2009/12/31

小田急8000形〈8260F〉

 1982年に導入された8000形は高性能化、省エネルギー化、メンテナンスフリーを意図して、5200形までの「小田急顔」の通勤電車とは違ったイメージで登場しました。
 新しいと思っていた8000形も、登場から30年近くなり、原形を保ちつつも質的には大きな改善が行われています。
 2004年から車体改修が行われ、車体の内外の改修はもちろんのこと、電気部品を取り替えてVVVFインバーター制御にしています。走行機器に関しては最新の車両に近い水準に改善されているわけです。
 写真の8260Fは1984年11月に東急車輛で完成し、2007年8月に小田急車両工業で車体改修を行っています。
【撮影:佐野次郎 2009.12.30相武台前ー座間間】

2009/12/30

小田急5200形〈5268F〉

 小田急の通勤電車は、「小田急顔」という印象が強かったのですが、3000形の大量投入により2600形・4000形〈先代〉が全廃となり、5000形・5200形も廃車が進んでいます。
 5200形は急行と準急を10両編成で運転するため、1977年から82年にかけて120両〈6両編成20本〉が製作されたものです。側窓が9000形〈既に引退〉と同様に1段下降式になっています。
 5200形も2006年度から廃車が始まり、現在では36両が残るだけとなっています。その中には車両の需給を調整するために4両編成に短縮された編成も含まれています。
 写真の5268Fは1982年6月に日本車輛で完成したものです。現在では小田原方面に「小田急顔」の車両が連結されることが非常に珍しくなっています。
【撮影:佐野次郎 2009.12.30相武台前ー座間間】

江ノ電1000形〈1001+1051〉

 江ノ電1000形が12月で製造されてから30年を迎えるということで、当時の塗装に塗り替えられて走っています。
 1000形は江ノ電としては久々の新形車両でしたが、小型車両ですので技術的な制約があり、構造がシンプルな吊り掛け駆動が採用されました。そのため走行音は旧形の電車と同じです。
 1979年は路面電車の新形車は少数でしたので、1000形の登場は好意的に迎えられました。鉄道友の会の「ブルーリボン賞」も受賞しています。
 江ノ電の車両はこのところ塗装の変更を頻繁に行っていて、目が離せません。次はどんな変化があるのか楽しみです。
【撮影:佐野次郎 2009.12.29極楽寺ー稲村ケ崎間】

江ノ電1500形〈1502+1552〉

 江ノ電1500形の第二編成が、10月から京福電鉄と提携したことから「嵐電号」として嵐山線の電車を模した塗装で走っています。
 あまり変わらないようにも思ったのですが、上半分のクリーム色のトーンは嵐電のそれがみごとに再現されています。また嵐電は独特の意匠の社紋がついているのですが、江ノ電の「江」を同じ意匠でつけています。
 【撮影:佐野次郎 2009.12.29極楽寺ー稲村ケ崎間】

2009/12/27

京浜急行1000形〈1351編成〉

 私の感覚としては京浜急行の普通といえば1000系の4連なのですが、現実には1000系の4連は2本しか残っておらず本線からは既に姿を消しているのです。
 今では京急川崎ー小島新田間を結ぶ大師線に1000系の4連が走る姿を見出すことができます。川崎大師にお参りにいくときにはお世話になる路線ですね。
 大師線は日中3編成の電車で運用を賄っているようです。10分間隔での運転ですから、記録を目的に撮影していると約30分で終了することになります。
 写真の1351編成は1977年2~3月に東急車輛で完成し、1992年5・12月に更新修繕を受けたものです。1000系としては最後の8両固定編成だった編成の生き残りです。
【撮影:佐野次郎 2009.12.26京急川崎ー港町間】

京浜急行新1000形〈1453編成〉

 京浜急行新1000形のうち2008年後半に完成した32両〈8両編成3本・4両編成2本〉は八次車に相当します。
 七次車とほぼ同じ仕様ですが、車内の配色に一部変更となった部分があります。また今回初めて4両編成が登場しています。
 4両編成は、すべてモーター付きの車両で構成されています。
 写真の1453編成は、2008年9月に川崎重工で完成したものです。
【撮影:佐野次郎 2009.10.3仲木戸駅】

2009/12/23

京浜急行1000形〈1369編成〉

 京急といえば、都営地下鉄に乗り入れる特急は1000形、特急を待避する普通も1000形という印象が私には強いのですが、9月末の時点で38両にまで減ってしまいました。その後さらに運用を離脱した編成があるのかもしれません。
 京浜急行1000形の6両編成は、1500形と共通運用を組んでいて大師線など6両編成の運転がない区間を除いて普通列車として走っています。
 1000形は最近の新しい電車と違って窓が多いですね。戸袋の部分や連結面にもちゃんと窓があります。前照灯が1灯で方向幕と運行番号表示が対称にあるのも端正でイイです。
 写真の1369編成は、1978年3月に東急車輛で完成し、1993年に更新を行っています。また8両編成として稼働した期間が長かった編成でもあります。
【撮影:佐野次郎 2009.9.6仲木戸駅】

2009/12/21

東京都電荒川線7000形〈7005号〉

 現在も荒川線で一番多く走っている7000形電車は、1978年にワンマンカーに改造された頃は写真のような姿をしていました。今でも元気に荒川線を走る7005号ですが今の姿とは違っています。
 第一に塗装が違いますね。都電はイエローに赤帯を巻いていましたが、青帯になっています。ワンマンカーであることをアピールするためだったのでしょうか?今では7022号がこの塗装を復元して走っています。
 第二にクーラーが乗っていませんね。今では電車やバスにはク-ラーがついているのが当たり前ですが、写真を撮影した1985年当時には、通勤電車にも冷房のないものがあり、地下鉄や路面電車にはほとんどクーラーがついていませんでした。
 第三に架線から電気を取り入れる装置が「ビューゲル」という「しゃもじ」のようなものを使っていますね。戦後の路面電車では定番の装置でしたが、いまでは見かけなくなりました。
 皮肉なことに東京で荒川線が再生し、生まれ変わった7000形が現れた1978年に、京都では市電が全廃されてしまいました。今でこそ2路線の地下鉄が走る京都ですが、せめて外周部や河原町線だけでも残してほしかったと思います。観光や生活に有益だと思うのですが・・・
【撮影:佐野次郎 1985年頃 宮の前ー熊野前間】

2009/12/20

東京都電荒川線7000形〈7025号〉

 荒川線の主力として22両が活躍している7000形にはいまのところ取り替える計画はないようです。7000形は1954年から56年にかけて93両が製造された電車で、都電の各車庫に分散配置されて、いろいろな路線で活躍しました。
 1960~70年代の都電の相次ぐ廃止によって、荒川車庫にあつまった車両のうち31両が1977年から78年にかけて、車体を新しいものにとりかえてワンマンカーに改造されました。
 ワンマンカーに改造されてから早いもので30年以上が経つわけですが、クーラーをつけたり、方向幕をLEDにしたり、写真の7025号のようにシングルアーム式のパンタグラフに取り替えたり、手入れをしながら使用され続けています。
 製造から50年、車体を新しくしてから30年、とっくに新しい車両に取り替えてもおかしくない年数ですが、当面は活躍を続けるようです。
【撮影:佐野次郎 2009.11.22大塚駅前】

東京都電荒川線8800形〈8802号〉

 8800形は2両目の8802号も8801号と同じように4月26日から営業運転に入っています。今までの荒川線の車両にはないローズレッドという塗装は、沿線に多く植えてあるバラをモチーフとしたものだそうです。
【撮影:佐野次郎 2009.11.22向原ー大塚駅前間】

東京都電荒川線7500形〈7514号〉

 7500形はつくられた当時は写真のような姿でした。写真は1985年頃ワンマン化改造の対象から外れて荒川車庫に保管されていた7514号を敷地外から撮影したものです。
 7000形から始まった、車体の前と真ん中に乗降扉を配置したスタイルで、バス用の部品を利用したライトなどが7500形の特徴です。
 荒川線のワンマン化当時7500形は製造してから15年程度でしたので、車体はステップを廃止したほかはそのまま利用したわけですね。7514号の前後にそれらの車両が写っています。現在荒川車庫前につくられた「都電おもいでひろば」に1両が展示されています。
 また7514号はその後小金井市にある「江戸東京たてもの園」に展示されています。最盛期の都電の姿を現代に伝える貴重な存在といえるでしょう。
【撮影:佐野次郎 荒川車庫敷地外から撮影 1985年頃】

2009/12/17

南北線9000系〈9117F〉

 南北線は2000年9月26日に目黒ー溜池山王間が開業し、東急目黒線との直通運転がはじまりました。
 9000系も四次車として、9116F~9121Fが1990年から2000年にかけて製造されました。走行用の機器や座席など車内の設備にマイナーチェンジを行っています。
 目黒線との直通運転を開始したことで、9000系電車も地下から写真のような地上区間に姿を見せるようになりました。地下鉄にはない踏切も通って行きます。
 南北線は港区の白金台や麻布十番など高級イメージがあるといわれているところを通りますが、目黒線の奥沢あたりの住宅街もいい雰囲気を持っています。
【撮影:佐野次郎 2009.11.28奥沢ー大岡山間】

2009/12/16

南北線9000系〈9113F〉

 営団地下鉄の南北線は、1996年3月26日に四ツ谷ー駒込間を延長開業し、山手線の内側へ路線を伸ばしてきました。
 その際に9000系電車も二次車として、9101~9108Fを6両にするための中間車16両と、全車が新車の9109~9113F30両が製造されました。
 見た目には従来の9000系とはそれほど違いが分からないのですが、インバーターの素子を現在主流のIGBTに変更したり、台車を改良したりしています。
 ちなみに9000系は南北線の全線開業時には8両編成にすることを考えていたのですが、今も6両編成で走っています。当初考えていたほどは南北線が混雑していないということでしょうね。
【撮影:佐野次郎 2009.11.28奥沢ー大岡山間】

2009/12/15

南北線9000系〈9102F〉

 東京メトロ南北線は目黒ー赤羽岩淵間21.3kmを結ぶ路線であるが、最初に開業したのは北側の駒込ー赤羽岩淵間6.3kmである。営団地下鉄〈当時〉としては8番目の路線で、開業日は1991年11月29日である。
 南北線の一次開業に際して、1990年11月に新形式である9000系電車の量産先行車1編成が落成した。千代田線での走行試験を踏まえて、1991年に量産車28両〈4両編成7本〉が製造された。
 車体はアルミ製で、VVVFインバーター制御を採用している。また南北線はワンマン運転を行うため、ATO装置を装備している。ちなみに南北線は本格的なホームドアを採用している。卒業旅行で1992年にシンガポールに行ったが、MRTという都市鉄道が同じようなホームドアを採用していた。
 写真の9102Fは91年7月に川崎重工で落成し、1996年3月の四ツ谷ー駒込間の開業時に中間車4両を増結して6両編成となっている。なお捻出した2両の中間車は試作車〈9101F〉の6両編成化に充当している。
【撮影:佐野次郎 2009.11.28奥沢ー大岡山間】

2009/12/13

東上線50090系〈51091F〉

 「TJライナー」用の50090系は、「TJライナー」以外にも準急などにも使用されている。50090系が走る東武東上線は成増を境に遠近分離を図ったうえで、十分な運転本数が確保されている。
 したがって、朝夕のラッシュ時や夜間の下りを除いては、それほど耐えがたい混雑ということはないと思われる。その上で「TJライナー」を設定していることは特筆に値する。
 ところで池袋ー川越間は1時間に5本設定されている東武東上線の急行が30分で結んでいるが、JR埼京線・川越線経由では時間が50分もかかる上に1時間に3本しか列車が設定されていない。
 川越線は単線である上、遠回りなので正面から東武東上線に対抗することは難しい。川越の駅は東武の駅が賑わい、JR側は静かな感じである。
【撮影:佐野次郎 2009.12.13川越駅】

2009/12/08

京浜急行2000形〈2011編成〉

 京浜急行2000形は、写真のように窓回りが白い塗装で登場した。通勤用の800形も同じく窓回りが白で登場したが、2000形の登場により、窓下に白帯を巻く現行の塗装に変更された。
 その後、3扉クロスシートの600形が窓回り白で登場し、2100形とあわせて「京急のクロスシート車=窓回り白」という公式が成立するかに見えたが、現在ではロングシートの新1000形も、ロングシートに改造された600形も窓回り白で、法則性は希薄になっている。
 現在では2000形は全車3扉・ロングシートに改造され、窓下に白帯という塗装になっている。かつての過酷な運用のせいか、また地下鉄に入れないからか8連はあまり日中には走っていないように思う。
 写真の2011編成は1982年12月に東急車輛と川崎重工で4両ずつが落成し、1998年3月に東急車輛で3扉車化改造を受けたものである。
【撮影:佐野次郎 1992.2.6神奈川ー仲木戸間】

2009/12/07

浅草線5300形〈5318編成〉

 5300形の5315編成からは前面に装備されたスカートが大型になっている。写真の5318編成は、1994年に製造された五次車である。
 90年代の中盤くらいから通勤電車のスカートが大型になってきた。最近ではJR東日本がE231系やE531系のスカートを大型のものに取り換えたりもしている。
 80年代には、あまり通勤電車にはスカートが付いていなかった。5300形の前任の5000形などあっさりとしたものであった。
 人身事故対策ということなのだろうが、本来は十分なホームの幅と運転本数が確保されていることがほんとうの意味での対策だと思う。特にJR東日本は夕方から夜間の運転本数をもう少し増やすべきだと思う。
【撮影:佐野次郎 2009.12.5立会川駅】

2009/12/06

浅草線5300形〈5313編成〉

 東京都交通局が浅草線用として所有する電車は1991年から97年にかけて製造された5300形に統一されている。216両〈8両編成27本〉が馬込車両検修場に配置されている。
 5300形は主に1960年に走り始めた5000形の代替として製造された車両で、車体はアルミ製となって冷房も付き、主回路はVVVFインバーター制御で回生ブレーキも付き省エネルギーの観点からも大きく進化している。
 当初は京急川崎まで急行電車として乗り入れていたが、現在は空港線にシフトしている。また一部特急として三崎口方面まで乗り入れている。
 品川ー京急蒲田間では、京急の車両のほか、東京都交・京成・北総の車両も走りバラエティが豊かになっている。
【撮影:佐野次郎 2009.12.5立会川駅】

大江戸線12-000形〈12-151編成〉

 都営地下鉄大江戸線は都庁前ー光が丘間40.7kmを六の字形に結ぶ路線である。1991年13月に練馬ー光が丘間が開業したあと、数次に渡り延伸し、2000年12月に全線が開業した。
 当初は12号線として営業していたが、2000年に「大江戸線」と改められた。わかりやすいし、インパクトもあるが現存しない都市名を冠するのはいかがなものか?
 といいながらも「森下」など時代小説にも出てくる駅名には、ニヤリともする。確かに「江戸」だったところを通ってはいる。
 写真の12-151編成は、1997年の新宿ー練馬間の延長開業に備えて製作された三次車である。大江戸線はリニアモーターを利用した路線で、車体も小さくホームの高さも低い。乗っている独特な感覚がする。
【撮影:佐野次郎 2009.11.22大門駅】

東京都交通局10-300形(10-380編成)

 全車両が新製車両で構成されている10-300形は2005年から製造され、96両〈8両編成12本〉が在籍している。
 JR東日本のE231系をベースとした車両である。東急車輛に発注された車両がほとんどであるが、一部にJR東日本の新津鉄道車両製作所で製造された車両がある。
 室内はグリーン系のカラーを採用しているが、乗ってみるとこれが独特の印象である。薄いグリーンとFRPの組み合わせで、見ようによっては新しい電車のようには感じられないのである。10-000形の暖色系でまとめた車内を見慣れているからであろうか?
 とまれこの車両も京王電鉄との「10号線直通規格」に基づいて製造された電車であり、最高速度は120km/hを誇る。京王線内でもきびきびとした走りを見せている。

東京都交通局10-300R形(10-320編成)

 都営地下鉄新宿線で使用していた10-000形のうち、試作車と1978年の岩本町ー東大島開業にあわせて製造された一次車と、1980年の新宿ー岩本町間開業に際して製造された二次車については、老朽化のため新型車両に置き換えることになった。
 これらの編成は6両編成で製造され、1986年以降に中間車を製造して8両編成にしていたため、新しい中間車は更新して継続使用し、先頭車だけを新製することになった。こうして2004年から2005年にかけて10-300R形が製造された。10-300R形の外観は、10-300形と共通であるが、編成としてのシステムは、10-000形の七次車・八次車に準拠している。
 先頭車だけが新しい編成というのは、山手線・京浜東北線にATCを導入するときに103系に見られたが、現代では少なくなっているような気がする。他には東急が8090系をみなとみらい線に直通させるために製造した8590形くらいしか思いつかない。
 10-000形の中間車に10-300R形を組み合わせた編成は、現在6本が大島車両検修場に所属し、本八幡ー笹塚間の普通列車を中心に活躍している。

2009/12/05

東京都交通局10-000形(10-280編成)

 写真の10-280編成は1997年にアルナ工機で製造された10-000系の8次車である。10-000形の試作車は1971年の製造であるから、何と四半世紀もの長きに渡り製造を継続したことになる。
 1997年には新たに製造する電車の主回路にはVVVFインバーター制御を用いるが一般的になっていたが、10-000形八次車はチョッパ制御を採用している。当時のATC装置が、VVVFインバーター制御に影響を受けるものだったので、既存車同様のチョッパ制御にせざるをえなかったそうである。
 車体のデザインは変更されており、フロントマスクは以前の車両とは明らかに異なる。また側面の凹凸が少なくなりスマートになっている。
 また10-000形8次車は、同年に製作された京都市営地下鉄10系の増備車とともに、チョッパ制御を採用した最後の新製車両である。

東京都交通局10-000形(10-250編成)

 都営新宿線は、東京メトロ東西線と同じく千葉と東京を結ぶ路線で、JR総武線のバイパス線的な性格をもっている。
 さすがに東西線ほどは混雑しないが、乗客は漸増傾向にあり、都営地下鉄ではもっとも「稼ぐ」路線だそうである。
 ちなみに写真を撮影した船堀駅も東西線の西葛西駅となんとなく雰囲気が似ているような気がした。
 写真の10-250編成は、1992年に近畿車輛で製造された7次車である。浅草線の5300形で採用されていた車内ドア上部の行き先表示器や自動放送装置などが導入された。

東京都交通局10-000形(10-190編成)

 都営地下鉄の新宿線は新宿ー本八幡間を結ぶ路線である。新宿から京王電鉄と相互乗り入れを行うため、レールの幅が1.372mmとなっている。この間隔は京王電鉄がもともと東京都電へ乗り入れることを考えて採用したものであり、さらにさかのぼって都電がこの間隔を採用したのは何故かというと馬車軌道を一部継承していたからである。
 新宿線の列車は京王線の笹塚まで直通する列車を主体として、一部列車は京王相模原線の橋本まで直通している。
 10-000形は1978年の新宿線開業に備えて導入された車両で、1997年までに224両が製造された。主回路はJR201系などと同じ電機子チョッパ制御で、回生ブレーキも備えている。
 写真の10-190編成は、1986年の船堀ー篠崎間の延長開業に備えて製造された三次車である。車体が骨組みを含めてステンレス製となり、側窓が一段式となったことなどの変更点がある。現在では新宿線でもっとも古い電車だということになる。

2009/12/03

埼京線103系

 東北・上越新幹線の赤羽ー大宮間が高架で建設されることにより、開業後発生するであろう騒音の地域住民に対する見返りとして、新幹線に平行する「通勤新線」をあわせて建設することなった。
 「通勤新線」の計画は、山手貨物線の旅客化、川越線の電化と車両基地建設を含めた総合計画に発展し、1985年3月に旧赤羽線区間を統合して川越ー池袋間が開業した。翌1986年3月には池袋ー新宿間を延長開業した。
 埼京線の開業当時に使用されたのは写真の103系である。山手線への205系電車新製投入によって捻出されたウグイス色の103系が川越電車区に転属してきた。
 皮肉なことに103系の発する騒音が新幹線以上にひどいもので、90年代初めには新製された205系電車により早々に淘汰されることになった。
【撮影:佐野次郎 1986年冬 撮影場所不明】

205系〈ハエ16編成〉

 今日は朝の通勤時間に東海道線の品川ー川崎間で人身事故が発生し、私が利用していた京浜東北線の電車も新子安駅で運転見合わせとなった。  さて京葉線沿線の会社までどうやって行くか?とにかく行けるところまで行くという考えで前進するか、または敢えて動かず待つか判断のしどころである。  私は早々に京浜新子安駅で京浜急行に乗り換え、品川を目指すことにした。しかしJRの振替輸送を京急だけで賄うことには無理があり、列車の遅れと積み残しの連続だった。乗客のストレスも相当なものだったであろうし、京急の乗務員も地上要員もかなりの緊張を強いられたことだろう。  あまりに混雑が激しく鮫洲駅まで出て、大井町まで歩いてりんかい線で新木場まで出ようと思ったが、ひとつ手前の立会川駅で降りて、タクシーで大井町まで行った。りんかい線の存在により、ある程度のリカバリーができたわけである。やってきたりんかい線の電車は写真と同形の埼京線の205系であった。

2009/12/01

横浜市営地下鉄2000形

 1984年には横浜市営地下鉄としては第二世代の車両である2000形が登場した。翌1985年の新横浜ー横浜間、上永谷ー舞岡間の延長開業に備えて導入された車両である。
 車体は軽量ステンレス製となり、1000形に比べてフラットな印象となった。また冷房装置を当初から備えていた。主回路は電機子チョッパ制御を採用し、消費電力の低減を図っている。
 メーカーは横浜市内にある東急車輛で、同時期に製造された国鉄205系や東急9000系にも通ずる仕様で製作されている。
 まだまだ走れる車両のように思えるが、ワンマン運転に対応できず、開業以来の1000形とともに2006年12月に現役を退いた。なお台車などの走行機器の一部は3000R形に継承されている。
【撮影:佐野次郎 1992.10.7上永谷駅】

横浜市営地下鉄1000形

 横浜の地下鉄が開業したのは、1972年12月である。現在のブルーラインのうち、伊勢佐木長者町ー上大岡間5.3kmが開業した。
 横浜市営地下鉄の開業に際して投入されたのが写真の1000形である。開業当初は3両編成を組んでいた。その後1976年9月には横浜ー伊勢佐木長者町、上大岡ー上永谷間が延長開業し、翌年には1000形は5両編成になった。
 今になって思えば、傾斜した前面形状やドアにブルーでアクセントを入れるデザイン.など当時としては斬新なスタイルであることを感じる。いまだ現役で走っていたとしても何ら不思議のないスタイルである。
 1000形は1984年に6両編成となり、さらに冷房改造を行って活躍したのであるが、2006年12月には現役を退いた。 この電車がホームに進入するときに発する「ブオン」というタイホンの音が印象に残っている。
【撮影:佐野次郎 1992.10.7上永谷駅】

2009/11/29

東上線50090系〈51092F〉

 東武鉄道50090系は、着席ニーズに対応するための東上線の有料列車「TJライナー」導入計画に基づいて2008年に40両〈10両編成4本〉が導入されたものである。また50000系の実質的な増備車でもある。
 50090系の特徴は座席にある。「TJライナー」として走る時は座席が進行方向側に向く。つまり新幹線や特急電車のような配置になる。しかし準急などで走る場合は普通の通勤電車と同じような座席配置にできるような転換装置を備えている。
 特筆すべき点は「TJライナー」使用時の座席の間隔が1.000mmを確保していること。これは「湘南新宿ライン」や東海道線のグリーン車はもちろん、JR東日本の特急電車より少し広いのである。
 2008年6月から運転を開始した「TJライナー」であるが、早くも利用者が通算で100万人を突破したそうである。乗客の要望に鉄道事業者として正面からこたえたことによる成功例といえよう。
【撮影:佐野次郎 2009.11.15川越駅】

東京地下鉄7000系(7122F)

 営団地下鉄〈当時〉有楽町線は、1983年6月に池袋ー営団成増間を延長開業した。延長に伴い7000系の三次車として10両編成6本60両と、一・二次車の10両編成化用の中間車100両が製造された。
 写真の7122F編成は10両編成で製造されたうちの1本である。側窓が1段下降式となり、冷房装置を搭載する準備工事を施していることなどの変更点がある。
 これは当時の営団地下鉄の最新型車両であった半蔵門線用の8000系の仕様を有楽町線7000系三次車に反映させたものである。同様に千代田線6000系四次車にも同様の改良が施されている。既存形式の増備に際して、最新形式の仕様を反映して改良を施すという手法は東京メトロとなった現在でも行われている。
 有楽町線も2010年には副都心線と同様ホームドアを導入してワンマン運転を行うとのことで、有楽町線開業以来の黄色い帯を巻いた7000系も姿を消すことになる。副都心線対応工事を施した7000系については引き続き使用される。

2009/11/28

江ノ電1500形〈1502+1552〉

 1987年に1500形の増備車1502+1502号が登場した。1500形は1986年に1000形の四次車として登場したもので、江ノ電としては初めてカルダン駆動を採用した。
 江ノ電の電車は小型でなかなかカルダン駆動に移行できなかったが、技術的な問題を克服して1986年に1500形を投入したわけである。ちなみに国鉄では1958年に製造された101系電車からカルダン駆動に移行しているから、小型電車での採用がよほど困難であったことがうかがわれる。
 江ノ電と大きさが似通っている路面電車の世界でも、カルダン駆動の新造車は広電の800形・3500形・3700形や長崎電軌の2000形くらいしか1500形と同時代には存在しなかった。
 江ノ電では1500形の登場のあと、2000形やレトロ調の10形、20形、そして名車のイメージを継承する二代目500形などカルダン駆動の新車を続々と投入し、車両の近代化を進めている。
【撮影:佐野次郎 2009.8.13江ノ島駅】

江ノ電1000形〈1201+1251〉

 1000形の三次車である写真の1201+1251号は1983年に登場した。従来の1000形と比べると製造した当初から冷房装置を備えたほか、ライトが角形になったことなどの変化がある。
 江ノ電では最後の吊り掛け駆動の新造車両ということになる。 入れ替りに600形の603+604号が廃車となっている。
 現在1201+1251号は、「江ノ電プラレール」号として走っている。「プラレール」というのはプラスチック製の鉄道のおもちゃである。
 「pラレール」はNゲージのように精巧なものではないが細かい部品などはなく、壊したり誤って口に含む危険性も低いので、まさに子供のためのレールなのである。江ノ島駅の待合室にはプラレールも展示されている。
【撮影;佐野次郎 2009.9.20極楽寺ー稲村ケ崎間】

2009/11/27

江ノ電1000形〈1101+1151〉

 写真の1101+1151は1000形の増備車で、1981年に登場した。冷房装置をつける準備をしていた。このような車両は「冷房準備車」と呼ばれ、昭和50年代には国鉄115系や営団地下鉄01系などの例がある。
 1101号編成は1982年12月には冷房装置を搭載し、江ノ電では初めての冷房付きの電車となった。この頃にはまだまだ冷房のない通勤電車というものが多く存在していた。
 私が毎日のように利用する根岸線でもこの頃は先頭車のみに冷房があり、中間には冷房のない車両が当たり前のように連結されていた。
 1101+1151は2009年の2月からSKIP号として写真のような塗装を施して走っている。沿線のイメージを車体に描いているということである。
【撮影:佐野次郎 2009.9.20極楽寺ー稲村ケ崎間】
 

2009/11/26

江ノ電1000形〈1001+1051〉

 江ノ電1000形は1979年に江ノ電としては48年ぶりの新造車両として登場した電車である。当時としては意外なことに旧式の吊り掛け駆動の電車である。
 当時としては旧式の方式を採用したのは、江ノ電の急曲線が多い線路条件が理由であった。江ノ電がカルダン駆動の電車に移行したのは、1986年に登場した1500形からである。
 ちなみに国電が吊り掛け駆動を採用していたのは72・73形までで、1957年の101系からはカルダン駆動になっている。前者を旧形国電、後者を新性能電車とも呼んでいた。
 吊り掛けl駆動の電車は走行音が明らかに現代の電車とは異なる。ウイーンという盛大な音を立てる。また止まる時にも重厚な音を立てる。首都圏で今も走る吊り掛け駆動の電車は江ノ電1000形の他には東京都電7000形・7500形くらいだろうか?
【撮影:佐野次郎 2009.8.13江ノ島駅】

2009/11/22

江ノ電600形〈601+602〉

 江ノ電では単行運転をやめることによる車両不足を補うため、1970年に東急玉川線のデハ80形4両を購入して、600形として営業運転に投入した。
 江ノ電での使用に際して、乗降口のステップを廃止している。写真の601号編成は1990年まで使用された。また601 号車は東急世田谷線宮の坂駅に隣接している宮坂区民センターで静態保存されている。塗装は東急世田谷線と同じグリーン、車番は江ノ電時代の601号のままである。
 ちなみに東急玉川線は渋谷ー二子玉川園間の路面電車で1969年に廃止された。現在は同じルートの地下を東急田園都市線が走っている。
 有数の混雑路線である田園都市線が地下を走る国道246号線の上を、40年前まで写真のような小さい電車が走っていたのは今では信じられないことである。
【撮影:佐野次郎 1986年頃江ノ島駅】

江ノ電100形〈108〉

 100形は江ノ電としては初めてのボギー車〈台車が1両に二つある車両〉で、1929年に4両が登場し、1931年には6両が増備された。
 江ノ電は1949年に鎌倉駅の位置を現在と同じ横須賀線鎌倉駅西口に移したことにより利便性が増し、1945年には600万人台であった乗客が一気に1.200万人台に増えた。
 1956年から輸送力の大きい連接車が投入されるようになり、ボギー車による単行運転は脇役に退いていった。写真の108号車も1980年にはさよなら運転を実施して、現役を退いた。
 108号は1982年に廃車となったあとも、江ノ島駅の留置線で姿を見ることができた。現在では極楽寺の車庫で保管されている。
【撮影:佐野次郎 1986年頃江ノ島駅】

江ノ電20形〈21+61〉

 20形電車は、10形に続いて製作された「レトロ電車」と呼ばれる復古調の車両であるが、その種の車両にありがちな「あざとさ」がない。
 不自然な装飾もなく塗装も落ちついたものなので、現代の江ノ電に完全に溶け込んでいる。
 かつての300形電車に通じる安心感がある。1000形が20形に準じた塗装に変更したのも正解だと思う。
 この車両を横から見ると、最新型の500形電車とレイアウトがよく似ていることに気がつく。本質としてはやはり新しい電車なのである。
【撮影:佐野次郎 2009.11.21 稲村ケ崎ー七里ヶ浜間】

江ノ電500形〈先代〉

 先代の500形がどういう車両であったかというと、ヨーロピアンスタイルの車体を新しくこしらえた電車であった。江ノ電では人気の高い電車でもあった。
 1956年に501号編成、1957年に502号編成が製作された。それぞれ違うメーカーで製作されたこともあり、ヘッドライトやテールライトの形が違っていて印象の違う顔立ちをしていた。
 両編成が同じ形になったのは、501号編成が2000年に、502号編成が2001年に更新されてからであった。
 新型車両が入ってからも継続して500形を使う予定だったが、冷房化が車体の構造上難しかったので、501号編成が2002年に、502号編成が2003年に廃車された。先代500形の走行機器は20形電車に流用された。
【撮影:佐野次郎 1986年頃 江ノ島駅】

2009/11/21

江ノ電500形〈501+551〉

 江ノ電でもっとも新しい電車である500形電車のよいところは、落ち着いた塗装を施し必要以上に存在を誇示していないところだと私は思う。
 江ノ電は地域住民の足であると同時に観光資源でもある。
 古都鎌倉を走る電車であるから、間違っても銀色の電車など走らせてほしくはないものだ。
 最近江ノ島電鉄は京都を走る嵐電と業務提携をしたそうで、嵐電と同じ塗装を施した電車も登場している。確かに両者の雰囲気はよく似ている。
【撮影:佐野次郎 2009.11.21稲村ケ崎ー七里ヶ浜間】

江ノ電300形〈301+351〉

 江ノ電300形は1編成ごとにベースとしている車両が違うので、それぞれ仕様が異なっている。現存している305号編成も今では古い電車だという気がするが、既に引退した編成にはさらに古色蒼然とした面構えをしていたものがある。
 写真の301号編成は、1956年に東京都電の113号・114号を連接車に改造したものである。
 1979年に事故から復旧するために写真のスタイルに変更されたが、それ以前はヘッドライトが屋根上にあった。
 方向幕などというものはなく、「鎌倉ー藤沢」というサボを前面に掲げて走っていた。その他、302号編成、306号編成が301号編成に近いスタイルであった。
【撮影:佐野次郎 1986年頃 撮影場所不明】

2009/11/18

E233系3000番代〈コツE01+E51編成〉

 JR東日本が運行している東海道本線の東京ー熱海間でもっとも新しい電車が写真のE233系3000番台である。今のところ、2007年11月末に東急車輛で竣工した1編成しかない。  JR東日本の通勤電車は単一の系列が多くの用途をカバーする傾向にある。最新のE233系は、103系・113系・115系と201系・203系と205系・207系・209系・211系を1系列で代替できる車両である。  過去にさかのぼって考えると、1986年に登場した211系は平坦線用113系と勾配線用115系というくくりをなくした系列であり、2000年に登場したE231系は通勤型電車と近郊型電車を1系列でカバーできる系列になった。  E233系は京浜東北・根岸線への投入が完了すると、次は京葉線に投入される。東海道線向けの3000番代も今年度に1本の追加投入が取り沙汰されている。
【撮影:佐野次郎 2009.11.13大船駅】

2009/11/15

211系〈チタN32編成〉

 好評を持って迎えられた211系近郊型電車であるが、旺盛な経済活動を背景として東海道線の混雑は激しくなるばかりであった。
 激化する混雑に対応するため、211系の基本編成もN6編成を最後にセミクロスシートを取りやめ、以降の増備車は基本編成もロングシートを採用した。
 JR西日本の新快速のように転換クロスシートを採用するのは理想ではあるが、近畿圏と東京圏では乗客数のベースがやはり違う。なにがなんでもクロスシートがいいとは言えない思う。
 東京ー横浜間はほんとうに混む。3扉車では限界なのではないかという気がずっとしていた。211系も近い将来に東海道線から退き、4扉車に統一されることになるだろう。
【撮影:佐野次郎 2009.11.13大船駅】

211系〈チタN6編成〉

 東海道線では長い間113系近郊型電車を使用してきたが、1986年になってからようやく211系近郊型電車を投入した。
 113系の普通鋼製・抵抗制御・コイルバネ台車という仕様は、登場当時の1960年代後半はともかく、1980年代ともなると、まさに「時代遅れ」、なものとなっていた。
 211系では、車体は軽量ステンレス製となり、電気を節約できる回生ブレーキも装備され、台車も軽量ボルスタレス台車となった。
 車内も明るくなり、温かい配色と丸みを帯びた腰掛の形状も実に好感の持てるものだった。211系によって113系の全面取り替えというわけにはいかず、相当数の113系がその後も活躍を続けた。
【撮影:佐野次郎 2009.11.13大船駅】

2009/11/14

EF66形〈34号〉

 EF66形電気機関車は、パワーとスタイルの両面において従来の国鉄の電気機関車とは一線を画する存在であるといえよう。
 EF66形はコンテナ車を牽引するために生まれた機関車である。従来の貨車をコンテナ車に代えることで、鉄道は拠点間を結ぶ輸送に特化し、各需要地への輸送は小回りの利くトラックに委ねることができる。
 しかし、昭和50年代後半の鉄道貨物の低迷により、EF66形に多く余剰が発生し、ブルートレインの牽引に転用されたのは今となっては皮肉である。
 現在、JR貨物がEF66形と同等の性能を持つEF210形を増備しているのは、EF66形のコンセプトが鉄道貨物のあるべき姿を見越していたものだったからだと思われる。
【撮影:佐野次郎 2009.11.13大船駅】

EF65形500番代(524号)

 EF65形の中でも目立つ存在であったのが、F形の高速貨物牽引用のグループである。貨物用でありながら、特急牽引用と同じ番号を持ち、同じ塗装を施していた。  しかしながら連結器まわりが重装備で、すっきりとした顔立ちの旅客用とはミッションが異なることを物語っている。  これら高速貨物牽引用のF形が現役を退くときにはファンの注目を相当集めたものである。また鉄道模型の世界では、T社が最後まで残った3両をわざわざセットで模型にした。Nゲージでも一歩踏み込んだマーケティングをしていることがわかる。  今では写真のような貨車を連ねた貨物列車はなくなり、コンテナ車が中心になっている。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 大船駅】

EF65形〈4号〉

EF65形電気機関車は、一般型、P形(ブルトレ牽引用)、F形〈高速貨物牽引用〉、PF形と長期間に渡って製造された機関車で、昭和50年代から近年まで首都圏ではよくみかける存在だった。
 1985年3月のダイヤ改正で、東京ー九州間のブルートレインの牽引機関車がEF66形に交代するまでは、国鉄を代表する電気機関車であった。
 中でも地味な存在ながら貨物輸送に日夜活躍を続けていたのが写真の一般型である。JR貨物に継承されてからは更新工事により塗装も一新して活躍を続けた。
 近年は新型機関車の登場により、EF65形も急速に数を減らしている。現在新製されているのはEF66形と同等のEF210形であり、EF65形に相当する新型機関車はない。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 大船駅】

2009/11/13

200系新幹線電車

 200系新幹線電車は東北・上越新幹線の開業に備えて1980年に第1編成が完成した。1982年6月の東北新幹線大宮ー盛岡間、同年11月の上越新幹線大宮ー新潟間の開業にあわせて12両編成36本が揃えられた。
 その後1985年3月の上野ー大宮間開業や1991年3月の東京ー上野間開業による列車の増発に対応して増備され、最高速度を240km/hに引き上げた車両や先頭車の形状を100系に準じて変更した車両や二階建て車両も登場した。1990年までに700両が製造された。
 200系新幹線電車は0系のイメージを継承しているが、車体はアルミ製で耐寒・耐雪設備が大幅に強化されている。また主回路はサイリスタチョッパ制御を採用し、発電ブレーキと全電気式空気ブレーキを装備している。
 1997年から2001年にかけて10両編成12本のリニューアル改造を行い、老朽機器の交換・劣化部位の改修、塗装変更、アコモ改善を行った。E2系やE4系など新型車両の増備により、2004年3月のダイヤ改正でリニューアル編成を除いて定期運用から退いている。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23高崎駅】

115系1000番台〈タカT1143編成〉

 115系近郊型電車は1963年から1983年の長期間に渡り1.921両が製造された。東海道線用の111系に電動機の出力強化、勾配・寒冷地対策を施した系列で当初は東北・高崎線に投入された。
 1000番台は1977年に長野・松本地区の旧形国電を置き換えるのを契機に登場した番台で、寒冷地対策の強化とクロスシートのピッチを広げたものである。1000番台は1982年までに651両が製作された。
 115系は1000番台も含めて宇都宮線・高崎線の主力として長く運用されてきた。上野口では「ありふれた」存在であったが、E231系の急速な増備によりあっという間に姿を消した。
 高崎地区では高崎車両センターに77両〈4両編成・3両編成各11本〉が配置され、信越本線高崎ー横川間、上越線高崎ー水上間、東北本線小山ー宇都宮間と両毛線・吾妻線の全線で運用されている。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23高崎駅】

横川駅

 信越本線は長野新幹線の開業により分断され、高崎方は高崎ー横川間の折り返し運転となっている。日中は普通列車が1時間に1本程度の運転となっている。
 軌道は複線が維持されている。終点の横川駅は配線こそかなり整理されているが、広い構内や長いホームはそのままで、都市間輸送の要衝であったことをうかがわせる。
 駅弁で高名なおぎのやの「峠の釜めし」も盛業中で今もホームで食べることができる。
 信越本線の普通に使用されている107系電車は165系急行形電車を車体更新したものである。乗車していると警笛音やコンプレッサーの音が急行電車そのものであることが実感できる。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むら

 1999年4月に開業した碓氷峠文化むらは、高崎駅を起点とする信越本線の横川駅に隣接する鉄道の保存施設である。
 横川機関区跡を利用した敷地に実に50両近くの実物車両を展示している。写真の通り屋外の展示が中心であるが、EF80形電気機関車や10系軽量客車など大宮の鉄道博物館ではお目にかかることのできない貴重な車両が展示されている。
 鉄道を知る人にとっては、興味深い車両が多数展示されている素晴らしい施設である。屋外展示なのが心配ではあるが、長く続いてほしい施設である。
 私は一度行ってみたいと思っていたが、なかなか行けなかった。一度訪ねてみて大満足であった。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】