2010/12/31

201系(ケヨK3+K53編成)

 中央快速線を走っていたオレンジ色の201系が完全引退しましたので、京葉線に残るスカイブルーの201系がJR東日本では最後の201系ということになります。
 とはいうものの後継のE233系5000番代の分割編成の1本目も既に出場し、来年の夏までには京葉線の201系も姿を消すことになりそうです。ゆっくりと撮影を愉しめるのも今のうちかもしれません。
 今となっては古い車両となってしまった201系電車ですが、103系電車を延々と増備していた国鉄の中にあって、チョッパ制御に空気バネ台車、平天井にバケットシートという装備は飛躍的な進歩を遂げたものと感じられました。
 写真のK3+K53編成は1984年2月に日本車輛で完成したもので、中野電車区に新製配置されて中央・総武緩行線で使用されました。2000年8月に京葉電車区に転属し、スカイブルーに塗り替えられて京葉線用となりました。2009年3月にパンタグラフをシングルアーム式に換装しています。

東京急行電鉄5000系(5109F)

 東急田園都市線の最新型車両である5000系は2002年から製造されているもので、田園都市線用としては180両〈10両編成18本〉が在籍しております。
 JR東日本のE231系を設計のベースとしておりますが、拡幅車体ではありませんし、正面デザインは独自のものとなっております。
 現在では14編成に6ドア車を3両組み込み、準急列車に集中的に運用されて、朝ラッシュ時の切り札的な存在となっています。
 写真の5109Fは2006年5月に東急車輛で完成したものです。5000系は22編成が製造されましたが、4編成は東横線で使用されています。

東京急行電鉄5000系(5103F)

 田園都市線用5000系のうち5101F~5104Fの4編成だけは、6ドア車の組み込みがない10両編成となっています。先頭車両に「6Door」のステッカーがないのですぐわかりますね。
 5000系の製造が始まった2002年より少し前に、新聞記事で東急電鉄の新車大量導入構想を見ました。その記事を読むと9000系と1000系以外は全取り替えする位の勢いでした。
 実際に東横線では5050系が大勢を占めるようになりましたが、田園都市線には8500系が大量に残り、多摩川・池上線にも7600系や7700系が残っていますね。東急電鉄も大規模な改良工事をどこかで行うのが常態化していますので、車両を大量に調達するのは困難なのでしょう。
 写真の5103Fは2003年1月に東急車輛で完成したもので、東武伊勢崎・日光線への直通開始にあわせて導入された5000系の2次車に相当します。

2010/12/30

東京急行電鉄8500系(8642F)

CanonのEOS7Dは昨年の10月に発売されたカメラで、Rail Magazineで取り上げられたり、尊敬する広田尚敬さんが購入されたりと欲しいとは思いましたが購入せずにきました。
自分の腕前では使いこなせないという気がしましたし、EOS40DとEOS50Dをとことん使い倒そうという思いもあったからです。
しかしつい先日購入してしまいました。7Dに慣れるという意味もあり既に撮影したことのある場所で使用しましたが、「撮る快感」を十二分に感じさせてくれるカメラですね。連写の速度が、指圧に敏感に反応したりなどなど・・・。
写真の田園都市線を走る8642Fはご存じ8500系の最終編成で、編成中に界磁チョッパとVVVFインバータ制御が混在しています。東武線には8606Fと並んで乗り入れしない編成です。

東京急行電鉄8500系(8629F)

 私のようなおじさんの感覚では、東急田園都市線を走る電車といえばこの8500系ですね。営団地下鉄半蔵門線の渋谷ー青山一丁目間の開通時点では、営団側には車両がなくこの8500系で全て運転されたのでした。
 今となっては田園都市線には、東京メトロの車両はもちろん東武鉄道の電車もひんぱんに走っていますので、昔日のように8500系ばかりが走るわけではありませんが、やはり存在感はあります。走行音が他の車両に比べて大きいということもありますが・・・。
 ほぼ原形を維持している8606Fは別として、先頭車にはスカートがつき、方向幕もLEDに換装していますので、やや印象は異なりますが当面は主力として走り続けそうですね。
 写真の8629Fは1978年6月に東急車輛で完成したものです。当初は6連でしたが、8連・10連と段階的に増結されました。2001年度に方向幕がLED化され、2004年2月に先頭車にスカートを増設しています。

2010/12/26

京成電鉄AE100形(AE138編成)

 スカイライナーが成田スカイアクセス経由となり、AE形に代替されたことにより去就が注目されていたAE100形ですが、本線経由の特急「シティライナー」が1時間に1本残り、AE100形で運転されています。
 運用数は半減となりますので、AE108.AE118.AE148の3編成が廃車となりました。シティライナー用として残るAE100形4編成は「SKYLINER」のロゴを撤去しています。
 AE形の登場によって、本線経由の特急とAE100形は廃止になるものと漠然と想像しておりましたが、当面残るのは喜ばしいですね。
 写真のAE138編成は1991年6月に東急車輛で完成したものです。2002年11月にリニューアル工事を完了しております。

京成電鉄3700形(3778編成)

 京成電鉄にはスカイライナーのほか、通勤電車で運転されている特急料金不要の「特急」が運転されています。上野ー成田空港間に20分間隔を基本として運転されています。
 使用車両は3700形や3400形を中心として、3500形の更新車や3600形も使用されています。成田空港までの利用もけっこうあるようで、乗車すると大きなカバンを持ったお客さんも目立ちます。
 私も92年シンガポールまで旅行に出かけたときには、上野から成田空港まで利用しました。NEXより時間はかかっても安いですからね。車両は3300形だったのではないでしょうか?
 写真の3778編成は1996年3月に東急車輛で完成したもので、3700形の3次車に相当します。3次車から座席の1人当たりの区分が明確になりました。

京成電鉄3500形(3528編成)

 昨日は荒川の土手に京成電鉄の撮影に出かけてまいりました。京成関屋駅から歩いて5分くらいで土手にたどりつきます。天候は良好でしたが、寒かったですね。
 ここは「3年B組金八先生」のロケ地として有名なところであります。エンディングの「贈る言葉」の背景に流れるのがまさにこの荒川沿いの土手であります。
 写真の3500形は多少のズレがありますが、「3年B組金八先生」と同じく昭和を歩んだ電車といえることができるでしょう。議員になった三原じゅん子や、バラエティ番組での豪快な発言が光る杉田かおるも生徒役で出演していましたので、ずいぶんと昔のドラマではありますね。
 写真の3528編成は1973年4月に東急車輛で完成したものです。1998年2月に大栄車輛で更新修繕を受けています。

東京都交通局10-300形(10-460編成)

 新宿ー本八幡間を結ぶ都営地下鉄新宿線は、京王電鉄の橋本ー新宿間で相互乗り入れ運転を実施しています。
 開業時に用意された10-000形は2005年から製造を開始した10-300形への置き換えが進んでいます。現在では10-000形は笹塚で折り返し、橋本には姿を見せなくなってしまいました。
 10-300形はJR東日本のE231系を基本とした電車です。側面を見ると確かによく似ていますね。ところが実際に乗車してみると、車内の配色が独特です。なにか新しい電車ではないような感じがします。もっとも気にならない人がほとんどだと思いますが。
 写真の10-460編成は2006年4月に東急車輛で完成したものです。当初は8両編成でしたが、2010年6月に完成した中間車2両を組み込んで10連化されています。

2010/12/24

鉄道博物館222-35

 1982年の東北・上越新幹線の開業に際して用意されたのが200系新幹線電車です。私などは白に青帯の東海道・山陽新幹線0系だけが新幹線だと思っていましたから、当時はずいぶんと新鮮な電車に思えました。
 ただ単に帯色をグリーンに変えたのではなく、車体はアルミ製となっています。これは積雪地帯を走るための耐寒・耐雪構造とするための重量増加を防止するという理由があります。また機器の架設については着雪を防ぐため、ボディ・マウント方式を採用しています。
 主回路はサイリスタ位相制御を採用し、機器類の接点を減らすことによる保守の省力化も行われました。また当初は210km/hを最高速度としましたが、将来のスピードアップを考慮した構造となったいます。1985年には最高速度を240km/hに引き上げています。
 写真の222-35は1982年に近畿車輛で完成したものです。200系についてはE2系など新形車両への置き換えが進み、リニューアル改造を受けた編成の一部が現役として残っています。

鉄道博物館クハ48126

 いよいよ12月4日に東北新幹線が新青森まで開業し、全線開通となりました。1982年に大宮ー仙台間で新幹線が走り始めるまでは、上野駅は在来線特急列車の宝庫でした。青森行き「はつかり」、盛岡行き「やまびこ」、仙台行き「ひばり」などなど・・・。
 同年11月の上越新幹線と合わせて、東北特急の任から解かれた485系たちは、常磐線や北陸地区・九州地区へと旅立って行きました。国鉄ならではの広域移動ですね。
 写真の26号のようなようなボンネット形の先頭車は既に姿を消していますが、長く活躍した北陸本線の特急「雷鳥」や日豊本線の特急「ひゅうが」「きりしま」での運用ももうすぐ終焉となります。それでも東北では大改造されているとはいえ再編成された特急「つがる」に3000番台が当面残るわけですから485系というのは偉大な形式だと思います。
 写真のクハ481-26は1965年に日立製作所で完成したものです。483系として仙台電車区に新製配置され、特急「ひばり」に運用されました。東北新幹線開業後は勝田電車区に転属して、特急「ひたち」で使用されました。1991年から訓練車となり、2007年2月まで使用されました。

2010/12/23

鉄道博物館オハ3126

 草創期の日本の鉄道車両の客車は木製車体でしたが、大正の終わりごろになると機関車の高性能化を背景として木製車体では安全性の面では万全とはいえなくなってきました。
 そこで1927年から製造されたのが、骨組みと外板を鋼製とし、車内は従来通り木造とした半鋼製客車オハ32000形〈→オハ31形〉です。明かり取りのある二重屋根という現代の感覚ではクラシカルな外観ですね。車体長も17mとやや小ぶりです。
 そういえばこの客車はKATO〈関水金属〉で古くからC50形蒸気機関車とともにNゲージで模型化されていました。私も中学生くらいの頃はなかなか模型を買えませんでしたので、カタログを何度も何度も読み返したものです。おじさんになると模型は買うことはできますが、模型で遊ぶ時間はないですね。
 写真の26号は1927年に汽車製造で完成したものです。国鉄で引退してから津軽鉄道に譲渡され、ストーブ列車として活躍しました。1983年に現役を退き芦野公園で保存されていました。津軽鉄道から寄贈を受け、鉄道博物館に収蔵されました。

2010/12/20

京浜急行電鉄1000形(1413編成)

 京浜急行新1000形電車は、老朽化した先代1000形や700形の代替を目的として、2002年から製造されている電車です。現在では京浜急行でもっとも多く在籍している電車となっています。
 2006年に製造された車両までは、アルミ製の車体を採用して塗装を施しています。快速特急用の2100形を3扉にしたようなスタイルをしています。側面の窓ガラスと車体の外板がフラットになっているところは、通勤電車としては豪華な感じがしますね。
 主回路は2100形と同様にドイツ・シーメンス社製のGTO-VVVFインバータ制御を採用しております。例の起動時に音階を奏でているように聞こえるというアレですね。
 写真の1413編成は2003年7月に川崎重工で完成したもので、新1000形の2次車に相当します。「エアポート急行」では4両編成を2本つなげた8連で運転されています。

2010/12/12

京浜急行電鉄600形(655編成)

 京浜急行600形は8両編成8本のほかに、4両編成も6本が製造されました。651編成を除いては、製造当初のクロスシートを維持しています。
 600形は今年の5月から運転を開始した羽田空港ー新逗子間の「エアポート急行」にも、4両編成を2本つなげた8両編成で使用されています。
 飛行機の旅を終えて疲れた乗客が、クロスシートに座ってゆっくりと帰宅する。逗子あたりに住んでいる人には特に喜ばれそうですね。
 写真の655編成は1996年5月に東急車輛で完成したものです。「エアポート急行」の運転開始に伴い、以前よくみられた2100形の付属編成的な運用は減少したようですね。

2010/12/11

鉄道博物館ナハネフ221

 1958年に東京ー博多間を結ぶ寝台特急「あさかぜ」に、当時としては画期的な20系客車が新製投入されました。「ブルートレイン」と呼ばれる寝台客車の最初の形式であります。
 20系の登場までは、客車は複数の形式を混結して必要に応じて編成を組成するのが一般的でしたが、20系では固定編成を採用しました。また専用の電源車を用意することにより、全車を空調完備とし、車内を静粛に保てる固定窓を採用することができました。
 個室寝台やグリーン車、食堂車も連結され、豪華な車内設備から「走るホテル」と呼ばれたそうです。その後長崎行き「さくら」や鹿児島行き「はやぶさ」にも投入され、新幹線開業前の長距離旅行に大きな役割を果たしました。
 1980年代には一線を退いて急行用となっていましたが、東京ー大阪間の急行「銀河」で実際に乗車した3段式B寝台の上段は、まるで屋根裏部屋のようでした。今では急行「銀河」もなくなってしまいました。

鉄道博物館マイテ3911

 1930年に東京ー下関間を結ぶ特急列車「富士」に1等展望車が投入されました。展望デッキ、展望室、談話室などを備え、給仕によるサービスを受けられたそうです。
 現代の特急列車はビジネスや旅行などに普通に利用するものですが、当時の特急は外国人旅行客など限られた人が利用するものだったようです。そういえば内田百聞が「阿房列車」で乗車していたのもこんな感じの客車ではないでしょうか?
 1943年には戦況の悪化により特急列車の運転が中止され、山間の駅に疎開しました。1949年9月に特急「へいわ」で復活し、翌年から「つばめ」「はと」にも使用されましたが、新形車両の登場により団体用に転用されてから、1962年に廃車となりました。
 1963年から青梅鉄道公園で展示されましたが、痛みが目立つようになり1987年からJR東日本の大井工場で保管されていました。鉄道博物館での展示に際して整備され、「桃山式」と呼ばれる美しい内装も復活しました。

鉄道博物館キハ41307

 キハ41000形は日本で初めて量産された気動車として、1932年から36年にかけて138両が製造されました。当初ガソリンを動力としていましたが、戦後はディーゼルを動力とするエンジンに換装されました。
 写真のキハ41307は1934年に川崎車輛で完成したもので、主に長野県下で活躍しました。1948年には長野工場で、燃料不足対策として天然ガスを利用するガス動車に改造され、さらに1952年には長野工場でディーゼルカーに再改造されました。
 1957年の形式称号改正でキハ04 8に改番されました。1958年1月中込機関区で廃車され、国鉄車両としての活躍に終止符を打ちました。
 遠州鉄道キハ802として再起してから、1967年に北陸鉄道能登線に転じて1972年の廃線までキハ5211として活躍しました。さらに関東鉄道筑波線→筑波鉄道キハ461として1982年まで使用されました。鉄道博物館での展示に際してはキハ04 8保存会から寄贈を受けています。

2010/12/08

鉄道博物館DD131

 現在品川駅では、構内の整理が行われていて、旧東京機関区の施設や入替用に使用していた線路の撤去が行われています。
 かつては東京と九州を結ぶブルートレインも多くの列車が残っていて、品川客車区での入替作業を担当していたのがDD13形やDE10形といったディーゼル機関車でした。
 DD13形は1958年から67年までに416両が製造され、蒸気機関車を代替し、国鉄の動力近代化に大きく貢献しました。その他首都圏近郊では横浜機関区に配置され、山下公園の高架を走っていたことも記憶に残っております。
 写真の1号機は1958年に汽車製造で製造されたものです。製造当初の塗装に復元されて、鉄道博物館に展示されています。

2010/12/05

E233系2000番代(マト1編成)

 東京メトロ千代田線と相互直通運転を行っている常磐緩行線では、203系・207系900番台電車の置換えを目的として、E233系2000番代の新製投入を行っています。
 中央快速線、京浜東北・根岸線、京葉線に投入されたE233系電車はいずれも拡幅車体を採用していますが、2000番台は千代田線の規格の関係でストレート車体を採用しています。客室についてはクリーム系統のカラーデザインとし、また座席幅の460mmへの拡大や座り心地の改善などを図っております。
 主回路はIGBT-VVVFインバータ制御で、主電動機は出力140kwのMT75形を装備しております。高低差のある地下鉄線内での使用条件を考慮して加減速性能は0番台より向上しています。台車はモーター付きがDT71形、モーターなしがTR255形を装備しています。
 写真のマト1編成は2009年5月に東急車輛で完成し、松戸車両センターに新製配置されたものです。代替として1編成だけが在籍していた207系900番代が廃車となり、さよなら運転が行われるなど大いに注目を浴びました。

209系1000番代(マト82編成)

 1999年に営団地下鉄〈当時〉千代田線・常磐緩行線の増発用として、209系1000番代20両〈10両編成2本〉が松戸電車区に新製配置されました。
 209系は既に拡幅車体を採用した500番代が、中央・総武緩行線に投入されていましたが、1000番代は地下鉄線の規格にあわせてストレート車体としました。また正面の助手席側には非常用の貫通扉を装備しています。
 高加減速性能の確保と異常時救援を目的として、6M4Tとモーター付き車両の比率を上げています。主電動機はE231系と同じMT73を装備しています。またパンタグラフは地下鉄線内で使用されている剛体架線に対応したPS21を装備しております。
 写真のマト82編成は、1999年9月に東急車輛で完成したものです。側窓の一部開閉可能化や大型スカートへの換装などの改造を行っています。現在進んでいるE233系2000番代の新製投入による置き換え対象からは外れています。

203系100番代(マト67編成)

 中央快速線のオレンジ色の201系電車が完全に引退した状況の中で注目されるJR東日本の通勤型電車といえば、京葉線の201系か常磐緩行線を走る203系ということになるのではないでしょうか?
 203系電車は、201系電車の走行機器を基本として地下鉄千代田線乗り入れ用に開発された電車です。1982年の我孫子ー取手間の複々線化完成を契機に量産先行車1本が完成し、1986年までに170両が製造されました。
 主回路は201系と同様に電機子チョッパ制御で、ようやく営団地下鉄6000系と同じく回生ブレーキを使用できるようになりました。車体も6000系と同じくアルミ製となりました。主電動機はMT60形、台車は電動車がDT46A形、制御車と付随車がTR234形を装備しています。
 写真のマト67編成は1986年2月に川崎重工で完成したもので、台車をボルスタレス式のDT50A形モーター付き台車とTR235A形モーターなし台車に変更した100番代属します。100番代は同時期に製造された山手線用205系電車と同様に新製コストの低減を図った車両であります。

鉄道博物館ED75775

 ED75形電気機関車は交流区間における標準型電気機関車として、1963年から302両が製造されました。東北・奥羽本線や九州地区などで使用されました。基本番台の他、九州向けの300番台、1両だけの北海道向け500番台、高速貨物牽引用の1000番台、改良形の700番台があります。
 鉄道博物館に保存されている775号機は、1971年の奥羽本線秋田ー青森間の電化に備えて投入された700番台に属します。パンタグラフが下枠交差型になっているので、他のグループとは容易に識別できます。
 上野ー青森間を奥羽本線経由で結んでいた寝台特急「あけぼの」の牽引にも活躍しました。赤い機関車と青い客車の組み合わせは「絵になる」姿でした。現在では山形・秋田新幹線に対首都圏輸送の主力が委ねられ、「あけぼの」も上越・羽越本線経由にルートを改めています。
 775号機は1975年に東芝で完成したものです。ちなみに青函トンネル専用機関車として活躍しているED79形は、JR貨物が新製投入した50番台を除いてED75形700番台からの改造車であります。

2010/12/04

鉄道博物館EF6611

  EF66形電気機関車は東海道・山陽本線での高速貨物列車の牽引を目的として、1968年から75年にかけて55両が製造されました。1966年のダイヤ改正から行われたEF65形の重連運用などを置き換えています。
 EF65形までの国鉄の電気機関車とは明らかにフォルムが異なり、欧米の車両のような風貌でした。また電気機関車としては初めて、空気バネ台車を装備しています。
 1985年からは東京ー下関間でブルートレインの牽引にも従事するようになりました。当時は貨物列車の削減により余剰車も生じていたのを、寝台特急の高速化に活用したものです。
 写真の11号機は1968年に川崎重工で完成したものです。.現在でもJR貨物にEF66形は現役として在籍しており、さらにJR貨物が増備した100番台も活躍しています。

鉄道博物館EF5889

 EF58形は御承知の通り、戦後の国鉄を代表する電気機関車ですね。1946年から57年にかけて172両が製造されました。
 初期形の31両に関しては、デッキ付き箱型車体で登場しましたが、のちに流線型の車体に乗せ換えられ、箱型車体は貨物用のEF13形電気機関車で再度利用されました。さらに箱形車体のまま歯車比を変更してEF18形として3両が完成しています。
 EF58形は特急「つばめ」「はと」の牽引に使用されたほか、昭和40~50年代にはブルートレインの牽引にも使用されました。1984年2月まで行われた東海道・山陽本線の荷物列車の牽引が、EF58形としては最後の運用となりました。
 写真の89号機は1956年に日立製作所で完成したものです。積雪の多い上越線で使用されたため、正面窓にツララ切りを装備しています。国鉄の分割・民営化後もジョイフルトレインの牽引のために現役でいましたが、1999年に廃車となりました。

鉄道博物館ED4010

 現在は長野新幹線が首都圏と軽井沢を結んでいますが、1997年の新幹線開業まで横川ー軽井沢の急こう配区間では、EF63形電気機関車が特急電車まで含めて全列車に専用補機として連結されていました。
 さらにEF63形の本格的な投入までは、アプト式といってレールの他に歯車を併用するという特殊な方式で運転されていました。なにしろ1.000mで66.7m駆け上がるという急こう配区間ですので、通常の鉄道車両では対応が困難だったのです。
 ED40形電気機関車は、1919年から23年にかけて14両が製造されました。輸入ではなく初めての国産による電気機関車でもあります。
 写真の10号機は唯一の現存するED40形で、アプト式用の機器を撤去したうえで1944年から1964年にかけて東武鉄道日光軌道線で貨物列車の牽引に使用されました。1968年の路線廃止後、東武鉄道から国鉄に寄贈され、準鉄道記念物として整備されました。

2010/12/01

鉄道博物館ED171

 鉄道博物館に展示されているED17形電気機関車は、1925年の東京ー国府津・横須賀間の電化に備えてイギリスから輸入されたものです。
 1040形として1925年5月田町機関区〈当時〉に新製配置され、横須賀線の旅客列車牽引に使用されました。1928年10月の形式称号改正により、ED50形の1号機に改番されました。
 1931年8月には大宮工場で勾配路線用に歯車比を改めて、ED17形の1号機に改番され、甲府までの電化が完成したばかりの中央本線に転用されました。
 1970年11月に甲府機関区で廃車され、1972年から甲府市内の舞鶴城で静態保存されていました。1997年には城の公園改修を契機として大宮工場に移送されて保管されたのち、鉄道博物館に収蔵されました。

2010/11/28

東京都交通局8800形(8807号)

 順調に増備が進んでいる荒川線の8800形ですが、最新の8806号と8807号はローズピンクではなく、紫色の新色をまとって登場しました。
 正式にはバイオレットという色だそうですが、ディープパープルという表現をされている方もいました。ディープパープルというと私のようなおじさんはロックバンドのほうを思い出しますね。
 HIGHWAY STARやSMOKE ON THE WATERで有名なアレですね。私が中学生くらいの頃エレキギターが仲間内でもずいぶんと流行りましたが、ギターの教則本には必ず取り上げられていました。
 思いっきり都電の話題から脱線しましたが、8800形には今後イエローとオレンジの車両も登場するようです。

東京都交通局7500形(7520号)

 都電荒川線の7500形も7510号が離脱し、残り4両となったようです。長きにわたる7500形の活躍もいよいよ最終章に入ったという感じですね。
 7500形の更新車体で初めて採用されたアイボリーにライトグリーンの塗装は、好感がもてますね。汚れは目立ちそうですが・・・。
 近代的な外観とは裏腹に、新造以来の吊り掛け駆動のモーター音が泣かせます。とっくに減価償却も終わっていると思いますが、よほど念いりに整備されているのでしょう。
 7500形は新形車両に置き換えられて引退するわけですから、路線廃止によって引退を余儀なくされる路面電車に比べて恵まれていると思います。

2010/11/27

185系(チタA4編成)

 特急電車らしくない特急電車だとかいろいろいわれた185系電車ですが、現在でも貴重な国鉄形車両の生き残りとして1両も欠けることなく活躍を続けています。特急のシンボルマークも絵入りヘッドマークも国鉄形特急電車の証であります。
 車体は普通鋼製で、運用の間合いに普通電車に使用することを考慮して、通常の特急形電車より側扉が幅広となっています。座席は製造当初は転換クロスシートでしたが、これが不評の原因ですね。特急でありながら、座席を倒せませんので・・・。今では座席は取り替えられ、倒せます。
 走行システムは兄弟車ともいわれる117系近郊型電車に準じたものです。165系以来の実績ある機器でまとめられていますから、信頼性は非常に高いわけです。今でも活躍している秘訣はそのあたりにありそうです。
 写真のチタA4編成は1981年5月に日本車輛で完成したものです。30年選手に近いです。週末の特急「踊り子」や通勤ライナーが185系の活躍の場ですね。いまだに後継車両も具体化していません。

211系(チタN24編成)

 113系ばかりが走っていた東海道線東京口に、新形211系電車が走り始めたのは1986年のことでした。しかしながら田町電車区に210両が揃ったところで211系の増備は終息してしまい、2006年3月のダイヤ改正まで113系が走り続けました。
 211系電車は車体のデザインが斬新で、窓も大きく非常に明るい印象を受ける電車です。その後のE217系やE231系ではなくなってしまった戸袋窓も残されていました。ただし日本経済の絶頂期ということでラッシュ時の混雑も激化し、中距離電車でありながら通勤電車と同じロングシートに移行していきました。
 主回路は添加界磁励磁制御という比較的安価に回生ブレーキを使用できる方式を開発しました。通勤型の205系にも導入されましたが、分割・民営化直前の国鉄の厳しい財政事情を反映しています。昨今のJR東日本における急ピッチな車両投入を見ると隔世の感があります。
 写真のチタN24編成は1989年10月に川崎重工で完成したものです。211系も東京ー上野間を結ぶ東北縦貫線が完成すると他路線へ転用されるという噂があります。実際にはどうなるのでしょうか?

E231系1000番代(コツK-28編成)

 東海道線東京口の電車といえば113系の印象が非常に強いですが、2004年から2006年にかけて国府津車両センターに一気にE231系が投入されて置き換わりました。
 E231系の車内は寒色系でまとめられていて、良く言えば清潔、悪く言えば味気ない感じがします。E231系のいいところは座席を囲む部分がプラスチック製で丸みを帯びていて、113系より柔らかい感じになっていることです。驚異の混雑となることもある東海道線でこれはうれしいことです。
 E231系は車体が軽いことと、モーター付き車両が少ないこともあってか滑るように走るという印象があります。同じくE231系を使用する湘南新宿ラインでもそうですが、座っていると眠りに誘われる車両であります。
 写真のコツK-28編成は2005年8月に普通車は新津車両製作所、グリーン車は東急車輛で完成したものです。また中間車2両は2002年7月に完成し宇都宮・高崎線用に使用されていましたが、グリーン車の組み込みにより転用されたものです。

2010/11/25

梅小路蒸気機関車館D50140

 梅小路蒸気機関車館は、京都市内に実際に使用されていた扇形の機関庫を利用して19両もの蒸気機関車が展示されているというたいへんな施設でありますが、ちょっとした泣きどころもあります。
 それはほとんどの機関車が機関庫に収納されているために機関車全体を撮影することが難しいということです。しかし貴重な文化的・産業遺産を目の当たりにできることができるわけですから、目をつむることといたしましょう。
 さらに特筆すべきは、ここでは動く蒸気機関車が見られるということですよね。機関庫の周りには石炭の匂いがします。現在稼働しているのはC622.C612.C571.C56160.D51200.B2010.8630の7両で、実際蒸気機関車をメンテナンスする機能を持っているわけですから凄いことだと思います。
 写真のD50140号機は1926年に日立製作所で完成したものです。煙突のフォルムがいい味だしてます。たまたま庫外に展示されていて全体を撮影できました。今ではこの場所に休憩室として使用されている50系客車が置かれています。
【撮影:佐野次郎 1992.1.16】

2010/11/23

西武鉄道101系(247F)

 武蔵境と是政を結ぶ西武多摩川線では、11月10日に101系の低運転台車の営業運転が終了し、新101系への代替が完了しました。
 多摩川線を走る新101系4編成はアイボリーを塗装のベースとしていますが、それぞれ「春」「夏」「秋」「冬」をテーマとしたラッピングを施すことになっています。
 多摩川線での使用にあたってワンマン運転用の機器を搭載したほか、パンタグラフはシングルアーム式に換装し、先頭車にはスカートを装備しています。
 写真の247編成は1979年12月に東急車輌で完成したものです。2010年3月に多摩川線に転属してきました。

E351系(モトS24+S4編成)

  中央本線の看板列車といえば、新宿ー松本間を結ぶ特急「スーパーあずさ」に使用されているE351系電車です。カーブにかかると車体を傾斜させて速度の低下を防ぐという「振り子電車」ですね。
 車体のデザインは常磐線の「スーパーひたち」651系電車の流れを汲んでいて、いかにも「特急電車」だぞという感じがしますね。アイボリーにライトパープルという塗装も新鮮な感じがします。残念なのは、グリーン車の座席配置が先代183系1000番台改造車の「スーパーあずさ」では2+1列だったのが、2+2列の配置に戻ってしまったことです。
 主回路はIGBT-VVVFインバータ制御を採用しています。ブレーキ装置は回生ブレーキと発電ブレーキを併用する方式としています。省エネルギーに役立つ回生ブレーキは列車の本数が少ない路線では効果が薄いので、発電ブレーキを併用しております。また振り子装置に関しては、電気的に制御する方式で乗り心地の改善を図っています。
 写真のS24+S4編成は1996年1月に日立製作所で完成し、松本車両センターに新製配置されたものです。1996年3月のダイヤ改正にあわせて投入されたものですが、E351系の増備車はこの2次車で終了し、60両で製造が終息してしまいました。

2010/11/22

E233系(トタT32編成)

 2本だけが残っていた201系電車も遂に引退し、中央快速線の通勤電車はE233系に統一されました。撮影する人も減ったかと思いましたが、いまでもけっこういますね。
 E231系まではコストダウン優先だったJR東日本の通勤電車ですが、E233系に至って信頼性を追求する方向に大きく転換されました。
 中央快速線のように乗客も多く、高密度に運転する路線にはE233系のような車両が適していると思います。先代の201系も103系に比較するとひとつ上をいく電車でした。
 写真のトタT32編成は2007年9月に川崎重工で完成し、豊田車両センターに新製配置されたものです。

2010/11/21

京浜急行電鉄1500形(1529編成)

 今月の中旬から京浜急行1500形の6両編成の電気連結器が順次撤去されています。理由はわかりませんが、おそらくコストダウンの一環なのでしょう。
 1500形と同じく普通列車に使用されている800形は、電気連結器をもともと装備しておりません。ということは分割・併合運転のない1500形の6連には電気連結器を装備する必要性は薄いのでしょう。
 毎日同じように走っているような気がする通勤電車も様々な事情により、少しずつ変化していきますね。廃止になる列車や車両の最後の勇姿をカメラに収めるのも良いけれども、私は日日の記録をすることにより共感します。
 写真の1529編成は1988年6月に東急車輛で完成したものです。当初は4連でしたが、編成換えにより現在では6連となっています。

京王電鉄9000系(9001F)

 京王電鉄9000系は、老朽化した6000系電車の代替を目的として2000年から2009年12月の間に264両が製造された電車です。あれだけ走っていた6000系が動物園線・平日の競馬場線に走るだけになってしまっているということは驚きです。
 9000系の車体はステンレス製ですが、技術の進歩を反映して側面はフラットになっています。軽量化を目的として戸袋窓は廃止となりました。室内は白を基調した清楚なイメージでまとめられています。また一人当たりの座席幅は8000系の440mmから450mmに拡大しています。
 主回路はIGBT-VVVFインバータ制御を採用しています。主電動機は出力170kwの誘導電動機HS33534-02RBを装備しています。台車はボルスタレス空気ばね台車TS-1017/TS-1018を装備しております。モニタ装置は検修機能を中心に充実を図っています。
 写真の9001Fは2000年12月に日本車輛で完成したもので、9000系の1次車に相当します。6000系・7000系との併結運転が可能なことが特徴です。なお9001Fをはじめとする8連8本については、都営地下鉄新宿線への乗り入れに対応しておりません。

京王電鉄8000系(8006F)

 京王電鉄8000系電車は1992年から99年にかけて244両が製造されました。府中・長沼・北野駅周辺の立体交差化完成を踏まえて実施された1992年春のダイヤ改正にあわせて営業運転に投入されました。
 車体はステンレス製ですが、前面のみ普通鋼製となっています。名車のほまれが高かった5000系のイメージを残しながら、スピード感のあるデザインでまとめられています。室内については暖色系の配色とし、明るく温かみのあるソフトなイメージとなりました。
 主回路はGTO-VVVFインバータ制御を採用しています。主電動機は出力150kwの誘導電動機TD6155-A形を装備しました。台車はペディスタル方式の空気バネ台車TS823A/TS824を装備しております。
 写真の8006Fは1992年4月に日本車輛で完成したもので、8000系の2次車に相当します。8000系は当初速達系の列車を中心に使用されていましたが、現在では列車種別に関係なく運用されています。

京王電鉄7000系(7021F)

 京王電鉄7000系電車は、1987年の増備車から側面の凹凸が少なくなり、よりすっきりとした外観になりました。
 今までは銀色だった前面もアイボリーに塗装されています。塗装を施したのには、線路の保守を行う作業員が電車に気付きやすくするためだそうです。
 現在ではラインカラーが変更され、先頭車にスカートがつき、パンタグラフもシングルアーム式となり新製当初とは少し印象が異なります。準特急や快速など速達系の列車にもかなり使用されています。
 写真の7021Fは1987年11月に日本車輛で完成したものです。新製当初は8連でしたが、のちに中間車を増備して10連になりました。2007年6月に若葉台工場で主回路をVVVFインバータに換装しています。

2010/11/20

京王電鉄7000系(7005F)

 京王電鉄7000系は1984年から96年にかけて190両が製造された電車です。6000系が京王線から退いたことにより、京王線では最古参という電車になりますがリニューアルも進んでいてあまり古い電車だという気はしません。
 京王線の電車では初めてステンレス製の車体となりました。6000系の構成をそのままステンレス製にしたような感じです。今では前面はアイボリーに塗装されていますが、製造当初は銀色で現在とはやや印象が異なります。
 主回路は界磁チョッパ制御としています。現在では改造によりVVVFインバータ制御への更新が進められています。京王線についてはVVVF車に統一されることになります。
 写真の7005Fは1984年度に製造されたもので、7000系としては1次車に相当します。2004年12月に若葉台工場でVVVF化改造を完了しています。

2010/11/18

山手イタリア山庭園

 横浜の山手というと、JR根岸線の山手駅周辺ではなく、本来はワシン坂のあたりから港の見える丘公園を通って、地蔵坂上までくらいをさしています。地名も山手町となっています。
 大きな家も目立ちますし、まだまだ使えるような建物が取り壊されてまた新しい建物が建ったり、更地になったりします。
 大きな家の他に目立つのが洋館をシンボルとした公園です。写真の「外交官の家」があるのが、山手イタリア山庭園というところです。石川町で電車を降りて大丸谷坂というけっこう急な坂を上ってたどりつくのがこの庭園です。駅から5分もあれば十分着きますが・・・。
 私の感覚では放置自転車の保管場所だったところですが、1990年代には洋館を2軒移築して、庭園として整備されました。けっこう散歩に訪れる方がいらっしゃるようですね。

小田急電鉄8000形(8259F)

 小田急8000形電車は1982年から87年にかけて160両が製造されました。いわゆる「小田急顔」から脱却した電車でありますが、1000形以降はステンレス車体となりましたので、小田急では貴重な普通鋼製の電車でもあります。
 車体は前面デザインがまったく新しいものとなっています。千代田線乗り入れ用の9000形電車が斬新なデザインで登場していながら、「小田急顔」の5200形を作り続けたのは不思議でしたが、ようやく9000形に遜色のない地上線用の電車が登場しました。
 主回路は当初は界磁チョッパ制御を採用していましたが、2003年度の車体修理を施した車両からIGBT-VVVFインバータ制御に更新しています。またブレーキ装置も応答性のよい電気指令式ブレーキに変更しております。
 写真の8259Fは1984年10月に日本車輛で完成したもので、6連の4次車に相当します。2005年8月に車体修理を終えています。

2010/11/14

小田急電鉄3000形(3254F)

 現在小田急で一番よく走っているのが3000形電車であります。2001年から2006年までに312両が製作されて、2600形や4000形といった「小田急顔」の電車を総取替し、5000形や5200形の置換えも進みました。
 車体はステンレス製ですが、2600形以来の裾絞りをやめているので、直線基調のスタイルとなり、いままでの小田急の通勤電車とはかなり印象が異なります。1次車については出入口が2000形と同様に広く、戸袋窓も残されておりました。
 主回路はIPM-VVVFインバータ制御を採用し、主電動機は出力180kwの誘導電動機MB-5092-Aを装備しています。ブレーキ装置は電気指令式ですが、ブレーキ読み替え装置を装備しているため従来の空気指令式ブレーキ車と併結して運転することが可能です。
 写真の3254Fは2002年2月に日本車輛で完成したもので、3000形の1次車に相当します。標準化仕様で製造された2次車以降とは異なり、小田急オリジナルの要素が強い電車となっています。

小田急電鉄3000形(3658F)

 小田急3000形は2002年度の2次車から「通勤・近郊型電車の標準仕様ガイドライン」に則り、仕様を変更しております。JR東日本のE231系や、東急5000系などに近い仕様になったといってもよいでしょう。
 側面の配置が一新され、出入口の寸法も一般的なものとなり戸袋窓も廃止されました。室内の色調には変化がありませんが、座席は方持式となっています。
 主電動機、制御装置、ブレーキ装置は1次車と変化はありませんが、さらに3次車からはTIOSという情報管理システムを導入して、配線の大幅な削減を行っています。
 写真の3658Fは2005年6月に川崎重工で完成したもので、3000形の5次車に相当します。8両編成で各駅停車を中心に運用されています。

小田急電鉄4000形(4059F)

 小田急電鉄の通勤電車でもっとも新しいのが、東京メトロ千代田線乗り入れ用の4000形電車です。JR東日本のE233系電車を基本に設計した電車で、主要機器の回路を二重化して故障に強い電車としています。
 車体はE233系と同じくステンレス製ですが、千代田線に乗り入れるため裾絞りのないストレート車体となっています。同じく千代田線に乗り入れる常磐緩行線用のE233系2000番台に近いものです。室内は明るめの赤を基調とした落ち着きのあるデザインでまとめられています。
 主回路はIPM-VVVFインバータ制御としています。主電動機は出力190kwの誘導電動機MB-5123-Aを装備しています。TIOSという編成全体の機器を管理する情報システムを採用しておりますが、これはJR東日本のTIMSと同じ役割を果たしているものです。
 写真の4059Fは2009年11月に東急車輌で完成したもので、4000形の2次車に相当します。4000形は千代田線直通運用の他、小田急線内の快速急行や急行にも活躍しています。

2010/11/07

東京地下鉄16000系(16103F)

 東京メトロ千代田線では、長らく1971年から量産していた6000系電車を主力として使用してきましたが、機器の劣化も進んでいるため2012年までに16000系電車160両〈10両編成16本〉を導入して一部を置き換えることになりました。
 16000系の車体はアルミ合金のダブルスキン構造となっています。16000系の車内は壁面と天井が白、座席と床を青でまとめた落ち着きのある配色となっています。17インチのモニタ2台が扉の上にあるのは、有楽町・副都心線10000系、東西線15000系と同様です。
 主回路はIGBT-VVVFインバータ制御としています。主電動機には出力205kwの永久磁石同期電動機を採用しています。この方式だと現在主流の誘導電動機よりもさらに効率が良いそうです。そのため16000系では電動車比率を再び4M6Tと低くしています。
 写真の16103Fは2010年10月に日立製作所で完成したものです。この編成はまだ営業運転に入っていませんが、小田急多摩線で試運転を行っているところをたまたま撮影できました。

2010/11/06

東京地下鉄05系(05141F)

 営団地下鉄は2004年4月の株式会社化により、東京地下鉄株式会社〈東京メトロ〉に改組されました。05系の13次車は東京メトロの標準型車両という位置付けで製作されたものです。
 車体は従来の05系と同じくアルミ製ですが、ダブルスキン構造を採用して、製作のモジュール化を進めて工作の合理化を図るとともに、相互乗り入れ先の東葉高速鉄道との共同調達を図ることにより従来の05系に比較して15%の導入コストの削減を実現しております。
 主回路はIGBT-VVVFインバータ制御を採用しております。電動車比率は5M5Tとしています。05系13次車は、有楽町・副都心線用10000系電車の基本となった電車でもあります。
 写真の05141Fは2004年11月に日立製作所で完成したもので、05系の13次車に相当するものです。このグループから日立製作所の「A-TRAIN」となっております。なお東西線開業以来の5000系の全取替には有楽町線からの07系が充当されました。

東京地下鉄05系(05125F)

 営団地下鉄〈当時〉東西線の05系電車の製造は1988年から1994年までの240両〈10両編成24本〉をもって一旦終息し、残りの230両〈10両編成23本〉については旧形の5000系を冷房化・更新修繕を行い使用していましたが、1999年から05系の増備が再開されました。
 車体のデザインは、当時東西線が地下鉄では唯一快速運転を行っていることもあり、スピード感を強調したデザインに変更されました。また座席は方持式としたため、足元は広くなりました。今の電車ではあたり前のように足元は広いですが、昔の103系なんかだと足元は板でおおわれていて冬はヒーターの熱を感じたことを思い出します。
 主回路はIGBTーVVVFインバータ制御を採用し、従来の05系に比べて機器の小型・軽量化を図っています。また運転台は東西線では初めてのワンハンドルマスコンを採用しました。パンタグラフは菱型となっております。
 写真の05125Fは、1999年11月に川崎重工で完成したもので05系の8次車に相当します。私個人としては、7次車までのデザインのほうが好ましいように思います。

東京地下鉄05系(05124F)

 営団地下鉄〈当時〉東西線では、1988年度から05系電車を投入して開業以来の5000系の代替を進めてサービス改善を図ってきました。1992年度に増備された6次車からは、千代田線06系の仕様を取り入れて大幅な改良を図っています。
 前面デザインは従来の05系と変化はありませんが、側面の窓配置は06系や有楽町線用に製造された07系に準じたものになっています。ちなみに現在では07系全車が、有楽町線から東西線に転属してきています。
 主回路は初期の05系はチョッパ制御でしたが、6次車からVVVFインバータ制御に変更して電動車比率も6M4Tから4M6Tに下げています。これも06系・07系の仕様を反映したものです。搭載機器のほとんどが06系・07系と同一となっています。
 写真の05124Fは1994年5月に近畿車輛で完成したもので、05系の7次車に相当します。5000系のアルミ車から再利用した部材を網棚などにリサイクルしていることを示す「AL」マークを前面に掲示しております。1999年度に製作された8次車までいったん05系の製造はとだえることになりました。

2010/11/03

本牧山頂公園 荒井の丘 オープン





 拙宅の近所にある本牧山頂公園の拡張工事が先月に完成しました。もともとは山林だったところで、聞くところによるとタヌキも棲んでいたそうです。タヌキには越していく先があったのでしょうか?
 強いて公園にする必要性があったのかわかりませんが、この工事によりYCACからマイカル本牧まで公園を通って歩いていけるようになりました。
 本牧の海が見えるようになるのかな?とも思っていましたが、石油コンビナートのほうがよく見えます。「工場萌え」の趣味がある方はいい写真が撮れるかもしれません。
 今回新たに公園になったあたりは、「荒井の丘」という名称からわかる通り、本牧荒井というところになります。隣町の間門から根岸にかけて「新井」という家が多いですが、何らかの関係があるのでしょう。