戦後すぐに製造された当初はこのカラーリングだったそうです。私も本のイラストでしか見たことのなかった塗装です。
もう一つの目玉が1510号の塗装変更で、1954年に登場した1150形の1171.1172号に施された試験塗装です。色はコーヒーブラウンだそうです。当時はワンマンカーではなかったのですが、細かいことを指摘するのは野暮というものです。よく似合っています。
横浜市電最後の新車である1600形の1601号は、横浜市電全盛期の塗装をまとって展示されています。横浜市営地下鉄の総営業キロもようやく市電の全盛時を抜いたのかな?
珍しいのは。もともとビールを運んでいたという、電動貨車。このビール工場跡は、ブラタモリでも取り上げられたそうです。路面電車の事業用車自体も珍しいですよね。
市電と並ぶもう一つの目玉は、鉄道模型のジオラマです。しっかりと横浜市電も走っていますね。鉄道博物館やリニア・鉄道館なんかに比べるとこじんまりとしていますが、入場料も100円と良心的です。周りは住宅街で何もありませんが、極端に混雑することもなさそうですし、電車に興味のある方でしたら、充分楽しめる施設だと思います。往路はJR根岸線の根岸駅からタクシー利用が快適でしょう。帰りは始発となる15分間隔の横浜市営バス21系統の時間に合わせて帰るのが賢明でしょう。
【撮影:佐野次郎 2013.9.8】

2013/08/17

EF81 95

真紅のボディーに「E F 8 1」のレタリング、いやがうえにも目立つこの電気機関車は、国鉄の分割・民営化直前の1987年2月に、ジョイフルトレイン「スーパーエクスプレスレインボー」の牽引用として、塗装変更されたものです。
スーパーエクスプレスレインボーは14系座席客車を種車に1987年に改造された欧風客車です。サロンエクスプレス東京に続く東京地区では2本目の欧風客車でした。2000年に廃車となり、今ではジョイフルトレインという名称も下火になった感があります。
EF81形は1968年から製造された交直流両用の電気機関車ですが、1988年3月のダイヤ改正で東京と北海道を結ぶ寝台特急「北斗星」の牽引機に抜擢されて人気を高めましたね。廃車も進んでいますが、今でも「あけぼの」の先頭に立っていますね。
写真のEF81形95号機は、1974年3月に日立製作所で完成し、富山第二機関区に新製配置されたものです。日本海縦貫線で使用されましたが、1982年10月にEF80形の代替を目的として田端機関区に転属しました。
【撮影:佐野次郎 2013.4.18 大宮駅】

過去の記事から
碓氷峠鉄道文化むらEF80 63
http://sanojiro.blogspot.jp/2009/08/ef8063.html

2013/08/04

京成電鉄3000形(3027編成)

新型スカイライナーの登場によって、京成電鉄のイメージもずいぶんとよくなったように思います。JR東日本のNEXとの競合という意味では、新型スカイライナーに軍配が上がりそうです。NEXは減便と一部東海道線系統への転用が噂されています。
スカイライナーを補完する特急には、写真の3000形の派生形式である3050形が使用されていますが、3000形の8連はトップナンバー1本だけという状況が続いておりました。あとは6連が24本製造され、普通の主力になっています。
3000形の8連は、3050形と同じように都営浅草線を経由して、京急本線・羽田空港線にもやってきます。京急蒲田駅の大規模な高架化も完成し、以前はのどかな地平駅だった糀谷駅も高架駅になりました。
写真の3027編成は2013年3月に総合車輌製作所で完成したものです。1月に完成した3026編成と、3027編成の投入により、3300形の「青電」「赤電」「ファイアーオレンジ」など3本のリバイバルカラーの3300形が軒並み廃車となっております。

2013/08/03

東横線5050系〈5156F〉

3月に副都心線との相互直通運転が始まる前の東急東横線は、横浜高速鉄道のY500系を含めてもほぼ5000系の電車に統一されていて、たまにやってくる9000系がずいぶんと貴重な電車のように思えました。
相互直通運転開始後は、5000系ばかりがやってくるという印象がなくなり、いろいろな電車がやってきます。なかでも東京メトロ7000系は1972年に有楽町線でデビューしたやや古い電車ですので、かなり目立ちます。
5000系では、10連の4000番台を除いて8連タイプにはステッカーが掲示されています。急行には8連も残り、それほど混雑感もありませんが、特急は10連でもずいぶんと混雑しているような気がしますね。
写真の5156Fは、2005年3月に東急車輌で完成したものです。2010年10月には副都心線乗り入れ対応工事を終えて東急車輌を出場しております。
【撮影:佐野次郎 2013.6.10 白楽ー東白楽間】

2013/08/01

池袋線6000系〈6111F〉

今年の3月に東急東横線・みなとみらい線、東京メトロ副都心線、東武東上線、西武池袋線の相互直通運転が開始され、東横線・みなとみらい線の電車は一気に種類が増えて、様変わりしたような感じです。
相互直通によるネットワーク化で、さまざまなところに行きやすくなり、非常に便利になった反面、乗り換えがわかりにくくなったり、電車の色を見てもどこの路線に乗っているのかよくわからないという面もあります。
写真の6000系は東横線を走る唯一の西武鉄道の電車です。ラインカラーも青帯と他の車両とは違います。有楽町線では意外によくお目にかかる電車ですね。東横線を走る西武電車というのも、意外感と新鮮味がありますね。
写真の6111Fは、1994年11月に東急車輌で完成したものです。2009年度には副都心線乗り入れ対応工事を受けております。この工事により前面がシルバーからホワイトに変更されています。
【撮影:佐野次郎 2013.4.17 白楽ー東白楽間】

2013/07/06

有楽町・副都心線10000系〈10130F〉

2013年3月に東急東横線と、東京メトロ副都心線・西武池袋線・東武東上線との相互直通運転が開始されましたが、特急・通勤特急・急行は10両編成での運転になりました。急行については、10両と8両編成が混在しているようです。
東横特急は、直通開始前のように渋谷から着席することは難しいようですね。副都心線内では急行として運転されますが、新宿三丁目でもかなり混んでいて着席は困難です。池袋ー新宿ー渋谷間は需要が旺盛で、山手線を補完しておりますね。
対抗馬となる湘南新宿ラインはさすがに速いですが、15分間隔はぎりぎりのところでしょうか?遅れも目立ち、特急・急行をあわせると倍の本数の東横線~副都心線のほうが優位かもしれませんね。
写真の10130Fは、2009年10月に日立製作所で完成したもので10000系の5次車に相当します。地下鉄を抜け出して、東横線の地上区間を走る姿もなかなかさまになっていますね。
【撮影:佐野次郎 2013.6.10 白楽ー東白楽間】

2013/06/22

東上線9050系〈9151F〉

東急東横線は、2013年3月の副都心線・西武池袋線・東武東上線との相互直通運転開始までは、9000系が残る他は、横浜高速Y500系も含めて5000系列の電車に統一され、同じような電車ばかりが走るようになっておりました。
相互直通運転開始により、東京メトロ・西武・東武の電車が入ってくるようになり、再びバラエティ豊かになりましたが、1972年に登場した東京メトロ7000系を始め、80年代生まれの東武9000系、90年台生まれの西武6000系・東武9050系などベテランが多いのが興味深いですね。
とはいうものの、直通開始によって一番変化したのは副都心線でしょうね。東横線との直通前はなんだかいつも空いていましたが、一気に乗客が増えたような印象があります。東横特急になる急行なんて渋谷はおろか新宿三丁目でもほぼ座ることができません。
写真の9151Fは、1994年10月に東急車輌で完成したものです。9050系は1994年12月の有楽町線新線開業に伴い、2編成が製造されたものです。9151Fは、2009年3月に副都心線直通工事を完了しました。
【撮影:佐野次郎 2013.6.10 東白楽ー白楽間】

2013/06/15

広島電鉄1000形〈1001〉

広島電鉄1000形は、超低床車両の運行路線の拡大と老朽化した車両の置き換えを目的に2013年に導入した最新型車両です。従来超低床車両が運行されていなかった横川ー江波・白島間にも入線します。
5車体連節車の5100形を短縮したような電車ですが、機能性・静粛性・メンテナンス性を向上を目的に、制御装置・補助電源装置・空調装置・車両情報装置を新設計しております。
連節車でありながら車掌台はなく、ワンマン運転に特化した車内配置をとっております。座席配置は、先頭車はクロスシート、中間車はロングシートとなっています
写真の1001は2013年1月に近畿車輛・三菱重工業・東洋電機製造で完成したものです。広島電鉄電車開業100周年記念車両でもあり、開業当時の電車の塗装を模した『アニバーサリー・レッド』と称する赤紫色となっています。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 広電本社前】
1002 2013.4.22 原爆ドーム前ー本川町

2013/06/10

広島電鉄900形〈911〉

広島電鉄では、市内線で使用していた小型の4軸単車を置き換える目的で、1965年から69年にかけて、路線縮小を進めている大阪市電から大型車3形式を譲り受けて750形として導入しました。900形は750形に続く車両として大阪市電2600形を譲り受けたものです。
1969年に大阪市電2600形のうち14両を譲り受けたのですが、2600形は車体長が12.4mの大阪市電でも中型車と呼ばれていた車両群に相当します。大阪市電2600形は、旧型車の電気部品を再利用して、3001形電車とほぼ同じ車体を新製した電車です。
900形の走行機器は、基本的に大阪時代のままです。制御方式はKR-8直接制御器(ダイレクトコントローラー)によって速度制御を行う直接式です。主電動機は三菱電機製の直流直巻電動機MB-245-L(出力38kW)を1両当たり2基搭載しており、駆動方式は吊り掛け式であります。
写真の911号は、1957年に大阪車輌工業で完成した、もと大阪市電2636です。1987年3月に冷房改造を行っております。900形は1977年の千田車庫火災で1両、98年に3両、2000年に1両が廃車となり、現在9両が在籍しています。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 八丁堀】

2013/06/02

広島電鉄800形〈814〉

1983年12月に市内線の最新鋭車として1次車が登場した広島電鉄800形ですが、1997年2月に登場した5次車まで増備が行われました。5次車では、ほぼ同時期に製造されていた連節車の3900形に近いスタイルになっておりますね。
車体は700形と大差がありませんでしたが、省エネルギー、低騒音・低振動をめざして、本格的な高性能車両として設計されたことが長期にわたる増備に結びついたものと想像されます。また1次車の段階から中央扉に設けられた車椅子のスペースも700形と同様進んだものでした。
主制御器は回生制動付きの電機子チョッパ制御で、自動加減速制御をしています。また制御装置も、回生制御を優先して空気制御を補助とする、併用方式の全電気指令式電磁直通制御となっております。
写真の814は、1997年2月にアルナ工機で完成したもので、800形のラストナンバー車になります。連節車がVVVFインバータに移行したあとも、電機子チョッパ制御のまま増備を継続したのは、興味深いところです。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 猿候橋町ー的場町間】
813 1997年2月 アルナ工機 2013.4.22 広電本社前

2013/06/01

広島電鉄800形〈811〉

1992年に製造された809~812の4両が広島電鉄800形の4次車に相当します。デザイン的には805~808とほぼ変わりません。
前面方向幕下にあった横桟と方向幕左右にあった縦桟が廃止され、フロントガラスが完全な1枚構造になっています。またバックミラーの取り付け位置が側面に移りました。
810のみ、緑帯が側面のみやや太くなっており、側面の両端で細くすぼまる形になっています。また、この車両から車内の車両番号銘板文字体が変更となっております。
写真の811号は1992年6月にアルナ工機で完成したものです。4次車は809のみ江波車庫、810~812は千田車庫の配置になっております。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 皆実町六丁目ー皆実町二丁目間】
809 2013.4.22 的場町ー稲荷町間
810 2013.4.23 的場町ー猿候橋町間

広島電鉄800形〈805〉

広島電鉄800形は4次に渡って14両が製造されましたが、1990年に製造された805から808の4両が3次車に相当します。
車体の基本的な構成は、1983年に登場した1次車から共通ですが、前面周りのデザインが3800形の後期車に準じたものになっています。前照灯や尾灯が角型になっていることから、それがよくわかります。
また側面の窓枠がこのグループから黒枠になっています。デザイン的にも平滑に見えていい効果を出しているように思います。
写真の805は、1990年9月にアルナ工機で完成したものです。805から808の3次車はいずれも江波車庫の所属となっております。
【撮影:佐野次郎 2013.4.23 猿候橋町ー的場町間】
806 2013.4.22 猿候橋町ー的場町間
807 2013.4.23 原爆ドーム前ー紙屋町西間
808 2013.4.23 的場町ー猿候橋町間